「よしお二人さん、今しがた入ってきたばかりの事件だ」
当直時間が半分ほど過ぎてフブキと自席でうとうとしていると、後からレアリー警部の声がして危うく飛び上がることだった。
フブキのほうからは「ニャッ」とも「ミャッ」ともつかない声が聞こえた気がしたけど。猫やんけ。
「レイズ・カフェで轢き逃げだ。北ロサンゼルス通り208番地。巡査が現場保存している。検屍官はもう臨場した」
目頭をグリグリ揉んで続ける。
「行って、自動車を特定できる証人がいないか探してこい」
「そういえばミオ、あの書類はよかったの?」
深夜の一番街で46年式フォード・スーパーデラックス
「うとうとしててあんまり進んでなかったみたいだけど」
「それはフブキも同じでしょ」
先日二人で違法公道レースの摘発をしたとき、ウチは捜査用車のビュイックを信号機にぶつけてしまった。
なんとか主宰の逮捕までこぎつけたのでレアリー警部はウチたちを叱りこそしなかったものの、ハンドルを握っていたウチは本部の交通管制課と車両課に始末書やら修理申請書やら、いろいろな書類を出さなくちゃいけなくなっちゃったんだ。
ウチがそんな感じなのでレースの一件書類はフブキが書くことになって、二人して書類の山に埋もれていた......んだけど、流石に朝4時にもなると睡魔に勝てなくなってくる。
「まあ眠気覚ましにはなったよねえ」
「これも簡単に片付けば、早く署に戻って書き上げられるんだけどな」
「明日中だっけ」
「というかもう今日中だけどね」
送致の都合でとっとと
「あ、フブキ、そこっぽい」
ロサンゼルス通りを北上すると、通りの途中がパトカーとバリケードで封鎖されていた。
制服組のパトカーの後ろに駐車して、作業灯とパトカーの
「刑事?」
巡査の一人が歩いてきて、困惑気味に聞いた。一見して刑事らしくない私服の女の子が白黒のパトカーから降りてくれば、まあこんな反応になるだろうと思うけど。
フブキが警察官
「シラカミ、交通課。状況説明を」
「カプラン巡査です。
「地取りはしたのかい?」
フブキが聞く。
「多少とも有益そうなものを見たのは、そこで待たせているお嬢さんだけです」
巡査の指す先を目で追うと、バーの横手にある安アパートの玄関の前に藤色の服を着た女性が所在なさげに立っていた。
「バーの上に住んでます。名前はシャノン・ペリー、芸名じゃなくて本名だそうです。年齢は24歳、カンザスから黄色いレンガ路を辿ってやってきた*1そうです」
「へ~え」
カプラン巡査の言い回しにウチはニヤニヤ笑いで返す。フブキも笑いを漏らしてから巡査に言った。
「調書は後で取るよ。とりあえず白上たちは現場を見て回るから」
それからウチの方を振り向いて、
「ミオは死体をお願いね」
「任して」
「オオカミ刑事?」
死体に近づくとカラザース検屍官が言った。
「死体を見たまえ。助かる可能性は万に一つもなかった感じだが」
ウチが死体をひっくり返す間にも検屍官は説明を続ける。
「自動車は後ろからやってきて彼を撥ねた。顔から墜落してここまで転がってきたようだ」
死体は痛ましい限りだった。
胸部はぐしゃぐしゃで、顔もアスファルトにえぐられてしまっている。元の人相を思い描くのは苦労しそうだ。
上着の内ポケットを探ると、書類が一枚見つかった。
――カリフォルニア火災生命保険株式会社
レスター・パティソン様
あなた様の御申請が受理され、保険料が月額3ドル70セントから5ドル90セントに引き上げられましたことをお知らせいたします。
この変更は1947年1月1日より有効となります。
これにより、あなた様にお支払いする保険金は1万ドルから1万6千ドルに引き上げられました。
私どもカリフォルニア火災生命一同、あなた様の将来の御健康と御安全をお祈りしています。
敬具
カリフォルニア火災生命保険株式会社
副社長
カーチス・ベンソン 署名――
1万6千ドル、の部分が赤で囲われていて、端的な感想が添えられている。
"
値上げ額が不満だったんだろうか。
反対側のポケットには財布が入っていた。血に塗れたお札がいくらかと、免許証が入っている。
――カリフォルニア州自動車操縦者運転免許証
氏名:レスター・パティソン
住所:カリフォルニア州ロサンゼルス市北ホープ通り182番地
36歳の白人男性、既婚、身長5フィート8インチ、体重170ポンド、目と髪は茶色――
近親者告知が必要そうだ。
立ちあがって検屍官に質問する。
「被害者について、なにかわかったことがあります?」
「事故の時、彼が酔っぱらっていたのは間違いない。どれだけ酔っていたかは解剖でわかるだろう。今見た限りでは、彼は自動車との衝突で死んだようだ」
「胸がズタズタなんですけど」
二目と見られない感じになっている、被害者の胸部を指す。
「あれも自動車で?」
「自動車事故でよく見るよ。ボンネットに派手な
ああいうのは凶器になるんだよ、と言って検屍官は寝台自動車の横で待機していた副保安官に合図した。袋詰めを始めるみたいだ。
ウチは被害者の側を後にすると、現場写真係のベケット技師と話をしていたフブキの方に向かった。
「フブキ、そっちはどんな感じ?」
「加害車両は、とにかくブレーキは掛けたみたいだね」
充分じゃなかったみたいだけど、と地面に黒々と残るブレーキ痕を指して言う。
「ぶつかったのは多分このへんで、落ちたのはそこの血痕があるとこ。被害者は20フィート近く撥ね飛ばされたみたいだね」
フブキは検屍官たちに袋詰めされている被害者の方に目をやった。
「そっちはどんな感じだったの?」
「えっとね......」
ウチはフブキに、死体の所持品や検屍官の見立てについて説明を始めた。