あたしは表通りとモレッリ邸の敷地を繋ぐ階段の、一番上の段に腰かけていた。なんとかあと一歩のところで反吐さずにすんだものの、こみ上げる嘔吐感は今だ健在だった。
理由は簡単。目に焼き付けてしまったあの光景のせいだ。こちらを見返す、周辺の炭化した膚よりもさらに黒い眼窩。そして跪く姿勢で形を残したままの下半身。その腰からにょきりと伸びた背骨らしい白は、炭化した腰と焼け焦げた壁を背景に妙に生々しく、あたしの瞼の裏からいつまでたっても離れなかった。
もちろん、こんなことしてても何にもならないってことはわかってる。あたしは刑事なんだから、立ち上がって何か生産的なことをした方がずっとモレッリ一家のためになるはずだ。一方あたしの胃は相変わらず、反抗的な態度を取り続けていた。
もういっそ全部吐き戻した方が楽になるか? って考えてたところに、家の方からぬかるみを踏んでこっちにやってくる足音が聞こえた。消防士たちの耐火
「ポルちゃん、大丈夫そう?」
はい、あたり。
いっそ反吐してしまえって思いきって立ち上がると、世界が一瞬揺れたものの空が落ちてきたりはしなかった。朝食もちゃんと胃の中に収まったままだ。
「だいじょぶ、とりあえず今は。地取り始める?」
「うん。ポルちゃんにはお隣さんをお願いしよっかなって」
心配されての配置なのはすぐにわかったけど、ありがたく受け取ることにした。
「わかった。フブちゃんは?」
「向こう三軒をやろっかなって」
「りょーかい。なあ、フブちゃん」
「なあに?」
「......いや、なんでもない」
フブちゃんの目をじっと凝視してから、あたしは出しかけた質問を引っ込めた。フブちゃんは平気なん? とか聞こうと思ったけど、見つめた空色の瞳が何時もより翳っているのを見つけちゃったんだ。全く応えなかったわけじゃなさそうだ。
不審げな様子はしつつもホーバート
と、あたしの視界の端に妙に目立つ白っぽいものが写った。申し訳ないけど男性に、そこで待つように手振りをしてから白っぽいそれに歩み寄って行く。モレッリ邸との境界のところに生えている立ち木の根元に、それは半ダース程散らばっていた。
「煙草か。カルデロン」
メキシコ製安煙草の吸殻だ。それでも、巻紙はずいぶんと新しい。捨てられてから丸一日経ってないはずだ。その場にはかなり大きな足痕がいくつも残されていたけど、素人目に見ても一人の物で間違いなさそうだった。
「ここで見てたんか。煙草をやりながら、爆発する瞬間を待ってたわけだ」
たくさん残っているのは、そわそわうろうろしてたからだろう。そして足痕は最終的に、モレッリ家の敷地に向かって延びていた。隣に入った先は消防士たちの足で踏み荒らされていて全然わかんないけど、いま残ってる範囲から言ってもモレッリ邸に向かって走って行ったらしいのは明白だった。
「フブちゃんの推測を裏付ける証拠がまた一つ、ってか」
これはあとでフブちゃんに見せるとして、あたしは立ちあがって待たせてた男の人の方に歩み寄った。
「お嬢ちゃん、消防の人じゃなさそうだね?」
「ええ、
警察官
「お隣の火事について、いくつか伺いたいことがあるんですけど」
「ひどいめぐりあわせだよ。それも、週末旅行の懸賞に当たったばっかりだったって言うのに」
フブちゃんの記憶は確かだったらしい。
あたしは手帳を取り出して、まだ名前を聞いてなかったことに気が付いた。
「
「フォーマン。ダドリー・フォーマンだ」
フォーマンさんは五十くらいのドイツ系の人だった。いかにもドイツ系らしい角ばった輪郭に、厳めしい、頑固そうに見える顔つきをしている。
「ではフォーマンさん、爆発の前後で何か、不審な物を見たり聞いたりは......」
「なあ、爆発があった時、俺は寝てたんだ。何も見ちゃいないし、聞いちゃいないよ」
フォーマンさんは厭そうな表情で、早口でそう言った。
あたしはその様子をじっくり観察してみた。これは警察嫌いの連中が真っ先に示す反応によく似ている。でも、その嫌悪感たっぷりな視線が向いてる先は、あたしってよりどっちかと言えば......
「モレッリさんのこと、お嫌いでした?」
「あんただって、付き合いやすいご近所さんと、そうじゃないやつとがいるだろ? 連中がとっとと家を売ってくれてればな」
「どういう事です?」
「ここら辺は、
フォーマンさんは焼け跡の方に目をやると、苛つきを隠さない顔で続けた。
「モレッリはあの家を自分で建てたんだとよ。あの
「なるほど。ちなみにその買収なんですけど、どこの会社が行ってました?」
「エリシアン・フィールズ
おや。こっちでは郊外再開発基金名義じゃなくて、エリシアンの名義で活動してんのか。
そう考えて思わず眉を上げると、フォーマンさんはその意味を勘違いしたらしくさらに続けた。
「あんたも見たことあるだろ、街中に
フォーマンさんは
「あれでイチコロだよ。俺もこの家を売ることになってるしな」
「なるほど......ところで、先程モレッリさんは週末旅行に当たったって言ってましたね。カタリナ島ですか?」
「ああ、そうだよ。だから爆発があった時、俺は真っ先に"旅行中でよかったな"って思ったんだ。でもその後すぐに、家の中から悲鳴が聞こえてきてな......」
フォーマンさんは顔を顰めて、言葉に詰まった。いくら相手が嫌いな人でも、焼かれる人間の断末魔なんて聞くのも思い出すのも辛いだろうな。
「その懸賞、どこがやってたかご存知ですか?」
「は? さあ......」
「あなたのところにも応募券が来たりはしなかったんですか?」
「来たよ。ただあれは、まだ態度を決めかねてるやつら向けみたいだったからさ、応募してないんだ。うちはもう、ビラが来た時には話がまとまってたからな。そうだ、そのビラならまだ状差しに残ってたと思うが、取って来ようか?」
「助かります。あ、その前にもう一個聞いていいですか」
玄関の方に足を向けたフォーマンさんを引き留めると、さっきの立ち木の方を鉛筆で指しながら質問を続けた。
「爆発の前後に、あの辺りで誰か不審な人物を見たりしませんでしたか?」
「さあ......どうだったかな」
フォーマンさんはあたしが指した辺りを見つめながらしばらく唸って、それからはっと顔を上げた。
「そうだ、誰かいたぞ。俺よりちょっと背が高めで、でも痩せぎすだったな」
「服装とか、わかりますか?」
「オレンジの上着を着てたよ。厚手の、ウールのやつだな。ヨレた帽子をかぶってて、髪の毛は無かったと思う。あるいは、ひどく短髪だったかだな」
「ふんふん」
「ここ何日か、この辺りを回ってる
ひょっとしたら業者の制服かもしれない。そこで働いてるのか、盗んだものかもしれないけど。
「
「ああ。ビラ取ってくるから、ちょっと待ってなよ」
フォーマンさんは最後にもう一度、気の毒そうな視線をモレッリ邸の残骸に投げてから、玄関へと戻って行った。