「おまるん」
閑静な現代風住宅街の一角、西2番街3941番地の路肩に捜査用車のナッシュを寄せると、助手席の獅白がそう言ってハンドルを握るあたしの肩を叩いた。ちょっと身を引いて、窓越しに写真で見たのと同じ家の方を指す。
「なに?......玄関が開いてるな。一歩遅かったか」
「みたいだね。何にしても、とにかく中を見てみようよ。オカモトの時みたいなやらかしをしてくれてれば、しめたもんだし」
「そうだな」
自動車から降りて、念のために拳銃を抜く。と、獅白があたしにちょっと手を振って囁いた。
「まった、おまるん。この臭い」
「臭い?」
くんくんと鼻をうごめかすと、やや遅れて獅白が感じたのと同じ臭いを、あたしの鼻も嗅ぎ取った。
「......油か?」
「たぶんね。発砲は控えていこう」
「わかった。お前と心中するつもりはないしな」
「その時はおまるん置いてくからね」
「なんでだよ!」
「うそうそ」
かっかっかと笑う獅白に胡乱な視線を向けつつ、それでも物陰から誰かが襲い掛かってくる可能性も考えて、拳銃は構えたまま開け放された玄関に向かう。
「
家の中からは、物音一つしない。しばらく耳を澄ましていたけど、身を潜めた誰かが身じろぎするような音も、なにもしなかった。
「......誰もいない?」
「みたいだね」
獅白は拳銃をしまうと、玄関に入ってすぐのところに投げ出されていた、オレンジ色のポリタンクに歩み寄った。しゃがみこんで、刻印を読んでいる。
「
「ガソリンか」
くらくらするような臭いの立ち込める、マクレーランの家にあたしも足を踏み入れる。
「うぇっ、ひっでえ臭い......絨毯もぐちょぐちょだな。メイプスは全部焼いちまうつもりだったんか?」
「みたいだけど......」
獅白は妙に歯切れの悪い返事を返すと、ちょっと室内を見回してからあたしに向かって言った。
「家探し、おまるんに任せていい?」
「は? いやいいけど、お前は?」
「だって、どう考えてもやりかけじゃん、この状況」
さんざん引っ掻き回されたうえに、ガソリン塗れになっている室内を指して、獅白が続ける。
「なんで今ここにいないのかわかんないけど、メイプスのやつは絶対火を点けに戻ってくる。その時、この件を嗅ぎまわってる刑事が二人とも中にいたら?」
「......あたしなら、証拠隠滅のついでにフェネックとライオンの丸焼きを作ろう、って気になるかもしれねえ」
「たぶんメイプスもそう思うよ。大丈夫、おまるんが中にいる間は、絶対にそんなことせないからさ」
おう、結構クサい台詞を平気な顔で言うじゃん、こいつ。それはさておき、
「さっきまでポルカを燃え盛る家の中に置き去りにするって、そう言ってたやつに言われてもなあ......」
「えほっ、うぇっ......あー、頭痛くなってきた......」
結局あたしは獅白に押し切られて、推定・マクレーラン邸内を捜索していた。といっても、オカモトの時と同様、あたしたちが必要としてるものはあらかた先客が持って行ってしまったらしい。
炭化水素の臭いが沁み込んでスポンジみたいになってきた脳みそを何とか酷使して、
「ぜってーあいつ、頭がふにゃふにゃになるのを見越して外に出ただろ......あ、なんだこれ、パスポート?」
ベッドの上には衣類が散らかっていたけど、その上にアメリカのパスポートが置かれていた。表紙をめくって、その裏の所有者情報を確認する。
――重要 本旅券の所持人は、下の各欄に署名し、必要事項を記入すること。また、支給後直ちに、3ページ目下の欄に署名すること。必要な署名・記入のない旅券は、連邦法に基づき無効である。
名義人 オスカー・ハングストローム 署名――
あたしの頭がぐるぐる回ってやがる。ガソリンのせいなのか、ここに至って急にまた姿を現したハングストロームに困惑してなのか、それすら判断がつかない。外にいる獅白に任せよう。
そう思って玄関の方に歩を進めると、正面から獅白の声が聞こえてきた。
「なに、あんたたち。あたしは警察で、ここは今危ないから立ち入り禁止――」
獅白が不意に言葉を切った。そこからちょっと遅れて、あたしは玄関から顔を出した。
「があっ!」
獅白が呼び掛けた相手は、警備員みたいな制服を着た4人組の男たちだったらしい。あたしがのぞいたタイミングで、丁度獅白がアッパー・カットをきめた相手の一人が、背中から地面に落ちるところだった。
獅白、と呼びかけそうになった自分の口を慌てて塞ぐ。3人に減ったと言っても、数の上では獅白が不利なことに違いは無い。いくら喧嘩慣れしてると言ったって、3人一気に組み付かれたら流石に獅白でもきついはずだ。今、あいつの注意をこっちに逸らすべきじゃない。
ガソリンの回った頭でよくここまで考えが及んだもんだと、褒めてほしい。褒めろ。
とにかく、最悪の事態になった時に飛び出すことにして玄関脇に身を潜めようとしたとき、あたしの耳が裏口のほうから物音をとらえた。慌てて振り向く。裏口の外にいる男と目が合う。その手には火炎瓶。手にした拳銃を向ける。
あたしが引き鉄を引くのと、火炎瓶が裏口の床に落ちて割れ、ぱっと火の手が上がるのはほぼ同時だった。38口径
「おまるん!」
獅白の悲痛な叫びが背後から響いて、次の瞬間には玄関を塞ぐように立ち上がった火炎の、轟々言う音がそれもきれいにかき消した。