「瑞鶴、いるか?」
「大丈夫。ここにいるよ、提督さん」
病室のベッドの上、半身を起こして窓の外に顔を向けたまま訊ねてきた提督さんの左手をそっと包んで、私は応えた。
日を追うごとに
「いつも……ありがとうな」
力の無い声でそう言って、こちらを向いた提督さんの瞳を見て私はまた泣きそうになるのをぐっとこらえる。
私と提督さんの瞳は決して合うことは無くて、その瞳の中に不安げな私が逆さまに映るだけだった。
「いつも言ってるでしょ。私は好きで毎日提督さんに会いにきてるんだから」
「……俺はもう提督じゃないよ」
諦めたようにそう言った提督さんは今、どこを見て、なにを映しているのだろう。
私たちの指揮を執っていた頃は面倒くさがりでいい加減で、しょっちゅう執務を放り出しては駆逐艦の娘たちと遊んでいた。そんな提督さんを探し出して口うるさく文句言うのが私の仕事のひとつだった。
本当は優しくて、戦いが好きじゃないところも知っている。艦娘である私たちを兵器としてではなく、同じ人として扱ってくれて、海域攻略よりも私たちの無事を願ってくれていたことも知っている。
そのせいでひとつの海域を攻略するのに随分時間をかけていたことも、他の鎮守府の提督たちが無能だとか器じゃないだとか……好き放題に提督さんを罵っていたことも全部、全部知っている。
でも私たちは──
「これからも、なにがあっても変わらない……」
世界中の誰より優しい提督さんが…なによりも私たちのことを最優先で考えてくれている提督さんが…いつも笑顔で私たちの帰りを待っていてくれたから……だから私たちは戦えたんだよ。
「……提督さんは、提督さんだよ」
努めて明るい声色で、提督さんに心配をかけさせてしまわないように、けれど、どうしても笑顔にはなれなかった。
提督さんが退役したあの日、私たちの鎮守府からは色も音も消えて無くなった。提督さんがいてくれた頃は賑やかで笑顔が絶えなくて、いつだって騒がしいくらいだったのに。
川内は夜戦夜戦って言わなくなったし、翔鶴姉は「不幸だわ」って、口癖のように毎日繰り返してる。金剛さんは無理して笑って……。
それでも、私たちはなんとかやってるよ。辛くても苦しくても、泣きたいくらい寂しくても、みんなが鎮守府に残った理由は多分同じだから。
「提督さん……」
いつも提督さんがしてくれてたように、今度は私たちが提督さんの帰りを待つ番だから。
だから──
「もう提督じゃないなんて、言わないでよ……」
必ず帰るよって、俺はずっとお前たちの提督だよって、そう言ってください。少しでも気持ちが残っているのなら、また私たちと一緒に……戦ってください。
「子供みたいってわかってる。でも……っ、提督さんじゃなきゃだめなんだもん……」
握っていた手に力が入り、ぽろぽろと私と提督さんの手に涙がこぼれ落ちた。
本当に子供みたいなワガママで困らせて、子供みたいに恥ずかしげもなく泣きじゃくった。
「瑞鶴」
そんな私の手を反対の手でそっと握り返して、穏やかに、苦笑しながら私の名を呼んだ。それはあたたかくて、包み込むように優しい声だった。
色鮮やかだった鎮守府で、何度も耳にした提督さんの声。
やっぱり、それを置いて前に進むことなんてできるはずもない。
「……少し痛いよ」
その言葉にハッとなり、すぐに力を緩めた。
「ご、ごめんなさい……」
「でも、だからこそ……捨てきれないんだろうな」
手探りで、数秒間宙を彷徨った右手が、私の頬を見つけて優しく撫でた。
「お前はずっとここにいてくれた」
その瞬間、止まりかけていた涙が、堰を切ったようにあふれ出す。
張り裂けそうなほどに苦しかった。待つことがこんなにも辛いことだなんてずっと知らなかった。本当はもう、なにをしても、どれだけ時が経っても、二度と戻らないんじゃないかって考えた夜もあった。目が覚めて、隣にはもういない寂しい朝を何度繰り返して、何度涙で溺れただろう。
怖かった……。もう二度とこの涙を拭ってもらえないような気がして。
「まだまだ、泣き虫だな。瑞鶴は」
──あの日から一度も合わなかった瞳が、ようやく私の瞳とぶつかった。
「提督……さん……」
「やっぱり、俺がいないとだめじゃないか。……でも、同じように俺にもお前がいないとだめだからさ」
優しく涙を拭ってくれる提督さんの手の温もりを感じながら、少し顎を上げてきゅっと目を瞑った。
「必ず帰るよ」
せっかく拭ってくれたのに、またあふれ出す。
音が聞こえた。色鮮やかに彩られていくふたりだけの世界に、あたたかくて優しい音が。
「もうやだ……。提督さん、ずるいって……」
「ずるいのはそっちの方だ。そんなに泣かれちゃ罪悪感の方が勝っちゃうっての」
涙で濡れたひどい顔で、小さく笑った。
するとつられて提督さんもくすりと笑って、少しの間を置いてからぎゅっと私を抱きしめた。
「もう二度と、泣かせたりなんかしないよ」
噛み締めるように言った言葉が嬉しくて、心臓がどくんと音を上げて、胸がきゅっと苦しくなった。
「……すき」
両の腕の中で込み上げてきた気持ちが、自然と言葉になってもれる。
それに反応した提督さんの唇を唇で塞いで、そっと距離をとった。
「約束だよ、提督さん」
もう今日からは笑顔でずっと待ち続けるから──
「もし帰ってこなかったら、瑞鶴は不貞腐れるぞ」
瑞鶴「というSSを考えたんだけど、どうかな?」
提督「はぁ……………………」
提督「瑞鶴好き」
読んでくださった方がいたらお礼申し上げます。
不貞腐れる瑞鶴ばりかわいいっす。