「さて、明日から君はここで高等部二年として通い始める訳なのだが」
「…………」
「寮の方はもう確認したかな? まだならこの後にでも行ってくるといい。先に送られていた荷物は部屋に届いているから、今日整理しておくのもいいだろう。ルームメイトに挨拶も出来る」
「…………」
「学園の案内などはルームメイトに頼めば快く引き受けてくれるだろう。後は……」
「……ひとつ、聞かせてくれ」
「おや、呼吸は整ったのかな」
仰向けに芝に倒れこんでいたペアが、滴る汗を拭いながら起き上がる。
同じように汗こそ掻いているものの、まだまだ余裕が伺えるシンボリルドルフにやや舌打ちしそうになりながらも、彼女は唾を飲み込んでから口を開いた。
「私は、レースに出られるのか」
「無論」
「……本当に?」
「そうでなければ、君をここに入れた意味が無い。あと、その質問は少しばかり的外れだな」
手が差し伸べられる。ペアはその手を少し見つめてから、その手を掴もうとして自分の手が汚れていることに気付いて手を引こうとして、しかしその前に掴まれて。
勢い良く身体ごと引き抜かれたペアは、片方の腕しか無いためにルドルフに身体を預ける格好になり、しかし彼女の身体は根を張っているかの如く微動だにしなかった。
「何を……」
「私達はあくまでも土台を整えることしかしない。その上で、君は君自身の力でその権利を勝ち取るんだ」
ルドルフはペアに額をぶつけるほどに顔を近付ける。こつり、と事実額が当たる至近距離で、彼女は続けた。
「中央は、ぬるくないぞ」
「……っは」
ペアとルドルフでは、ルドルフの方が身体が大きい。それでも、ペアは威圧ともとれるその言葉と態度に一歩も引かない。引いてはいけなかった。
「生憎こちとら逆境が常なんでね。アンタ含め、全員に目にモノ見せてやるよ」
「結構」
パッと身体を離したのは、ルドルフの方。
辺りを見回し、いつしかギャラリーが増え注目が集まっていることを確認すると、ペアの肩をひとつ叩いて去っていった。
すぐにトレーナーが駆け付ける。
「喧嘩するかと思った」
「誰がするかよボコボコにされるわ。走りでやられて充分見せ物にされたってのに」
「貴女の身体は、
「そこは慰めるとかしねぇのかよ……」
「必要ならするけど、必要ないと判断してるまで。さ、引き上げて明日の準備に入らないと」
「アンタって時々すげぇ冷たいよな」
まぁ、確かにさっさと引き上げたいのは同感だと身体を伸ばすペア。ルドルフが去ってから幾分ましにはなったものの、未だ注目は集まっている。
ここの会長様とあんなことをしていたら当たり前か、と頭を振って、もしかしてそれも計算の内かと微妙に口元を歪ませながら歩き出した。
「会長」
「エアグルーヴ。すまないね、急に留守にして」
「いえ……。お疲れ様でした」
「おや、見ていたのかな」
「ここから、練習場は目視できますので」
汗を流し、制服に着替えたルドルフ。生徒会室に戻った彼女を出迎えた一人のウマ娘は、窓に視線をひとつ向けてからそう返した。
ふぅ、と一息ついてから椅子に腰掛けたルドルフに、何時から用意していたのか、湯気の立ち上るひとつのカップが置かれた。
「……ひとつ、質問をしても」
「どうぞ」
「あのウマ娘を編入させること……ひいては、トゥインクル・シリーズに参加させることについてです」
「ふむ」
カップに口をつけながら、ルドルフは片目だけ開いて続きを促す。
エアグルーヴは、少しだけ躊躇いのようなものを見せてから、改めて口を開いた。
「正直に言わせてもらうならば、危険かと。本人は当然として、周りのウマ娘にも被害が行きかねない。片腕が無いということは、それだけ身体のバランスが崩れやすい。五体満足な私達ですら、最高速で身体に掛かる負担は大きいというのに」
「ごく当然の危惧だ。しかし、彼女に関してはそこに問題は無い。私達とは全く異なるが、しっかりと身体をコントロールする術は身に付けていると判断した」
「だとしても、彼女の実力はここでは良くて中の下程度。地方では敵無しだったのかもしれませんが」
「データを?」
「…………」
無言で頷くエアグルーヴ。
その顔を見て、クスクスとルドルフは笑った。怪訝そうな顔に変わる彼女に、ルドルフは机に肩肘をついた。
「私と彼女の並走は、見ていたのだよね。どれくらいの力で走っているように見えた?」
「……良くて、六割程度でしょうか。最後の直線は、少しだけ上げたように見えましたが」
「概ね正解だよ。そして、彼女はそれにしっかりと着いてきた。さて、ここでひとつ質問だ」
「…………?」
「如何に六割程度とはいえ、この私に2400ピタリと張り付いたまま走り切れる『デビュー前のウマ娘』……。この言葉の意味は、わかるかい?」
「……まさか。本格化も迎えていないウマ娘が出せるタイムでは無い。それも、片腕が無い……」
「それだ」
ぴしり、と肩肘をついたまま、少しだけ鋭くなった目付きでエアグルーヴを視界に捉えたルドルフは、身体をやや固くした彼女に言う。
「事実を、結果をどれだけ並べても、世の中の大多数はそういう目で見る。彼女で言えば、片腕が無いということで、出した結果にケチを付けてしまう……ちょうど、今の君のようにね」
「……失言でした」
「──とは言っても、私も彼女から比べれば『持っているはずのモノを当たり前に持っている』立場の存在だ。私からこの手の事柄に言及しても、説得力は無い」
難しい話だが、だからこそ、と。彼女は背もたれに身体を預けて天井を仰ぐ。
「そんな『彼女達』の言葉をダイレクトに伝える為に、彼女はここに来る事を選んだのさ。……もっとも、彼女の性格故か、そこまで大層なものは背負ってられないと言っていたけどね」
引き出しから、数枚の書類を取り上げる。
そこに連なるワンサイドペアの情報を見て、わずかに彼女は顔をしかめた。
「少なからず、彼女はそう思っているはずさ」
「ベアっちフェイスペイントとか興味ない? めっちゃエモくなると思うんだけど」
「私がやっても人相悪くなるだけだろ」
「いやごめん。ほんとごめん」
「謝るなら私のルームメイトとして早くコイツ引き剥がしてくんねぇかな」
「ヘリオスは走り始めたら止まらないんだ……」