診察室の床の上には、色々なものが散らばっていた。書類の大部分は、壊れた見晴らし窓から吹き込んだ風で、執務卓の上から飛ばされたんだろうと推測が着いたけど、
「血痕は......ないな。少なくとも、ミオがこの太刀で殺されたりしたってわけじゃなさそうだ」
もちろん、ミオが確実に生きてるってわけでもない。床の上に転がっているフォンテーンの首の角度を見るに、ミオも同じようにして死んでるって可能性は――考えたくないことだけど――依然として残っている。
「......? この
床にはたくさんの書類やフォルダーが散乱していたけど、そのマニラ紙の書類挟みはくしゃくしゃに皺が寄っていた。まるで誰かが握りしめたみたいだ。
開いてみると、綴じ込まれている一枚目はメモ用紙だった。エリシアン・フィールズ
――エリシアン・フィールズ不動産開発会社
ロサンゼルス市 北オックスフォード通り748番地
ハーラン、
以前話していた、私の転居プログラムの遅滞に関する解決策について、検討した結果君の案を採用しようと思う。
君と君の"協力者"の助力を仰ぎたい物件を、一覧にして同封している。指定の日付に沿って行えば、君の提案通りに事が進むはずだ。
よろしく頼むよ。
リーランド・モンロー――
メモの下に綴じ込まれているのは、同じレターヘッドが押されたタイプライター用箋で、苗字と住所、そして日付が1ダース程羅列されていた。これが"同封の一覧"とやららしい。
「ステファンズ、ソイヤー......モレッリの名前も載ってる。つまりこれが、自分の家を売るのを渋ってた人たちってわけか」
四人家族が死んだソイヤーさんのところには、赤いインクで大きな書き込みもあった。
――誰の責任? カーチスに確認すること
リストをめくると、三枚目には一枚目と同じメモ用紙が綴じてあった。一枚目と違ってインクは赤で、走り書きも自制を失った右肩上がりになっている。
――ハーラン、
君から聴いていた話と違う。君の"協力者"は明らかにやりすぎだ。
奴を制御下に置け。それができないなら、私の方で必要な措置を講じざるを得ない。
リーランド・モンロー――
「モンローは焦ってたんだ。死人が出て、注目も集まりだしてたから。その上"協力者"も暴走し始めてた、と」
この"協力者"は放火犯本人と見て間違いないだろう。それまではエリシアンのお膳立てで無人になった家を焼いてたのに、ソイヤーさん一家を家ごと焼いてしまって暴走し始めたんだ。
最近の、
「四枚目は......これはカルテか」
――ハーラン・J・フォンテーン
医学博士 精神科専門医
アイラ・ホブグームの診療報告書
1947年8月15日
経歴:
1910年オクラホマ州生まれ。一家は小作農として生計を立てていたが、'30年代の黒い吹雪によって農地を失い、カリフォルニアに移住した。
開戦まではガス器具工として働いていたが、1942年に徴兵され、第六海兵連隊に配属された。従軍中は火器小隊に所属し、陸軍規則第615-360号第8節に基づき除隊されるまで、小銃小隊に随伴する火炎放射器手を務めていた。
症状の類型:
戦争神経症、フラッシュバック、注意障害及び睡眠障害の兆候を確認している。この他患者は視野喪失、頭痛、頻呼吸、頻脈及び発汗亢進を報告している。
記憶と現実の混同が見られ、しばしば民間人を焼殺した際のトラウマ(問診記録4-Aを参照のこと)に関する幻視が見られる。
初期の問診においては、炎に対する異常な恐怖、及び執着が確認された――
「アイラ・ホブグーム......この人が放火犯か」
カルテには投薬治療を行った結果、症状が悪化したものの、問診を増やし、医師による"社会奉仕活動"を命じることで安定した、とも書かれていた。
「社会奉仕活動ね......物は言いようだなあ」
どう言い聞かせていたのかわからないけど、これがたぶん放火のことだろう。
――予後:
患者は執筆時点において、投薬治療と問診によってこれらの症状を抑制下に置いており、安定した状態にあると言える。
しかしながら小医の意見としては、処置の緩和を行うべきではないと考える。執筆時点での緩和は、患者の精神状態を昂奮させ、全く新しい反社会的な思考の発生に直結する危険があるためである。
ハーラン・J・フォンテーン 署名
「この点では、フォンテーンの考えも間違ってなかったみたいだね。彼がどう考えてるにしても、無差別な放火を続けてる以上、"全く新しい反社会的な思考"に陥ってる可能性が高そうだ」
最後の一枚は、彼のトラウマに関する問診記録だった。私は執務卓の縁にお尻を下ろすと、その記録をじっくりと、何度も読んだ。
ホブグームが随伴する小銃小隊は、無数にある"ガマ"と呼ばれる壕の一つに突入した。これらの壕は日本兵が立て籠っていることが多かったため、制圧してまわっていたのである。
ホブグームが火炎放射器で焼き払って露払いした壕に入ってみれば、そこで焼け焦げ断末魔の呻きを上げているのは、ほとんどが女性と子供だった。
「どうするんですか、中尉! くそ、こいつらまだ子供ですよ!」
「喚くのはやめろ! 考えさせろ!」
蛋白質の焼け焦げる臭いにむせ返りながらマクゴードリック軍曹が叫ぶと、小隊長自身も喚くような甲高い声で返した。
「考えたってどうにかなるもんか、この狂人め!」
衛生兵のシェルドン上等兵が、軍隊的な礼儀を全部かなぐり捨てて叫んだ。
「もうだれ一人として助かるような状態じゃないぞ!」
「......苦しみを終わらせてやれ。我々は、人道的にここから立ち去らなくては」
「なら自分の手を汚せよ、フェルプス! もうモルヒネは品切れなんだ!」
「うわああああああ!」
呆然と立ち尽くしていたホブグームが、突如として雄叫びとも悲鳴ともつかない絶叫を上げて、地面に突っ伏した。喉が張り裂けんばかりに叫び続けるホブグームを、海兵隊員二人が両脇を抱えて壕から運び出して行く。
それを見ている海兵隊員たちに、小隊長が重ねて命じた。
「彼らを苦痛から解放してやれ......やれ! これは命令だ!」
命令されれば、遂行するのが軍隊である。彼ら自身の思惑はさておき、彼らは苦しむ子供たちに銃口を向け、引き鉄を引いた。銃声が響き、悲鳴が一つ、また一つと減っていく。
シェルドンも
フェルプス中尉は悲鳴を上げるでもなく、咳き込むような音を立ててその場に崩れ落ちた。
「......すぐにここから出るぞ」
突然の反乱行為に誰もが唖然とする中、一番最初に声を上げたのはジャック・ケルソー曹長だった。
「急げ! そこの二人、フェルプス中尉を救護所まで運ぶんだ。工兵班は二分以内に入口を爆破しろ。ここで起きたことは一切口外無用だ、いいな!」
ケルソーは全員が退出するのを見届けると、一番最後で小隊長の肩の片方を支えていたシェルドンに駆け寄り、その手から拳銃を奪って言った。
「もう何も訊かん。だからお前も何も言うな、いいな?」
やがて爆発音が轟き、死者だけが残された壕が永久に閉ざされた後もなお、壕の中を死体の燃える炎が明々と照らし続けていた。