強くて逃亡者   作:闇谷 紅

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第三百九十三話「船で、『はく』って言ったら船酔いでリバースを普通は連想するよね?」

「あ、頭を上げて下さい」

 

 そう言われたとしても、素直に頭を上げられるはずがない。やらかしてしまったのだ。

 

「だが、俺はあんなことを」

 

 いくら透明になって何処を触っているか解らなかったとは言え、やったことは、痴漢ですと突き出されていてもおかしくない所業だ。

 

「き、気にしていないと言ったら嘘になりますが、スー様は助けて下さいましたし……ま、間に合ったのもスー様のお陰です。ですから頭を上げて下さい」

 

「し、しかし」

 

 何と寛容なと驚きつつも、従うのを躊躇う俺にお姉さんは言う。

 

「誰か人が来たら大変ですし」

 

「っ」

 

 反論の仕様がなかった。

 

「ここは人が来るかも知れませんし、話は別の場所でしましょう」

 

「あ、あぁ。わかった。では、甲板に戻るとしよう」

 

 あそこには壊したままの樽の残骸が残っている。お姉さんを抱き上げる前に海に捨ててしまえば証拠隠滅も図れたのだが、最悪の事態を回避することで頭がいっぱいで、そんな余裕も無かったのだ。

 

(壊した樽のこともあるけど、何よりなぁ……)

 

 だがお姉さんをエピらせずに済み、俺も些少の余裕が出来てきたらしい。

 

「俺は先にここを出る。誰か近くまで来てるかも知れないからな」

 

 警戒をするなら盗賊の俺の方が適任であり、他にも一つ先に外に出る理由があった。

 

「スー様、ありがとうございます」

 

「……何のことだ?」

 

 一応とぼけてはおいたが、バレバレだったのかも知れない。お姉さんはトイレに入る時、急いでいたからか、何かを脱ぎ捨てていったのだ。

 

(あの時は、透明だったから問題無かったけれど)

 

 脱いだ物は、はかなくてはいけない。

 

(とは言え、透明の状態で「はけ」って言われても出来るかどうか……)

 

 頼りになるのは、触覚のみ。目測が出来ないとなると、足を通すのにも苦戦すると思う。

 

(表裏を反対にはく、とかね)

 

 もっとも、これを防ぐ方法はある。呪文の効果がきれてから「それ」をはけばいいのだ。故に俺は一足先にトイレの前から離脱することを試みたのだ。

 

(とりあえず、気遣いの成功失敗は置いておこう)

 

 俺が真っ先にすべきはこの場を立ち去ることだ。

 

(全ては、お姉さんが脱いだモノをはける為にっ)

 

 胸中で言葉にすると台無しになって気もするが、さすがに台無しにならない動機を模索している余裕はない。

 

「一枚はくだけなら一分もかからないだろう」

 

 と言う勝手な断定の元、先行した俺は周囲を警戒しつつお姉さんを待ち続け。

 

「お、お待たせしました」

 

 断定はそれ程かからぬうちにやって来たお姉さんによって肯定され。

 

「いや、この程度なら待った内には入らん、想定内だ。それとこちらは異常なしだな。では、行くぞ?」

 

「はい」

 

 合流した俺達は甲板へと急いだ。

 

「あの、スー様……さっきの方は……」

 

「居眠りだろう。この時刻なら無理もない」

 

 途中、酔っぱらいの船員が床に転がって寝ていた気もするが、敢えてスルーした。

 

「そんなことより、樽の始末だ。あれを発見されると拙いことになる」

 

 聖水を使っているとは言え、ここは魔物も出没する洋上だ、見張りの船員が巡回していてもおかしくないし、船員が警戒すべきは遭遇する魔物だけではない。

 

「進行方向を確認したり嵐などの天候変化を警戒している船員なら、甲板に目を向けることはあまり無いとは思うがな」

 

 絶対に発見されないという保証は皆無だ。

 

(どうか、間に合いますように)

 

 体格が大きめな割にお姉さんの職業は魔法使いなので、いざとなればルーラで逃亡を図るという裏技が使えはするも、それは影武者役の喪失を意味する。

 

(たしか、ここをこっちで――)

 

 甲板に上がり、記憶を頼りに出会った場所へ。

 

「あ、あれ」

 

「……間に合ったか」

 

 俺の願いが通じたか、お姉さんが指さす先に、残骸は見え、周囲には人影もなかった。

 

「とりあえず、流石にこれはどうにもならん。また、隠れ場所を探して貰わねばならんが……」

 

「それなら、大丈夫です。当初の予定では船倉に運び込まれる樽に身を潜める予定でしたから」

 

 しゃがみ込み、修復不可能な樽の残骸を拾い上げて振り返ると、お姉さんは苦笑する。

 

「予定、と言うと……」

 

「はい、何かの手違いがあったのか、甲板に残されてしまって、あとはスー様もご存じの通りです」

 

「成る程、何故こんな所に居るかと思えば、そう言うことか」

 

 お姉さんがミスをしたと言う訳では無かったのだ。たまたま間違って甲板に残され、船の揺れでバランスでも崩したか、お尻などがはまって抜けなくなる。

 

「どちらかというと不幸な事故の類だな。ただ、それも無事助かったと言うなら……」

 

 若干お姉さんに同情しつつ、樽の残骸を処分し始めた俺は、首を巡らせて周囲を伺い。

 

「とりあえず、移動するぞ?」

 

 残った残骸を纏めて抱えると確認を取った。こちらに歩いてくる人影が見えた気がしたのだ。

 

「続きは船倉でと言ったところか。次の隠れ場所も確保せねばなるまい、レムオルっ」

 

 発動した呪文で再び透明になると、敢えて人影の見えた方へと進む。

 

(よし、透明になりさえすれば相手とすれ違っても……あ)

 

 言ってしまってちょっとしてからお姉さんにかけた言葉が別の意味にもとれそうな事に気づくが時既に遅し。訂正するには人影に近寄りすぎてしまっていたのだから。

 

 




ズボンとかを「はく」の方でした。

次回、第三百九十四話「つづき(いみしん)」

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