H.L. Noire   作:Marshal. K

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The Quarter Moon Murders #9

 

 

「痛ったあ......ミオ、大丈夫?」

「大丈夫......だけど、早くどいてくれると嬉しいかなあ」

「ごめん......」

 

 私は慌ててミオの上からどくと、クッションになってくれた感謝を込めて、立ち上がろうとするミオに手を貸した。ミオはなんとか立ち上がると。顔を顰めてお尻をぱたぱたはたいた。

 

「痛つつ......お尻におっきな痣ができちゃいそうだよお」

 

 そう言って真上を見上げるミオにつられて、私も上に目をやる。

 建物で言うと2階半くらいの高さのところにある足場に、大きな穴が開いていた。板が腐るか何かしてたらしい。ミオはものの見事にそこを踏み抜いてしまって、いまに至るというわけ。

 

「あれくらいの高さでよかったよ。もっと上だったら、痣くらいじゃすまなかったかも」

「それはまあ、確かに」

 

 ミオは地面に落ちていたベレー帽を拾い上げて、これもぱたぱたしてから頭に載せると、ふうっと一息ついてから言った。

 

「どうする、フブキ。二人とも埃塗れだし、一旦うちに戻って......」

「んにゃ、このまま次に行こう。たぶん、次で最後だから」

「最後? どうしてわかるの?」

「プロメテウスの"我が家"だからだよ」

 

 私は便箋――握りしめちゃってしわくちゃになっている――をミオの方に振って言った。

 

「いままでコイツは、自分のことをプロメテウスになぞらえてきたでしょ? そのプロメテウスが"我が家"について言及する節なんだ。実際には、プロメテウス自身の家のことを言ってるわけじゃないんだけど、そこは......」

寓意(アレゴリー)だから?」

そのとおりでございます(イグザクトリー)

「場所はわかってるんだよね?」

 

 おどけて答えて、廃墟の外に駐めてある捜査用車の方に歩を向けると、ミオが訊いてきた。

 

「もちろん。すぐそこだよ」

 

 

 

 

 

「さあ着いた。ここだよ、ミオ」

 

 ナッシュのタイヤを縁石に擦らせて停めると、私は助手席のミオにそう言った。

 ミオは窓からしげしげと、南ジョージア通りのその建物を見つめた。

 

「ここって......茨の冠教会?」

「あたり」

 

 ドアを開けて、雨が降りしきる夜のロサンゼルスに降り立った。ミオも歩道に降りて、厳めしい鉄柵の門に近寄っていく。

 茨の冠キリスト教会は、19世紀の半ば頃に建てられた古い教会だ。その世紀の終わりごろに、ハリケーンによる倒木で礼拝堂が半壊してから、まるまる半世紀にわたって廃墟のままなんだけど。

 

「......門が開いてる」

「それだけじゃないよ、ミオ。明かりがついてる」

 

 礼拝堂の窓から、明かりがちらちらと揺れるのが見て取れた。もちろん、浮浪者の類が住み着いてる可能性もあるけど。

 

「ねえ、ミオ。これ見て」

 

 私は門の上の方を指した。この手の門のお決まりで、鉄杭(ピケット)一本一本の先端には槍のような飾り(オーナメント)がついている。そして、右側の門扉からはその内の一本が折り取られていた。

 その疵跡をなぞってミオに言う。

 

「明らかに最近、工具か何かを使って切断したみたいだね」

「それが?」

「覚えてない? マルドナードさんの下宿のバルコニーにあった鉄杭(ピケット)

「あっ」

 

 下宿の窓をこじ開けるのに、梃子(バール)代わりに使われた鉄杭(ピケット)。あれと飾り(オーナメント)がおんなじだ。

 

「それに、教会なら三つ撚りのロープにも困らないってことか」

 

 ミオが礼拝堂を見上げながら言った。たぶん、崩落する前はそこに鐘楼があったんだろう。

 鐘楼はもう無いけど、教会のどこかには鐘を鳴らすための引綱の蓄えが、それなりにあったはずだ。

 

「じゃ、行くよ」

 

 ミオはブーツを礼拝堂の方に向けて、決然と言った。

 

 

 

 

 

 礼拝堂の中は静かだった。倒れ掛かった倒木が雨を防いでいるのか、屋根がないのに振り込んでくる雨は少なかった。

 会衆席は脇の方に寄せて積み上げられていて、正面の祭壇まで広々とした空間が続いていた。

 祭壇の上には有名なステンドグラスがある。磔にされたキリストと、その御許で涙を流すマリア様。最後の詩の一節も、磔にされたプロメテウスの許で涙を流すフューリーのシーンだった。もっとも、フューリーはゼウスが天帝の座から追われたことを悼んでいて、プロメテウスのために涙しているわけじゃないんだけど、そこはそれ。

 祭壇の下の講壇には太い蝋燭が何本も並べられていて、ちろちろ揺れるその火が礼拝堂の窓から見えていた灯りらしい。

 

「フブキ」

 

 ミオが低い声で言って、私の袖を引っ張った。

 

「司祭館にも明かりがついてる」

 

 ちらりと目をやると、確かに窓越しに隣の建物にも明かりがついてるのが目に入った。廃墟の教会に駐在してる神父さんがいる、とはちょっと考えづらい。

 

「その場から動くな、お嬢さん方」

 

 はっと振り向くと、講壇の後ろにいつのまにか男が一人立っていた。いつからそこにいたのか、全く気が付かなかった。

 

「両手を俺が見えるところに出しておけ。じゃないと、綺麗な漆喰の床をあんたらの臓物で飾らないといけなくなるからな」

「ウチたちは警察から来たんです」

 

 ミオが両手を上げつつも、散弾銃(ショットガン)を構えた男の顔を正面から見ながら言った。

 

「一度だけ言います。武器を下ろしてください」

「警察? 警察と言ったか?」

 

 男の声に驚きの色が混じった。それでも、銃口は全く揺らがない。

 

「武器を、下ろしなさい」

「本当か? まさか本当に警察がここにたどり着くとは、いやたどり着けるとは。思ってもみなかったな」

 

 ミオの警告がまるで聞こえてないように、男は続けた。その声には熱に浮かされている人のような、どことなく病的な感じがあった。本当に聞こえていないのかもしれない。

 

「君たちは、俺を覚えているかね? 俺の方は覚えているんだが」

「ええ」

 

 ちょっと言葉に詰まったミオに代わって、私が答えた。

 実際、私もすごい違和感に襲われている。相手が誰かはわかっている。どこで会ったかも覚えている。でも、その時の顔がまるで思い出せないんだ。

 今、目の前にいる男の顔と、記憶にある顔を比べようとしても、後者が出てこないから比べようがない。まるで違う顔だったような気がして、でも次の瞬間には間違いなくこの顔だったような気もしてくる。そんな顔だった。

 ふと、質屋さんが言っていたことが頭をかすめた。

 

"悪いんだけど、彼は何と言うかこう、普遍的で特徴のない顔つきでしてね"

 

 それどころじゃない、覚えられない顔だった。そういう魔術の類がかけられてる、と言われれば手を打って納得しちゃうほどに。

 その違和感を無理矢理殺して、私は続けた。

 

「ギャレット・メイソン。フレミングス人材派遣(スタッフィング)の派遣バーテン」

「そう、その通り。素晴らしい」

 

 ギャレット・メイソン。バンバ・クラブでちょっと話を聞いた雇われバーテン。エル・ドラドでマルドナードさんにビールを出してた雇われバーテン。フレミングス社が保管してた帳簿によれば、事件前後にバロンズ酒場(バー)やクリスタル・ボウルルーム、メンシズ酒場(バー)にも出入りしていた。

 その3件の裏取りはまだだけど、その手間は省けた。

 

「実に素晴らしい。何百人もの警官が半年かけて、誰一人たどり着けなかった俺を見つけ出したのが、よもやご婦人の警官とは!」

「これが最後です。銃を、下ろしなさい」

 

 ミオがゆっくりと、低い声で繰り返した。それでもメイソンはまるで意に介さずしゃべり続ける。

 

「それどころか、獣らしくノコノコ狩られに来るとはな!」

「それはどうですかね?」

 

 私は策がありげに、自信満々に言い返した。虚勢以上の何物でもなかったけど、メイソンは脅威を感じたのか、それまでミオに向け続けていた銃口ごとこっちを向いた。

 そして私の狙いはそれだった。

 ミオが前のめりになって、次の瞬間には高々と跳躍した。礼拝堂は元々天井が高くて、邪魔するものは何もない。

 メイソンは私の方に動かした銃口を、再びミオの方に戻そうとした。その瞬間に、私もメイソンに向かって走り出す。

 銃口は私とミオの間で、つかの間静止した。よし、いいぞ。迷え迷え。狙いを迷うだけ、私とミオが怪我をせずに、こいつを生け捕りにできる可能性が高くなるんだ。

 メイソンは私とミオ、どちらに銃を向けるか迷った末に。

 

 銃身を抱き込むようにして、銃口を自分の顎にあてがった。

 

「ミオ!」

 

 先行するミオに叫ぶ。ミオはメイソンに抱きつくと、銃身をつかんでメイソンともども講壇の向こうへ倒れ込んで、私の視界から消えた。

 

――バァン!

 

 一瞬遅れて、礼拝堂に銃声が一発、響き渡った。

 

 

 

 

 

「お前たちは、誰も捕まえなかった」

 

 司祭館に入ってくるなり、ドネリー警部はウチたちにそう言い放った。

 

「どういうことですか」

「ギャレット・メイソンという人物は存在しなかった。彼は幽霊になる」

 

 即座に食って掛かったフブキに、警部は静かに返した。

 

「理由を、」

 

 ウチも足を引きずりながら――変な着地の仕方をして挫いちゃったんだ――警部に詰め寄った。

 

「ウチたちが納得できる理由を、説明してください」

「......メイソンは、この国の高官*1の、腹違いの兄弟だった」

「高官? どの程度の?」

「......天上の人々だよ。彼らのところからは、我々はノミよりも小さく見えるだろう」

 

 警部がゆっくりと答えると、フブキがため息とともに首を振って、司祭館の中を振り返った。

 

「ここには、証拠があります。課長」

 

 場所は司祭館の浴室(バスルーム)。中央に位置する浴槽は血がこびりついて赤く染まり、鼻が曲がりそうな臭いを放っていた。

 そこいらじゅうに血が飛び散っていて、メスや鉗子や、得体のしれない器具が転がっている。その中に、他の工具とは妙に浮いたボックスレンチもあった。

 ここで彼がお楽しみに耽っていたのは明白だった。1月のエリザベス・ショート以来、たぶんウチたちが担当しなかった相当数を含む被害者たちを相手に。

 

「これを全部握り潰して、メイソンを消して、少なくとも5人の無実の市民をガス室に送るんですか」

 

 フブキが再び、ドネリー警部の方に詰め寄って言った。しっぽの毛が先端まで、ぶわっと広がっている。

 

「私には......白上には我慢できません」

「ウチも無理です」

 

 短く同意を示すと、警部は表情のない顔と目でウチたちの方を見やって、変わらず静かな声で続けた。

 

「最後の部分については、お二人の沈黙を保証するために市がなんとかする。不適切な手続き、保全処分、大陪審での不起訴評決。サンドラー地方検事にはお手の物だろう。だが、」

 

 ぴっと人差し指を立てて、警部は続けた。

 

「だが、前二つは確実に実行される。これは決定事項だ。この場所は連邦当局が綺麗に掃除する。メイソンは秘密裏に殺され、誰も知らない人間として埋葬される。新聞記事は無し、表彰も無しだ」

「ウチたちは別に、名声とか賞状のために捜査してたわけじゃありません」

「そうかね?」

 

 警部は片方の眉をちょっとだけ上げた。あんまり信じてない顔つきだ。

 

「まあ、代わりと言うわけではないが、当然当局としてはお二人さんをこのまま殺人課に置いておくわけにはいかない。折よく風紀課長が先週局長に、君たち二人が欲しいと直談判してきてね」

 

 警部は机の上から白い小さな彫像――フブキによると、あれはプロメテウスの像らしい――を取り上げて、見るとはなしに見ながら苦い声で続けた。

 

「君たちを、保安風紀課(アド・ヴァイス)気障(キザ)野郎どもに引き渡すのが気に食わなかったから、私が止めていたんだが。だがもう私は、当分局長に意見できる立場ではなくなった」

「昇格、に見せかけた隔離ですか。課長」

「素直に受け取って、口をつぐむことだな。お嬢さん方」

 

 フブキが鼻で嗤うような風に言うと、ドネリー警部はそう返して、話は終わりだとばかりに司祭館から出ていきながら付け加えた。

 

「市警がここまでして君たちをかばうのは、市警の顔としてまだ利用価値があるからだ。もし下手な気を起こしたらアンクル・サムの大いなる手が君たちを蝶結びにして、メイソンと同じようにそこらの共同墓地に葬り去るだろう。その時には、市警も止められん」

 

 何か言い返そうとしたフブキが口を開く前に、司祭館の扉が閉まる重々しい音が響いて上官の退去を告げた。

 血腥い部屋に立ち尽くすウチたちの耳には、司祭館の屋根に当たる雨の音だけが、延々と響いていた。

 

The Quarter Moon Murders -Case Closed-

 

 

 

*1
当時の連邦取引委員会(日本における公取委に該当する)に同姓の委員がいる

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