(はぁ……隊長様は気づいて言ってるのかしら?)
背中にかかった声を思い出し、あたしは心の中で嘆息した。
(あのシルエットに化けてた魔物の声を聞いた時、即座に動けたのは隊長様だけだったって言うのに)
あたし達に共通する心の傷も、命を落とすことの無かった「隊長様」だけは他の皆より浅い。
(最初にあのお方――スーザン様に直接ついてきて欲しいと言われたと言うのもあるかも知れないけど)
申し出を代表して受けてくれたからこそ今のあたし達があるのだ。
(あれがなければあたし達は生き返ることなんて出来なかったもの)
一人の女子としてごく普通の生活を送り、伴侶を得て子をなし、育む。望んでいたささやかな夢は、あのやまたのおろちの生け贄に選ばれた時点で潰えた。
(そこで終わりだと思っていたのに、新しい明日をくれたのだもの)
危険と隣り合わせの今は平穏とはほど遠い暮らしだとしても、諸悪の権化である大魔王が滅びれば平和が戻ってくると聞いている。
(嫁き遅れの覚悟は必須ね。もっとも、お相手のめどさえ立ってないのだけど)
スーザン様に思いを寄せる子もいるものの、おそらく実らぬ恋だと思う。スーザン様の身体は他者のものなのだから。
(あの方自身も首を縦に振らないだろうし、心だけの、自我だけの方だもの)
もし、思いを受け入れて貰えたとして、その先はどうなるというのか。
(そもそも、今為すべきは世界を平和にすること)
色恋にうつつを抜かしている時ではない。
(スーザン様なら、弟子の……シャルロットさんだったかしら? ともかく、勇者を導いて、世界を平和にしてくださるはず)
だから、あたしはやれることをやるのだ。
(確か、地下に行くには左に曲がって、二つめの部屋を右に……)
スーザン様は手紙に地図まで添えてくださっている。
「ヴヴッ!」
「うおおおっ、てめぇっ良くもアイツを」
ましてや、洞窟の中は大混乱だ。悲鳴がしたかと思えば、怒号に続いた何かが叩きつぶされる音の後にそれまで通路から聞こえていた羽音が消えた。
(あの甲冑男の仲間と魔物の同士討ちがまだ続いてるのね)
事態の収拾が可能な魔物はおそらく大半がスーザン様を追って出ていったのだろう。残されたのは、不意をつけばあたし達でもどうにかなるような魔物とこの洞窟を根城とした人攫い一味ばかり。
(しかも、万全の状況にはほど遠い。同士討ちで手傷を負ってる魔物も居そうだし……手傷で済んでないのも居るみたいだもの)
部屋の脇を見れば、転がるのは倒された魔物の骸。スーザン様が手を下したのか、仲間割れの結果なのかは解らないが、気にする必要もない。
(何か持ってるか調べて行きたいところだけど、今は自重しましょ)
後ろ髪を引かれつつも、死体の転がる部屋を後にし、あたしは通路に踏み込む。
(仲間割れは終了してるわね)
虫のモノらしき羽音が絶えていることから、倒されたのは魔物側か。
「うへへ、ざまあみろってんだ」
通路の中程でこちらに背を向けてひしゃげた大きな羽虫を踏みつけるのは、覆面と一体化したマントを纏う一人の男。
(協力者なら知ってるはずよね。この混乱の真相も)
ならば、倒してしまって問題ない筈だ。
(かといって討ち漏らして騒がれたら拙いわね)
あたしは男に気づかれないように後退すると、さっきまで居た部屋に戻り、部屋の入り口まで来ていた皆に指を一本立ててから通路の方を指さす。
「敵が一体いるわ、念のために一斉攻撃で仕留めたいのだけど」
などと口に出せば、男に気づかれる可能性がある。故に連絡はハンドサインとジェスチャーを足して二で割ったようなもので行い。
(直接的な恨みはないけど、己の罪を悔やむのね)
無言のまま仲間を連れて再び先程の通路に足を踏み入れたあたしは、束ねていたはがねのむちをほぐし。
「んぐっ?! がっ」
空気を斬り裂いた鞭が覆面をかぶる頭に巻き付いた直後、剣風が鞭を引きはがそうと顔に両手をやった男の胴を薙いだ。
(流石ね……あたしの攻撃も要らなかったかもしれないぐらいに)
倒れ伏した男から毒々しい赤が広がって行く光景を見つめながら男の頭に巻き付いたはがねのむちを外し、棘を指に刺さないようにして再び束ねる。
(確か、次の部屋の左手に見える扉の向こう)
協力者はそこにいる。
(あれだけ混乱してれば当然よね)
騒ぎに巻き込まれないようにスーザン様が指示したそうだが、正解だったと思う。耳も澄ませば、何処かで争う音や怒号、悲鳴などが聞こえてくるのだから。
(下手するとあたし達の侵入にも気づいてないかしら)
取り込み中の今が好機だ。あたしは再び隊の皆を置いて進むと、手紙にあった扉に歩み寄り、ノックする。
「何だ?」
「手紙、読みました」
奥から聞こえた訝しげな声への答えは簡潔な上そのままだが、合い言葉のようなものは取り決めてないのだ。
「……そうか、ん?」
「用心の為、先行したのよ」
扉が内側からあっさり空き、現れた男が周囲を見回したので、あたしは言い添える。
「なるほどな。聞いてるかも知れんが、俺がジーンだ」
「手紙にあった通りね。早速だけど――」
「皆まで言うな、解っている。幹部連中はこの騒ぎで半分が出払った」
「それは好都合ね」
とは言え出払っただけなら時間が経てば戻ってくるだろう。
「この下階の構造は聞いているか?」
「ええ、階段を下りて直進した先に小部屋が一つ。左に曲がった先に生活スペースがあってその奥が牢だったわね?」
「そうだ。時間が惜しかろう。小部屋の方で騒ぎを起こして何人か釣り出す」
「その隙に突入するってことね」
悪くない案だと思う。これを考えたのはスーザン様か、それとも目の前のこの人なのか。
「わかったわ、仲間に伝えてくる」
想像以上に早く、救出作戦は大詰めを迎えたと思う。断りを入れてからあたしは皆を呼ぶ為、来た道を引き返した。
長かったこの洞窟もそろそろ終了です、たぶん。
次回、番外編9「任務、託されて<後編>(クシナタ隊女盗賊視点)」