「どうも、マル」
「やあオマル刑事、オオカミ刑事」
ポルカに続いて入った6号室の
ランドールさんの死体は白人であることを考えても、異様なまでに真っ白だった。まるで蝋細工の人形か何かみたいだ。
「マル、外のギャロウェイ刑事はポルカたちの時間の無駄だって言ってたんだけど、そっちの意見を聴かせて」
「よかろう。まず、ここを見てくれないか」
カラザース検屍官はしゃがみこんで、死体の口許を指した。ポルカが同じようにしゃがんだから、ウチはその上から影を作らないように注意しつつのぞきこんだ。
「普通溺死した場合には、この辺りに粘稠性の高い、細かい気泡が生じているんだ。水が呼吸器に浸入しても、しばらく呼吸自体は止まらない。このため通常、口腔内及び呼吸器内の粘膜と水の混合物によって、そのような気泡群が形成される」
「ふーん......見当たらねえな」
ポルカは死体の顎を掴んで、頭部の角度をグリグリ変えながら言った。鼻とか口の中を覗いてるみたいだ。
「ねえポルカ、その首」
「え?......ああ、痣になってんな」
ポルカがぐいっと顎を持ち上げた。首の周りにぐるっと、青黒い痣ができてる。肌があまりにも白いせいで、その痣は異様に目立って見えた。
「両腕もだね」
「確かに。ここには手の痕があるし......こっちは噛み傷か?」
「その通り」
マルは立ちあがると、ウチの方に向いて続けた。
「それから通常、死後には瞳孔は散大するが、彼女のは収縮している。これも典型的なモルヒネ中毒の症状だ。私が思うに何者かが彼女を組み敷き、その間に別の人間が彼女に注射したのだろう」
「でも、噛み痕は?」
「注射痕の隠蔽だろう、恐らく。一見して見当たらないからな。その上で彼女を浴槽に置き、溺死したように装ったのだろう」
マルがこつこつと、靴のつま先で床を叩いた。そのあたりには、白い錠剤がたくさん散らばっている。
「床のそれは?」
「睡眠薬だろう。持ち帰って調べるが、たぶんバルビツール酸系の何かだな」
「なあマル、この指輪は?」
死体の左腕を調べていたポルカが、検屍官に声をかけた。
「左手の薬指。婚約指輪だと思うんだけど」
「だろうな。宝石にはあまり詳しくないが、黒いサファイアじゃないか?」
「ポルカもそう思う。えらく高価いシロモノだよな......これ、いま外せる?」
「指ごとになるな」
「じゃ、解剖の時にでも外して、メーカーズ・マークがわかったら教えて」
「わかった」
ポルカは立ちあがると、ウチの方を向いて言った。
「結構杜撰ではあるけど、それなりに計画性がある。こんなのそこいらの
「じゃあ
「そうなるな。ミオしゃ、家政婦さんの聴取を頼んでいい? ポルカは奥の
「いいよ」
浴室を出るとポルカは、ちょうど居間の方からやってきた現場写真係のベケット技師と一緒に、廊下を奥へ歩いて行った。ウチは居間に戻ると、
「失礼、大神刑事です。あ、座ったままで。ランドールさんの事はお気の毒でした......いくつか伺いたいことがあるんですが、よろしいですか?」
「ヴァージニア・レイノルドセンです」
立ち上がろうとしたレイノルドセン夫人は、ウチの制止を受けて落ち着かなさそうに椅子に腰を下ろした。
「すみません、まだ動転してて。なにか私がやるべきことがあるような、例えば誰かに電話するとか、そんな気がしてしょうがないもので......」
「そう言ったあれこれは、
「それが、わからないんです。ジュリア様はこの街に親戚がいらっしゃらないので。諸々の手配は誰がするんでしょう? ヘンダーソンさんとか? あ......」
その名前を出した瞬間、レイノルドセン夫人は露骨に"しまった"って顔になった。
「いや、他にいないかしら......やっぱりわかりません」
「とりあえず、それは置いときましょう。先ほどの刑事さん達に詳細を伝えてくれれば、彼らが調べてくれるはずです」
少なくとも、ビコウスキー刑事は。
質問を始めようと手帳を開いた辺りで背後からガラガラと音がして、レイノルドセン夫人はそっちの方に視線を飛ばした。たぶん、検屍官がランドールさんを台車に載せて運び出したんだろう。
「レイノルドセン夫人、ここでの仕事はいかがでしたか。ランドールさんは良い雇い主でしたか?」
「ええそれは、文句のつけようがありませんでした」
急に早くなる口調、高くなる声、さまよう視線。嘘吐きの数え役満だ。
たぶん、嘘を吐くことに慣れてないんだろうな、と思いつつ、ウチは手帳を鉛筆で叩きながら言った。
「レイノルドセン夫人、故人を大切に思ってらっしゃるのはわかります。けど、彼女のためを思うなら警察には正直に話をしてもらわないと、何にもなりませんよ?」
「すみません......」
レイノルドセン夫人はしゅんとして、ぽつぽつと喋りはじめた。
「彼女はその、とても神経質な人でした。愛嬌よく振舞っていたと思えば、次の瞬間にはヒステリックに騒ぎ出すようなことが普通にあったんです。できませんとか、時間がかかりますとか、そういった返事は怒りに直結していました。もちろん、美を追い求めるためで、それが彼女の仕事だったわけですが......」
言葉は低く、尻すぼみに消えていった。ウチは小さく咳払いをすると、レイノルドセン夫人に訊いた。
「では、ランドールさんは躁鬱状態にあった、ということですね?」
「ええその、でもそれも普通の人の範疇で......」
「普通の人の範疇なら、睡眠薬はまさかいりませんよね?」
「はい......そうです。躁鬱と言っていいと思います......たぶん、お金なんじゃないかと思うのですが」
「お金ですか?」
ウチは鸚鵡返しに聞き返した。
一方、背後で絨毯を踏む足音がして、ポルカが居間に戻ってきたのがわかった。ウチの背後で、
「そうなんです。いっつも新しい服を買ったり、宝石を買ったり......彼女の暮らしぶりは映画スターみたいでした。あるいは、お姫様か......モデルって、そんなに稼げるものなんでしょうか?」
「つまり、ランドールさんは身の丈に合わない生活をしていて、家計の心配が躁鬱のもとになったんじゃないかと見てるわけですね」
「ええ、その......はい」
充分考慮に値する意見かもしれない。このアパートメントもそうだし、居間の調度品も見る限り高級品だらけだ。ウチとそう変わらない歳で――ウチが安月給の警官だって点を無視しても――こんな暮らしをするには、モデルの給料だけじゃ足りないんじゃないかな。
「わかりました......それと、先ほどのヘンダーソンさんって方ですけど」
「......はい?」
妙な間があった。
「どういった方ですか。ランドールさんとのご関係は?」
「......よく知りません。私は週に二回、掃除と洗濯に来るだけですもの」
「六十絡みの、身なりのいい男性じゃありませんか?」
後ろからポルカがそう言った途端、レイノルドセン夫人の顔つきが変わった。"なんで知ってるんだ"って顔だな、これは。
「......知りません」
「レイノルドセン夫人、洗濯に来てるなら、
ポルカが、ウチとレイノルドセン夫人の横手にある椅子に座りながら言った。手を振って寝室の方を指しながら続ける。
「アンダーソン・アンド・シェパードは、サビル・ロウ*1の有名なテイラーですよね。あれを着こなすにはそれなりの風格がいるし、そもそも五十代前半かそれより若い人は着ようとも思わないでしょう。まして、ランドールさんは女性です」
「その......ええ、それはヘンダーソンさんの喫煙服です。お歳を召した方で、大変威厳というか、貫禄のある方でした。そしてジュリア様にその、何と言うか......」
「ぞっこんでした?」
「はい」
「彼の連絡先などはご存知ですか?」
ウチが訊くと、レイノルドセン夫人は正真正銘の困り顔になった。この家政婦さんは一々表情が読み取りやすいな。助かるけど。
「すみません、知らないんです。ジュリア様からは、サン・フランシスコの方だと伺っていますが」
「わかりました......ご協力ありがとうございました、レイノルドセン夫人。先ほどの刑事さん達が公式な調書を録ると思うので、それが済んだらお帰りになられて結構です」
「ええ、わかりました」
コーヒーが入っていたらしいマグカップを見つめるレイノルドセン夫人を残して、ウチはポルカに合図してアパートメントの外に出た。