H.L. Noire   作:Marshal. K

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Upon Reflection #4

 

――やっぱり鈍ってるのかなあ......

 

 さして広くないシュローダー邸内を捜索しながら、私は暗澹たる気分に浸っていた。

 ミオが大丈夫そうなのを確認したものの、床の上の足跡がついたバターの塊を目にした途端、惨めな気持ちが再び襲い掛かってきた。こんなもので転んで、悲鳴まで上げて、あまつさえ危険な人物が大好きな人に危害を加えるチャンスを与えるなんて.......。

 戦時中以来ないほど落ち込んで、情けなくなっているのが自分でもよく分かった。

 

 こんなんじゃだめだ。鍛え直さないと。身体もそうだけど、こんなふうにウジウジ思い悩んじゃうメンタルもだ。

 しかしとにかく、ここは気持ちを切り替えて捜索に集中しないと。

 

「よし!」

 

 頬をパンパン叩いて気合を入れ直す。

 まず取り掛かるのはこの――

 

「うげぇ」

 

――ハエのたかっている汚い食器の山。

 

 まあこれもよくある巡査の仕事だ。臭い、汚い、危険とはよく言ったもの......

 

「フブキ」

「どうした、ミオ」

「ちょっとこれ見て」

 

 整理箪笥(ロワー・チェスト)を引っ掻き回していたミオが、一冊の手帳を手にこちらにやってきた。

 まだうっすらと赤いミオの頬を見て、再び頭をもたげてくる気落ちの虫を無理やり抑え込みながら手帳をめくる。

 

「名前と、これは何の数字だろう?」

 

 嫌な予感を感じつつ、ミオに聞いてみる。

 

「線の引いてない方は日付だと思う。二重線を下に引いてる方は......」

「......賄賂、かな」

 

 尻すぼみに黙り込んだミオに代わって言う。単位こそ書かれていないが、これはドルで間違いないだろう。

 

「......あ、これ」

 

 フロイド・ローズの名前があった。12月1日に50ドル支払った、と記録されている。

 ミオと二人で顔を見合わせる。

 

「あの刑事さん、だよね?」

 

 ミオの問いには答えずに戸口まで戻り、しゃがみこんで鍵穴を見つめる。

 鍵を差し込み損ねたらしい引っかき傷がたくさんついている。でもその中でも一際新しい傷痕は、明らかに鍵で作られたものではない。

 つい最近このドアはこじ開けられている。

 

 頭の中のパズルが一番否定したかった形で、組み上がってしまったのがわかった。

 

 

 

 

 

「ちょっと待ってよ」

 

 ミオが制帽を取り、こめかみを揉みながら言う。

 

「つまりフブキはこう言いたいの? ペイトンさんを殺したのはローズ刑事で、それをシュローダーに擦り付けようとしてるってこと?」

「そういうこと」

「動機は?」

「これ」

 

 手帳を掲げてパラパラめくる。

 

「ローズ刑事に先月だけで150ドル近く払ってる。ほかの人達は多くても月80ドル止まりなのに」

 

 手帳の、ローズ刑事の名前を指で叩いて、

 

「しかも一回に払う額がどんどん値上がりしてる。吊り上げられている、と言うべきかもね」

 

 まだ伸びているシュローダーに目をやって続ける。

 

「理由は彼に聞いてみなきゃだけど。何か不都合なことをローズ刑事に掴まれて、ゆすられてたんじゃないかな。で、シュローダーが終わらせたがった」

「でも、それならシュローダーを逮捕して終わりじゃ」

「終わりじゃないんだ」

 

 首を振って、再び手帳を掲げる。

 

「これがあるから。贈賄犯が持ってる賄賂目録は重要な証拠だよ。ローズ刑事も無事じゃすまない。でも殺人犯が、担当刑事の収賄の証拠を持ってるっていったら?」

「......でっちあげだと思う、よね」

「警察官は身内に甘いからね」

 

 でも、とミオが食い下がる。

 

「ギャロウェイ刑事はベテランだよ。彼が見逃すと――」

「ギャロウェイ刑事のあだ名は?」

「"錆付き(ラスティ)"。そうだった」

 

 ミオはガックリと肩を落とした。

 ややあって、私の方に目を上げる。

 

「でもフブキ、それをどうにかする策はあるの......?」

 

 私は無言で、手帳を制服のポケットに突っ込んだ。

 廊下に出て公衆電話の受話器を取り、0(OPERATOR)を廻す。

 

「交換台? KGPLに繋いで」

「お繋ぎします」

「......シラカミ、識別番号(バッジナンバー)1005V(ヴィクター)護送車(Bワゴン)を要請します。場所、南グレス通り203番地。逮捕に抵抗した男性一名を拘束しています。またローズ刑事、殺人課(ホミサイド)に本件を通報してください。1ウィリアム16です」

「KGPL了解。Bワゴンは中央署から向かっています。1W16を呼び出し中です。他にご用件はありますか、巡査」

「......ありません。ありがとう」

 

 受話器を置いた後も、私はしばらくそこに立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、フブキ。やっぱりそれは元のところに戻しとこうよ......」

 

 ミオが話しかけてきているけど、私にはまるで聴こえていない。

 まだ伸びているシュローダーを積んだ護送車は、ついさっき縁石を離れて中央署への帰途についた。

 

 実のところ八方塞がりだ。

 結局のところ、私は新米の巡査で向こうは十年以上奉職しているベテラン刑事。格が違いすぎる。

 それに、ローズがペイトン氏を殺した明確な証拠もない。

 

 しかしこのままにしておいていいって道理もない。右胸のポケットに手帳の重みを感じながら、恐らくはただの巻き添えで死ぬことになった顔も知らない黒人男性を思う。

 これを白日の下にさらすのは難しいかもしれない。それでも何かしらの落とし前をつけさせなければ......。

 

 汚い空豆色の捜査用車が縁石を擦って、バス停前に路駐しているポンティアックの後ろに駐まった。これでバス停は前からパトカー、ビュイック、捜査用車で完全に塞がれた形になる。

 捜査用車から降りた刑事たちがこちらに歩み寄ってくる。

 

「凶器を発見しました」

 

 口を開きかけたローズ刑事の、先手を打って発言する。

 

「念のため、鑑識に回す前に直近の銃砲店をあたりましたところ、当該店舗に凶器の購入記録がありましたので、在宅確認を行ったところ、所有者が抵抗し、オオカミ巡査を殴打しましたので、148案件として現行犯逮捕しました」

 

 口を挟ませずに一気に喋る。その間にミオが、証拠品保管袋に入ったスミス・アンド・ウェッソンをローズ刑事に渡した。

 

「ところでローズ刑事、エロール・シュローダー氏をご存知ですね?」

「さあ、知らんね」

「被害者の雇い主です」

「そうか、鑑取りご苦労。パトロールに戻ってよろしい」

 

 安アパートの玄関へ向かうローズ刑事に声をかける。

 

「待ってください、刑事。まだお話があります」

「お前たちの仕事じゃないだろ」

「大事なことです」

 

 腹に力を込めて、しかし静かに声を出す。

 隣でミオが息をのむ音が聞こえた。戦時中、小隊長の初級将校を古参下士官として諫めるときに使っていた声音だ。

 ローズ刑事が不遜だぞ、と言いたげに目を細め、

 

「ラスティ、先に上がっといてくれ。ちょっと説教してから行く」

 

 ギャロウェイ刑事が姿を消してから、こちらに歩み寄ってくる。

 

「なあ、お前が陸軍でどんな階級でどれだけ勲章をもらったのかは知らないがな、今は巡査で、二等兵と同じ扱いだってことを弁えたほうがいいぞ」

「シュローダーをご存知ですね?」

「知らない。おい、抗命で十日間の謹慎処分を食らいたいならそう言え、巡査。喜んで報告書を書くぞ」

 

 説教を無視して聞くと、敵意をむき出しにした答えが返ってきた。こちらの階級を強調するのは優位性を確保するためだろう、と判断した。

 後半部分には取り合わず、

 

「手帳を見つけました」

 

 ローズ刑事が黙った。一瞬目が泳ぐ。

 

「その背広、見たところ下ろし立てのようですね。150ドルの使い道はそれですか?」

「なあ、おい」

 

 ローズ刑事が先ほどまでとは打って変わって、鉄仮面のような無表情で言った。目が据わっている。

 

「お前が何を見つけたにしてもな巡査、それを持ち込むアテはあるのか?」

 

 痛いところを突かれて黙り込む。それでも視線は逸らさない。明言はしないがアテはある、と思ってくれればしめたものだけど......。

 

「俺ならな、おとなしく担当刑事に渡すか、見なかったことにして処分するな。巡査」

 

 目に若干の優越感を浮かべて、

 

「言っておくが、ドネリー警部の執務室はお前の目的地じゃないぞ、巡査。課長は有能な刑事なら、多少の不正は気にしないからな」

 

 証拠よりも自白を重んじる人だしな、と付け加える。

 ローズ刑事の目が、ふと私の胸の方を向く。私のπを見ている、わけではもちろんなくて、ポケットのふくらみから手帳の在処に目を付けたんだろう。

 ローズ刑事が寄越せ、というように手を差し出す。

 私は――

 

ブーーーーー!!!

 

 バカでかい警笛(ホーン)が響き渡って、三人とも驚いて道路の方に目を向ける(ミオは一瞬遅れた。驚きのあまり飛び上がっちゃったから)。

 大型バスが公用車の後ろに停まっていた。運転手が身を乗り出し、文字にすることを憚られるような罵声(Fワード)を上げている。

 

「パトロールに戻ります」

 

 パトカーのほうに歩き出し、振り返らずに言う。

 

「お引き留めして失礼しました、刑事」

 

 何も言わないローズ刑事と、虚を突かれたミオを置き去りにして運転席に乗り込み、失礼にならない程度に強くドアを閉める。

 ミオが乗ると、間髪入れずにフォードを発進させた。

 

 完敗だった。いや違う、手帳はなんとか握り潰されずに済んでいる。

 なにかやりようがあるはずだ。しかし今はどうしようもない。

 

「ねえ、ミオ」

「......なに、フブキ?」

 

 ミオのほうを見てにんまりと笑う。

 

「バスの警笛(ホーン)であんなにびっくりするとは思わなかったよ」

 

 急激に赤面するミオを眺めながら、

 

「となりに砲弾が落ちても眉一つ動かさない、朝飯替わりにドイツ兵を一個分隊喰う、豪胆で勇猛果敢な狩人、オオカミ軍曹がバスの警笛(ホーン)で飛び退るなんて、部下たちが聞いたら――」

「やめて、フブキ、もう、ちょっとフブキ! 前!」

「えっ、わあ!」

 

 思いっきりブレーキを踏みこむ。ポンコツパトカーがキイキイと悲鳴を上げて、信号待ちをしていたフォード・スタンダードクーペに危うくぶつかるところで停まった。

 二台のフォードのバンパーの間には、髪の毛一本くらいの隙間しかないだろう。

 

「......フブキ」

「はい」

「一旦路肩に寄せようか」

「はい......」

 

 素直にパトカーを駐める。

 

「フブキ、制帽取って」

 

 逆らわずに制帽を脱いで、サンバイザーの上に入れる。

 

「取ったけど、なにを......にゃっ!」

 

 ミオが私の頭を撫で始めた。

 

「う~、くすぐったいよミオ」

 

 ミオは何も言わずに私の頭を撫で続ける。

 お腹の奥で固まっていた何かが、だんだん解けていくのがわかった。

 知らず、両手がミオの方に延びる。

 ミオも撫でる手を替え、左手で私の背中を抱く。

 

 無線機が音を立てて各局呼び出しを始めたが、ミオも私も応答しない。

 

 涙の最初の一粒が、ズボンの上に落ちた。

 

 

 

 

 

「もう大丈夫そう?」

「......うん、ありがとねミオ」

 

 ハンカチをたたんでポケットに入れる。

 

「そうやって抱え込むのがフブキの悪い癖。これ、前に当直下士官の時に言った覚えがあるんだけど」

「面目次第もございません......」

「いつでもウチを頼ってくれていいんだよ」

 

 一緒に悩んで、考えてあげるから、と言い、

 

「置いてけぼりにされる方が、ウチには堪えるんだからね」

 

 わかった、と頷いた。

 

「わかればよろしい。じゃあパトロールに戻ろうか。ところでさっきの呼び出しは――」

 

 それを聞いていたように再び無線機が喋り始めた。

 

「KGPLから各局。1A12が報告した211案件は、対処識別符号4(コード・フォー)。反復、対処識別符号4(コード・フォー)。以上KGPL」

 

 ミオの方を見て、ぐるっと目を回す。ミオは大げさに肩をすくめて返してきた。

 二人でひとしきり笑って、パトカーを出した。

 

 そうだ、二人で考えれば何かいい考えが浮かぶかもしれない。まずはこのパトロールに集中しよう。

 

 

 パトカーの前照灯(ヘッド・ライト)が、深夜のロサンゼルスを照らしていく。

 

 

 

Upon Reflection -Case Close-

 

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