「そろそろお帰りになって、刑事さん」
「ええ、そうしますよ。どうぞお二人の時間をお楽しみくださいね」
フブキは最後まで挑発的な姿勢を崩さなかった。
「私は仕事に戻るよ、ローナ」
その挑発を正面から受ける気は無いと見えて、サボさんもウチたちの後から家を出るようだ。
といっても、ウチたちが外に出た途端にパティソン夫人はものすごい音を立ててドアを閉めたけど。
「フブキ?」
フブキはしっぽをゆらゆらさせながら、路肩に駐めた新しいパトカー――警務主任にとても怒られた――の方に歩いていく。考え事に夢中で聞こえていないようだった。
「KGPLから2K11。2キング11、
パトカーに戻ると、無線機がガーガー言いながら呼び出しをしていた。どうやら結構前から繰り返し呼び出していたようだ。
ちょっと申し訳ない気分になりながら送話器を取る。
「2キング11です、
「2K11、検屍官から伝言があります。オオカミ刑事、至急中央
「2K11了解。KGPL、いまから霊安室に向かう旨、検屍官に通報願います」
「KGPL了解。以上KGPL」
送話器を置いてフブキの方を見ると、運転席に座ったまんまエンジンもかけずにまだ考え事に没頭していた。
「おいフブキィ!」
「うにゃあ!?」
しっぽをキュッと捕まえると、フブキは思った通りの反応を返してくれた。
「ミオ、いきなりは反則だよぉ!」
「うるせえ! それより無線通話聞いてた?」
「いや全然」
ウチが黙って視線をしっぽに向けると、フブキは慌てたように足の間にしっぽをはさんで抱きかかえた。
「ごめん、ごめんて! だからしっぽは、」
ウチの視線の移る先を追いかけて、
「耳はもっとダメェ!そ、 それで無線はなんて言ってたの!?」
「ん、検屍官が霊安室に来いってさ。解剖報告があるって」
「書面じゃなくて口頭で?」
「みたいだねえ」
運転中は考え事するなよ、とエンジンをかけるフブキに釘を刺しておいた。
――ロサンゼルス郡
"凡て労する者・重荷を負うもの、われに来たれ、われ汝等を休ません" マタイ 11:28――
駐車場には白い救急車と黒い寝台車が並んで駐まっていて、警察からの通報を待っている。
通用口近くのスロットにフォードを駐めると、ウチたちは剖検室に向かった。
「うーん......」
「ミオ、どうした」
「いや、ここに来るといっつも変な気分になるんだよねえ」
死体保冷庫の並ぶ安置室にちらっと目をやってから続ける。
「なんていうか、気配が多すぎる気がするんだよね。ここの職員さんってそんなに人数いないはずなんだけど、気配が濃密っていうか......」
「ミオ、待った。それ以上が白上がダメだ」
見るとフブキの顔が、髪の毛と同じくらいまで真っ青になっていた。
「白上も似たようなこと感じてたけど、言葉にしちゃダメな気がする」
「わかった......」
そこから建物の一番奥にある剖検室に着くまで窓のない薄暗い廊下を、ウチたちは一言も喋らずに辿った。
「死因は衝突ではなかったよ」
カラザース検屍官はウチたちが剖検室に入るなり、前置きなしに言った。解剖台の上の、Y字切開を縫い直した痕の残るレスターさんに手を向けて続ける。
「自動車とぶつかった時にはもう死んでいたようだ。右胸郭に刺創が二つあった。うちの一つが心臓まで達していて、それが死因だろう」
「彼は刺殺された?」
フブキがレスターさんの顔を見ないようにしながら聞いた。レスターさんには洗浄と清拭が施されていて、路面にえぐられた顔は現場で血に塗れていた時よりもむしろグロテスクさを増していた。
「長くて鋭いナイフに一票だ。銃剣くらいの刃渡りだな」
「じゃあひき逃げは騒ぎは死因を隠すための隠蔽工作ってこと?」
「自動車の
幅が違いすぎる、と言って検屍官はレスターの胴体に残る傷を指した。確かに、リンカーンのバンパーが作った大きな刺し傷の中に二つ、細い傷が混ざっている。
「非常に近い距離から刺されたのは間違いない、どちらの傷も刃先が上を向いているからな。そのあとで、自動車の前に押し出されたようだ」
とても賢い、とレスターさんにリネンの覆いをしながら検屍官は言った。
「現場では見落としたよ。
「レイズ・カフェに戻ってみようか」
駐車場に出て、霊安室に充満する死の臭いと濃密な気配から解放されると、フブキがほっとしたように言った。ウチも大きく深呼吸をする。霊安室内の、
「捜査は現場百遍ってね」
「フブキ、それどこで聞いたの」
「......忘れた。たぶんビコウスキー刑事が言ってたんじゃないかな」
ビコウスキー刑事と聞いて、ウチの心の中にちょっとしたモヤモヤが生まれた。あの人がいい刑事なのは間違いないんだけど、とにかく手が早い人らしい。署内の噂話によると、手は早いんだけど軽薄すぎる物腰から総じて女ウケが悪くて、手を出すそばから振られまくっているのだとか。
目下、ビコウスキー刑事は席が前のフブキにちょっかいをかけているけど、当人はまるで興味がない(というか、言い寄られていることに気付いてないのかも)感じで実らずにいる。
ウチの心の中のモヤモヤがフブキに対するどういう感情なのかは自分でも計りかねているけど、あまりいい気分ではない。
そんなウチの胸中など露知らず、フブキはなにやら鼻歌を歌いながらパトカーをレイズ・カフェへと走らせた。
レイズ・カフェ前の道路は封鎖解除されていて、フブキは
「うん?」
フォードから降りるなりウチを、というかウチの鼻を違和感が襲った。すんすんと鼻を動かすと、フブキもその真似をして辺りの匂いを嗅いだ。
「......血の臭いがする」
「ここは現場だから血の臭いがしてもおかしくはないんだけど......」
フブキはそう言いつつも、臭いを辿ってバーの横手の方へ歩いていく。
「うえ、この中かあ」
生ゴミ溢れるゴミ缶を前に二人で顔を顰める。
「わかんないよミオ、表通りまで臭ってるし案外この新聞の下とかに......わーお」
「幸運きーつね、だね」
フブキが新聞をめくると、その下から血塗れの包丁が現れた。フブキが手に取る。
「包丁かと思ったけどステーキナイフみたいだね。ステンレス製で、目下血塗れと」
「薄さから言ってもこれで間違いなさそうだねえ。検屍官に手土産ができたよ」
「それと、看守係のお客さんもね」
二人でバーに入ると、思った通りサボはカウンターの向こうにいた。
フブキが声を張り上げる。
「リロイ・サボ! レスター・パティソン殺害の疑いで逮捕......」
「そうはならんぞ、畜生ども!」
言うなりサボはカウンターの下から
「このお!」
ウチは身を起こすと、裏口を蹴破って逃げ出したサボの後を追った。
「待てえ! このおたんこなす!」
あんまり刑事っぽくないウチの罵声に、サボは後ろ向きに一発撃って返事をした。大して狙いを付けていなくて、
「おぉっと、それは悪手だよお」
裏路地の階段を昇って行くサボを見て呟く。
深く膝を曲げると大きく飛び上がって階段の最上段、サボの背後に降り立った。着地で再び曲げた膝を生かして、今度はサボの腰を狙ってタックルを喰らわせる。
「うわっ」
サボはウチ諸共裏路地の汚い地面に倒れ込んだ。
じたばたと抵抗をやめないサボの脇腹に一発喰らわせて後ろ手に手錠をかける。
「大人しくしろ! リロイ・サボ、さっきの容疑に加えて逮捕への抵抗で逮捕します!」
「私は君たちにひき逃げ事件を任せたわけだが」
サボに続いてパティソン夫人を逮捕してレイズ・カフェに戻ってくると、カウンターに座っていたレアリー警部が立ち上がって言った。
「君たちは保険金詐欺と共同謀議、それに第一級殺人にして返してくれたわけだ」
ニコニコ笑ってウチとフブキの肩をバンバン叩いて続ける。
「これこそ刑事の仕事ってやつだよ。いい仕事をしたなお二人さん」
褒められてとてもうれしかったけど、当直明けの眠気がどっと来て返すべき言葉が見つからなかった。
フブキがなんとか口を開こうとすると、警部はふと壁の時計を見上げて言った。
「二人とも当直明けだったな。今日はもう帰って寝なさい。書類は明日でよろしい」
ウチたちはありがたく、現場保存のために再び封鎖されたレイズ・カフェを後にした。
A Marriage Made in Heaven -Case Closed-