The Red Lipstick Murder
「よーしお前たち、席につけ」
朝9時。ジェームズ・ドネリー警部は中央警察署二階の会議室に入るなり、立ち話をしていた刑事たちに言った。
私は半年ぶりに戻ってきた中央署の会議室を、座っている後ろの方の席から懐かしく見渡した。季節は夏になって、窓は全部開け放たれている。壁に取り付けられた扇風機が回っているけど、署の建物はあまり風通しのいい造りじゃないから熱がこもっていて結構暑い。
隣に座るミオも、冬場は一本結びにしていた髪を今はきゅっと縛ってポニー・テイルにしている。うなじがよく見える髪形でとてもえっ......素敵だ。
「業務連絡だ。半年前に交通課に降格になったフロイド・ローズが早期退職することになった。フロイドと彼のキレた捜査手法を失うのは惜しいことだが、私は本人の判断を尊重しようと思う」
半年。例のハーフエルフの検察捜査官に手帳を渡してから半年もたったのか。不知火捜査官があの後手帳をどうあつかったのか、私は知らない。ただ、ローズ刑事は交通課に格下げになって、今日依願退職した。
ペイトン氏の命に釣り合うほどではないけど、これぐらいで良しとしなくてはいけないのかも知れない。
「送別会はゴールウェイ・アームズで行われる。経費は25年間勤めた警察官に敬意を表して、局持ちになった」
会議室に野郎たちの歓声がどよめいた。誰だってタダ酒が呑めるのは嬉しい。事情が事情だけに、白上は顔を出さない方が良さそうだけど。
どよめきが治まるのを待って、ドネリー警部が続けた。
「フロイドの退職に伴って、刑事部には空席が生じた。局長が各課の定数を色々やりくりした結果、ミオ・オオカミ刑事とフブキ・シラカミ刑事が盗犯課から殺人課へ移ってくることになった。お二人さん、立って言祝ぎを受けなさい」
私とミオが立ち上がると、会議室からまばらな拍手が起きた。交通課や盗犯課に昇格になった時もこんな感じだった。
初めての時は歓迎されてないのかと思ったけど、どうも警官たちは熱烈な拍手を送ってお祝いする、ということをしないらしい。考えてみれば陸軍の下士官連も似たような感じだった。
そういうわけで、別に私たちが歓迎されてないわけじゃない。熱烈歓迎! ってわけでもないけど。
「大リーグにようこそ、お嬢さん方。最初の一件は古き良き警官の"
「場所は分かってるんですか?」
駐車場で捜査用車の助手席に乗り込むと、運転席についたミオのために後部座席に収まったギャロウェイ刑事に聞いた。
殺人課での捜査用車は空豆色の46年式ナッシュ・スーパー600だ。ローズ刑事が退職まで使っていた捜査用車が私たちに回されて来たんだ。
「ああ、KGPLが喚き立ててたからな。テンプル通りのベルモントとグレンデールの間だ」
「ローズ刑事が退職した理由って、なんなんですか?」
これはミオからの質問だ。そういえば、手帳の顛末をミオに説明するのをすっかり忘れていた。相談なしにあれを決めちゃったのはちょっと気まずいけど、今度ちゃんと説明しとかないと。
「パーカーが警察局長の椅子を狙い始めたからだな。噂じゃやつかサッド・グリーンだろうってことになってる。どっちも地盤固めを始めてるって話だ」
ラスティははぐらかす感じで言ったけど、重要な情報も入っている。グリーン警察次長は刑事部長、パーカー警視正は首席監察官だ。パーカーが局長の座を目指しだした途端に辞めるというのは、手帳の件を踏まえるとそういうことなんだろう。
「ギャロウェイ刑事はどっちに付くつもりなんですか」
気になったのでラスティに聞いてみることにした。
「勝ち馬の尻に乗っかるだけだ。あんたらみたいにな、お嬢さん」
ラスティはそれまで後席シートに深々と沈み込んでいたけど、身を起こしてきっぱりと言った。
「俺は若い部下が欲しいわけじゃないし、必要もない。だからその質問は胸の中にしまっとくんだな。お前たちは黙って、本物のデカの仕事ってもんを見学してればいいんだ」
「あの、さっきの
ミオがナッシュを1番街からグランド通りに右折させてから聞いた。それは私も気になってたことだ。
「ダリア殺し*1のことだよ。イグザミナーが"ブラック・ダリア殺し"ってぶち上げる前は、デイリー・ニューズが"
「つまり、ウチたちが犯人を捕まえられるかもしれないってことですか?」
「それはないな」
ラスティはミオの返しをばっさり切り捨てた。
「何百人もの警官が6か月かけて、それでも大した手掛かり一つ見つからなかったんだからな」
「じゃあ、これはダリア事件とは関係ないって思ってるんですか?」
「ああ。いいかいお二人さん、殺しの九割方はな、家庭内の事情で起きるんだ。家内を殴る男は多い。中にはやりすぎる奴もいる。これもその類だろう」
ミオはナッシュのハンドルを切って、自動車をグレンデール
そのまま少し行ったところに靴屋さんがあって、その横手の路地の入口に巡査が一人立っていた。
巡査はナッシュの赤色
靴屋さんの裏手はまだ未開発の空き地だった。さっきの巡査のものらしいパトカーの横を抜けて、ナッシュは未舗装の砂利道をガタガタ進む。
奥の小高い丘の上が公園のようになっていて、そこを囲むように警察車両やバリケードが置かれていた。
ミオは検屍官の寝台自動車の脇を選んで、ナッシュを駐めた。
「あれは誰だろう」
現場保存バリケードの方に歩いていく途中、現場の側で写真を撮っている男たちを見てミオが言った。私も見覚えは無い。
「さあ、ロジャーじゃなさそうだけど......」
「記者だな」
ラスティがそう言うのと件の男たちがこっちを振り向くのは同時だった。撮影をやめてこっちに、というかラスティの方に駆け寄ってきた。
「イグザミナーにスクープをくれんか、ギャロウェイ? そしたら記者を一人、便利使いできるようになるぜ」
「売女にメッセージって聞いたぜ、
殺人現場には全然似つかわしくない、興奮気味の笑顔を浮かべて二人がまくしたてた。なんだろう、とっても......不快だ。殴り飛ばしたい。
その気持ちを抑えて口を開こうとすると、ラスティが先んじて発言した。
「とっとと帰りな。写真も撮れたし見出し分の聞き込みも終わったんだろ。そら行け」
不服そうな顔の記者たちが散っていくと、立ち番の巡査がバリケードをどけて私たちを公園に招き入れた。
「巡査、初動を執ったのは誰かわかる?」
「フーリハン巡査です。あそこの木の下にいます」
公園の一角がロープで囲われていて、そのきわにある木の下に制服が二人、立ち話をしているのが見えた。立ち番の巡査にお礼を言って、二人組の方に歩いていく。
「フーリハン巡査は?」
「自分です」
私が声をかけると、手前側の制服が振り向いて言った。
「この辺の担当かい?」
「ええ、担当の一部です。この辺りの児童公園は逢引場所になってましてね、商業地区で子供が少ないもんですから。時折ごたごたがあったりはしますが、こんな――」
フーリハン巡査は公園の真ん中の方を指した。誰かが倒れていて、深緑のシートをかけられている。シートから出た右手をマルが調べていた。
「――こんなことは初めてです。ここは地元じゃ"
「誰も死体に触ってないよね?」
「もちろんです。あのハゲタカ記者どもを追い出してピンカーと検屍官が仕事ができるようにするのは、かなり骨でしたけど」
「地取りは?」
「まだです」
「じゃあ始めて」
「了解」
巡査が相勤らしいもう一人と一緒に立ち去ってしまうと、ラスティが言った。
「俺は現場を見て回る。お前たちは見学するなり、好きにしてろ。俺の邪魔はするなよ」
「......だってさ、ミオ」
ラスティが死体の方にのしのし歩いて行ってから、ミオに言った。
ミオは頭を振りながら小さく溜め息を吐いてから、にっと笑って言った。
「じゃ、ウチたちの好きにしようか」
「そうこなくっちゃ」