「最小だ、必要最小限で行こう」
とりあえず、顔を出しておけば義理は果たせる。
(ざっと店内を見回して、「欲しいモノがないようだ、俺はこれで失礼する」って帰ればいい)
俺は盗賊だ、素早い身のこなしには自信もある。
(お金にも困って居ないし、だいたいこれから向かう店はハズレの方、長居する理由なんて、無い筈)
おそらく無関係だからこそ色仕掛けで出来るだけ多くの情報を集めると言う手もあるかもしれないが、せくしーぎゃるにそんなことを試みた日にはどうなることか。
(うん、俺には無理だ)
おろちのように魔物だったら、物理的に何とかするという手段もあっただろうが、相手は一般人。
(四十代後半のせくしーぎゃるを一般人のカテゴリに入れていいならだけど)
容姿については触れられていなかった気もするが、出来れば想像はしたくない。
「邪魔をする。そこの店の紹介で来たんだが」
少しだけ留守であることを期待しながら、入り口のドアの前に立ち声をかけ。
「あ、いらっしゃいませ。どうぞ中にお入り下さい」
「え?」
内から聞こえた幼さが残る声に、面を食らう。とても四十代後半の声ではなかった。
(いや、決めつけるのは早計かも。アニメの声優さんとかってベテランならそういう年代の方もいらっしゃる訳だし)
扉を開けた先にいるのが、せくしーぎゃるよんじゅうななさいでしたなんて展開も十分あり得る訳だ。
(もっとも、声をかけてしまった以上、回れ右もできない、か)
前の店の主人に顔は知られてしまっている。
(むしろ、これがチャンスの可能性だってある。年齢的に子供や孫がいても不思議はないんだ)
たまたま店番していたお孫さんとかだった場合、ちゃんと足を運んだけど女主人が留守だったと言い訳出来る。
(確かに、さっきまではどうやって逃げ出そうかって考えてた。だけど、希望があるなら)
かけてみるのも悪くない。
「どうやら営業中で良さそうだな、なら」
意を決した俺は、ドアを開け、店に足を踏み入れた。ちなみに、女店主の店は布や糸を扱っている店と聞いていた。
「さてと、この店にあ」
周囲を見回しつつ、赤い布をと続けようとした所で、言葉を失う。
「あ?」
カウンターの向こうで首を傾げていたのは、お腹の大きな女性。太っているという訳ではない、おそらく妊婦さんだと思う。
「……娘さんか?」
「え? あ、はい。母は少々出かけておりまして、御用がありましたら――」
「いや、いい。買い物は出来るのだろう?」
こちらの問いかけに頷いた妊婦さんは申し訳なさそうな顔をしたが、こちらとしてはむしろ歓迎である。
(今の内に買い物を済ませてしまうしかない)
頼まれていたのは、くたびれた服やマントを補修する為の布地と糸、量としてもそれ程多くはない。
「補修用に布と糸が欲しくてな。これと向こうの、それを貰いたい。糸束の方は一束、布はこれぐらいあれば事足りる」
「解りました。少々お待ち下さい」
しかし、案じるより産むが易しと言うか、悪夢のような状況が待っているかと思えばとんだ取り越し苦労だった。
(ま、安くはならないだろうけど、どうでも良いよな)
一番重要なのは、このまま買い物を終えて店を後にすることだ。
(後は支払いを済ませて商品を受け取るだけだしなぁ)
ここで再びオススメの店を聞くのも選択肢の一つではあるが、紹介された先がまたせくしーぎゃると言う可能性もある。
(紹介されたお店で買い物はしたんだ、わざわざ危険を自分から招く必要なんてない)
聞き込みなら、もう一軒の店でだってできるのだから、ここは店主が帰ってこない内に買い物を済ませて走り去ればいい。
「お待たせしました。合計で38ゴールドになります」
「うむ」
布の服の価格からするとぼったくりとも思える価格だが、武道着や稽古着、ステテコパンツやはでな服もまた布製の防具だ。補修するモノの価格を考えると妥当なところだと思う。俺は頷くとカウンターに金貨を置き。
「ただいま。おや、お客さんかい?」
ドアの開く音へ伴い、肩越しに後ろから妊婦さんへかけられた声に固まった。
「あ、お帰りなさいお母さん。はい、雑貨屋のワンさんの紹介で……今、布と糸束をお買いあげ頂いたところです」
や、そのとおり だけど なんで いま かえって きますかね。
(なに、この たいみんぐ の わるさ)
あと少しだったのに、受け取って帰るだけだったのに。
(しかも、後ろのドアから帰ってくるとか)
完全に回り込まれてしまった形である。
(居るのか、後ろに居るのか……せくしーぎゃるよんじゅうななさい)
帰るには回れ右する必要があるというのに、この時の俺の身体は後ろを向くことに酷く抵抗を覚えていた。
助かったと思わせてからの、エンカウント。
次回、第三百四十一話「あの、ぼくはもうしつれいするので」