私はそのアパートメントの外階段を上る間、杖をついてない右手でスカートを握りしめていた。そうでもしないと、右手が制御できないほどに震えてしまいそうだったから。
今まで、連中は私の尻尾を掴めずにいた。私が死んでないのはわかってただろうけど、どこで何をしてるかまでは掴んでなかったはずだ。でも、今日からは違う。
アメリア・ワトソンは生きている。
アメリア・ワトソンはロサンゼルスにいる。
アメリア・ワトソンは連中を嗅ぎまわっている。
それを知らせることになるのだ。帰ったら例のごろつきたちが事務所で待ってた、なんてことさえあり得る。怖くないわけがない。
でも、他に道はない。一生リンディ・ウィルソンで通す手もあったし、実際諦めてそうするつもりでいたけれど、機会が巡ってきた以上、それを見過ごすなんてできっこない。
覚悟を決めろ、アメリア・ワトソン。
「日曜の朝っぱらだけど、いるかな......大丈夫か、アメリア?」
「え?」
二階の外廊下に出たところで、ポルカからそう声をかけられた。その目は、私の右手を見ている。
私はスカートから手をはなすと、皺の寄ったところをぱたぱた叩きながら返した。
「ええ、ええ大丈夫。それと彼ならいるはずよ、駐車場にキャディがあったから」
「そっか」
長くない廊下を歩いて、突き当りの2号室のドアに行きつくと、ノックしようと腕を上げたポルカに言った。
「待って。私にやらせて」
「......わかった」
ポルカは大人しく、ドアの蝶番側に身を引いてくれた。玄関先に見知らぬフェネックが立っているより、私が立っていた方がいいサプライズになるはずだ。
ほうっと一つ息を吐いてから、私は目の前のドアをノックした。
ドアの向こうから歩み寄ってくる足音、錠を外す音、そしてドアがさっと開いた。
「こんにちは、カーチス!」
「......アメリア」
カーチス・ベンソンの容貌は、まるで変っていなかった。最後に見た紺色の背広ではなくて、青緑色の室内ローブ姿だったけれど。
ベンソンが私を見た時の顔と言ったら、傑作だった。幽霊を見たような、って正にこんな顔のことを言うんじゃないかしら?
彼はしばらく口をパクパクさせてから、ようやく意味のある言葉を捻りだせた。
「来てくれて嬉しいよ。でもその......今は都合が悪いんだ。また後日来て――」
ベンソンは言い終わる前にドアを閉めようとしたけど、それより先にポルカが出てきてドアを思いっきり蹴り上げた。
「があっ!」
跳ね返ったドアがベンソンの顔面に直撃して、彼は鼻を押さえながらよろよろ後ずさった。その隙にポルカが玄関に上がり込み、私もその後に続く。
「な、なんだ君は、無礼だぞ」
「尾丸捜査官補、
ポルカが捜査官
「ちょーっと質問したいことがありましてね、ご協力いただけますよね?」
「この、何様のつもりだ、メス畜生」
鼻血を押さえるためにふがふがしながら、ベンソンはポルカに言い返した。
「その
言い終わる前に、ベンソンのお腹にポルカの拳が軽く当てられた。鼻から息を吐いたらしく、鼻血を指の隙間からほとばしらせながら、ベンソンはよろめいてソファの一つに座り込んだ。
「じゃ、そこで大人しくポルカの質問に答えてくださいね、ベンソン副社長。アメリア、室内を見て回ってくれる? そこのデスクとか」
「わかった」
言われる前からもう、私はそのデスクに歩み寄っていた。卓上には書類がたくさんあって、足元には彼が通勤の時に使っている
そしてその書類の一番上の、いま書き上げたらしい一枚を手に取る。
「保険の契約書ね」
――カリフォルニア火災生命保険株式会社
カリフォルニア州 ロサンゼルス市
カリフォルニア火災生命社は、年額1105ドルの保険料支払いを条件として、ファウンテン通り5650番地の物件群ランチョ・エスコンディードの損害に対して、その損害の原因を問わず、二十二万一千ドルを上限として、エリシアン・フィールズ不動産開発会社に保険金を支給するものとします。
本契約は公証人立会の下、1947年二月26日に締約されました。
副社長
カーチス・ベンソン 署名――
インクの乾き具合から言って、今朝書かれたものらしい。こうやって契約をでっちあげて、外交部に押し付けてたわけだ。
「個々の火災保険だけじゃ飽き足らず、住宅街全体にも保険をかけてお金を取ろうって算段か。どこまでも欲の皮の突っ張った連中ね」
他にも作りかけの契約書がいくつかあったけど、大きな収穫とは言えなかった。
「さてと、この鍵のかかった抽斗には何を仕舞い込んでるのかしら?」
ちらっと背後を窺うと、ベンソンはポルカとの問答のために、こっちに背中を向けていた。好都合だ。
私はコートの内側を探って、ピックとレンチを取り出した。