H.L. Noire   作:Marshal. K

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The Set Up #10 ~Interval~

 

 

「救急車、向かってるって......」

 

 婦人用トイレに入って、あたしはつかの間黙り込んだ。

 おまるんは何の感情も浮かんでない顔で、流しで手を洗っていた。なかなかお湯が出ないのか、両手の血はあんまり落ちてない。

 気を取り直してトイレの奥に進みながら、おまるんに続ける。

 

「現場保存の巡査も要請しといたよ。それと、ハモンドの緊急配備(ドラグネット)もかけてもらった。ここから逃げたんかな?」

「たぶんな」

 

 一番奥の、開けっ放しの窓を覗きながら言うと、おまるんは異様に平坦な声で返してきた。

 床に落ちてた拳銃を拾い上げる。

 

「コルト・ニューポケットか。32口径......」

 

 違和感があたしを襲った。銃声がする直前まで、ハモンドはあたしの視界の中にいた。ってことは、ミッキーの手下が犯人の可能性が出てくるけど、連中が凶器を置いて行くのはちょっと解せない。

 あたしは輪胴を振り出すと、並んだ雷管をのぞき込んだ。

 

「六発装填してて、撃発の痕があるのは一発だけ」

「銃声は一発しかしなかったしな」

 

 おまるんがのっそりやって来て言った。ここで洗い流すのは諦めたのか、その両手はまだまだ赤黒かった。

 一発だけ、というのも奇妙だ。あいつらは普通、見せしめにする時には何発も撃ち込むものなんだけど。

 輪胴を戻して、あたしはおまるんを見上げた。

 

「なんにしても、これであたしたちはどん詰まりだね」

 

 これ以上ハモンドの居所を推測できそうな手掛かりは、もう無い。ハモンドが網に引っかかるのが先か、ミッキーの手下に見つかるのが先か。

 

「んにゃ、まだだ」

 

 おまるんが、床の上のキャンディの手提げ鞄(ハンドバッグ)を探りながらそう言った。お金が入ってたであろう衣裳鞄(スーツ・ケース)は、どこにも見当たらない。

 

「これ、見てくれ」

「......映画の切符?」

 

 おまるんが指に挟んで取り出したのは、映画の切符だった。左端が破れてなくなっている。

 

「これの切れっ端が、ハモンドの部屋にあったんだよ。一月以上前の映画の切符、それも千切れた切符を後生大事に持ってたのか、あの時はわかんなかったけど......」

「待ち合わせ場所、かもしれない?」

 

 切符に目を落とす。グローマンズ・エジプシアン映画館(シアター)

 

「行くだけ行ってみようか」

 

 あたしは立ち上がりながら言った。

 

「もう他にアテもないわけだしね」

 

 

 

 

 

「ねえおまるん、一応言っとくけどさ」

 

 すっかり夕暮れのハリウッド大通り(ブールバード)を飛ばしながら、あたしは相変わらず異様に大人しいおまるんに声をかけた。

 

「仮にエジプシアン映画館(シアター)が待ち合わせ場所だったんなら、バス・ターミナルに行ったキャンディは、ハモンドを裏切ったってことになるよ? それなら......」

「自業自得ってか?」

「そうは言わないよ」

 

 棘のように鋭い怒気を含んだおまるんの言葉を、あたしは遮るようにして続けた。

 

「勝ち金を集めて回ろうなんて欲をかいた時点で、ミッキーにとっては抹殺対象なんだよ。ハモンドに殺されなかったとしても、キャンディが無事に州外に出れたかどうか、怪しいね」

「......だから何だよ?」

 

 おまるんは、再び起伏の消え去った声で言った。ちらっと助手席に目をやると、おまるんは両手をじっと見つめてるところだった。

 

「あたしたちはさ、まあ色々ミソ付けられはするけど警察官なんだぞ? それがみすみす、目と鼻の先で殺人を許してさ......」

 

 最後の方は声がくぐもった。両手で顔を覆ったらしい。

 

「......自分が無力だと思う?」

 

 あたしからの質問に、返事はなかった。あたしはそれを肯定だと解釈して続けた。

 

「ま、そりゃあたしたちは一介の刑事で、スーパーマンとかバットマンとか、あんなのじゃないからね。オハイオの田舎娘を、暴力の世界で生まれ育ったギャングから守るのは、至難の業だよ」

 

 ちょっと間を置いたけど、おまるんからは特に相槌の類は無かった。

 

「でも、刑事には刑事なりのやり方がある。でしょ? 人殺しをとっ捕まえて、檻の中にぶち込む。それは、あたしたちにしかできないことだよ?」

 

 相変わらず返事をしないおまるんが納得したのかどうか、あたしにはちょっと自信がなかった。それでも無線機がキューンとハウリング音を鳴らしてからあたしたちを呼び出した時、おまるんは躊躇せずにぱっと送話器を手に取った。

 

「KGPLから5K44。5キング44、どうぞ(カム・イン)

「5キング44です、どうぞ(ゴー・アヘッド)

「5K44、検屍官からの伝言があります。検案の結果、推定死因は刃物による刺創。反復、刃物による刺創。小型のナイフが凶器と推測される。伝言は以上」

「5K44了解......カルロか」

 

 送話器をダッシュ・ボードに放り投げて、おまるんが苦々し気に言った。小型のナイフ、で思い浮かぶのは一人しかいない。

 

「たぶんね。ミッキーの手下なら、ナイフを使う理由はないし」

「昏倒してる間にポルカたちにナイフを見られただろう、って推測はできたわけだな。当分の間、自分に手配が掛からないようにわざわざ一発撃って、捜査の攪乱を狙ったわけ......」

 

 あたしが急ブレーキを踏んで、おまるんが黙った。

 

「どした、獅白? なんか今日はずっと運転が荒っぽいぞ?」

「おまるん、あれ」

 

 あたしは通りのちょっと先、まさにグローマンズ・エジプシアン映画館(シアター)の正面に停まってる白い自動車を指して言った。

 おまるんが目を細めて返す。

 

「白いフォードのクーペ、だな......あれが?」

「あたし、昨日あの自動車を二回見てるんだよ。一回目はスタジアムで、二回目はモーテルで」

「え?」

 

 おまるんは懐疑的だ。フォード・スタンダードのビジネスクーペなんて街中に溢れてるから、当然ではある。

 

「モーテルに来た時には駐まってたのに、カルロが帰った後にはもう無かった。だからたぶん、これはカルロの自動車だよ」

 

 言いながら、ゆっくりとキャデラックをフォードの後ろに着けて停めた。

 おまるんが呟くように言った。

 

「エンジンはかけっぱなし、ライトも点きっぱなし、運転席のドアも半開きだな......大当たりかも知れねえぞ」

 

 捜査用車から降りると、あたしたちは映画館の前に立った。

 

「......誰もいねえな」

「改装工事中じゃなかったかな。でも確かストライキかなんかで、工事が止まってたはず」

 

 普段は人ごみで溢れかえってる、正面玄関への長い前庭には人影一つなかった。普通なら、この時刻にこんなに閑散としてることはない。

 

「じゃ、隠れ場所には最適ってわけか......」

 

 前庭をまっすぐに突っ切って、あたしたちは正面玄関の前までやってきた。ガラス扉の向こうのロビーは暗くてどう見ても閉館中だったけど、おまるんが取っ手に手を掛けて押すと、特に抵抗もなくすっと開いた。

 それと同時に、二人の男の話し声をあたしたちの耳が拾った。

 

 

 

 

 

"なんで彼女を殺したんだ、カルロ? お前が狙うべきなのは俺だろう?"

 

 カルロ・アルクェロは劇場内に響き渡る声の出所を探して、上手側桟敷から一階席に血走った目を走らせた。女は殺して金も回収したが、何よりもこの癪に障るイギリス訛りの声の主を始末しなければ、次に始末されるのは自分だということを、カルロはよくわかっていた。

 

「彼女は、お前のために金を集めていたんだろう!」

 

 目は忙しなく場内に走らせつつ、カルロは虚空に言い返した。

 

「ミッキーが言ったからな、死ぬのはお前か、さもなきゃ俺だと! 俺はまだ、死ぬのはごめんだ!」

"投票券は盗まれたんだよ。彼女は俺を捨てたんだ"

「まさか、そんなことを許すわけがないだろ?」

 

 そう言いつつも、カルロは笑い出したい気分だった。こいつ、金を持ち逃げされかかってたのか!

 殺す前に面と向かって笑い飛ばしてやりたいが、そのためにはまず、こいつを見つけ出さなければ。

 

"もちろん、持ち逃げには気づいていたさ。俺は彼女を嵌めたんだ。彼女が俺にそうしたように、マネージャーがそうしたようにな"

 

 今、映写室の窓に人影が写ったような気がする。カルロは慣れないスミス・アンド・ウェッソンを構えて窓を狙うが、どう見ても無人だった。

 

"誰もが、俺が小金で満足すると思っていた。満足して、勝ち星をゆずると思っていたわけだ"

 

 舞台照明に照らされた銀幕に巨大な人影が写り込んで、カルロは発砲した。当然のことだが影に撃っても本人が傷つくわけではない。とはいえ相手が黙り込んだので、カルロは興奮を隠さず言い返した。

 

「誰のお蔭で、今まで引退せずに済んだと思っていやがる! もう選手生命が終わりかかってるのに、負けず嫌いを拗らせてたお前を拾ってやった恩人は、何処の誰だ! ええ!?」

 

 カルロは影の主を探すが、まるで見当がつかなかった。そもそもあの照明の光源はどこなんだ?

 

"恩人、そうかもな。でも俺にだって、心ってものがあるんだ。俺は王立海兵隊(ロイヤル・マリーン)にいたんだぜ、カルロ。俺が試合に負けても、その原因は練習不足でもなければ、怖気づいたわけでもなかった。辛い、惨めな経験だったぜ......"

「お前のためにやってやったんだ!」

 

 カルロが天井の方に向けて叫んだ声は、劇場内に跳ね返って響き渡った。

 

「その報いがこれなのか? え!?」

"いいや、お前は自分のためにやってたんだ。リトル・ボーイもそうだが、お前はただただ、金のためだけにやってたのさ。キャンディも......"

「あーはいはい、御託はもうたくさんだ! 金は手に入れたし、後はお前を始末するだけだ。悪く思うなよ、だがお前......」

 

 一階席からギーッと音が響いて、カルロは黙った。劇場と前室を仕切るドアが開く音だ。

 横手のドアからハモンドが入っていないかと、カルロは眼下の劇場に目を凝らした。

 

 

 

 

 

「ポルカたちも御託はたくさんだ、カルロ!」

 

 おまるんがあたしの前で、桟敷の方に銃を向けながら言った。その声は厳しくて、十秒くらい前に自分で立てたドアの音に飛び上がってたおまるんとは、まるで別人みたいだった。

 

「大人しく銃を置いて、投降しろ!」

 

 カルロは返事の代わりに、ヘタクソな照準でこっちに三発発砲した。おまるんは帽子を押さえて、慌てて客席の陰に飛び込んだけど、あたしは自分の銃でカルロにお手本を見せてやった。

 

「うぎゃっ!」

 

 客席の陰からおまるんが悲鳴を上げた。

 というのも、あたしが一発で射殺したカルロは桟敷の手すりにもたれかかると、そのままずるずると下に落ちたんだけど、その下というのが、ちょうどおまるんの隠れたあたりだったんだ。

 

「あー、ビックリしたあ! くそう......」

 

 おまるんはぶつぶつ言いつつカルロの死体をひっくり返すと、あちこちのポケットをひっくり返し始めた。

 

「何してんの?」

「ちょっと探し物......あった」

 

 おまるんが取り出したのは、鍵束だった。フォードのロゴが刻印された始動(イグニッション)キーがあるのを確認すると、おまるんは劇場の真ん中らへんに向かって叫んだ。

 

「ハモンドさん、出てきていいですよ!」

 

 しばらく何の反応もなかったけど、やがて舞台脇の非常口がギーッと音を立てて開いて、緑の上着を着こんだ大男が姿を現した。ハモンドだ。あたしがバス・ターミナルで見た時と同じ格好をしている。

 おまるんはとことこ歩み寄っていくと、鍵束をハモンドに差し出した。

 

「ほら、どうぞ。ユニオン(ステーション)で終電に飛び乗れば、明日にはニューヨークに着いて、クイーン・メアリーの出港に間に合いますよ」

「......どうして?」

 

 ハモンドは困惑気味に聞き返した。おまるんは鍵束をぐいとハモンドの胸――ちょうどおまるんの顔と同じ高さにある――に押し付けながら言った。

 

「どうしてもなにも、あんたを逮捕する理由がないんですよ。あんたは八百長には乗らなかったし、エドワーズさんを殺したのはカルロだし、自分の賭けの勝ち金を持って帰るのは違法じゃないわけですし?」

「まあ、賭博自体は違法っちゃ違法ですけどね」

 

 あたしが茶々を入れると、おまるんはちょっとあたしの方を振り向いてから続けた。

 

「だけど、こいつはそれを言える立場じゃないんですよ。あんたのお蔭で四百くらい稼いだらしいんでね」

「感謝しますよ、ハモンドさん」

 

 おどけてお辞儀すると、相変わらず困惑した表情のハモンドは、つられてか会釈を返してきた。

 

「そんなわけで、ポルカたちにはあんたを引き留める理由がないんです。どうしてもって言うなら、違法賭博で引っ張りますけど?」

 

 ハモンドはしばらく、自分の胸元に押し付けられた鍵束を凝視していた。あるいは、まだらに血がこびりついた、おまるんの手を見ていたのかもしれない。

 

「......ありがとう」

 

 ハモンドは呟くようにお礼を言って、鍵束を受け取った。

 

「......さてと、ポルカもここいらで帰るぞ」

 

 ハモンドの後姿を見送ってから、おまるんはそう言った。

 

「えー、残ってったら? これは間違いなく、おまるんの手柄でもあるんだよ?」

「いや、ポルカがここにいちゃコルミャー主任はいい顔しねえだろ。あんまりポルカとつるんでると、お前もその内左遷されちまうぞ?」

「左遷よりも先に、氷漬けにされちゃうかな。ラミちゃんに」

「ノロケは勘弁してくれ」

 

 

 

 

 

「ドネリー警部と殺人課からお礼を言われたよ、シシロ刑事」

 

 それからしばらくして、風紀課主任のアーチー・コルミャー警部補は劇場内に入るなり、あたしにそう声をかけた。

 

「君のお蔭でエドワーズ殺しがとっとと片付いて、彼らはこれ以上ないほど喜んでいる。しかし相変わらず動機は謎だな。何か、考えはあるかね?」

情緒犯罪(クリム・パッショネル)*1でしょう、警部補」

 

 三十分ほど前、同じ場所に立って想定問答をしていたおまるんの言い方を思い出しながら、内心苦笑しつつあたしは答えた。

 

「ボクサーとマネージャーと、ボクサーの彼女。これらが所謂三角関係にあったようです。そして話がこじれたみたいですね」

「そのボクサーだが。彼はどこに?」

「ここじゃないのは確かですね。試合が終わって、すぐに街を出たようです」

「よかろう」

 

 警部補は納得したわけじゃなかったみたいだけど、大して興味があるわけでもない顔で言った。

 

「どのみちこの件で頭を悩ますのは殺人課で、私たちじゃないからな。よくやった、お嬢さん」

 

 

 

*1
「かっとなった」などの激情に基づいて行われるタイプの犯罪

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