H.L. Noire   作:Marshal. K

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Armed and Dangerous #3 ~Interval~

 

 うぅ、緊張する......

 

 官庁街(シビックセンター)にある郡裁判所庁舎(ホール・オブ・ジャスティス)の前に立って、私の胃は鉛でも飲みこんだみたいに重くなっていた。

 裁判所はくすんだ緑色の屋根を持つどっしりした石造りの建物で、どんより曇った空を背後にこちらを睥睨するように建っている。ずらりと並ぶ細長い窓のどれかが、昨日電話してきた不知火とかいう捜査官の事務室なんだろう。

 正面玄関には大勢の人が出入りしている。制服姿の巡査、副保安官、廷吏。私服を着ているのは刑事か検察捜査官か書記か。あるいは証人や傍聴人や、単に公職者に用がある議員の使い走りかもしれない。

 そんな混雑した玄関に入ろうとしてとぼとぼ石段を上っていると、鼻が懐かしい匂いをとらえた。

 

 ずっと会いたくて、でもずっと避けていたその匂いの主は......

 

「ミオ!」

「フブキ......」

 

 ミオが石段を下りてくるのを目にした瞬間、もう我慢できなくなってしまった。

 他の人たちを半ば突き飛ばすように押しのけてミオのところに走り寄ると、戸惑うミオに思いっきり抱きついた。

 

「会いたかった......会いたかったよミオぉ」

「フブキ、それなら......」

 

 ミオは何か言おうとしたけど、それを飲み込んだ。

 不思議に思って見上げると、ミオにしては珍しい、なんだか気まずそうな顔をしている。

 

「ね、フブキの聴聞って10時から?」

「うん」

「多分30分かかるかくらいだと思うから、ウチあそこの喫茶店(カフェ)で待ってるね」

 

 市役所の向かいの喫茶店(カフェ)の屋号を挙げて、ニッコリ笑って言った。

 

「久しぶりにちょっとお茶しよっか」

 

 

 

 

 

「白上巡査です。聴聞に来ました」

「シラカミ、シラカミ......ああ、シラヌイ捜査官ですね。奥の昇降機(エレベーター)で5階まで上がってください。降りてすぐ右手が捜査官の事務室です」

 

 受付の廷吏が帳簿をパラパラめくってから、横の薄暗い廊下を指して言った。

 その方向へ歩いて行くと、これも薄暗くて人気のない昇降機(エレベーター)ホールに着いた。ドアの開いている無人の(ケージ)に乗り込んで、階数ボタンを押してから運転ハンドルを廻して作動させる。"業務用"と書かれたドアが甲高く軋みながら閉まって、ガタガタ揺れながら私を5階まで運び上げた。

 

 業務用昇降機(サービス・エレベーター)の真横にある事務室のドアは大きく開け放たれていた。磨りガラスの窓にステンシルで"捜査官 フレア・シラヌイ(Inv. Flare Shiranui)"と書かれている。

 ドアをノックしようとした私は息をのんだ。

 デスクの後ろに座っていたこの部屋の主はとても美しいハーフエルフだった。レギュラーコーヒーのような褐色の肌に、名前を体現するような深紅の目。細い窓から射し込む陽光を受けて、肩甲骨辺りまで垂らされたブロンドの髪がきらきら輝いている。

 ピンと尖ったエルフ特有の耳がピクッと動いて、それまで書類の文字を追いかけていた目がこちらを向いた。

 

「白上巡査?」

「ふひゃい!? ......はい、白上です」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ捜査官の目の奥に面白がるような光がきらめいて、すぐに消えた。

 

「どうぞおかけになって。あ、ドアを閉めてください」

 

 デスクの前の客用椅子――硬い木製で、座り心地はよくない――にかけると、ハーフエルフの捜査官はデスクの横に置かれたテープレコーダーのスイッチを弾いてから言った。

 

「記録開始。998事案に関するロサンゼルス市警察官に対する聴聞。記録番号、998-470008。聴聞官は不知火フレア捜査官、地方検事局(LADA)。当事者は白上フブキ巡査、ロス市警(LAPD)――」

 

 

 

 

 

「――以上で聴聞を終了します。処分については後日送達で通知します。不知火捜査官、記録終了。お疲れさまでした」

 

 聴聞は拍子抜けするほど簡単に終わった。

 数日前に受けた監察官聴取は誘導尋問のオンパレードで、調書の内容が私の有利にしかならないようにされていた。もういっそ清々しいまでの身内びいきだったけど、あそこまで露骨だとちょっと肩身が狭くなってしまう。

 この聴聞は聴聞で事件の上っ面を撫でるだけのようなもので、"手続きのために"やっているのが明白な感じだった。

 要するに、こんなに気負う必要はなかったんだ。

 

「あの、捜査官?」

「はい、なにか」

「預かってほしいものがあるんです」

 

 ハンドバッグから手帳を、あの日シュローダー邸から持ち帰って以来肌身離さず持っている賄賂目録のメモを取り出すと、不審げな捜査官のデスクの上に置いた。

 

「これは?」

「エロール・シュローダーという人物が付けていた賄賂目録です。彼はいま、殺人事件の被疑者として起訴陪審を待っています」

「でしたら、これは担当刑事に渡すべきですね。私ではなく」

「担当刑事はローズ刑事です。その目録に名前のある」

 

 

 

 

 

「落とし前をつけさせたい、かあ」

 

 そう言った、キツネ系獣人の巡査がさっきまで座っていた客用椅子を眺める。本人はたった今、ガタガタいう業務用昇降機(サービス・エレベーター)で帰路に就いたところだ。

 手帳のページをぱらぱらめくってみる。

 

「ロッシ、こいつは殺人課だったかな。テイトとカプランは中央署の巡査か。サマーズは確か刑事だったはず。火災犯課だったかな......」

 

 他にもこの庁舎内で見知った名前――副保安官や廷吏――をいくつか見つけた。

 溜め息を吐いてこめかみを揉む。

 

 これだけでローズ刑事を追及するのは難しい。逮捕や起訴なんか論外だ。

 それでも私はあの白上巡査の、とてもまっすぐな視線に心を打たれてしまった。そのまま鵜呑みにするのは危険だけど、あの訴えかけるような視線を受けたらなにかしら行動を起こすべきだと、そう思ってしまう。

 "落とし前をつける"だけなら何とかならないこともない。私一人では無理だけど。

 

 私は事務椅子から立ち上がると、部屋を出て階段に向かった。

 2階上に上がって廊下を歩き、目的の執務室のドアをノックする。

 

「不知火捜査官です。ちょっとお時間よろしいですか」

「入りたまえ」

 

 部屋の主、レオナルド・ピーターセン地方検事補(Assistant DA)はデスク――私のとは全然違う、どっしりした楢材(オーク)だ――から立って、これもまた私の部屋にはない応接セットの方へ私をいざなった。

 

「で、エルフの姫君が何か用かな?」

「その呼び方はやめてください、私は姫でもなんでもなかったんで」

 

 本当に姫でも何でもなかったし、なんならお転婆すぎて里では鼻つまみ者扱いすらされてたんだけど、この庁舎にいる連中はなんでか皆揃って私のことをこう呼ぶ。

 

「レオナルド、あなたは確か来年の地方検事(DA)選に出るつもりですよね? 市警の浄化をカンバンの一つにしようとしてるって聞きましたけど」

「いかにも。フレア君も一票入れてくれるかね?」

「それはノーコメントで。ところで、あなたの興味を引くかもしれないものを持ってます。おおやけにはできないかもしれませんが、市警に対する牽制の第一歩にできるかもしれません」

「続けて......」

 

 

 

 

 

「フブキ、こっちこっち」

 

 喫茶店(カフェ)に入るとテーブル席の一つからミオが呼んだ。

 

「随分時間かかったねえ」

「うん、ちょっと捜査官と話し込んじゃって」

「え、それって......」

 

 一気に心配そうな顔になったミオに、慌てて手を振って言い足す。

 

「違う違う世間話だよ。聴聞が長引いたとか、そんなんじゃないから」

「なんだ......」

 

 沈黙が下りた。

 

「あの、ミオ」

「ごめんフブキ」

 

 私を遮って、ミオが謝り始めた。

 

「ウチね、何回もフブキに電話しようと思ったんだ。ウチは聴取とか聴聞がどうなるのかとっても心配で不安で、きっとフブキもウチと同じだろうと思って」

 

 でも、できなかったんだ、と唇を噛んで続ける。

 

「ひょっとしたらそれが口裏合わせだと思われるんじゃないかとか、それでウチはともかくフブキが不利になっちゃうんじゃないかとか、そんなことばっかり考えちゃって。情けないよね、こないだ一緒に悩んであげるって言ったばっかりなのに」

「ミオ......」

「だから謝んなきゃと思って。ごめんねフブキ、大変な思いをしてるってわかってたのにほったらかしにしちゃって」

「ミオ、大丈夫。顔上げて、ね?」

 

 自分の掌に爪を立てるようにしながら、どんどん俯いていったミオが顔を上げた。その若干うるんだ瞳を真っ直ぐ覗き込むようにして言う。

 

「白上もおんなじだったんだ、ミオ。ミオに会いたくて、電話をかけたくてたまんなかったけど、そしたら聴聞に影響が出るんじゃないかって。白上だけじゃなくてミオもく、馘になっちゃうんじゃないかって。そう思ったらどうしても電話できなかったんだ」

 

 テーブルの上で重ねられていたミオの手の上に、自分の手を重ねる。

 

「ありがとう、ミオ。白上のことを心配してくれてて。白上のことを、思ってくれてて」

 

 ミオは小さくすすり上げると、にっこり笑って言った。

 

「これでウチたち、もう大丈夫かな?」

「うん。大丈夫だよ。白上的にも、ミオが自分からデートに誘ってくれてとっても嬉しいし」

「デッ!?!?!?」

 

 ミオの顔が一気に真っ赤になった。

 照れ隠しになんとか否定の言葉を探してるけど、そう今の状況はどこからどう考えてもデートで言い逃れはできない。もちろん友達付き合いとか同僚のよしみとか、そういう方向に逃げることもできるけど、ミオがそうしないくらいには私のことを好いてくれてるって、私知って......

 

「違わい! 友達付き合いだよう!」

 

 ......あるぇーー???

 真っ赤っかの顔で誤魔化すように紅茶を飲むミオを見ながら、じゃあ今日はこれから一杯デートっぽいことしよう、と声をかける。今日も明日も明後日も、処分の送達が届くまで二人で街巡りを楽しもう。

 ミオはすっかり恥ずかしがって俯いてしまったけど、小さくこくりと頷いてくれた。

 

 

 

 

 

――なお、不起訴処分の送達は次の日の朝に廷吏が届けに来た。仕事が早いのはいいことなんだけどさあ......

 

 

 

Armed and Dagerous -Case Closed-

 

 

 


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