H.L. Noire   作:Marshal. K

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The Red Lipstick Murder #8

 

 

 アロンツォ・メンデズのアパートメントは、ダウンタウンのシティ・ウェストとの境界にほど近い、4番街とフレモント通りの角にあった。レンガ造りの割と現代的なデザインの建物で、ようやく似非スペイン様式から解放された気分だ。

 

「A. メンデズ、16号室だね」

 

 ウチが正面玄関脇の郵便受けを確認してそう言うと、後ろから覗き込んだフブキが口を挟んだ。

 

「ねえミオ、このお隣さんのD. リンチさんって......」

「あー、レイズ・カフェの雇われバーテンさんかな......?」

 

 ひき逃げを装った保険金殺人事件の時の参考人を思い出した。立派な鼻髭を蓄えた優しそうなバーテンダーさんだったな。

 

「まあ別人かもしれないけどね」

 

 フブキはそう言って、玄関ドアを押し開けてさっさと建物に入って行った。その後ろからウチと、ギャロウェイ刑事が続く。

 薄暗い内廊下を進むと、ウチたちのブーツとギャロウェイ刑事の革靴がタイルの床を踏む音が響き渡った。

 つい最近清掃されたらしく洗剤の匂いが漂う階段を、毛羽が擦り切れた絨毯を踏んで16号室のある4階に上がって行く。各階には4部屋ずつ配置されてるみたいだ。

 

「ノックする必要なんかないぞ。蹴破っちまえ」

 

 4階に上がるとギャロウェイ刑事が小声で言った。

 フブキの方を振り向くとこっちを見て小さく頷き返してきた。ウチにやれってことか......?

 仕方なく、廊下でちょっと助走をつけてからブーツを16号室の玄関ドアに叩き付ける。バァンとおっきい音が廊下中に響き渡って、受け金が木製のドア枠から外れて室内に吹っ飛んだ。

 

「お留守か......」

 

 室内は無人だった。ドアが蹴破られる音を受けて奥から誰かが出てきたり、逆に逃げ出そうとしたりするような物音はこそりとも聞こえてこない。

 

「フブキ、これって」

「わかるよ、血の臭いだね」

「血の臭い......?」

 

 人間よりも鼻の利くウチとフブキは早々に、奥の方からうっすらと漂ってくる血の臭いに気が付いた。一方のギャロウェイ刑事は置いてけぼりのようだ。

 

「血の臭いです。たぶん奥の部屋からです」

 

 フブキが困惑するギャロウェイ刑事に言った。指導役は若干考えた後、腕を奥の方に振って言った。

 

「気を抜くなよ。待ち伏せしてるかもしれんぞ」

 

 再びウチを先頭にして、そのあとにフブキ、ギャロウェイ刑事が続く形で部屋の奥に向かう。寝室らしい部屋のドアの隙間から吹いてくる風に、明らかに血の臭いが乗っているのが近づくほどによくわかった。

 フブキと小さく目配せをしてドアを蹴破る。拳銃を構えて室内に入ると、住人ではなく息が詰まるような血の臭いに出迎えられた。

 

「うっ......」

「うわっ......こりゃひでえ」

 

 ウチの嗚咽に続いて、ようやく血の臭いに行き当たったギャロウェイ刑事が唸るように感想を漏らした。

 フブキは、どうやら臭いの元凶らしいダンボール箱へと歩み寄っていく。

 

「血の臭いの元は......これだね」

 

 フブキが掲げたのはソケットレンチ・ハンドルだった。ソケット部分から柄の半ばまでが血に覆われて、てらてらとどす黒く光っている。

 

「それと......こんなのも」

 

 ギャロウェイ刑事にレンチを渡すと、続いてフブキは黒い小さな円筒形のものを取り出した。口紅だ。

 キャップを開いて、筒をひねって中身を出す。

 

「クラシック・カーマイン。マルの検査次第だけど、たぶん死体に落書きしたやつだね。ほとんど根元まで使い切ってる......ミオ?」

 

 ウチは途中から聞いてなかった。床に放り出されていた――よく見ればベッドの上にもシャツが散らかっている。急いで着替えたらしい――靴を拾い上げて、裏面のサイズの刻印を見た。

 

紳士用の8(26センチ)だ」

「決まりだな、こいつが犯人だ」

 

 ギャロウェイ刑事がソケットレンチをダンボール箱に戻しながら行った。

 

「凶器があり、口紅があり、現場の下足痕と同じサイズの靴がある。ガイシャ(ヴィック)と一緒にいた証言もある。本人がどう弁明しようが、地方検事(DA)には楽な仕事だ」

「でも、ええ......?」

 

 フブキが困惑したような口調でギャロウェイ刑事を遮った。

 

「普通、こんな風に凶器を置きっぱなしにしますか? 一度戻ってきて着替えもしたみたいなのに、凶器を始末しに行かずにただ出かけただけ......?」

「あのな嬢ちゃん、犯罪者連中がみんな天才だって思ってるなら大間違いだぞ。それより自分の大金星を喜べよ。ドネリー警部はお前さんたちを気にいるはずだ」

「そういう問題じゃ......」

「おい、なんだあんたら!」

 

 三人が一斉に振り返った。玄関から男が一人、部屋に入ってきたところだった。

 

ロス市警です(LAPD)!」

 

 ウチは反射的に答えた。

 

「アロンツォ・メンデズさん?」

 

 相手が戸惑いつつも頷き返したのを受けて、フブキが進み出て言った。

 

「アロンツォ・メンデズ。セリーン・ヘンリー殺害の容疑で逮捕しま――」

 

 フブキが言い終えるよりも先に、メンデズは脱兎のように居間の奥へと駆け出した。

 

「くそっ、そのろくでなしを逃がすなよ! 俺は捜査用車を取ってくる!」

 

 ギャロウェイ刑事の叫び声を背後に聞きながら、ウチとフブキはメンデズの後を追った。

 メンデズが開いた窓から外――隣の建物は三階建てなので、屋上がほとんど隣接している――に抜け出すと、フブキは窓に体当たりして窓枠ごとぶち破った。

 

「ちょっとフブキ、乱暴すぎない!?」

「手段選んでらんないでしょ!」

 

 二人で言い合いながら、隣の建物の屋上を突っ切る。メンデズは反対側の臭突に取りつくと、そのまま下へと滑り降りた。

 フブキが先に、次いでウチが臭突を伝い降りる。この建物は通り沿いの1階部分が少し高くなっていて、屋上から飛び降りるのは獣人でもちょっと危ないんだ。

 

「メンデズ、そこで止まれ!」

 

 先に降りたフブキがフィグエロア通りを横切るメンデズに叫びかけたけど、メンデズは向かいのガソリンスタンドに駐まってた47年式キャデラック61型・ツーリングセダンに乗り込んだ。エンジンがかけっぱなしだったらしく、エンジン音を高らかに響かせて、赤いキャデラックが4番街に躍り出る。持ち主らしい誰かさんが電話ボックスから飛び出してくるけどもう遅い。

 ウチが一番下に到達するのとほぼ同時に、フィグエロア通りにタイヤを擦らせてナッシュの捜査用車が停まった。

 

「どっちか運転しろ!」

 

 ギャロウェイ刑事が叫んで、助手席に移るのが見えた。

 フブキが運転席の方に向かうのを認めて、ウチは後部座席に乗り込む。

 ウチが飛び乗るのとほぼ同時に、フブキはタイヤをちょっと空転させてから、猛然とキャデラックを追跡し始めた。

 

「4キング11からKGPL」

「4キング11、どうぞ(ゴー・アヘッド)

 

 ギャロウェイ刑事が無線機で応援を要請し始めた。

 一連の要請を終えてキャデラックが4番街のグランド通りとの角を通り過ぎると、指導役はレギュレーターハンドルを廻して窓を開け始めた。

 

「シラカミ、あの自動車の左後ろにつけろ」

 

 フブキは運転操作に集中しているのか返事をしなかったけど、そのかわりに真後ろにつくのをやめて、言われた通りキャデラックの左後ろについた。

 ギャロウェイ刑事は身を乗り出すと、拳銃を抜いてキャデラックに発砲し始めた。一発目が尾灯(テール・ランプ)を砕き、二発目がバンパーに跳ね返る。

 跳弾があさっての方向へ飛び去るのを見て、ウチは指導役に叫んだ。

 

「ギャロウェイ刑事!? 危ないですよお!」

「このまま野放しにしてた方がもっと危ねえぞ!」

 

 そう言うなりもう一発撃った。その弾が左後ろのタイヤをパンクさせて、キャデラックがよろめいた。

 

「ようし! シラカミ、当てちまえ!」

「了解!」

 

 ヒル通りとの角を過ぎたところで、フブキは一気にハンドルを切って、ナッシュのフェンダーをキャデラックのフェンダーに激突させた。

 歩道に押しやられたキャディがヒル通りと大通り(ブロードウェイ)の間の裏路地に突っ込んで、角の建物の壁に激突して轟音を上げた。風防(ウィンドシールド)ガラスが粉々に砕けて、ボンネットの吹っ飛んだエンジン部からは煙が上がっている。

 大丈夫だよね、死んだりしてないよね?

 ウチは捜査用車が停まるなり飛び降りると、運転席のメンデズに向かって拳銃を構えながら叫んだ。

 

「アロンツォ・メンデズ! 両手を頭の後ろに回して降りて来い!」

 

 ヒンジが歪んで勝手に開いていたドアを足で押して、メンデズがゆっくり降りてきた。両手は血塗れで、額からもたらたら血が流れている。とりあえずは無事そうだけど、救急車を呼んだ方が良さそうだな。

 

 

 

 

 

「よくやった、お嬢さん方」

 

 その日のお昼過ぎ、ウチたちが再びメンデズのアパートメントを訪れると、居間のソファで一杯やっていたドネリー警部が言った。

 ウチたちに書類仕事を押し付けてふらりといなくなった指導役もご相伴に与っている。他の現場があるとか言ってたけど、どうやら主に用事があったのはここらしい。

 

「お二人さん、最初の事件で見事に殺人捜査員としての適性を示したな。わが市はどうやら、新たに熱心な英雄を手に入れたようだ。明白な証拠に、スキの無い書類」

 

 自分とギャロウェイ刑事のグラスにお酒をつぎ足しながら続ける。そのお酒、メンデズの私物だと思うんですけど。

 

「公判は楽勝だろう、地方検事(DA)もそう言ってる。やつはこんな手ひどい事件にふさわしい報いを受けるだろう。この街の市民と、メディアとが望むままにな」

 

 警部とベテラン刑事は未来の裁きに乾杯するようにグラスを掲げると、いまや獄中の人となったメンデズのウイスキーを干した。

 

 

 

The Red Lipstick Murder -Case Closed-

 

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