「警部補?」
おまるんと二人並んで中央署の玄関をくぐると、相勤は警務主任のデスクから、当直事務室の奥でタイプライターに向かっていたフライシャー警部補に話しかけた。
「フアン・フランシスコ・ヴァルテツに話を聴きに来たんですけど、彼は?」
「取調室2だ。聞いて驚け、あいつは手袋をはめててな、何一つ触ろうとしない。自分が何をしてるのかよくわかってるみたいだな。どうにかできそうか?」
「やるだけやってみますよ。おまるん、これ以上待たせない方が良さそうだ。早くすまして昼ごはんにしよう」
あたしはおまるんの肩越しに警務主任に返すと、さっさと署の奥にある取調室に向かった。
廊下の特注ガラス越しにヴァルテツの様子を見る。
ストライプの入った白いダブル幅の背広の襟に、バラの花か何かを刺している。シャツは薄いブルー、蝶ネクタイはもう少し濃いめのブルーで、ポケット・チーフと色を合わせているようだ。いかにもヒスパニックらしい褐色の肌に黒い髪の毛と、立派に蓄えられた鼻髭に、白を基調にした服装がよく合っている。
その顔は目下、しかめっ面になっていた。
「"王様の代理人を待たすとは不遜極まる。余はご機嫌斜めであるぞ"とか言いたげな顔だな」
「アルゼンチンは共和国じゃなかったっけ?」
「じゃあ大統領か。どっちでもいいけど、あの顔つきは本気で怒ってんな......やっぱちょっと待たせ過ぎたか」
「かもね。でも、あのメモのことを考慮すると、警察署に長居したくないんじゃない?」
「普通は誰だって長居したがらねえよ」
そりゃそうだ。
あたしたちがドアを押し開けて取調室に入ると、すぐにヴァルテツが声をかけてきた。
「ようやくだな。諸君らが、私が要請した責任者かね?」
「捜査主任の獅白刑事と尾丸刑事です」
ヴァルテツの向かいに座って言う。
「本当かね? 獣人のご婦人が?」
「もっと上もいるにはいますけど、目下のところあたしたちが
「そうかね、まあよかろう。しかし諸君らと話すのにどれだけ待たされたと思っているのかね」
ぐっと身を乗り出して、白い歯を剥いてこっちを睨みつけてきた。
「総領事館では私を必要としておるのだ。にもかかわらず諸君らはこの私を、そこいらの犯罪者のようにこんなところに留め置きおって!」
「はいはい、わかりました」
横からおまるんが、うんざりした調子で口を挟んだ。
「それじゃあ、とっとと始めてとっとと終わらせましょう。一度深呼吸されては?」
ふんと鼻で嗤ったヴァルテツに、あたしは質問を始めようとした。
「ではヴァルテツさん......」
「"
こっちを遮ってそう言い返してきた。
「正しい称号で呼びたまえ」
「では総領事閣下、あなたのパッカードはどちらで購入されましたか」
「私の書記官と運転手が契約を結んだはずだ。デューイ・ブラザーズとかいう、みすぼらしい販売店とな」
見下したような調子を変えずに――対象があたしたちからデューイ・ブラザーズに替わっただけだ――ヴァルテツは続けた。
「可及的速やかに、私のイスパノ・スイザ*1をブエノス・アイレスから取り寄せるつもりだがね」
「イスパノ・スイザねえ......しかしわかりませんね」
「何がだね?」
おまるんの独り言っぽい発言に、ヴァルテツが苛立ち半分不審気半分で聞き返した。
「なぜ、"あなたが"パッカードなんか買ったかです」
おまるんは室内をうろつきながら、変わらず独り言っぽく答える。
「あんたみたいな気取り屋がアメリカの自動車を運転するなんて、考えられませんね。ポルカがそう思うんだから、あんたの書記官や運転手もそう思うでしょう。それと、」
思いついたように指を一本立てて、おまるんは正面からヴァルテツを見つめて言った。
「あんたを待たせてる間にデューイには会ってきましたよ」
この一言はてきめんだった。横領のことは知ってるぞ、っていうおまるんの言外のほのめかしに、ヴァルテツの顔が一気に怯えた表情に変わった。
「......ウィリアム・デューイが、彼の法人と総領事館の売買契約を独占するために、相当な賄賂を積んだのだ。あの自動車はその一つでな。まあ、民間と契約を結ぶにあたっては、よくある話の一つなのだよ」
「そうですか。アルゼンチンの納税者にもそう言ってみては?」
あたしの感想に対しては、ヴァルテツはさっきと同じように鼻を鳴らして答えるにとどめた。
「では続いて総領事閣下。あなたの自動車ですが、すでに発見しました。そこで盗まれた時の詳細についてお話しいただけますか」
「たぶん......総領事館の車庫から盗まれたものと思うがね。誰だか知らんがその罪人共が確実に、
「はっ、そんなこと言って、本当は犯人の目星がついてるんじゃないですか?」
今度はおまるんが鼻で嗤い飛ばすように言って、取調室の隅にある戸棚をごそごそやりだした。
「なのに言えない事情がある、そうなんでしょう? 言えないんなら捜査妨害ってことで......先にあんたを
そう言って振り向きざまに、おまるんはゴム・ホースを激しく机に叩き付けた。
バシッっととんでもない音がして、もじもじしていたヴァルテツがぱっと身を引く。
「暴力反対!......確かに私は販売店から来た、不機嫌な少年を疑っておるがね」
「名前!」
おまるんがホースを振り回しながら聞いた。ホースの代わりに言葉で鞭打ってるつもりなんかな?
「ガブリエル。大天使のようだろう? 姓のほうは知らん」
「知らん? いーや知ってるね。そいつとヤッたことがあんだろが!」
再びおまるんがホースを机の、今度はもっとヴァルテツに近いところに叩き付ける。
でも今度は総領事もひるまずに、おまるんの方に向かって怒鳴り返した。
「無礼な! 大統領閣下の代理人にそんなこと口を聞くとな、国際問題になるぞメス畜生!」
「事実だろうが、変態じじい!」
「ダニー、ベン、ミゲル、トリスタン、テディ......」
ヒートアップし始めた国際口喧嘩に、あたしは静かに口を挟んだ。
急に押し黙ってこっちを向いたヴァルテツと、がっちり視線を合わせて付け加える。
「"唇ふっくら"......おわかりですね?」
「......取引がしたい」
「ガブリエル。下の名前は?」
「デル・ガド。可愛いけど短気な子だった。ちょっとしたランデブーに誘ったんだが、ひどく怒ってね。いや、あの時は殺されるかと思った」
声を潜めて、まるで恋する乙女のような輝きを目に浮かべながらヴァルテツは語った。
おまるんが総領事に向ける胡乱な目線には"その時に殺されてればよかったのに"と書いてあって、遺憾ながらあたしもそれに同意せざるを得ない。それでも警察官である以上、二人とも口には出さなかったけど。
「その時に殺されてればよかったのに」
おまるん言っちゃったよ。
「何か?」
「いいええ、なあんにも?」
「進展があり次第連絡します、"
気色悪い輝きを目に浮かべたままのヴァルテツに、できる限り皮肉に聞こえるように、具体的には"変態じじい"ってニュアンスを込めながら言うと、おまるんに合図して、二人そろって取調室から退室した。