強くて逃亡者   作:闇谷 紅

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第三百九十二話「あなたは樽と聞くと何を思い浮かべるかしら?」

「確かこの辺りに――」

 

 甲板までやって来ると、シャルロット会話していた辺りで周囲を見回す。

 

(「見つかりそうになってやむを得ず移動した」なんて可能性もあるけれど……)

 

 こちらも向こうの姿をここで確認しているのだ。だからこそ、俺はまずここに来た訳だし、俺があのお姉さんだったら今日、見つかった場所で接触を待つと思う。

 

(いや、船は天候次第で大きく揺れるし、甲板の樽ってそう言う意味じゃ割と危険そうに見えるし、最初に隠れ場所としてこの辺りの樽を選ばなかったかな?)

 

 天候が荒れて樽が転がり、うっかり中から出てきてしまったら目も当てられないし、転がらないよう樽が固定されていたとしても、快適とはほど遠い居心地であることは想像に難くない。

 

「まぁ、その辺は会ってから聞いてみても良いか。……なら」

 

 俺は独り言を漏らしつつ決断すると、視界の端に止まった樽へと歩み寄り。

 

「スー様ぁ」

 

 並んだ樽の中から上がる弱々しい声を聞いた。

 

「ど、どうした?」

 

 居るかも知れないとは思っていたから、声自体に驚きはしない。動揺してしまったのは声があまりにも弱々しかったからだが、俺の問いかけに樽のお姉さんは言う。

 

「助けて下さい、お尻と足がはまっちゃったんです」

 

 と。

 

「……まさかとは思うが」

 

「はい、あの時には既に」

 

 SOSから続いた告白に緊急事態であることを悟った脳裏に生じたい嫌な想像は、最後まで言い終えるより早く当人に肯定された。

 

(じゃあ、ひょっとして甲板の樽の中に居たのは、隠れたら抜け出せなくなったせいだったりするとか?)

 

 これを謎が解けたと言って良いモノやら。

 

「スー様、お願い……しま……お手洗」

 

「っ、わかった」

 

 ただ、自体は俺が想像していたより、せっぱ詰まっていた。声が途切れる程弱っていても、聞き取れた分と状況でどれだけ自体がやばいかはわかる。

 

「やむを得ん」

 

 念のために腰へぶら下げてきていたまじゅうのつめを利き手に填めると、樽の表面を引っ掻くようにしてたがを切断し、指を突っ込んで力任せに樽を向く。

 

「あ、ありがとう……ござ」

 

「礼は後でいい、レムオルッ!」

 

 もう、二度と誰かをエピらせる訳にはいかない。守れずに終わる結末なんて、もう沢山だった。透明化の呪文を唱えた時には強引にお姉さんの手を捕まえ、引き寄せていて、確認も取らず抱き上げる。

 

「すー、さ……ま? あ」

 

「何も言うな。いや、我慢が出来なくなった時だけ言ってくれ。急ぐぞ?」

 

 腕の中のお姉さんに声をかけてからは、全速力だった。二人目のエピちゃんなど出したくもないから。

 

「う、んうぅ、く」

 

 喘ぐお姉さんの声は聞かなかったことにする。走れば揺れる、当然の理に気づくのが遅れた俺の落ち度ではあるが、ゆっくり歩いて間に合うとも思えなかったから。

 

「ふぃぃ、はぁ、飲み過ぎちまっ……おべばっ」

 

 千鳥足でおそらく同じ目的地に向かおうとしていた船員を無言で突き飛ばし、尚も急ぐ。

 

(間に合え、間に合えぇっ!)

 

 エピちゃんの時とは違って、トイレを貸すのを躊躇するケチくさい魔王はいない。俺にボコボコにされマントを盗まれた自称大魔王はいない。だが、あの魔王がこの世界を侵略などしなければお姉さんは命を落とすことだってなく、行きたい時にトイレに行ける生活を送れていたはずなのだ。

 

(くそっ、バラモスめ!)

 

 だから、俺の憤りは正当なモノだった。決して八つ当たりなんかではない。声に出さず呪詛を吐きながら、ただ急ぎ。

 

「……ふぅ、間に合ったか。降ろすぞ?」

 

 トイレの扉を前にして胸をなで下ろすと、すぐさまお姉さんへ問う。一刻を争う自体ではあるが、互いに透明になっている今、下手をすると変なところを触りかねない。

 

(……あるぇ? と言うか、抱き上げた時とかも、条件は同じだったような)

 

 そして、自分が過失でやらかしたかもしれないことに降ろす段階になってからようやく気づく、俺。慌てていたとは言え、これはないだろうと思った時だった。

 

「す、スー様、その」

 

 降ろしたお姉さんが声をかけてきたのは。

 

「しゃ、謝罪なら後でする。今はトイレを」

 

 思わず肩が跳ね、即座に土下座したい衝動に駆られたが、ここで引き留めては急いだ意味が無くなる。

 

「あ、はい」

 

 俺に促されたお姉さんはそれだけ言うと、ぱさっと何かを脱ぎ捨て、トイレへ入っていった。

 

「……え?」

 

 なんだかんだでお姉さんもテンパっていたのだとは思う。ただ、こちらも反応は一瞬遅れ。

 

(えーと)

 

 呪文の効果で透明のままなので脱ぎ捨てられたのが何なのかはわからないが、状況から推測は出来ちゃう訳で、俺は思わず天井を仰いだ。

 

(あはは、このあと やらなきゃ いけないこと が たくさん あるなぁ)

 

 謝罪とか、謝罪とか、壊した樽の証拠隠滅とか、打ち合わせとか。もっとも、いずれも影武者役のお姉さんが出てきてからしか出来ないことばかりで、俺に出来たのは見張りをしつつ待つことのみ。さっき突き飛ばした船員のオッサンがやって来ることは充分考えられたから。

 

(うーん、問題は来た時どうやってお引き取り願うかだけど)

 

 トイレ前で考えてはみるものの、追い返すなり待って貰う理由は思いつかず俺にとって、幸いだったのは、考える時間が別の理由から終わりを向かえたことかもしれない。

 

「お、お待たせしました……スー様、その」

 

「すみませんでしたぁぁぁっ!」

 




しゅじんこう、またやらかす。

次回、第三百九十三話「船で、『はく』って言ったら船酔いでリバースを普通は連想するよね?」

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