「ポルカ、本当に大丈夫?」
捜査用車の助手席に、すっかり疲れ切った様子で乗り込んだポルカに、ウチはそう声をかけた。
ポルカはすっかり憔悴しきったような感じで、助手席ドアのアームレストに寄り掛かりながら答えた。
「ああ、だいじょぶ......いやごめん、あんまり大丈夫じゃないかも」
じろっと睨むと、ポルカはふるふると首を振って訂正してから、ため息混じりに続けた。
「あたしさ、寝起きがすっげえ悪いんだよね......今もちょっと、再起に時間がかかってる感じで」
「移動中くらいはゆっくりしてなよ」
ウチは方向指示器を出して、クライスラーをユッカ通りの自動車の流れに乗せながらそう言った。
「ウチもできるだけ優し目に運転するから」
「さんきゅ......そうだ、これを言っとかんと」
ポルカは助手席の上でウチの方に向き直ると、神妙な感じになって続けた。
「さっきポルカが絞め落とされた時、殺される前に助けてくれてありがとうございました」
「ウチはさっきの、資材置き場の銃撃戦の時にポルカに言われたことを、実践しただけだよ」
先行車の
「先生、まだいるかな......?」
アイバー通りのオフィス・ビルの前に立つと、ポルカがビルの上の方を見上げながらそう言った。時刻は九時過ぎ。確かに、普通ならどこも店じまいをしてる時間だ。
ただ、ウチもポルカと同じように上を見上げて、ある事に気が付いた。
「まだいると思うよ。窓が開いてる」
昼間と違って多くの窓が閉ざされていたけど、ストーンマン医院のある505号室当たりの窓はまだ開け放たれていた。
ポルカとちょっと頷き合って、ビルに入る。
照明が落とされて、窓から入る月明かりだけに照らされた五階の廊下を突き進み、505号室のドアを押し開ける。こっちの顔を見るなり、受付嬢がぱっと
「ストップ!」
ウチはピシッと受付嬢に指をさして言った。
「それはナシ」
そうとだけ言い置いて、ウチは診察室の方に向かおうとした。
「ミオしゃ、ちょっと待って」
背後のポルカがそうウチを呼び止めると、受付嬢の方に向き直って言った。
「ヘンリー・アーネットが来たって先生に知らせな。至急の用件で会いたがっているって」
「そんなことできないわ!」
「できるできないじゃなくて、やるんだよ」
病み上がり気味だからかポルカの声は静かだったけど、その分ドスの利いた、妙に迫力のある声が出ていた。
「それとも、司法妨害でぶち込まれたいんか?」
ポルカが一歩受付デスクに踏み出すと、受付嬢は観念したようにノロノロと通話機に手を伸ばした。通話スイッチを押して、マイクに話しかける。
「失礼します先生、ヘンリー・アーネット様が見えています......至急お会いしたいと」
"......通しなさい"
機械越しに聞こえてきた声を聞いて、ウチはポルカと軽く目を見交わした。上下の帯域がカットされた無機質な声でも、忌々しげな声音は明らかだった。
ウチは診察室のドアに歩み寄ると、勢いよくドアを開け放った。
「二度と来るなと言ったは......ず......」
怒りに満ちたストーンマン医師の言葉は、診察室に踏み込んできたウチとポルカを見るなりトーンダウンして、沈黙に変わった。
「全部喋ってもらいますよ、ストーンマン先生」
ウチが客用椅子の背に手を掛けてそう言うと、ストーンマンはドサリと執務椅子に腰を落とした。
「......来てくれて嬉しいよ」
長い、長い溜め息の後で、ストーンマンはゆっくりとそう言った。
「狂気に身を置くより、刑務所の中の方がいくらか快適だろう......悲しみでもう、気が狂いそうなんだ......私がジュリアを愛してたことは、もう知ってるんだろう?」
ウチとポルカの無言の頷きを受けて、ストーンマンは沈痛な顔で続けた。
「私は人生を全部彼女に捧げたんだ......何もかもを投げうった。それでもまだ、私は彼女を愛しているんだ」
「アーネットとランドールが侵入盗を働いていたことを、裁判所で証言してくれますね?」
ウチが確認するようにそう訊くと、ちょうど同じくらいのタイミングで診察室の戸口に足音が聞こえた。
ウチは振り返らなかったけど、歩幅からたぶん受付嬢だろうと見当をつけた。彼女は室内には入らずに、戸口から成り行きを覗っているようだった。
「ああ......彼らは窃盗団を結成していた。家内がやるパーティの招待客一覧をジュリアが私から入手して、そこに盗みに入っていたんだ......彼女にどれほど金をやっても、彼女は満足というものを知らなかった。彼女は......」
言葉を切って、次に出てきた声は悲しみと絶望に満ち溢れた声だった。
「......彼女は、私を愛したことなど、一瞬もなかったのだろうな」
「先生、あなたを逮捕します」
ウチは聞いてられなくなって、ストーンマンにそう告げた。どのみち、この場で訊くべきことはもう聞いた。後は調書を録って、サインを貰うだけだ。
「立ってもらえますか」
ストーンマンはゆっくりと、執務椅子から立ち上がった。診察室の戸口にいる受付嬢に気が付くと、そっちに声をかけた。
「この医院だが、君はジェラルド先生に電話なさい......いや、だめ、だめだ。泣かないでくれ。私には、泣いてもらう資格などないんだ」
受付嬢が――きっと彼のことを心から尊敬してたんだろう――すすり泣き始めると、ストーンマンは諭すようにそう言った。
それから一度ウチたちのほうに向き直ると、両手を後ろに回してこっちに背を向けながら続けた。
「誰とも会いたくはない。妻にも、子供たちにも。弁護士もいらん。ただ閉じ込めて......そのまま鍵を捨ててくれ」
濃紺の背広に包まれたその背中が、悲しみのあまりか奇妙に小さく見えて、ウチは手錠入れから取り出した手錠を持ったまま、つかの間ポルカと目を見合わせた。このまま手錠をかけて逮捕するのは、あまりにもかわいそうな気がしたんだ。
ウチは甘かった。
「......正気か?」
突如、我に返ったようなストーンマンの声がして、次の瞬間には濃紺の背広は窓枠に飛びついていた。涼しい秋の夜の風が吹き込んでいた、開けっ放しの窓に。
「あっ!」
ポルカが声を上げるのとほぼ同時に、ウチはその背中に飛びついた。後から考えると腰にタックルするような形だったから、そのまま突き飛ばしちゃう可能性もあった。けれど、ウチは首尾よくストーンマンの腰に縋りつくことに成功した。
問題は、ストーンマンの方が体重が重い事。そして、ウチの体の大部分がストーンマンと一緒に窓枠の外に出ちゃったことだ。
それでもウチの体が下に引っ張られるのとほとんど同時に、今度はポルカがウチの腰にしがみついた。
「ん゛ー......ぬぐあぁ!」
あんまり女の子っぽくはない声とともに、ポルカはウチとストーンマンを5階の床に引っ張り戻した。ウチは床に転がると、スカートのポケットからハンカチを取り出した。手早く丸めて、舌を噛み切られる前にストーンマンの口に突っ込む。その上で暴れる両腕をねじり上げて、ようやく手錠をかけた。
「ハロルド・ストーンマン。重窃盗、並びに共同謀議の疑いで逮捕します。それと、そのハンカチは落ち着くまで貸しときますから」
狂気の色がだいぶ薄れて、いまでは情けない表情になっているストーンマンの目を見つめながら、ウチは胸の内の安堵の思いがこぼれ出過ぎないように気を付けながら続けた。
「留置場でゆっくり、自分の過ちを見つめ直して行ってください」