「ああお二人さん、ここだ。かけたまえ」
電話で指定された
警部がちょうど煙草を喫っているところだったから、私が警部の隣に、ミオはその向かいのラスティの隣に腰を落ち着けた。
「お二人さんの働きぶりについて、いまフィンバールと話してたところだよ」
「ああ、そうだ。俺の本名だ」
私の不審げな視線を受けて、ラスティは切り分けたソーセージの脂でぬるぬるしているナイフを、こっちに向けて言った。お行儀悪いな。
「全部忘れていい。と言うか忘れろ」
どうもラスティ、もといフィンバールはこの名前で呼ばれるのが嫌いらしい。あるいはこの名前そのものが嫌いなのか。
「お二人さんには新しい事件を任せる。ヒスパニック系のご婦人が市役所の近くで殺害され、裏路地に全裸で遺棄された」
「また全裸の女性、ですか」
ミオが声を抑えて聞いた。横のラス......フィンバールは端が黒く焦げた目玉焼きを掻き込むのに忙しそうで、あまり興味があるようには見えない。
「ああそうだ」
警部は煙草の煙――ラッキー・ストライクだな、これ――を吐き出しながら答えた。
「ダリアのあの一件以来、我々はこの手の事件に東奔西走させられているわけだが」
「こいつは、メンデズの事件がでっちあげだって言いたいんですよ」
ラスティが再びナイフをこっちに指して言った。その間もフォークに刺したフレンチ・フライでお皿に残ったグレイビー・ソースを掬う左手は止めない。
「ふうむ。まあお嬢さん方、警察の仕事も山あり谷あり、ってわけだよ」
「警部はモラーの一件で満足なんですか?」
言ってしまってからしまった、と思ったけどもう遅い。
「当然だとも!」
警部はほとんど怒鳴るようにそういった。座高の関係で私は耳元で怒鳴られる形になってしまって、慌てて耳を垂らす。うう、キンキンするよう。
机の向こうにいたミオも、目を丸くしてちょっと身を引いている。
警部の方はカウンターのお客さんからちらちら視線を向けられているのを見て、声を抑えて続けた。
「証拠と証人、そして犯行機会。
そう言うと、気分を落ち着かせるようにまた一服した。
「さあ、そろそろ行きたまえお嬢さん方......お前もだぞ、フィンバール。自分の事件があるだろう」
現場は南北をアリソ通りとサンセット
「刑事! 現場はこちらです」
アリソ通りに駐めた捜査用車から降りて現場保存バリケードの方に歩み寄ると、そこにいた制服巡査が手を振って言った。
「こちらへ。検屍官とピンカーが待ってます」
「ありがとね」
バリケードをずらして私たちを招き入れた巡査に、ミオがお礼を言った。
「......まったく、ひどいもんだ......ああ、来たか。お二人さんを待った方がいいと思ってね」
「どうもマル、レイ」
「よう」
区画の丁度真ん中あたりに、全裸の女性が横たわっていた。検屍官と鑑識技師がその傍らで話をしていて、私はその二人に挨拶をして続けた。
「死因は......聞くまでもなさそうだね?」
「ああ、明白だな」
市警に入ってから、なんなら従軍してた頃から死体はたくさん見てきたけど、ここまで冒涜された死体というのは、私はたぶん初めて見る。私より壮絶な過去を持ってるんじゃない限り――そうじゃないはずだけど――ミオも同じだろう。
死体の首には絞痕があって、それが大きく抉れていたので、私は一瞬喉を切り裂かれたのかと思ったほどだ。かなり強い力で絞められたらしい。死因はこれで間違いなさそうだ。
「顔面に殴打の痕。右頬に二本あるのは、これは刺創かな?」
「いや、側頭部を路面にぶつけてざっくり切ったんだろう。それでもかなりの勢いをつけて倒れ込んだことになるな」
「突き飛ばされた?」
「可能性はある」
「お腹の踏み付けの痕は?」
これはミオからの質問だ。低くて、絞り出すような声。
「小さめの、紳士用の靴だな。鬱血の具合から見て、生前に行われたのは間違いない。臓器にどの程度の損傷を与えたのかは解剖してみないとわからんが、致命傷ではなさそうだ」
「これは? また指輪かな」
マルがミオの質問に答えている間に、私はしゃがみこんで左手を改めていた。薬指の肉が抉り取られている。
「恐らく。以前と同様、出血の量からして死後に取り除かれたようだ」
「今回は......腕時計は無しか。右手の中は見た?」
「いや、まだ」
「どれどれ......くっ、固い......」
「無理もない。直腸温からして、死んだのは真夜中過ぎだ。そろそろ硬直のピークか、緩解が始まったばかりくらいだろう」
「待って、何か握り込んでる......」
獣人の腕力に物を言わせ......てもかなりきつかったけど、ほとんど指をもぎ取るような形で、なんとか握り込まれているものを取り出した。
「と、取れたぁ......さて、これなんだろ?」
――......公立図書館
......・マルドナード
......712番地
......誕生日:1926年7月7日――
「図書館の利用者カード。の、右半分みたいだね」
「......21歳か」
私の肩越しにカードを覗き込んだミオがボソッと呟いた。
「うん、ミオの二つ下*1だね」
短くそう返してから、最後までなるべく直視せずにいた部分に目を向ける。腹部の落書き。
「"
「口紅の色は、前回の事件のものと同じに見える」
「クラシック・カーマイン?」
ためつすがめつして光の向きを調整しながら、レイが答えた。
「ああ。検査して後で知らせるよ」
「お願い。マル、他には?」
「後頭部の頭蓋骨基部に外傷がある。鈍的外力による挫創だろう」
「つまり、ドスン、ドシン、グシャ?」
「そう、それだ。道具は検査を待ってくれ。これが致命傷でもおかしくないが、私は絞死に一票入れる」
「わかった、ありがとうマル。さてミオ、現場を見て回ろうか......ミオ? ミーオー!」
「ここだよ、フブキ!」
ミオは死体から少し離れたところに立っていた。
いつの間に移動したんだろう。今日は現場に着いてから、というか死体を見てからミオはずっと静かだったから、移動したことに気が付かなかったんだ。
「どうしたの、何かあった?」
「うん、まず足元見てみて?」
「足元?......ああ」
ミオを見ていて気が付かなかったけど、死体からここまで途切れ途切れの線が引いてあった。血塗れの何かを引きずった跡みたいに見える。
「で、ここにあったのがこれ」
「帽子か......アントニア」
ミオが手渡してきた藤色の帽子をひっくり返すと、裏側に手書きの文字で名前が書いてあった。
「被害者の名前かな?」
「かも。で、見ての通り」
「......続いてるね」
そう、血の跡はここから折り返して路地の、死体とは別の方向へと続いているんだ。
「......遊ばれてる?」
「そうだとしても、とりあえずは付き合ってあげようか。ウチたちにはこれを捨て置けるほど、有益な情報が手許にあるわけじゃないしね」
そう言ったミオの目は、戦時中でもなかなか見なかったくらい獰猛な怒りの色を湛えていた。