「ふーっ......ふーっ......」
あたしは公衆電話の横の壁に手を着いて、息を整えようとしていた。大物ギャングを前に大見得を切るのは、あたしにとってはとんでもなく度胸のいることだった。
「......もう大丈夫そうか?」
誰も聞いてないけど、声に出して自問した。
ふーっとダメ押しに息を吐いてから、受話器を持ち上げて
「交換台です。お困りですか?」
「警察です。R&Iに繋いでください」
「お繋ぎします」
交換手電話機のダイアル音がして、回線が繋がる音が続いた。
「R&Iです。名前と
「尾丸。
「......用件をどうぞ」
「住所照会を願います。電話番号が、
「少々お待ちください......ホテル・エル・マー。ハリウッド、リーランド
「ありがとうございます」
受話器を置いてダイムを回収していると、背後に獅白が歩み寄ってくる足音が聞こえた。
「ミッキーはおまるんにビビってたよ」
「はあ? んなわけあるかよ」
振り返って、獅白の方をじろっと睨む。
「お前ならともかく、1フィートも低い獣人女にすごまれて怯むようなタマじゃねえだろ、あいつ」
「身長は置いといて、自分に面と向かって不服従を示すようなヤツには、滅多に会わないんじゃない?」
それはそうかも。
「とにかく、電話番号の住所がわかった。リーランド・ウェイのエル・マーってホテルらしい」
「あーね」
「知ってんのか?」
駐車場のキャデラックに向かいながら、知ってるらしい返事を返してきた獅白に訊いた。
「うん......ねえおまるん、あたしたちが制服だった時にラリった黒人が飛び降りた、
「忘れられるかよ」
「あんな感じのとこ」
「なるほど」
一発でわかった。
「あんないかがわしい感じのホテル、ハリウッドにもあるんだな」
「ま、どんな煌びやかな街でも舞台裏に回ってみれば、そんなもんよ」
「それもそうか」
アーガイル通りとサンセット
エル・マー・ホテルはそんなハリウッドの舞台裏の、バイン通りとの角近くにあった。
「
煮込みすぎたキャベツみたいな臭いが充満している、エル・マー・ホテルのロビーに入ると、あたしは暇そうにロサンゼルス・ミラーを読んでいた
「
変態、ではないか。
「さあ、知らんね」
フロント係は新聞から目をあげずに答えた。
「支払いの時以外はこんなもんだからな」
「あっそ。じゃ、ポルカたちが勝手に宿帳を見ても、文句はねえよな?」
「ご自由に」
「ねえ、おまるん」
カウンターの上に置かれていた帳簿をめくると、背後から獅白が声をかけてきた。
「それこそコニーの時も言ったけどさ、宿帳に"アルバート・ハモンド"なんて素直に書いてないと思うよ?」
「わかってるよ。まあ、最悪まだチェック・アウトしてない部屋を虱潰しするって手もあるし......」
そう言いながら、宿泊者の一覧を辿っていく。
「しっかし、ホントにそれとわかりやすい偽名ばっかだな。ジミー・キャグニー*1、オーソン・ウェルズ*2、エヴァ・ガードナー*3、グレン・フォード*4......ウィンストン・チャーチル?」
「へえ?」
背後から獅白が、興味深そうな声を上げた。
「アメリカのスターダムに囲まれて一人、イギリスの前首相。とっても興味深いね?」
「だな。しっかし、チャーチルの名前がクラーク・ゲーブル*5とジーン・ハーロウ*6に挟まれてるの、なんか笑える」
「それにしても、アトリーもかわいそうだね。こんな安宿でもチャーチルに人気を獲られてるなんて」
「アトリーって、現首相だっけか?」
「そうだよ。ところで、その愛国心の強そうな英国紳士は何号室?」
「207だ」
「んじゃ、いこっか」
ぎしぎし言う階段を獅白が先に立って二階に向かった。207号室は、階段を昇り切ったすぐ正面のところにあった。
獅白がドアをノックする。
「......お留守かな?」
返事はない。獅白の横からドアに耳をくっつけてみたけど、物音一つ、咳一つしなかった。お隣の"クラーク・ゲーブル"の部屋からはベッドの発条が酷使される音が、薄っぺらい壁越しに響いていたけど。
指で小さくバッテンを作って見せると、獅白は小さく肩をすくめてからノブを掴んで廻した。鍵くらいかけてんだろ、ってあたしの予想に反してドアはするりと開いて、あたしたち二人を室内に招き入れた。
さっと風が吹いて、獅白の長い髪がふわっと広がる。
「おやあ?」
「またかよ」
獅白は部屋の角にある窓の方に歩いて行った。開きっぱなしの窓、二つ目。
「真下にゴミ箱がある。二階だし、ちょうどいい脱出口だね」
「ゴミ箱なら、こっちにもあるぞ」
あたしはとっとと家探しを始めていた。
蹴っ飛ばしてひっくり返したらしいゴミ箱からは、空き瓶やらバナナの皮やらが覗いていてハエがぶんぶん飛び交っていたけど、小さな紙きれがあたしの目を引いたんだ。
「これは......電報用紙か」
拾い上げたそれは、タイプされた電報用紙だった。
――ウェスタン・ユニオン電報
種類 :ヨナ、ツタ
受付 :カリフ、ハリウッド、ファクス
番号 :MDA047
宛て名:エルヴィラ、ハモンド
E1、ロンドン、ブリックレーン、12
通信文:スグカエル。ウマクヤッタ。
アルバート。
発信人控
氏名 :アルバート・ハモンド
記事 :料金支払済――
「ハモンドは実家に帰るらしいぞ」
「実家に? 望み薄だね」
電報用紙を振りながら獅白に声をかけると、向こうはまだ湯気の立つベイクド・ビーンズの缶詰をテーブルから持ち上げながら言った。
「イギリスどころか、カリフォルニアから五体満足で出られればラッキーだよ」
「そりゃそうだけど......なあ獅白」
「うん?」
「さっきのスタジアムでさ、ハモンド側のコーナー席に女っていたっけ?」
「いなかったね」
獅白は即答した。あたしの記憶でも、そんな感じの誰かを見た覚えはない。
あたしは
「この部屋には、誰かを囲ってたらしいな」
「キャンディ・エドワーズだよ」
「キャンディ?」
獅白がテーブルから、雑誌を一冊持ってきた。広告ページに住宅懸賞が出ていて、切り離されていない
「キャンディ・エドワーズ......住所はファウンテン通り6116番地か。じゃ、次はこのキャンディって人に話を聞きに行くか」
「そうだね。ハモンドがそっちに行ってる可能性もあるし......」
あたしが雑誌を睨んでる間に、獅白はベッドの方に移動していた。脇机の上から備え付けのメモ帳を取り上げている。目をやると、なにやら筆算らしいものが見えた。
「そりゃハモンドの宿題か?」
「そんなもんだね。払戻額の予想をしてたみたいだよ。全部で11,755ドルかあ......」
「一万千か、退職金には悪くねえな」
「八百長に乗るよりはずっといい収入だろうね。ただ、ミッキーを敵に回してまで手に入れたい額じゃないなあ」
「なあ、興味本位で訊くけどさ」
獅白はメモ帳を、あたしは雑誌をもとの場所に戻して部屋を出ながら、前を行く獅白の背中に質問を投げた。
「ミッキーを敵に回してもいい額って、いくらだ?」
「時と場合によるけど......十万は欲しいかな」
「贅沢者め」