「うーん、これと言って不審な点は無いわね......」
私はエリシアン・フィールズ
事務所には、天井近くにある小さな採光窓二つを除いて窓がなかったから、私はそこから射し込む僅かな月明かりを頼りに日報を読み進めていた。流石に電灯を点ける危険は冒せない。
「工期の遅れがちらほらあるけれど、そもそも建築工事は遅れがちだから、これは普通な範囲ね」
むしろ工期通りにきちんきちんと進んでいたら、虚偽報告か手抜き施工を疑うところだ。
「この台帳はハズレかしら......」
日報全てをめくり終えると、レターサイズの紙が綴じ込まれていた。ロサンゼルス市建築安全部のレターヘッドが押されている。
「解体撤去の命令書ね。期限は......月末か」
まだあと二週間は余裕がある。
「それを今日一日で終わらせたってことは、私が来たから工事を急いだって可能性が高いわね。これは何かしら、伝票?」
台帳の最後には、建築資材の調達伝票らしい紙片が何枚か綴じ込まれていた。
「これは基礎に使うコンクリートの伝票ね。どれどれ......んん?」
調達した砂利の量に対して、セメントの量が明らかに少なかった。
「もちろん、他の現場から余ったセメントを持ってきたって可能性もあるけれど......この通りで造ったなら、かなり脆い基礎ができてそうね」
そして浮いたセメント代は誰の懐に入ったんだろう?
「こっちは材木の伝票みたい......これも変な伝票」
コンクリートの伝票と違って、調達に掛かった金額が書かれていなかった。単価も、費目ごとの小計も、合計額も一切ない。
「しかも調達業者がどこかも書かれてないわ。住所だけ......北ウィルトン
エリシアン・フィールズの資材倉庫だろうか。後で見に行ってみよう。
事務所の建物から出た私は、資材置き場に積まれた木材の山を見て回っていた。その内私は、奇妙な違和感に気付いた。
「......この木材、塗装してある。普通、壁の中に入っちゃうような木材にわざわざペンキは塗らないわよね?」
塗料代の無駄遣いだ。コンクリートの伝票を見る限り手抜き施工をしているのに、ここでは変な無駄遣いをしている。
しばらく資材置き場を見て回ったところ、木材の塗装場――変な言い回しだ――らしいところを見つけ出した。白ペンキの缶が山積みになっている。
「ここで木材を塗ってるのね......未塗装の木材もある」
月明かりの下で、まだ塗られていない茶色の木材を眺めていると、白い何かが私の目を引いた。
「......? 元々何かが書いてある?」
白いステンシルの文字だった。
――大道具部資材 非建築用
「......これって」
「何かお探しかな、お嬢さん」
突如背後からかけられた声に、私はぱっと振り向いた。月明かりの下で、緑色の背広に身を包んだ男が、にやにや笑いを浮かべて立っていた。両脇に屈強な、これも背広姿の男を二人従えている。
私が二の句を継げないでいると、その二人が口を開いた。
「あんたみたいな私立探偵は、もっと利口で口が回るんじゃないのか」
「見たところ、
「......ご用件は?」
男たちは三人とも拳銃を持っていた。45口径コルト・ガバメントだ。
一方の私はというと、32口径コルト・ニューポケットはポンティアックに置いてきてしまった。右の
状況把握で余裕がなかった私の返しに、緑の背広の男はへらへらした笑いを浮かべたまま言った。
「そう急がなくてもいいじゃないか。どこか、行くべきところでもあるのかね?」
「......ええ、あなたのママの浮気調査に」
この状況で可能な限り、余裕そうな笑みを浮かべて――たぶん、かなり引き攣った笑みになっちゃっただろうけど――私はそう言った。
男は笑みをかき消して、コルトを私の方に向けて言った。
「それくらいにしておけよ、お利口さん」
「あら、そうまでしなくてもいいじゃない。私はちょっと......侮辱しただけよ」
両手を上げて、掌を広げながら続ける。
「それとも、口くらいしか武器がない女に抵抗する方法が、銃くらいしか無いのかしら?」
「言わせておけば!」
男は一歩踏み込んで、銃を持った手で私をひっぱたこうとした。私はさっと腰を下ろしてビンタを避けると、飛び上がりながら左の掌を男の顎に押し当てた。
「がっ!?」
上下の前歯がぶつかりあう音が聞こえて、緑の背広は尻餅を着いた。男は持ってたコルトを取り落としたけれど、私は拾わなかった。45口径は私じゃ扱えない。
その代わり、しゃがんだついでにスカートの下から自分のベストポケットを取り出しておいた。それを掌の中に隠したまま、茶色の背広に突進した。
「このクソアマァ!」
他の男たちは肉弾戦になるのを予期してか、自分たちの拳銃を上着の下に仕舞っていた。私には好都合だ。
繰り出された大砲みたいな右ストレートをギリギリで避ける――相手の拳や足がどこに飛んでくるかを見極めて、適切に避けられるよう訓練するのは、私みたいな非力な探偵にとっては重要な護身術だ――と、懐に飛び込んで相手の腹に一発、
――パァン!
小口径銃特有の甲高い銃声が響くと、男はうめき声をあげながら倒れ込んだ。
「くそっ、こいつ銃を......!」
最後に残った黒い背広が、懐から再び45口径を取り出そうとしている。私は素早くそっちに銃を構え直した。大丈夫、私のほうが早......
――バァン!
「......え?」
男が銃を抜くよりも先に、左の方から重い銃声が響いた。同時に私の左足から力が抜けて、私はその場に崩れ落ちた。
「ぐ......ぁぁぁああああああ!!!!」
左の太腿からすさまじい激痛が這い上がってきて、私は絶叫した。
目の端に、さっき掌底を喰らわせた緑の背広がやってくるのが目に映った。入りが浅かったか。
男は手にしていた角材を振りかぶった。避けたい。でも、左足が動かない。角材は結局、私の脳天ではなく、なんとか避けようと仰け反った私の顔面に振り下ろされた。
意識が途切れる直前に、ぐしゃりと何かが陥没した音が聞こえた。