「え?」
走っている最中だった、後ろの方から、何か聞こえたのは。
「今の……」
音の聞こえたのは、お師匠様と別れた辺り、気になるのは当然で、同時にもの凄く嫌な予感もした。だから、振り返るのにはかなりの勇気を要した。
「なに……あれ?」
振り返ったボクは愕然とする。たなびき登る煙は、たぶん先程の爆発の起こった場所。
(ボクのイオラでもあんな風には……あ)
無意識に自分が使える爆発を起こす呪文と比べてしまって、思い至った。更に上位の呪文が使われたのではないかと。
「お師匠……さま」
そんな呪文に巻き込まれたらどうなるか。即死はしないまでも、大怪我をするかもしれない。しかも、呪文を放ってくる敵が単体でなかったら。
「……お師匠様」
お師匠様は、その危険性まで見越して、ボクを先に行かせたのだろうか。
(確かに、ボクはお師匠様程早くは動けない、魔物に先手を取られたら……けど)
ボクには傷を癒す呪文がある。畳みかけられる前に回復呪文で立て直せば、戦況だって覆せるかも知れないのに。
(それに、お師匠様は回復呪文が使え……ない?)
何故共に戦わせてくれなかったのか、と言う不満が一瞬で吹き飛んだ。そんなことはどうでも良い。
「お師匠様……傷を癒す手段もないのに、どうして一人で残って――」
思わず口から呟きが漏れたが、理由は解る。ボクの為だ。
「っ」
産まれたのは、後悔と迷い。お師匠様の言葉に逆らってでも今すぐにでも引き返すべきか、言いつけ通りランシールの村へ向かうか。
(お師匠様なら、大丈夫。勝算も無いのに一人残ったりはしないはず。ボクのお師匠様なんだ。けど……)
足は、縫いつけられたように止まってしまった。
「駄目だ、こんな所で立ち止まってちゃ」
進でも戻るでもない、時間の浪費。一番してはいけないことだというのに、ボクはなかなかその場所を動けず。
「しまった!」
足を止めたこと、後ろに気をとられすぎたこと、どちらも失敗だったのだろう。急にガチャガチャと音がしたかと思えば、草の中からいくつもの鎧が立ち上がりボクの行く手を遮る。
「さまようよろい……ううん」
不意をつかれたとは言ってもこの魔物だけならそう慌てることもない。問題は、微かに匂いが変わった風の方。
「他にも魔物が……居る、それにこの匂い」
ほのかに甘いそれは、こんな時だというのに眠気を誘う。
(違う、眠らせるための息だ!)
もう一人のお師匠様、魔物使いとしてのお師匠様から魔物のみが使う特殊な攻撃については色々教わっていたから解る。
(いくら格下だからって、魔物に囲まれた状況で眠ったら……)
弱い魔物だからと慢心するつもりはない。だいたい、小船を着けた辺りには高等な呪文を使う魔物が居るのだ。寝ている内にそんな魔物がこちらにまでやって来たら、どうなるか。
「駄目だ、寝られな」
奥歯を噛み締め、口元を押さえて風上を探そうとした時だった。
「「ギャアア」」
生じた爆発が、鎧達と、他にも側に居たらしい魔物の断末魔を飲み込んだ。
「い、今のは……イオラの呪文?」
僕も使える呪文だから、間違いはない。
(この状況……あの匂いに耐えてなければ、ボクも同じ呪文を使ったと思うけど)
一体誰が、と首を巡らせると少し離れた場所に有ったのは、人影が一つ。
「お師匠様……じゃ、ないですよね」
思わず口に出してしまった言葉を自分ですぐに否定する。
(お師匠様が攻撃呪文を使う筈なんて無いのに)
少し考えれば解ることだった、ただ。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。ありがとうございます……ええと、その」
ただ、おそらくボクを助けてくれた人の事はよくわからなかった。
(たる? たるだよね、あれ?)
お師匠様に似たフード付きのマントを羽織ったその女の人は、たぶん魔法使いなんだと思うけれど、下半身が樽だった。比喩表現じゃなくて、船に積んであったものにそっくりな、本物の樽だ。
「それは何よりです。では、私はこれで」
「えっ、あ」
ただ、その人はボクの返事を聞くと、用は済んだとばかりにくるりと背を向け、ピョコピョコ跳ね始めた。
(あぁ、ああやって移動するんだ……じゃなくて!)
進む先はお師匠様と別れた方角。先程大きな爆発を起こした魔物が居る方角だ。距離のせいか、顔もはっきりと確認は出来なかったものの、周辺の魔物全てを巻き込んださっきのイオラと言い、かなり腕の立つ魔法使いであることは解る。
(けど、助けてくれたのに忠告も何もしないなんて――)
最悪、お師匠様と魔物の戦いへいきなり巻き込まれることだって考えられる。
「あ、あの待って下さい! そっちには」
「強い魔物が出る、ですか?」
呼び止めようとしたボクの声に跳ねるのを止めたその人は、振り返らずに言った。
「それなら大丈夫、知っていますから」
「えっ」
「先程の爆発は、おそらくイオナズンの呪文。私も魔法使いですから危険であることぐらいは理解しています」
「だったら、何故?」
ボクが投げたその質問に樽の女の人は答えなかった。
「あなたはそのままランシールの村に向かって下さい、シャルロットさん」
何故か明かしてもいないボクの名前を口にした上で、続けて言う。
「私は、スレッジの弟子。あなたのお師匠様への伝言を届けに来たのです。危なくなったら伝言は断念してルーラで離脱する許可も得ていますので、安心して下さい」
「す、スレッジさんのお弟子さん?」
驚きはした、声もあげてしまったが、納得も出来た。サラ達もスレッジさんのお陰で強くなったと聞いてるし、スレッジさんにお弟子さんが居て、しかもその人がかなりの腕の魔法使いだったとしても不思議はない。
(自信有りそうだし、ひょっとしてボクより強いのかも)
下半身が樽なのはよくわからないけれど。
「あ、ええと……」
「大丈夫、あなたのお師匠様がこんな所で倒れるはずはありません。お会いすることが有れば、あなたが心配していたことも伝えておきますから」
そう言われてしまっては、ボクはもう頭を下げ、お願いしますと言うしかなかった。
「誰だ、あの樽娘は?」
「ご存じないのですか? あの娘こそお尻が樽にはまったことで、クシナタ隊のその他大勢という没個性的な立ち位置から、一躍ネタキャラに躍り出た影武者やくのお姉さんです!」
「いや、名前で言えよ?!」
では、榛名もといタルナとかそんな名前で……というのは冗談ですが、いやー爆殺されちゃいましたね「この先生きのこれない」じゃなかったマタンゴだったんですが、姿も描写の出ないままにというのは酷かったかなぁ?
次回、第四百一話「下半身樽ってどう見てもモンスターだよね?」