H.L. Noire   作:Marshal. K

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The Red Lipstick Murder #2

 

 

「死因は?」

 

 ウチたちが死体のところまで歩いていくと、死体の上にしゃがみ込んだギャロウェイ刑事が、傍らに立つカラザース検屍官にそう聞くところだった。

 マルは死体からどけた深緑のシートを折りたたみながら答えた。

 

「頭の傷だろうな。強く踏みつけにされたらしいが、挫創自体はそう深くない」

 

 死体は全裸だった。口紅であちこちに文字や模様が書かれている。

 ギャロウェイ刑事が顎をつかんで頭部を動かすと、顔面がひどい有様になっているのが目に入った。右目には大きな痣ができていて、その辺の殴打はまだ被害者が生きているうちに行われたことを示している。ひどい。

 

「この顔の痣は?」

「今は何とも。野球のバットからボックスレンチまで、何でもありだ。解剖したらもっと詳しいことがわかると思う」

「その指の傷はなんですか」

 

 横合いからフブキが口を挟んだ。ギャロウェイ刑事が文句を言いたげな顔をしたけど、マルが答える方が早かった。

 

「何かを取り除いたようだ。たぶん指輪だろう。傷の具合から見て、死後に無理矢理外したようだ」

 

 ギャロウェイ刑事が取り上げた死体の左手中指は、指の付け根から指先にかけて大きく抉れていた。傷のわりに出血の痕が少ないのは、マルの言うように死後に指輪なりなんなりが外されたことを裏付けている。

 

「死体に書いてあるのは、なんなんですか」

 

 ウチも聞いてみることにした。ラスティにではなく、マルに。

 

「さあ。BD、ブラック・ダリアか? それにTEX? あいにくいい助言はできそうにないな。とにかく、この口紅についても検査してみるよ。ともすると犯人に繋がるかもしれんしな」

「死亡時刻について何かわかるか?」

 

 ギャロウェイ刑事が唸るような声で聞いた。

 

「直腸温から見て真夜中過ぎだろうな。詳しくは解剖報告を待ってくれ」

「そうしよう」

 

 ギャロウェイ刑事が立ち上がると、マルが死体に検屍官事務局のマークが入ったシートをゆっくりと被せた。

 

 

 

 

 

 その後のウチは現場をうろうろして、鑑識課のレイ・ピンカー技師が置いた標識を辿りながら遺留品を調べていた。

 フブキはギャロウェイ刑事と一緒に地取りから戻ってきた巡査連に話を聞いている。

 被害者のものらしい女物のハンドバッグを漁ってみたけど、身許を示すようなものは何もなかった。バッグの中に入っていたクラシック・カーマインの口紅は新品同然で、どう考えても死体に散々落書きした後には見えない。犯人が持ち帰ったのか。

 写真係のロジャー・ベケット技師が少し離れたところで、何か金色のものの写真を撮っていた。Cの標識が置かれている。

 

「ロジャー、それは?」

「さあ、俺は写真を撮ってるだけだからな」

 

 ベケット技師の反応は冷たかった。彼は自分の仕事を"あほな巡査や刑事"に邪魔されるのを嫌うタイプで、おまけに生来神経質なたちでいつでもイライラしていた。

 一方その神経質さが生む記録写真は捉えるべき箇所を逃したことがこれまでになく、多くの刑事が助けられた、ってウチは聞いている。

 それなら物を見る目は確かだろう。そう思ってロジャーの目をじっと見つめてみた。

 案の定、彼はそれに耐えられなかったようで、歯の間からシューッと息を吐いてから言った。

 

「地球儀、のように見えるな」

「ように見える?」

「メキシコの位置がずれてるだろ」

 

 近づいてみると、確かにそうだ。メキシコが本来あるべき場所からだいぶ東にずれている。中米も同じでパナマが半島になってしまっていた。これなら運河はいらなそうだ。

 

「後はあんた方の仕事だ。俺は撮るべきものは撮ったんでね」

 

 ロジャーはつっけんどんにそう言って、ウチの返事も待たずにすたすた現場保存バリケードのほうに歩き去った。

 地球儀を手に取って眺めまわすと、中米だけじゃなくて同じ緯度帯のものが全部若干東寄りにずれていることが分かった。これって捻ったら元通りになるのかな?

 

「うわっ」

 

 北緯30度帯を東に捻って元の位置に戻すと、カチッと音がして北半球がバネで跳ね上がった。あまりに勢いが良かったのでウチはあやうくそれを取り落とすところだった。

 

「地球儀型の卓上ライターか。バンバ・クラブ」

 

 北半球リッドの裏側にクラブ名の刻印があった。バンバ・クラブ、北スプリング通り625番地。

 念のためにホイールを廻すと、ぱっと赤い炎が上がった。特に壊れているわけじゃなさそうだ。クラブの人に譲られたのか、あるいは盗ってきたんだろうか。

 リッドを閉じて、メキシコを再びずらして掛け金をかけると、ウチは地球儀を置いてフブキと合流することにした。

 

 

 

 

 

「クラブの卓上ライター?」

「はい、あっちの外れの方に」

「じゃあ次の行き先はバンバだな。婦女殺しなんて、一杯やらずにやってられるか」

 

 ギャロウェイ刑事はそう言うなり、バリケードの外に駐めてある捜査用車の方にのしのし戻って行ってしまった。一杯やるだって?

 

「古き良き刑事、ねぇ......」

 

 後からついていきながら、フブキが若干遠い目をして言った。

 

「古きの方はともかく、良きの方については異議を申し立てたいな」

「フブキ、それはともかく地取りの方は?」

「なんにもなし。真夜中辺りには、そもそもこの辺の人たちは帰っちゃうからね。それと、さっきレイに聞いたんだけどそこの足痕、サイズは紳士用の8(26センチ)らしいよ」

「8か。意外とちっちゃい*1ね」

「ちっちゃいけど、ありふれたサイズでもあるよ」

 

 すでにナッシュの後部座席に収まっているギャロウェイ刑事を見ながら、フブキがボソッと呟いた。

 

「じゃあ、呑み助を呑屋まで送迎、といきますか」

 

 

 

*1
11~12、つまり30センチ弱というのが白人男性の平均的な靴のサイズ


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