「座って。横になって、楽にしたまえ......君はコートニーの友人、だったね?」
「そうです、先生」
「彼は君のことを、非常に気にかけていたよ」
「頭から離れないんです」
寝椅子の上で、男は顔を覆って続けた。
「あの時の事が、今でも瞼の裏によみがえってくるんです。まるで......まるで、頭の中に私の罪が詰まっているような......」
「気が楽になるものをあげよう、アイラ」
男の話を聴きながら、フォンテーンは部屋に置かれていた日本風の薬箪笥から銀色の皮下注射器とアンプルを取り出すと、アンプルを割って中身を注射器に吸い上げていた。そして注射器片手に寝椅子に歩み寄ると、そう言いながら彼の肘の裏の静脈に、注射器の針を沈み込ませた。
「君を旅に連れて行こう。過去への旅だ」
注射器の中身が男の静脈に解放されると、彼は長々と溜め息を吐いた。フォンテーンはゆっくりと立ち上がり、
「君のことを聴かせてくれたまえ。楽しかった日々のことを。笑っていた時のことを......」
彼は電話ボックスに入ると、
「先生、あんただよな、俺は戻るべきだって言ったのは」
受話器の向こうのフォンテーン医師は、すぐに相手が誰かわかったらしく、慎重に言葉を選びながら言った。
「炎がカタルシスをもたらすからだ。それによって、君は過去と向き合うことができるように......」
「家には誰もいないって言ったじゃないか」
「......処方した薬は、ちゃんと服用しているかね?」
「家には誰もいないって言ったじゃないか。なのに、家の中から悲鳴が!」
電話ボックスの中で、男は身悶えした。壮絶な最期の悲鳴を思い出し、後悔と罪悪感から、彼は電話をしている最中ですらボックスの壁に頭をぶつけていた。
「この状況は想定外なのだよ、アイラ。必要な処置は然るべく行われていたのだが......」
「家には誰もいないって言ったじゃないか!」
言い訳じみたフォンテーンの説明を遮って、男は受話器に叫んだ。
「あんたは、俺を殺す気か!」
「彼らの死は想定外だが、だが君は以前にも乗り越えたじゃないか......一度医院に来たまえ、その上で話を......」
「家には誰もいないって言ったじゃないか!」
その声は、もはや金切り声だった。
「平穏なんて、見つからないじゃないか!」
男は絶叫して、受話器を
「こんにちは、先生」
「アイラ......どうやってこの番号を知った?」
「先日はひどいことを言って、すんませんでした」
フォンテーンの質問には応じずに、電話の相手は続けた。
「俺はあんたのことがわかってなかった......でも、今は違う」
「そうかね。医院に戻ってきてはどうかな、アイラ?」
フォンテーンの口調には焦りがあった。対照的に、相手の口調は恐ろしいほどに落ち着き払っていた。
「今は人助けをしているんです、先生」
「混乱しているようだね、アイラ。君はもう、何週間も来ていないから......」
「もう混乱なんかしていませんよ、先生。俺は、みんなが一緒にいられるように手助けをしているんです」
「追加の料金を投入して下さい」
事務的な声で、電話交換手が割り込んだ。
「この世界は仮初めにすぎない......天国に行けば、みんなが幸せになれるんです」
「直に会って話そうじゃないか」
フォンテーンは焦りを隠せず、一人きりの書斎で椅子から立ち上がった。
「今、どこにいるのかね? そろそろ、火事は終わりにしよう。目標は達成したようだしな」
「火事は始まりにすぎないんです、先生。火事の後に、すべては綺麗に、正常になる......すべて消え去り、世界は更新されていくんです」
明らかな発狂の兆候を見せる患者に狼狽し、口を挟めないでいる精神科医に、男は変わらず平坦な、穏やかな口調で続けた。
「俺は自分の目標を見つけました......その機会を与えてくれた先生には、感謝しています」
言い終わるなり、電話は切れた。もはや自分の制御下に置けない狂人が、街に解き放たれてしまったことを悟って、精神科医は途方に暮れた。
「フォンテーン先生! 話し合いたいことがあります、今すぐに!」
「座りたまえ、コートニー。座って」
読んでいた医学書を閉じて、フォンテーンはシェルドンに患者用椅子をすすめた。シェルドンはそれに応じず、フォンテーンに食いつくように言った。
「郊外再開発基金について、知ってることを話してください」
一瞬、フォンテーンは面食らった様子を見せたものの、すぐに答えた。
「それは例の、退役軍人住宅への寄金の窓口になっている団体だが」
「なんで、僕の名前が執行役員に入ってるんですか!」
そう言ってシェルドンが示したのは、アメリアが彼に与えた登記簿の写しだった。
「厳密にはね、コートニー、君は主要出資者の一人なのだよ。まあ座りたまえ」
「でも、その家は偽物なんですよ、先生。彼らは保険金のために、家もどきを焼いてるんです」
フォンテーンは執務卓の後ろに回ると、ゆっくりとベルベットの執務椅子に腰を下ろした。
「それはまた、事実だとすればスキャンダラスな主張だな。なにか、論拠があるのかね?」
「......アメリア・ワトソンって言う、カリフォルニア火災生命の調査員が僕のところに来たんです。彼女の話は、嘘のようには思えませんでした」
フォンテーンが座ったのにつられてか、シェルドンも患者用椅子に腰を下ろす。フォンテーンは首を振って、シェルドンに言った。
「何と言うべきか......私も騙されていたようだな。黒幕が誰か、その調査員は言っていたかね?」
「モンローという、不動産開発業者だと言ってました。彼女は、辿れば市長まで行きつく、と」
「それで、私も関与している、と。そう思っているのかね?」
「......もう、何を信じていいかわからないんです」
シェルドンが顔を覆うと、フォンテーンはゆっくりと執務椅子から立ち上がった。彼の手には、執務卓の下に固定されていた皮下注射器が握られていたが、顔を覆っているシェルドンがそれを目にすることはなかった。
「あなたが関与していないことを願うばかりです、先生」
「......信頼してくれてありがとう、我が弟子よ」
そう言うなり、ゆっくりと背後に回りこんでいたフォンテーンは、皮下注射器をシェルドンの首に突き立てた。
「大人しくしろ、コートニー!」
精神病患者を扱うだけに、フォンテーン医師の腕っぷしは見かけによらず強く、彼は左腕でシェルドンの抵抗を退けながら、頚静脈にモルヒネを注射した。
「君の悩み事も、これで解決だ......安心しろ」
モルヒネが彼から呼吸を奪い、その心臓を止めるのを見届けながら、フォンテーンは冷徹な顔でそう言った。
「貴様のくそったれ飼い狂人が、私の家を焼いておるのだ!」
「声を抑えよう、リーランド」
周りの耳を気にするように、小声でフォンテーンが続けた。
「制御下に置き続けることが、もっとも重要なのだよ」
「声を抑えろだと? ここでの昼食に、いくらかけていると思ってるんだ。くそくらえ!」
「リーランド、この話を公共の場でしたところで、解決はしない。むしろ絞首台への道程が縮むだけではないかね?」
「あの白痴は貴様のだろう、リーランド。制御下に置くか、それができないなら処分することだ」
「処分すると言えば、私はちょうど若き弟子を処分したばかりなのだがね」
「何だと?」
意表を突かれたらしく、モンローの声が低くなった。
「君は......思っていた以上に冷徹な人物のようだな、ハーラン」
「彼のところに保険会社の人間が来たらしくてね。その人物は、ノルマンディー通りの件を知っているようだが」
フォンテーンは一枚の名刺を取り出して、テーブルの上に滑らせた。それはアメリアがコートニーに渡したもので、死んだコートニーの財布からフォンテーンが抜き取ったものだった。
「ああ......こいつのことは知っている」
モンローが名刺を見ながらそう呟くと、フォンテーンは詰め寄るように言った。
「なのに、私に知らせる必要性は感じなかったのかね?」
「私の方で対処できると思ってね」
「できたのかね?」
「いいや、まだだ」
フォンテーンは再び名刺に目を落とすと、少し考え込んでから続けた。
「彼女はベンソンの従業員のようだが、彼は信頼できるのかね?」
「いいや信頼できない」
モンローは即答した。
「だが彼には悪癖があってね、こちらがそれを掴んでいるかぎり、あの変態は我々を裏切れない」
「ワトソンは、任せてもいいのだね?」
「調子に乗るなよ、ハーラン」
モンローは再び、葉巻をフォンテーンに突き付けて言った。
「貴様は狂人を始末しておけ、奴はもう要らん。アメリア・ワトソンは私が面倒を見る」