H.L. Noire   作:Marshal. K

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The Naked City #15

 

 

「うぇっ、げえぇ......えっ、へぇっ、えほっ......」

 

 アーネットのアパートメントの広々とした浴室(バスルーム)で、あたしは水洗便器に顔を突っ込んでえずいていた。便器の中には、ついさっきあたしが胃の中から出したホットドッグの残骸がある。まともにご飯を食べてないからそれ以上出るものはないのに、嘔吐感は全然治まらなくて、あたしは胃液を吐き続けていた。その胃液も、そろそろ尽きるころだけど。

 口許をぬぐいつつなんとか立ち上がると、天井近くの水槽から垂れているチェーンを引っ張った。便器の中身が下水に流れていく。

 洗面台で口を漱いだら、だいぶマシな気分になった。鼻からはまだ、胃酸とコーラとケチャップの混じった不快な臭いがするけど、これはしばらく治りそうにない。

 鏡の中の、自分の首に黒々と残る痣を見つめながら、あたしは小さく呟いた。

 

「ごめんな、ねね。また心配かけちゃう......」

 

 諸事情あってあたしと同居してる桃鈴ねねにこの痣を隠すのは、かなり難しいだろう。家の中でまで首許を隠した格好をするのは、相当不自然なはずだ。

 天真爛漫な同居人が笑顔を曇らせる様をまざまざと思い描いて、ひどく申し訳ない気分になりながら、あたしは浴室(バスルーム)から出るための最後の行動に移った。スカートをたくし上げて、下着の中を確認する。

 

「......失禁なし、よし」

 

 あった日には、この場で泣き崩れてたかもしれない。今の時点でも泣き出したいほど情けないのに。

 とにかく、それでズタズタのプライドの最後の糸を繋ぎ止めて、鏡を見ながら最大限厳めしい顔をして浴室(バスルーム)から出た。雲の上を歩いているような、フワフワした浮遊感がまだ残っていて――経験上、これは一、二時間は治まらない――、しっかりした足取りで歩くのには随分気力が必要だった。

 居間で一人用のソファに腰かけてたミオしゃが最初にあたしに気が付いて、声をかけてきた。

 

「あ、ポルカ。大丈夫そう?」

「うん、大丈夫そう。さあて、アーネットさん」

 

 お礼を言うのはとりあえず後回しにして、厳格な表情が崩れないうちにアーネットに向かい合った。威圧感を与えるために、椅子には座らない。

 

「とんだ災難でしたね......それとも、自業自得ですねって言うべきなんかな?」

「......何の話だ?」

 

 左目に青タンをつくったアーネットが、あたしを睨みつけながら言った。

 

「すっとぼけるのは止めにしたらどうですか? あんたがスワンセンさんにあげた婚約指輪のことも、こっちは全部掴んでるんですよ。あんたとランドールはグルで、ルブランクとウィリーって窃盗常習犯を実行犯役にして、金持ちの家から金品を盗んで回ってたんでしょ?」

「俺は......俺はアパレル業をやってるだけだ」

「そのアパレル業ですけど」

 

 横手のソファからミオしゃが口を挟んだ。

 

「オフィスの方はほったらかしで、家賃も電話代も滞納してるそうじゃないですか。その割にはいいお宅にお住まいですよねえ?」

「ポルカとしちゃ、その腕時計も気になりますね。滅茶苦茶に高価いやつですよね、それ?」

「この家はその、海兵隊時代の手当てで買ったんだ。腕時計は......」

 

 アーネットはちょっと言葉を切って、息継ぎにしては長すぎる時間を思考に充ててから続けた。

 

「そう、腕時計は両親からので、大学の卒業祝いに貰ったんだ」

「そうですか。じゃ、これは?」

 

 ミオしゃが手提げ鞄(ハンドバッグ)から、証拠品保管袋に入ったファベルジェの煙草入れ(シガレット・ケース)を出した途端、アーネットは露骨に目を背けた。

 

「ご存知ですよね? スワンセンさんのお母様のお宅から盗まれた品物ですけど、質屋さんはあんたの足元を見て、600ドルで買い叩いたって証言してくれますよ?」

「わかった、わかったよ」

 

 アーネットはついに顔を覆って、長々と息を吐いてから言った。

 

「これは全部、ジュリアのアイデアだったんだよ。どっかから社交パーティのリストを手に入れてきて、金持ちたちが確実に留守なのを見計らって押し入ってたんだ」

 

 ゆるゆると首を振って、遠いところを見るような目で続けた。

 

「ジュリアは......金の亡者だったんだ。俺たちが泥棒をやり、自分の仕事まで犠牲にして湯水のように金を捻り出しても、彼女は一度も満足しなかったんだ」

「なら、とっとと抜けちゃえばよかったじゃないですか」

 

 あたしはアーネットに鋭くそう言った。その隣で痛ましい顔をしているスワンセンさんの方に手を振って続ける。

 

「それともなんですか、婚約者(フィアンセ)さんよりもランドールの方に未練タラタラだったんですかね?」

「違う、それは違う!」

 

 アーネットが立ち上がらんばかりになって叫んだ。

 

「俺だって抜けようとしてたさ、ジュリアにもそう伝えた!」

 

 そこで不自然なほど急にトーンダウンすると、再び考慮時間を挟みながら続けた。

 

「それでその、俺が抜けるなら他の連中も馘にすると、ジュリアはそう言ってたんだ。あー、新しい窃盗団を作るから、とかなんとか......」

「で? あんたが言いたいのは、それで実行役二人がキレて犯行に及んだと、そうことですか?」

「あ?......ああ、そうだ」

 

 ウソだ。顔に"そこまで考えてなかったけど、乗っかっておこう"って書いてある。ミオしゃに頼るまでもない。

 

「いや、あんたが実行犯二人に指示して殺させたんだろ。自分が逃げる時間を稼ぐために、溺死に見せかけるように指示したんだろうが!」

「違う俺は、俺は止めようとしたんだ! 婚約までしてるのに、なんで逃げる必要があるんだ!」

「じゃあ、あんたが夕方買った切符はなんだよ!?」

 

 できる限り威圧的に歩み寄って、アーネットの顔を正面から見据えると、向こうはついと顔を反らした。

 

「明後日の、メキシコシティ行きの夜行列車。一人分の片道切符。新婚旅行(ハネムーン)は奥さん抜きでってか?」

「......嘘だと言ってちょうだい、ヘンリー」

 

 スワンセンさんが、すがるような声で言った。その声の半分くらいは、嘘じゃないことを確信した絶望でできてるように、あたしには聞こえた。

 

「......他にやりようはなかったんだ。俺はヘザーと結婚したかった、ホントさ」

 

 アーネットは、腕にすがるスワンセンさんの頬に掌を当てて答えた。

 

「俺がジュリアに"抜ける"と言った時、ヤツが何をしたと思う? 面と向かって嗤い飛ばしやがったんだ!」

 

 ふうっと一つ息を吐いて、アーネットは静かに続けた。

 

「それでウィリーとジミーに大枚払って、終わらせたんだ。これでやっと、何の障害もなくなったと思ったのに、次はあんた方が来て......」

「あんたは逮捕、だな。スワンセンさんに毎週面会に来てくれるよう頼んだら?」

 

 あたしは皮肉たっぷりにそう言うと、食卓(ダイニング・テーブル)の方から椅子を引っ張って来て座り込んだ。

 頭がクラクラしていた。あたしの頭はまだ、気と声を張って立ち続けていられるほど回復してなかったらしい。

 それをミオしゃが見て取ったらしく、小さく咳払いをして二人の注目を自分に集めると、尋問を続けた。

 

「それじゃあ最後に、ヘンダーソンさんってのは誰なんですか? 彼の盗賊団での役割は?」

「......ヘンダーソンなんてヤツは、いない」

「そうですか。ところでウチは一人、この人が"ヘンダーソンさん"じゃないかって睨んでる人がいるんですよ」

 

 ミオしゃがソファの上で足を組みかえて、琥珀色の目を細めながら続けた。

 

「ランドールさんの知人で、六十絡みの威厳ある紳士。ランドールさんは一体どこから、社交パーティのリストを用意してたんでしょうね? あるいは一体何件の侵入盗の被害者さん達が、スワンセンさんのお母様のように"事件当夜、ハロルド・ストーンマン博士のお宅のパーティに行っていました"って証言してくれるでしょうね?」

「そこまでわかってるんなら、話は早いだろ」

 

 抵抗を諦めたようにソファに深々と座りなおして、アーネットは答えた。

 

「ストーンマンが、ヘンダーソンなんだよ。あいつからリストを手に入れて、泥棒をしてたんだ。かわいそうに、善い医者だったんだがジュリアにほれ込んで、すっかり気違いみたいになっちまって......ジュリアは自分の身体に手も触れさせなかったらしいけど。彼女にとっちゃ、あの先生も体のいい道具以上の何物でもなかったんだな」

「そうですか」

 

 ミオしゃの声が、スパッと冷徹なものに切り替わった。ソファから立ち上がって、アーネットの腕を掴んでひょいと立ち上がらせる。

 

「ヘンリー・アーネット。重窃盗、並びにジュリア・ランドール殺害の疑いで逮捕します」

「おい待てよ、ヘンダーソンはストーンマンなんだって! 俺よりもそっちを捕まえろよ!」

 

 ミオしゃに手錠をかけられながら喚くアーネットに、あたしも椅子から立ち上がって歩み寄りながら言った。

 

「ああ、勿論そうするよ。それはそれとしてあんたにも、ポルカたちの勤務評定の一部になってもらうけどな」

 

 

 

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