Upon Reflection
「ねぇ、フブキ。やっぱりそれは元のところに戻しとこうよ......」
濃紺と白の背中に声をかけるけど、なんの返答もない。ゆっくりと規則的に動き続ける狐のしっぽは、持ち主が考え事に夢中になっていることを示していて、この無言が意識的な無視なのではなく、単に呼びかけが聞こえていないだけだと教えている。
ミオにしても、こうなったフブキが素直に言うことを聞くとは思っていない。自分がまだ肚をくくれていないだけだ。
まだ少し痛む頬にそっと触れる。
(別にこれが原因ってわけじゃないだろうけど......)
そう思いつつも、大きなきっかけであろうことは認める。立場が逆なら同じ決意を持っただろうから。
汚い空豆色の捜査用車が南グレス通りの縁石を擦り、ビュイックの後ろにつけて駐まった――
ここは天使の街、ロサンゼルス。
1947年の西海岸で最も光り輝く街。
そしてその裏に、どこまでも昏い闇を抱え込んだ街。
一時間前。
「いやー驚いたよ、まさかこんなところでミオと再会できるなんてね!」
「ウチも驚いたよ。てっきりワシントンの山奥に帰ったんだと思ってた」
先行車の
白上フブキ。日系の、ホッキョクギツネ系の獣人。ウチの戦友にして、(10分ほど前から)ウチの相勤だ。シートの背と腰の間からはみ出たしっぽを、なんとも嬉しそうにぶんぶん振り回している。
「そうしてもよかったんだけど、あっちに帰っても特にすることないしさ」
「それもそうだけど、でもなんで市警に入ろうと思ったの」
「うーん......警官やってるミオに、また惚れちゃったから?」
危うく、ウチはパトカーを街灯に衝突させるところだった。42年式のフォードに精いっぱいの制動をかけ、なんとか事故を回避する。咄嗟の運転操作を誤らなかった、偉いぞ、ウチ。
ダッシュボードにぶつけた額をさすっているフブキの方へキツい視線を投げる。
「全く、ちゃんと前見て運転しなよ」
「誰のせいだと......」
「でも別に、ふざけて言ったわけじゃないからね」
再び固まったウチのことを気にする様子もなくフブキが続ける。
「引揚船であんなこと言っといてなんだけど......でもこの間、
フブキが急に黙ったのは羞恥のせいではない。無線機が発するカリカリとひっかくような音のせいだ。キューンと甲高いハウリング音に続いて男性の声が入る。
「KGPL*1から5A14。5アダム14、
ウチは高まる羞恥心で死んでしまいそうだったので、これ幸いと送話器をひったくる。
「5アダム14です、
「5A14、警察官から応援要請。救急隊から転送された187事案。場所、6番とインダストリアルの間。1ウィリアム16の指示を受けてください。5A14、
「5A14了解。7番街橋から向かいます」
「KGPL了解。以上KGPL」
送話器を戻しざまフブキの方を見やると、制帽で顔を覆っていた。無線通話の間に、自分が何を言っていたのか思い返して恥ずかしくなったみたいだ。
いい気味だ、と思い、ついでにちょっと追撃をかけてみる。
「で、白上さん。さっきの話の続きは?」
「なんでもないです......忘れて......」
蚊の鳴くような声で応じる。耳をぺったり垂らし、しっぽを足の間に挟み込んだ姿はとても可愛らしい。
もっと突きまわしたいところだったけど、早く現場に向かったほうがいい。エンジンをかけ直し、いい気分でパトカーを発進させた。
結局フブキは現着まで一言も喋らなかった。
パトカーが路肩に駐まると、フブキは制帽を被りなおして降車した。ルームミラーで素早く制帽と襟元をチェックしてから、ウチもその後に続く。
「フロイド・ローズ、
裏路地から検屍官の寝台自動車に続いて出てきた、グレーの背広の男が言った。ウチに先行するフブキが答える。
「そうです。シラカミとオオカミ、ウィルシェア
「この路地で射殺事件があった。
「特に注意すべき場所はありますか?」
立ち去ろうとしている刑事連にウチは聞く。
「やれるだけやってみな。死んだのは底辺だ。何か奇跡が起きるとは思ってない」
ローズ刑事が振り返って言う。もう一人の刑事は葉巻を吹かして、足を止める素振りも見せない。
ウチは食い下がる。
「証拠を見つけたら?」
「袋に入れて、鑑識に送れ。俺たちは帰るからな」
「フロイド、急げよ。次が待ってるんだぞ」
明らかに苛ついた返答があり、
「じゃあな、
あてこすりっぽい言葉を残して刑事連は捜査用車――いかにもそれらしい、汚い空豆色のナッシュ――の方に歩み去った。
フブキの方を見やると、ぐるっと目を回して彼女は言った。
「まあ、仕方ないんじゃない? こんなコンビだしさ......」
「それもそうだね......」
それもそうだね、で済むような気分ではなかった。ようするに日系で獣人でそのうえ女と、差別属性てんこ盛りなのだ、ウチらは。被害者意識過剰、と思われるかもしれないが、不快なものは不快だ。
一方フブキの方は本当に気にしていないのか、実に楽し気に、
「ほら! ミオ! デートだよデート! 証拠捜索デート! しかも二人っきりで!!!」
テンション爆上げだ。
「......ここで?」
ウチは懐中電灯を点け、路地を照らす。裏路地につきものの、ゴミと汚物の饐えた臭いが風に乗って漂ってくる。
「いーじゃん、どんな場所でも! ミオと二人きりなら、それは白上にとってはデートなんだよ!」
早く早く、と裏路地に引っ張り込まれながら、ウチはようやく思い至る。フブキは"ローズ刑事の発言を気にしているウチ"を気にしているのだ。
そういえばそういうやつだったよ、お前は。
「フブキ」
「うん?」
「ありがと。はしゃぐフブキを見てたら、なんか元気が出てきたよ」
フブキはにっこり笑って、
「いいんだよ、ミオ。それより折角二人きりなんだし、この仕事を楽しもうよ」
「そうだね。それじゃ、行こうか」
裏路地の奥、血と新鮮な死臭の源の方へ、ウチらは歩き出した。