「おい、それくらいにしておけ」
動かなくなった女探偵の腹にしつこく蹴りを入れていたガーフィールド・ヘンダーソンに、ドン・キャラウェイは声をかけた。
「俺は自動車を取ってくる。お前はウォルターの様子を見ておけ」
「わかった」
ヘンダーソンが、さっき探偵に撃たれたウォルター・タイラーの方に向かうのを見届けて、キャラウェイは緑の背広の裾をひるがえして立ち去った。
数分後。探偵を
ヘンダーソンはタイラーを連れて、もう一台のキャデラック――47年式のツーリングセダン――で医者の所へと向かった。すぐ死にはしなさそうだったが、治療が必要なのは確かだった。
電話機から受話器を取り上げて、ダイアルを廻す。相手はすぐに出た。
「こんばんは、モンローさん......ええ、始末しておきました。今はトランクの中です......そうですな、ヘッヘッヘッヘ」
相手の冗談に品のない笑いを返してから、キャラウェイは続けた。
「で、彼女はどうされます?......ええ、いい場所を知ってます。グリフィス公園の丘で......では、その通りに。おやすみなさい、モンローさん」
キャラウェイは受話器を置いて、現場事務所を後にした。
「うぐっ......ああああ」
何人かにリンチされる夢を見た。これが夢の中かって程の痛みが私を襲って、なんとかそこから逃れて目覚めた私を待っていたのは、現実の激痛だった。
「うっ......げえええぇぇぇ.....」
真っ暗な中で、私は地面に吐き戻した。マットが敷いてある地面に、びちゃびちゃと音を立てて胃酸が広がっていく。
マットに突いた両腕ががくがく震えて、身体が芯まで冷え切ったように寒い。ショック症状だ。
「げほっ、げほっ、げぇっ、はあっ......はあっ、最悪......」
えずきながらも、自分の置かれている状況をおぼろげながら把握して、私は小さくそう呟いた。
すごく狭い、箱のような場所。自動車のエンジン音、タイヤの回る音、排気ガスと、今吐いた反吐の臭い。言わずもがなだけど、血の臭いもする。目の前にはキャデラックのホイール・キャップが着いたスペア・タイヤ。
トランクの中で間違いない。
「くうっ......とにかく、この痛み、を......」
身体中が痛かった。撃たれたらしい左足も、殴られた右目のあたり――麻痺したように感覚がない――も、血がたくさん出てべとべとしている上、焼け付くように痛くて、またすぐに気を失ってしまいそうだった。
私はコートのポケットに手を突っ込んで、震える手でなんとか紙製の箱を掴み出した。封を破って、チューブを取り出し、キャップを外して先端の針を露出させる。
「げほっ、はあっ、本当にこれを、けほっ、使う日がくるなんて......」
ずいぶん前に、職場の不良社員から貰ったモルヒネ
霞む目でなんとか血管を見分けると、注射針を左肘の裏に刺して、中身を半分ほど絞り出した。
「はあっ、はあっ......ふーっ」
身体の奥から、じんわりと暖かさが戻ってくる感覚があって、入れ替わりに痛みがゆっくりと引いていった。完全に消えたわけじゃないけれど、とにかく動き回るのに支障が出るほどじゃない。
「機会があったら、彼にビールを奢ってあげなきゃ......」
ちょっとだけ楽観的な気分になって、私はそう呟いた。でもその為には、まずここから出なきゃいけない。
私はトランクリッドに背を付けると、ラッチに両手をかけて、満身の力を込めた。
「ぐううううううぅぅぅぅ......」
頭の中からピキピキと音が聞こえてくる。頭蓋骨にヒビが入ってたのかもしれない。左腿の痛みが再燃して、顎から首に血がだらだら伝う感覚がする。
「ぬぅああああああ!!!!」
がこっとラッチが外れて、私は走行中のキャデラックのトランクから転がり落ちた。
「その時、後続車に乗ってたのが、今のお隣さんだったの」
そう言ってアメリア・ワトソンは、話を1946年の冬から1947年の秋に戻した。
「強い人で助かったわ。あのごろつきを追い払って、私を医者のところに連れて行ってくれたの。右目とか名前とか、色々失くしたものもあるけれど......とにかくそれで今、私は生きてるわけ」
「なるほど......話の大筋はわかりました」
あたしはそう言って、手帳の縁を鉛筆で叩きながら続けた。
「いくつか質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「なぜ、あたしたちが検察から来たってわかったんですか? 捜査官
「あら、そんなこと?」
ワトソンさんは、さもおかしげに笑って続けた。
「簡単なことよ。私の主な依頼人は、下の階の弁護士なの。彼との世間話の中で、私は
「あー......」
あたしは言い淀んで、なんとも言えない返事を返した。このあだ名、嫌いなんだよね。
「あたしのことは、できれば下の名前でお願いします......次は保険の方について。この労災保険や、事故物件と周辺の家土地に掛けられていた火災保険は、ベンソン副社長が契約していたんですね? 実質的に」
「ええ。ベンソンが自分でそう言っていたし、外交部でも確認を取ったわ」
「労災保険については、あたしもベンソン副社長から同じことを聞きました。でも動機は?」
「私も動機はわからなかったわ。先日までは」
そう言うと、ワトソンさんはデスクの側に立ってたポルカに左目を向けた。
「ポルカさんだったかしら。そこの新聞を取ってくれない? 3日前のインクィジターを」
「えーっと......これか。どうぞ」
ポルカはファイルが山積みのデスクから、新聞を見つけ出して手に取ると、ワトソンさんに渡した。
「ありがとう。問題はこの一面記事よ、ランチョ・エスコンディードの火事」
「ああ、ポルカもそこ、見に行きましたよ」
ポルカから聞いた話によれば、そこにも手抜き施工の痕跡があったらしい。脆いモルタル煉瓦の壁は、壁繋ぎもされてなかったとか。
「火事で焼ければ、カリフォルニア火災生命が再調達価額に応じて保険金を支払うわ。でも実際の再調達価額はもっと安いから、差額が生じる。それが誰かさんのポケットに行き着き、一部はこのクソ保険に署名したベンソンにキックバックされる。そんなところじゃないかしら」
「なるほど。説明はつきますね」
あたしはそう言って、メモ帳に鉛筆を走らせていた。そこにポルカが質問を重ねる。
「労災保険の方は?」
「ある種の口封じじゃないかしら。事故自体は偶然起きたものだと思う。でも、手抜き施工や低品質の建材が理由だなんて、言えないでしょう?」
「なるほど。死んだ大工に責任を押し付けて、文句を言いそうな遺族は多額の労災保険金で黙らせる、ってことですか?」
「恐らく」
「ふむ......筋は通ってますね」
メモ帳を眺めながら、あたしはしばらく考え込んだ。差額が行きつく先は、モンロー社長のポケットで間違いないだろう。一度ピーターセンに報告を上げておくべきかもしれない。
「ご協力ありがとうございました、ワトソンさん。では、あたしたちはお暇を......」
「ねえ!」
あたしがソファから立ち上がると、ワトソンさんも大きな声を上げて、弾かれたように立ち上がった。
「......何か?」
「いえ、その......」
ワトソンさんは何度か唇を舐めると、逡巡を振り切るように言った。
「私も一緒に行っていいかしら。いえ、一緒に行かせて」