「203番地......そこの角だよ、ミオ」
「りょーかい」
フブキの指示に応じてウチは3番街と南グレス通りの角、203番地の路肩にパトカーを寄せた。
バス停の前に堂々と駐車している36年式ビュイック・センチュリーにちらっと目をやり、出てくるときにまだいたら駐禁切符を切ること、と頭の中にメモする。
203番地の建物の一階は服屋になっていて、夜11時前の今はもう閉店しているようだけど、ショーウィンドウには煌々と灯りがともっていた。
ウチたちは明るいショーウィンドウの横にひっそりとある、二階の安アパートの玄関ドアを押し開けた。
「ふむふむ。シュローダー邸は二号室、と」
集合ポストの名札を確認して、フブキが言う。四部屋分ある安アパートは満室のようだ。
「ってことは、偽名の線は消えたかな」
「どうかな。偽名で借りてるのかもしれないよ、ミオ」
そうは言うもののフブキの口調は、可能性を指摘しただけでそう思っているわけではないと言っていた。
フブキの後を追い、茹でたキャベツの臭いがする階段を上がる。
「ここだね、二号室」
二号室は階段を上ってすぐの、公衆電話の隣にあった。
フブキが腕を上げ、薄っぺらい木製のドアを拳でドンドン叩く。間をおかずにドアが内側に開かれ、男が顔を出した。
「エロール・シュミットさん?」
「そうだが。何か用かな」
「ウィルシェア
「たぶんね。それがなにか」
警戒しているらしくゆっくりと答える男を、ウチはじっと観察する。四十絡み、ドイツ系らしい角ばった顔、髪は黒、目は青。
背丈は6フィート程度、と見積もった。"背の高い白人の男"に概ね合致する。ちなみにウチとフブキは5フィートちょっとで、この被疑者の方が優に頭一つ分高い。
「先ほど、」
フブキが続ける。
「スクーター・ペイトン氏が殺害されました。あなたの拳銃で」
ちょっと首を傾げて、
「ご存知ですよね?」
「何の話をしてるんだ。スクーター? それはうちの従業員だが」
困惑している、ように見える。
「俺の銃なら、そこの箪笥の中にあるよ」
そう言って彼はドアを開け放ち、ウチらから見て部屋の左手側にある
「おい、これはどういうことだ!」
当然だけど件の銃がパトカーの中にある以上、そこには無かった。
「逮捕します、シュローダー」
フブキが声を張り上げて室内に踏み込み、ウチもそれに続く。
「ミオ、彼に手錠をかけて」
「任せて」
ウチは帯革のポーチから手錠を引き抜き、シュローダーの方に歩み寄る。
フブキはというと室内を物色、もとい捜索する腹積もりらしく、奥へとずんずん進んで行く。
「くそ、こんなのってないぞ! この畜生風情が、俺をこんな風に扱っていいと――」
「にゃあっ!?」
ドシン!
フブキの悲鳴と何かが落ちる音に、ウチはついそちらに目をやってしまい、
「フブ――」
「――思ってんのかぁ!」
世界が回った。
床が消え、左頬に痛みが走る。殴られた、と思う間もなく右のこめかみに強い衝撃を感じて、
何も感じなくなった。
塹壕のなかで一人の獣人の少女が震えている。米軍の軍服、黒い髪、オオカミ系の耳、ふさふさのしっぽを左腿に巻き付けている。
ああ、これはウチだな。と、傍らに立ったミオは思う。
イタリアでのウチの記憶、初陣の時の記憶だ。
糧食を反吐し、目汁鼻汁その他いろいろを垂れ流しながら、
血の臭い、硝煙の臭い、泥の臭い、そして自分が垂れ流しているものの臭いが入り混じって、戦争の臭いを紡ぎだす。
隣にはちょっと前まで戦友だったものがある。幸いにもウチの頭はちゃんと覚えていないのか、あるいは思い出すことを拒否しているのか、その飛び散った骸は妙にぼやけて
まるで頼りない記憶の糸をたどっていると、頭上から怒号が降ってきた。
ウチとウチは揃って顔を上げる。
人間のドイツ兵がいた。及び腰で
いまこうして傍観するとこの兵士もどうやら初陣か、それに近い状態らしいことがわかった。たとえようもなく興奮していて、一度引き金を引いたら弾が切れても引き金から指を離せないような、そんな雰囲気だ。
一方この時のウチはへたり込んだまま、呆けたようにドイツ兵を見上げている。
恐怖だ。戦友の残骸、異国語の怒号、形容しがたい敵兵の歪んだ表情、そして何よりも銃。
銃。
人間にも獣人にも等しく、速やかな死をお届け。致命的な銃弾をたった一秒で10発以上吐き出すMP40。
見上げるその銃口から、ウチは目を離せないでいる。
「畜生どもめ、もううんざりだ!」
急にドイツ兵が英語を喋って、ウチは驚いて彼を見つめる。
「お前たちも、
いつのまにか、ドイツ兵はエロール・シュローダーの顔になっている。
「なのになんで、こんな扱いを受けるんだ! 俺はドイツの土を踏んだこともない! ドイツ語も解らない!」
いつのまにか、MP40は豪華なスミス・アンド・ウェッソン27型になっている。
「俺の祖国はアメリカだ、ドイツじゃない! なのに――」
「とぉーーーう!!!」
突如素っ頓狂な声が響き渡り、ウチの前を白い影が通り過ぎる。
ナニカに飛びつかれたシュローダーが倒れ込み、そのナニカごとウチの視界から外れる。
怒号――これはどうやらドイツ語のようだ――が短く連続した銃声で遮られ、聞こえなくなった。
暫くして、塹壕の上からさっきのナニカが飛び降りてきた。
「ヒィェアッ!」
ウチがへんてこな悲鳴を上げる。ウチ、こんな間の抜けた声上げたんかあの時......。
「
ナニカが聞く。米軍の軍服、白い髪、キツネ系の耳としっぽ、上等兵の階級章。
「私は白上、上等兵フブキ! 第704歩兵大隊H中隊! あなたの名前は?」
にっこり笑って問う。
曇ったイタリアの空の下で、その満面の笑顔が太陽のように輝く。
そうだ、ウチはこの笑顔が――
「――オ! ミオ!」
「ハッ! 痛っ!?」
遥か遠いイタリアからロサンゼルスの安アパートに引き戻されたウチがまず感じたのは、茹ですぎたキャベツの匂いと右側頭部の鈍痛だった。
「ミオ! よかった、気が付いた!」
「ぐぇ」
立ちあがろうとしたところをフブキに抱きつかれ、再び尻もちをつく。
しっぽをぶんぶん振り回していて、ずいぶん心配をかけてしまったらしいことに気が付いた。
「ごめんね、白上が変な声上げちゃったばっかりに......」
一転して耳もしっぽも力なくへにゃりと垂れる。かわいいなあ、もう。
「なんでか知らないけど、バターが床に落ちてたんだ。白上気付かないでそれ踏んじゃって」
「コケたの? ケガは?」
「大丈夫。尻もち付いただけだし」
「そっか」
安心して、そしてようやくシュローダーのことを思い出す。
「フブキ! シュローダーは?」
「あそこ。ぶん殴って手錠かけといた」
フブキの指した方に目をやると、俯いたシュローダーがドア脇の壁にもたれかかっていた。手が後ろに回っていて、見えないが手錠がかかっているみたいだ。
「やりすぎてないよね?」
「一発殴っただけで伸びちゃったから。二、三日はほっぺたが腫れるんじゃない?」
ミオの仕返しってことで、と剣呑な笑みを浮かべる。
立ちあがると左頬も痛みを主張し始めて、思わず顔を顰めてしまう。
「それじゃ、改めて捜索しますかあ」
「そうだね、まずは」
フブキの頭を指し、
「フブキの制帽からかな」
相棒が頭に手をやり、ウチの大好きな笑顔で笑った。