駆ける、駆ける、ひたすら駆ける。
それが使命だと言わんばかりに、彼女はその健脚を見せ付けるかのように走り抜ける。
誰も、彼女に並べない。追い縋ることすら許さない。
確かに並び立って走り始めたはずの十数人を遥か後方に、しかし彼女はその速度を緩めない。
「……惜しいよなぁ」
その光景を眺めていたギャラリーの一人が、たまらず呟いた。口に出さなかっただけで、そこにいる全員が同じ事を思っていた。
大差で模擬レースを制した彼女には、片腕が存在しなかった。
「お疲れ様。今日も良かったよ」
「あんがと」
レース終了後、彼女を迎えたトレーナーである人間から投げられたタオルを片腕で受け取り、乱雑に汗を拭き取りながら、
「……んで? あの話はどうなった?」
「本人から直接意見を聞きたいってさ。私個人の意見を言えば、まぁいい話だとは思うけどね」
「酔狂な話だよなぁ。こんなウマ娘捕まえてさ」
んじゃ、とっとと会ってきますか、とタオルを肩に掛けて気だるげに歩き始める。そんな彼女の背を追うことはせずに、視線をレース場に向けるトレーナー。
そこには、満身創痍でありながらも悔しげに地面を睨み付けるウマ娘がいる。
「……あんな、片腕なんかにっ……!」
小声ながらも、しかし確かに届いた、そんな言葉。
トレーナーが彼女を担当してから、腐るほど聞いてきたその手の言葉に、心が燻る。当の彼女が聞いていれば当たり前のように無視するか、もしくは逆に煽り返すかのどちらかなので、基本トレーナーから苦言を呈することは無いのだが、それでも、面白くはない。
あれだけの才があっても、隻腕の彼女は正式なレースには出られない。
たかだか地方のトレーナー。そんな自分が何を言うのかと言われればそれまでだが、彼女ならば中央の前線に並びたてる器だとトレーナーは思う。
だからこそ、そんな彼女が隻腕だと言うだけで見下されるこの状況が悔しくてたまらなかった。
「お待たせしましたかね」
「いいや。こちらこそ、疲れているところにすまない」
「中央の生徒会長様を待たせる訳にもいかないんでね」
応接室にて、彼女を迎えたのは一人のウマ娘。
シンボリルドルフ、その人であった。
「トレーナーから話は聞いたかい?」
「失礼ながら、正気を疑う話かと。こんな片腕忘れてきたウマ娘を中央に連れてってどうするんです」
机を挟んで向かいのソファーにどっかり座り込んだ彼女の飾らない言葉に、ルドルフは苦笑する。
ここは地方の学園。そして自分はレースにも出られない出来損ない。走ってしまえばそこらの奴に負けるつもりこそないが、競技者としての将来は無いに等しい存在。それが、彼女の自己評価である。
そこに現れたのが、泣く子も黙る中央トレセン学園現生徒会長、シンボリルドルフだ。
入学するだけでも至難の技。ウマ娘一人、どれを取っても並みを越えるエリート集団の中で、絶対の二文字を評価として受けた化け物。それが、彼女の前に座る存在である。
「では聞くが、君は現状に満足しているのかな。先のレースを見させてもらったが、見事なものだった。地方に埋もれていいレベルでは無い」
「恐縮ですね」
「本当だぞ?」
ヒラヒラと手で顔を仰ぎながら言う彼女に、世辞だと思われたかとルドルフは念を押していく。
が、彼女は鼻で少し笑いながら、
「で、中央に私をぶちこむメリットは? 面倒なのは嫌いなんで、ストレートに教えてくれると嬉しいんですが」
「ふむ。理由如何では断ると?」
「何処に行こうがやることは変わりませんけど、変な思惑には乗りたくないんで」
ふむ、とルドルフは耳を動かす。
「先に聞いておきたいんだが、いいかな。君は正式なレースに出られないのを承知の上で、ここに通っているみたいだが」
「好きに走るのも場所がいりますし。卒業しときゃあ箔も少しは付きますから」
彼女とて、ウマ娘のはしくれだ。
走るのは大好きだし、その身に宿す闘争本能は並外れて高かった。だからこそ模擬レースでは陰口を叩かれようが全力で相手を捻り潰すのだ。
そこに意味も意義も無い。誰よりも速く、速く。ただ、それだけの話。
そして少しだけ間を置いて、もう一度口を開く。
「……後は、私とおんなじようなウマ娘の助けにもなれりゃあいいな、と」
「つまり?」
「滅多にいないけど、ごくたまにこんなウマ娘もいるにはいる。私ら欠損があるようなウマ娘は、満足に走る場所も与えられないのが殆どなんだ」
ウマ娘として生まれ、名を残せずに去っていく存在はごまんといる。
その中でも、天文学的な確率で、彼女のように有るべきものが無いウマ娘も確かに存在するのだ。それが腕であったり、目であったり、耳であったり。最悪、脚であったり。
走る為に生まれてきたような存在であるウマ娘にとって、走れないということはほぼ死亡宣告に等しいものだから。
彼女は軽い口調で続け、
「私が卒業すりゃあ、そんな連中も少しは生きやすくなるでしょ。少なくとも、私は胸張って生きてますし。場所さえあれば、走れるなら走ればいい。……走れなくても、関わることくらいは許して欲しいもんですよ」
あえてぶっきらぼうに、そう締めるのだった。
「……名前を、改めて聞いても?」
「そういや、名乗って無かったでしたっけ」
まぁ、知ってはいるんだろうけど、と前置きしてから、彼女は姿勢を正す。
そうすることで、彼女のアンバランスな身体が余計強調された。肩から先がまるごと存在しない左半身。そして、あえてそうしているのか、よりそれを際立たせるかのような、極端に右半分が長い髪型。
「ワンサイドペア。神様も、よくもまぁこんな名前授けましたよね」
尖る犬歯を光らせて、彼女は笑っていた。
要望あれば続きを書く。