「すまん、待たせた」
数歩の距離を移動してモノを取ってくるだけではあったが、俺は敢えて頭を下げた。
(モシャスの検証で時間を使わせちゃったからなぁ)
結果として、俺は未だに失敗バニーさんの格好のままである。
「さて、俺達の担当はダーマの入り口となる訳だが……」
決めておくべきことは色々ある。
「最初から女装して現場に赴くか、それとも何処かで隠れて着替えるか。俺としては後者を押すつもりだ。既にダーマ入りしてる者はチェックされている懸念があるからな」
現場で着替えとなれば荷物が増えるが、これは仕方ない。
「そう言う意味ではモシャスしてから宿を出て向かうということも考えたが、出入りした人の数と性別に違いがあると警戒されてしまう可能性もある」
おそらく、そう言った面からして一番良いのは、一度ダーマの外に出て屋外で変装すると言うものだろう。
「盗賊の俺ならば、気配を殺すことも出来るし、聖水を振りまけば力量差の関係で魔物は襲って来んだろうからな」
問題があるとすれば、姿を隠して着替えられる場所があるか不明という点ぐらいだ。
「ある意味一番重要な点だが」
同性ならともかく、カナメさんが一緒にいるのがちょっと拙い。
「スー様、何ならその時後ろを向いておくぴょん?」
「いや、気持ちはありがたいが」
それでも気まずいというか、何というか。
「葛藤しているところ申し訳ないけど、どっちにしても最後の仕上げにお化粧しないといけないから、一人だけ入り口で待っているという選択肢はないわよ? それに、見張られている可能性を加味するなら、変装しないといけないのは、あたしもだし」
「そ、それはそうだが」
「大丈夫、この宿に来た時に使ってたフード付きマントを羽織れば前しか見えないし」
何だろう、気遣いがちょっと痛い。
「ともかく、着替えまでの流れはそう言う形にしましょ」
「いや、だが」
「それとも、モシャスであたしになってから着替えるぴょん?」
「……それは、勘弁してくれ」
結果的に、押し切られたという形になるのだろうか。そんな感じで半分以上カナメさんのペースで打ち合わせは進み。
「……とうじつ が やってきた、と いうわけ ですよ」
別段誰かに聞かせる為の物でもない呟きは、現実逃避以外の何物でもない。
「それじゃ、スー様はよろしくぴょん?」
「あ、ああ」
「あたしちゃんは昨日話したとおりの場所にいるから」
「あぁ」
とりあえず、一つ救いがあったとすれば、連絡の為にスミレさんが尋ねてきた時には、俺の失敗モシャスがきれていたことか。
(うん、傷口を広げずに済んで、本当に良かった)
あの時、胸の大きいバニーさんのままだったらほぼ確実にクシナタ隊全体に昨日の失敗が拡散していたと思うし、暫くはからかわれることになっていたと思う。
(いや、当日宿の前で考えるようなことじゃないのは解ってるけどさ)
今一番に考えなければいけないのは、作戦を成功させて、終わらせることだ。
(全てを、このツッコミだらけだったダーマのせくしーぎゃる蔓延事件を、今日、ここで)
そして、元バニーさんのおじさまを助け出す。
「では、よろしくお願いします。策の初動はおそらくあなた方でしょうから」
「あぁ」
すれ違う際、エピちゃんのお姉さんが囁いた言葉に振り返ることなく俺は応じ。
「行こうか」
俺はカナメさんに声をかけた。
(シャルロット、ば、元バニーさん、行ってくるよ)
声には出さず出立を告げる相手は見送りには来ていない。と言うか、二人には俺が何をするかいつ出立するかも伝えていないのだ。まぁ、情報が外に漏れるのを防ぐという理由を差し引いても女装してごろつきを引っかける役目なんて話せる筈もないのだけれど。
「おはようございます、お客様、お発ちで?」
「ああ、宿代は前払いしてあったな?」
「はい、行ってらっしゃいませ」
宿のカウンターでチェックアウトを済ませ、宿の主人の声を背に、歩き出す。
(さてと)
着替えと化粧道具一式は鞄の中、どちらもクシナタ隊のお姉さんからの借り物というのに複雑なところはあるけれど。
(口紅だけは、買ってそっちを返そう)
間接キス、という所は考えないことにした。
「スー様、あたしちゃん別にアッサラーム産にこだわりとかないから」
「いや、こだわりと言うかだな……」
だから なんで ぴんぽいんと に こころ を よんでくるんですか すみれさん。
(タイミング的に他の人に借りるのは難しかったからって失敗だったかなぁ)
少しだけ後悔しつつ、宿を出る。
(もっとも、からかうだけだからこそスミレさんに借りたのだけど)
もし、あのタイミングでなく、他に選択肢があったら、どうだろうか。
(カナメさんは一緒に行く訳だけど、論外だよな。エピちゃんが狙ってくるだろうし)
同じ理由でエピちゃんも無理だ。その姉はつい前日までパンツ覆面にしてたので、そんな人の口紅というのは別の意味で抵抗がある。女王陛下の口紅は下手すると外交問題だ。
(うん、やっぱり他に選択肢は無かったな)
歩きながら少し考えて、結論に至った直後。
「スー様」
「ああ」
俺はカナメさんの声に小さく頷いた。
次回、第三百五十六話「ごろつきはやはり」