シャルロット・コルデーに聖杯を貢ぎたい……お淑やかな服の下でははちきれんばかりになってる才能を丸出しにしたい……そう思ったとき、既に行動は完了していた(理性蒸発) 作:夢見る人・夢描く人
リン=ティティスという少女は実に生真面目で、馬鹿真面目で、呆れるほど真面目で――兎に角、自分にできることを努力して行うことのできる少女だ。内向的な性格で損をするところはあるが、その実、彼女はクラス内でも一、二を争うほど心が強いのではと考えている。個人的な意見だ。
そんな性格であるから「嫌われる」ということがとんと無く、友人は少なくとも敵は一人もいない、シャルロットやルミアさんとはまた別のベクトルの人付き合いの良さがある人物だ。
自分にできることをする。そんなことができない奴がこの世に溢れていることを、僕は良く知っていた。僕自身が、出来るのにやらず、夏休み最終日に宿題を纏めて片付ける人間だからだ。
ここ数日心折れずにグレン先生へ質問していく姿を見ていると、つくづく彼女は凄い人物だと実感する。頬杖を突きながら彼女の後姿を見ていると、横からじとっとした視線を感じた。目を向けなくともわかる。シャルロットの視線だ。
その粘つく様な視線に絡め捕られて横を向けば、シャルロットは良い笑顔で羽ペンを構えていた。そのまま突き刺してきても服の上からだと魔術処理のされた制服で防御されるので意味がない。だが、首筋や頬など、肌の露出したところは普通にダメージが通る。つまり痛い。
えい、えいとばかりに無言でぷすぷすと突き刺してくるのを注意する人は無く、僕は自力でそれを防がなければならなかった。手首をつかんで抑え込もうにも、シャルロットは
「あ」
「どうしました?」
何が、とは言わないが、身を乗り出した際にシャルロットの
「……っ、ふふふ」
僕の視線が向く先を察して、赤面の理由を理解したのだろう。だがシャルロットは前屈を止めず、むしろその胸を机に押し付けるようにこちらに向け、更に近寄ってきた。鼻腔を擽る花のような香りは、紛れもなく彼女本人の香りだと断定できてしまう。
その
だが、その頬が仄かに赤いのを隠しきれてはいない。やはり彼女も恥ずかしいのだろう。それを理解したからこそ、僕は反撃に打って出る。
ハムッとするように口を寄せ、耳に息を吹きかけた。彼女の――シャルロットの耳に。
「~っ」
びくんっ、その身を跳ねさせると、身を捩りながらこっちを見上げた。ほんのりと朱に染まった頬の赤が、潤んだ目尻を彩る。それを見て、僕はニヤニヤした。
授業中であるがゆえに声は出せないが、此処が家の中であるならこれは取っ組み合いに発展していただろう。シャルロットの気分次第では、『
かといって僕も
二人とも自習する集中力が切れていた。
肘で小突き合い、指で脇腹を突き合う。時折羽ペンの飛び交うそれが、席が後ろで無駄に静かな攻防だったもので、
「――いい加減にしてくださいっ!」
机を叩き、立ち上がる。おっと何事だ、という視線が集まる。システィーナさんに。
揺れる銀髪を尾っぽの様に、今日も今日とて彼女はグレン先生の
もはやクラスの誰もが期待していないというのに、此処まで来ると一種の執着だ。心なしか、クラスメイトの半分は彼女をうざったそうに見ている気がした。
実際、僕はそろそろうざったく感じてきた。最初の一度は勇断だ、二度目三度目は決意だと褒められる。だが、四度目五度目からは嫌気がさして、六度目を超えるとしつこくなる。
別に、だぁれも真面目な授業なぞ求めてはいないのだ。強いて言えば、普通に居れば、事無ければいいのだ。
だからこそ、度を越えた反芻はうざったい。そうだろう? 見ていれば分かるはずだ。
「む? だから、お望み通りいい加減にやってるだろ」
だが、詭弁だ。みんな分かってる。グレン先生がまともに受け答えするつもりが無いことも、みんな。
だから諦めているのだ。
誰も、好き好んで腐ったリンゴに絡みたくないから。
腐ったリンゴとつるんで腐りたくないという、
そんな中、まだグレン先生に噛み付くシスティーナさんの根性は確かに立派だった。
うざったいのは確かだけれども。僕がうざったいと繰り返すのと同じように。
なんでだろうか。
僕はどうやら彼女が嫌いなようだ。物語を見ている間は好きに思っていたし、転生してから言葉を交わした時にも嫌いだとは思わなかったけど。
なんだか嫌いだ。まるで――。
軽い破裂音と共に、それが叩き付けられた。
グレン先生の胸に投げつけられたのは立派な素材でできた、白い皮の手袋。前世でよく見た薄っぺらい、機能性重視のそれじゃなく、伝統と象徴性の籠った貴族的な量産品だ。
魔術師は血を崇拝する。そうとはいかない者も血を神聖視し、特別視している。魔力は、血の巡りと深く関係しているからだ。
だから血の集まる心臓を重要視するし、特別扱いする。心臓に近い左手の方が、円滑な魔術行使適している。なんて理由もある。だからこそ、左手の手袋というのは『魔術師の決闘』を申し込むに相応しい象徴性があるのだ。
所詮は、黴の生えた古びた伝統だが。でも人は真新しい薬より、親に教わった民間療法をありがたがるものなのだ。
システィーナが左手の手袋を投げつけたことによって騒めくのは、受けた教養の深さを示す。貴族の風習にとんと縁のない暮らしをしていれば、その意味に気付けないからだ。
だけれどこんなお高い学費の学院に通わせるほどの家柄で、その伝統を知らないものなんてほとんどいない。
それは決闘を受けたグレン先生への意外さも合わさり、これは最近の緩み切った空気に対するいい刺激となった。
***
場所は移り変わって、中庭。これから荒らされることになる芝生は、管理人の不断の手入れによって短く刈り揃えられている。昼寝の良いスポットで在り、弁当派の憩いの場であるのが此処だ。
その面積を利用して野外訓練などもよく行われるのだが、それが必要になる時期は本来もう少し先で。だから、どちらが勝ってもどちらもが弁当派からの怒りを買うことになるだろうなぁ、と考えたりする。
普段学食を使う彼彼女には分からないだろうし、僕も正確には分からないことだけれども。
「どうした? かかってこないのか」
余裕ぶっているグレン先生を見て、システィーナさんは震えていた。オーラとか殺気とか威圧とか、そういうのが全部錯覚だってわかる良い見本だ。
「……くっ!」
決闘のルールは、黒魔【ショック・ボルト】の打ち合い。西洋劇なんかの早打ち勝負をイメージしてもらえれば、それでいい。実際、【ショック・ボルト】は学生が教わる中でも最速の呪文で、それでいて素質によって速度の大差が出にくいほど
引き金を引いてから、弾が相手の胸に着弾するまで。その速度が同じならば、後はホルスターから銃を引き抜く段階の動作の滑らかさや速さが物を言う。
考えてみよう。
片一方は専門家。もう片方は努力する天才。専門家の方は不敵に笑いながら、『先手はどうぞ』とばかりにホルスターに手を添えることすらしない。身構える天才の迫力ある威圧も、まるでないものかの様に、そよ風に吹かれるように笑んでいる。
まるで
敗色濃厚だと観客の目には映っている。そのあまりの堂々とした立ち振る舞いに、まさか専門家が
最初っから勝負が成り立っていない。
事情を知る者も、知らない者も、皆そう思うような
「――つまり、奴は
『……ッ!』
『……っ!』
くいっと眼鏡を上げてそう言ったギイブルを見て、笑いを堪えること。これが僕とシャルロットにとっての今日最大の難関だったに違いない。二人揃って腹を抱えてしまった。
尚、他のクラスメイト……セシルとかは、ギイブルの自説を聞いて息を呑んでいたけど。
大多数が固唾を呑むこと数分。
緊迫の中、とうとうシスティーナが動いた。
「《雷精の紫電よ》――ッ」
直線機動の蛇のように、空気中を雷速で駆け抜ける一条の閃光が放たれる。自然界のそれとは異なって相手を弾き飛ばせるだけのエネルギーまでをも得た紫電は減速することなく、電位の狭間を行く。
直視より認識するまでの僅かな刹那で、その穂先は着弾寸前まで距離を詰める。軌跡を残して弾ける僅かな静電気からは、その威力の高さと、収束の精度が伺える。当たればただでは済まないだろう。
果たして先手を取ったのはシスティーナだった。開始前にグレンが煽ったように、胸を借りるつもりで放った一撃。カウンターを叩きこまれるかもしれない
「……ふっ」
着弾寸前。そう、殆どグレン先生の胸に突き刺さる間際の事。システィーナの精神は過度の緊張により負荷がかかって、疑似的な走馬燈――或いはゾーンと呼ばれる状態に突入していた。
息もできない、秒針が時針に変わった様な停滞の一瞬で、システィーナは確かに
――何か、見落としている?
その思いに焦りを抱き、冷や汗を掻くよりも早く二と四の予測結果が脳内を駆け巡る。この状況からの逆転の目は、有り得ないまでに速い【ショック・ボルト】での相殺か、あるいは躱すことのみ。それらを可能にする仮説は、次の瞬間で合計二つにまで絞られる。
乗せられたのだとすれば、反撃が来るはずだ。いや、きっと来る。そう確信して、システィーナは足に力を込めた。
何とかこの後に来るであろう反撃を回避するために。
そして。
「ぎゃぁぁああああーーーっ!!」
呆気なく、抵抗なく、反撃なく。
何もせずにグレン先生は敗北した。
『……は?』
このクラスの中の良さが証明された瞬間だった。
ぷすぷすと焦げ臭い匂いを漂わせて血に臥せるグレン先生を、誰もが呆けた顔で見据えている。自身の目を疑う様に瞬きまでして。
先程の例えに乗っ取ると、如何にも歴戦のガンナーと言った感じの先生がどこかの三下よろしく瞬殺されたのだ。『タイタニック』を見ていたかと思えば、突然Z級のサメ映画に切り替わった様なものだ。
そりゃ呆けるだろう。
この後、グレン先生は更に不意打ち気味に『実は三本勝負……三本先取……五本先取なんだっ!』なんて御託をのたまってシスティーナに挑みかかった。当然、決闘の結果はお察しの通り、グレン先生の惨敗だ。
多分四十七本目の【ショック・ボルト】を受け、とうとうグレン先生は負けを認めた。自己申告によると、新しい世界の扉を開きかけていたらしい。熱の冷めたシスティーナもドン引きしていた。
「そもそもさっきから三節詠唱ばっかり……もしかしてグレン先生、【ショック・ボルト】の一節詠唱、出来ないんですか?」
「な、なんのことかさぁーっぱり? そもそも詠唱省略する一節詠唱なんて邪道だなーぁってボク思うわけですよねっ。先人が練り上げた美しい呪文に対する冒涜っていうか! あ、別にできないからそう言ってるわけじゃないからっ!」
「できないんだ……」
グレン先生が学生でもできる【ショック・ボルト】の一節詠唱ができないと知り、周りの視線がとんでもないものを見る視線に変わった。相手が教師である分、クラスメイト以上にその視線は厳しい。汚物を見る目というより、哀れなものを見る目だ。
「と、兎に角決闘は私の勝ちです! だから私の要求通り、明日からは真面目に授業を」
「は? 何のことでしたっけ?」
「……え?」
惚けている。だが、いい加減システィーナさんも慣れてきたことか、決闘の賭けをすっぽかそうとしている目論見には気付いているだろう。
だが、「まさか――」と開こうとするより先に、グレン先生のすっとぼけの方が早かった。
「俺たち、何か約束してましたっけー? いやー、覚えてないなぁー。誰かさんのせいでいぃーっぱい電撃に打たれ続けた訳だしぃ?」
システィーナさんに話させなかったために、更に彼女が怒り出して面倒な事態に発展する事態を防いだ……のだろうか。予想だが、あのままシスティーナさんが口を開いていたらいつもの様な口論に発展していただろう。
「先生……まさか魔術師同士で交わした約束を反故にするっていうんですかっ? 貴方、それでも魔術師の端くれですかッ!?」
「だって俺、魔術師じゃねーし」
まるで予想してたかのような切り返しだ。全く考えた様子もなかったことから、きっとそれが本音なのだと理解できる。冷静な一部な生徒は、それが単なる煽りではないようだと気付けているようだった。
その理由までは分からずとも、吐き出すようなセリフに『踏み入ってはいけない事情』というものの臭いを嗅ぎつけた者の顔をしている。セシルやルミアさん、あとはテレサ=レイディなどがそうだ。
だがそんな鑑定眼を持つ者は多くない。一クラスに三人もいるなら多い方だ。大多数の生徒はシスティーナさんと同じように、グレン先生への怒り……というより蔑みを募らせている。この期に及んで言い訳をするのか、と。
確証もないわけだから、セシルらが庇う動きを見せることは無い。そもそも庇う理由自体が無い。
クラス全体からのヘイトを高めつつあるグレン先生は、その空気を読まず――いや、読んでこそだろうか――更なる発言に発展させた。
「魔術師じゃねー奴に魔術師同士のルール持ってこられてもなー。ボク、困っちゃう」
きゃぴっ☆ とでも言いだしそうな声音に、神経を逆なでされた生徒は少なくない。実際、僕も軽くイラっと来たから。
「貴方、一体何を言ってるの……っ」
グレン先生のような人物相手の経験値が皆無だからか、まだ諦めずに食い掛っている。溜息を吐きたくなるぐらい、馬鹿だ。
「はぁ……」
「あれ、マスター。どうしました?」
「ああいや、何でもない」
というか、実際に
「兎に角今日のところは超ギリギリ紙一重で引き分けということで勘弁してやる。だが、次は無いぞ。更ばだっ。ふはははははははーーーっ! あいて」
ダメージが残った体で走ったものだから、当然のように何度も躓いて。転ぶ。
そしてそのまま何処かへ逃げ帰ったグレン先生は次の授業まで帰ってくることは無く、更には他の授業と同じように大遅刻をかます始末。此処まで来ると、もはや態と嫌われに行こうとしているのが見え見えで呆れてくる。そこまで首になりたいのかと、誰もが溜息を吐いた。
もはやただいるだけで不快な気分になる空気の中、終業の鐘は鳴る。
***
三日後。いつも通りといえばいつも通りで、可笑しいといえば可笑しい授業を終えて本日最後の授業の時間。やはり、まるでやる気の感じられない、子守歌よりなお間延びした口調での教科書朗読だった。
溜息の音が聞こえるというのも、最近では珍しいことではない。諦めたのだろう。昼の事もあり、システィーナさんですらもう何も言わなくなった教室は、とても静かであった。
何故かそれが妙にさみしく感じるのは気のせいだろう。ぼーっと黒板を眺めていると、ふいに手が上がる。
リンが上げた手だ。
一瞬、猫のしっぽが揺れたようにも感じた頼りなさげな挙手に、グレン先生は気付かない。いや、気付いたうえで無視しているのか。
重ねてリンが口を開けば、流石のグレン先生も教科書から顔を上げたが。
「あ、あの、先生。今の説明に対し質問があるんですけど……」
リン=ティティスは生真面目で馬鹿真面目な少女だ。其れこそ、講師が如何に怠慢であろうとも、授業に真剣に取り込めるくらいに。
そんなリンを嫌うシスティーナさん――いや、もう『さん』付けするような相手じゃない。システィーナで十分か――ではなく、だからこそこの質問にはシスティーナも手元から目を離した。
「あー、なんだ。言ってみ?」
「え、えっと、その、先生が今触れた呪文の訳が、良く分からなくて」
ため息が聞こえる。学生ではなく、グレン先生のため息だ。心底めんどくさそうでありながらも、それでも教壇の上の辞書を掴んだのは、職務怠慢による罰でも恐れているからだろう。
それをどうするのかというと、代わりに調べるという優しさがグレン先生にあるわけもなく、そのままリンに差し出して自分で調べるように突き放した。
「……え?」
予想はしてた。二度目のため息は、システィーナのものだ。
気づけばグレン先生が一言話す度に空気は重くなる。このどんよりとした空気を吹き飛ばすために窓を開けたくなるが、自分らの席は窓際ではない。
「三級までのルーン語が音階順で並んでるぞ。因みに音階順ってのは――」
「――無駄よ、リン」
説明が遮られたものの、これ以上口を開く必要が無くなったからか、グレン先生の顔に不満そうな気配は見受けられない。いつも通り、死んでどろどろに腐った魚のような目と、つまらなさげに見える無表情が浮かんでる。
これでは、表情も読めないか。強いて言えば決闘の時ぐらいだろうか、生き生きとしていたのは。
「その男に何を聞いたって無駄だわ」
システィーナはそう言って、席を立つ。
「あ、システィ」
近くに寄った彼女に対して、リンは所在無さげにおろおろし始める。此処で助勢やらなんやらの為に僕も席を立てば、リンのうろたえは加速するだろう。ちょっと見て見たい気もする。
「その男は魔術の崇高さを何一つとして理解していないわ。むしろ、馬鹿にしてる」
そんな男に教えて貰えることなんてない。そう言ったシスティーナは、汚物を見るような目でグレンを見ていた。その横顔を見て、何処かグレンの様な『
「で、でも……」
リンの口にした逆接は、システィーナへの些細な反論に繋がるのだろう。それを聴いて、僕は彼女が未だにグレン先生を教師として扱っているということを実感した。
意地を張っているようには見えない、滾々と、純粋な熱意に満ち溢れた瞳を見て、僕はそれを美しいと感じた。
三度目のため息は、僕の口から漏れた。見事なものだと、誰に語るつもりもない感心を乗せて。
「大丈夫よ、私が教えてあげるから。一緒に頑張りましょう?」
リンがより困ると良いとか、そんなことは考えていないが。どうしてか僕は、そのシスティーナの救いの手が余計なものに思えてきた。妥協の産物、諦めの結果。今の彼女の声を聴くと、そんな単語ばかり浮かんでくる。
「あんな男は放っておいて、いつか一緒に
まるで宗教勧誘だ、と呟く。シャルロット以外には聞こえなかっただろうその呟きは、当然ながら自分にはばっちりと聞こえていて。そんなことを言った自分に驚くと同時に、システィーナから目を逸らした。
「魔術って……そんなに偉大で崇高なもんかね」
ふいに耳に飛び込んだその声は、一日だけ放置したガラス窓のような心を軽く撫でた。それは珍しく、教科書の朗読や質問以外で口を開いたグレン先生の声だ。
気怠さの残るその口調は、質問というより疑問のようで、答えを聞いているというよりも求めているようで。
「ふん、何を言うかと思えば」
それに律義に返すシスティーナ。
「偉大で崇高なものに決まってるでしょう? もっとも、貴方のような人間には理解できないでしょうけど」
「何が偉大で、何処が崇高なんだ?」
妙に食い下がるグレン先生の言葉を聞いて、ぼんやりと『こんな場面もあったっけ』と思いを馳せる。何分、ずいぶん昔の事だもので、大筋以外はうろ覚えなのだ。
一巻はだいぶ読み込んだので、割と覚えてはいるが。
「え?」
即答のできないシスティーナに、グレン先生は畳みかけるように問いかけた。
「魔術ってのは何処が偉大で何が崇高なんだ? それを聞いてる」
「そ、それは……」
「ほら、知ってるなら教えてくれ」
頼むから、と続いたように聞こえたのは間違いもなく空耳だ。
生徒に質問する教師。立場は逆であるが、不思議と非難できないような空気が馬にはできていた。
システィーナの掲げる意見。それに対する問いかけは、図らずとも討論の様相を見せている。
だから、引くことができない。優等生であるがために、クラスの雰囲気に聡いシスティーナは、知らんふりして逃げ出せない。
それに何より、その主張はシスティーナにとって何よりも大事な宝だから。彼女の根幹だから。
「魔術は、この世界の真理を追究する学問よ」
「ほう」
演説するように明朗な声で、流れるように言った
「この世界の起源、この世界の構造、この世界を支配する法則。魔術はそれらを解き明かし、自分と世界が何のために存在するのかという永遠の疑問に答えを出し、そして、人がより高次元な存在に至るための手段なの。それはいわば神に近づく行為。
だからこそ、魔術は偉大で崇高なものなのよ」
自信満々にそう言い切ったシスティーナは、だが予想だにしない切り返しを受けた。
切り返し事態を、予想していなかったように。
「何の役に立つんだ? それ」
「え?」
「いや、だから。世界の秘密を解き明かしたところで、それが一体どう役立つっていうんだ?」
「そ、それは言ったでしょ! より高次元な存在に近づくために……」
「より高次元な存在ってなんだよ。神様か?」
「……それは」
旗色が悪い。
それもそうだ、自分に酔っているような理論で切り崩れる様な、説得できるような相手ではないだろう。システィーナとしては十数年抱えた主義だろうが、グレン先生からすれば過去の遺物だ。更に言うならば、語り方もなっていない。『永遠の~』だの、『いわば』だの、まるで劇でもしてるかのような過大な語り口。
鳥肌が立つ。唾を吐きたくなるくらいだ。
自分にしては珍しい。この気持ちは何だろう、と少し考えてみて、まさか、と仮説を立てた。これはまさか――
「そもそも、魔術って人にどんな恩恵を齎すんだ?
例えば医術は病から人を救う。冶金技術は人に鉄を齎した。農耕技術が無けりゃ人は飢えて死んでただろうし、建築術のお陰で人は快適に暮らせてる。
『術』と名付けられた者は大体人の役に立ってるが、じゃあ、『魔術』は何の役に立ってんだ? 魔術だけは何の役に立ってないのは、俺の気のせいか?」
――なのだろうか。いや、きっと違う……そうだとしても、僕には関係ない。
呆けていた間に、話は進んでいたようだ。青ざめた顔でシスティーナは首を振り、弱々しく反論している。
「……人の役に立つとか、立たないとか、そんな低い次元の話じゃなくて……。人と世界の本当の意味を探し求める学問、よ」
「でも、何の役にも立たないなら実際、ただの趣味だろ? 苦にならない徒労、他者に還元できない自己満足。魔術ってのは要するに、単なる娯楽の一種ってわけだ。
違うか?」
歯噛みしているのだろう。後列で、しかも俯き気味なシスティーナの顔を伺うことはできないが、想像はできた。
反論がないまま、少しだけ長い空白の時間が過ぎる。
「悪かった、嘘だよ」
グレン先生の口調に皮肉の味が混ざるのを聞いた。
毒の様に染み込んだ、粘り気のある皮肉だ。
「魔術は立派に人の役に立ってるさ」
「……え?」
顔を上げたシスティーナは、続く言葉に打ちのめされた。
「あぁ、魔術は凄ぇ役に立つさ……人殺しにな」
その時、何故かシスティーナを向いているはずのグレン先生の瞳が、僕には見えた気がした。泥の様に重苦しくて、昏くて、息苦しい、煮凝りの様な瞳を。
「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にはないんだぜ? 剣術が人を一人殺している間に、魔術なら数十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を、魔術師の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、立派に役立ってるだろう?」
「っ、ふざけないでっ! 魔術はそんなんじゃない。魔術は――」
毒だ。悪意ある毒だ。システィーナへの毒で、更に自身への毒で、そして、魔術を学ぶ学生にとって、何よりもの毒だ。
「――お前、この国の現状見ろよ。魔導大国なんて呼ばれちゃあいるが、他国から見てそりゃあ、どういう意味だ? 帝国宮廷魔導士団なんて物騒な連中に、毎年莫大な国家予算がつぎ込まれているのはなんでだ?」
「そ、それは」
「お前が大好きな決闘にルールができたのは何のためだ?
お前らが手習う汎用の初等呪文の多くが攻性系の魔術だった意味はなんだ?
大体――魔術が素晴らしいもんだっていうなら、なんで街中で使っただけで犯罪になる? 医療魔術も、それこそお遊びの様な初等呪文でも、だ」
言葉が切れ、だがまだ終わってない。
「お前らの大好きな魔術が、二百年前の『魔導大戦』、四十年前の『奉神戦争』で一体何をやらかした? 近年、この帝国で外道魔術師が魔術を使って起こす凶悪犯罪の年間件数とその悍ましい内容を知ってるか?」
帝国の暗部ともいえる、外道魔術師の犯罪。それは帝国国民ならば誰もが知り、そして『なんと恐ろしい』と囁き合う脅威だ。
倫理なく行われ、尊厳なく殺され、そして躊躇なく繰り返される狂人たちの犯罪。湿った洞窟に繁殖する黴の様に、狩れども狩れども尽きることのない彼らは、実に日常的な
「ほら見ろ。今も昔も人殺しと魔術は切っても切れない腐れ縁だ。何故かって? 他でもない魔術が、人を殺すことで進化と発展してきたロクでもない技術だからだっ!」
聞きたくない。
何も言うつもりはないし、この光景を言い表す気もない。ただ無性に、顔を伏せて眠りたくなって、だからその衝動に従った。耳を覆うように腕枕して、まだグレン先生の声は聞こえた。
「全く、俺はお前らの気が知れねーよ。この、人殺し以外何の役にも立たねー術をせこせこ勉強するなんてな。こんな下らんことに人生費やすくらいなら、もっと他に――」
ぱぁん、と軽い破裂音がした。
それすらもどうでもよく良いという風に、僕は目を固く瞑る。
脳裏に響くのは、グレン先生の『人殺し』という言葉。それと、シャルロットの――
「わっ、どうしたんですかっ?」
脳がふらりと揺れ、眠気が吹き飛ぶ。何が起きたのか、と額に手を当てると、ずきりと痛んだ。
「何でもない。……何でもない」
そう、何でもない。何でもないのだ。ただ、そう。
何故僕は今更、此処までグレン先生の言葉に揺れているのだろう。
まるで初めて現実を知った周りの奴らみたいに、ショックを受けているのだろうか。
小説で散々見返した台詞に、なんでこうも動揺してんだろうか。
……どうでもいい、どうでもいい。関係ないことだ。どうでもいいことだ。
寝よう。
起きた時には、きっと忘れてる。
でも、シャルロットが帰宅間際に『あ、私ちょっと寄ってきますので、先帰っててください』というときになってもまだ、僕の思考は上の空を漂っていた。
僕はこの世界を現実だと認めたはずだ。
僕はこの世界で『生きている』はずだ。
僕は、この世界で正しく生きているはずだ。
ああ、でも。
――
***
色褪せるような夕日の中で、熟れた杏色に染まる学院の屋上。
黄昏れるグレンの背中に、学生指定の靴を履いた女生徒が歩み寄る。
「久しぶりですね、
「……シャルロットか」
振り返ることもせずにその声の主が識別できたのは、その足音に聞き覚えがあったからだ。あの日、殉職した■■と同様に、彼女は社交性に溢れていたから――。
「っ。退職したって聞いてたけど、本当だったんだな」
前置き代わりに気に成っていたことを聴く、というふりをして自分の心を誤魔化す為にそんな質問をする。振り返りながらのセリフで、そのわずかに歪んだ顔が見えたのだろう、シャルロットは何も言わずに答えた。
「ええ」
「なんでなのか、聞いても?」
「マスターと、学生生活を送りたくて」
「……」
絶句、といった表情のグレン。いや、学生服を着ているところからそうなのかもしれないとはちょこっと思っていたが、本当にそうだったのか。どうやって学院への入学が許可されたのだとか、そもそもアンタそういう歳じゃねえだろとかいろい――
破片が弾ける。先程までグレンが背を預けていた屋上の手すりの心臓の辺りに、一本の包丁が突き刺さっていた。
「グレンくん?」
「サー! 何でもありません、サーッ!」
震え上がる背筋と本能のまま、敬礼をする。昔覚え込まされた上下関係は、骨の髄にまで染み込んでいた。
ふと、グレンは自身が『特務分室』に入ったばかりの頃を思い出す。そういえばこの人、あの時からこんな見た目だった気が……。
「グ、レ、ン、くん?」
思考を中断する。この人、軍を止めてからますます勘が鋭くなってないだろうか。
「と、ところでその、あ、あれだ! その、前々から気に成ってたんだが、シャルロット……さん、の
「いいえ、同級生ですよ。というか、グレンくんの授業を一緒に受けてます」
「えっ」
俺の受け持ちの生徒?
いや、いやいや、いやいやいやいや。
そんな筈はない。身に沁み込んだ恐怖がある限り、幾ら人ごみに紛れ込んでいてもこの人の判別は可能なはず、とグレンは思って動揺する。
思っている以上にグレンが鈍っていることが原因で、そこに行き付くまでに三筋の冷や汗を流す。流石に手に職をつけようとは思わないが、体を鍛え直すぐらいはした方が良いかもしれない、とそう思った。
家に着くころには消え失せているだろう決意だが。
「そっ、そうですかぁ……へへ」
まずい、と呟く。グレンが知るシャルロットは、身体強化の魔術を遣わすとも《剛毅》の名に相応しい怪力を持つ女戦士である。公明正大で、純粋無垢。軍にはふさわしくない明るさと、これ以上ないほど似つかわしい覚悟を兼ね備えた、少しだけ異質な普通の『
だが、その根本が普通の『
「ああ、システィーナちゃんへのあれは確かに言いすぎだとは思います。でも、それで別に怒ってるとか、そういうわけじゃないから安心していいですよ」
「ご、ごめんなさっ……え、そうなんすか?」
とりあえず頭を下げようとしたグレンは、先んじたシャルロットのセリフに疑問符を浮かべた。
「ええ。ちゃんと謝るつもりもあるようですし、ね」
その言葉に、ばつの悪そうな顔で目を逸らした。夕日が目に眩しく、地上を見下ろしながら話題を強引にすり替える。
尚、謝るつもりなかった場合はどうなのかと思ったが、ニコニコとした笑顔を見ているとそれを聴く気が消え失せる。何故再び包丁を引き抜いているのか、ちょっとグレンわからなーい。
「それよりも、シャルロットのマスターっていったいどんな奴なんだ? 学生ってことは、俺よりも年下じゃねーか」
その時点で、保護者って立ち位置でもないだろう。雇い主ならともかく、『特務分室』に所属していた時もその言葉を使っていたところを見るに、単なる雇い主というわけでもなさそうだ。
なら、シャルロットはどこぞの貴族のメイドだったりするのだろうか。それも、その貴族に対して特別な忠誠心でも抱える様な。
ああ、でも。
「
「ふふん。マスターは凄い人ですからっ」
たわわの胸を張り、シャルロットは肯定する。
『特務分室』時代にシャルロットが『マスターからです』と言って渡してきた数々の魔術道具――『魔術礼装』、と呼ばれていたはずだ――は、到底単なる職人の作品とは言えない代物だった。
其れこそかつての上司がシャルロットに命じてでもその身柄を欲しがったように、質が高く、それ以上に異質な魔術道具だった。その件で王城の一角が暫く使い物にならなくなったこともあり、グレンの脳には『マスター』とやらの技術者としての腕の高さがありありと刻まれている。
何せ、セリカですら再現は難しいといった代物だ。できなくはないというが、あのセリカにそこまで言わしめるだけでも大層な人物。
それが、単なる学生のやったことだと?
「はー、天才っているもんだねぇ……」
「まぁ、私のマスターですからねー」
昔から『マスター』自慢の激しかった彼女だが、その理由も理解できる。この歳であんなものが作れるのならば、いっそ異常ともいえる才能の持ち主だ。だからこそ、グレンはますますその『マスター』とやらの正体が気に成った。
「でも、だからと言って大人だということでもないんですよ。幾ら前世があったところで、心は体に引っ張られる……」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ。生まれてから何年たっていようと、精神年齢は肉体年齢と
「……ははっ」
「何ですか、もー」
グレンはその言葉を、自身の実年齢を誤魔化すものだと捉えた。
軽く流した後に、好奇心にあかせた質問をする。
「なぁ、『マスター』ってどんな奴なんだ? うちのクラスの奴なんだろ、その口ぶりだと」
シャルロットへの恐怖は完全に消え失せていた。
『特務分室』時代でも(主に上司のストーカーやら諜報を警戒して)欠片も個人情報を明かさなかったために、グレンの脳内では『マスター』が、『ダンディーな男職人』や『胸のおっきい凄腕女技師』だとか、人物像が迷走していたのだ。
好奇心は強い方であるグレンだ。気に成らないか、と聞かれれば、気に成るに決まってんだろっ、と即答する。その勢いで。
「んー。まぁ、どうせ明日になればバレますし、良いですかね。ほら、グレンくんはクラス名簿見たことあります? 『アダム=リュクス』っていうんですけど」
「『アダム=リュクス』ねぇ……。記憶にねぇなぁ」
「地味ですからね、マスター」
「おう、随分辛辣だな」
あと。
「ついでに聞きたいんだが、なんで シャルロットは『マスター』の事をマスターって呼ぶんだ?」
「それが、私たちの関係だからですよ」
あっさりと、シャルロットは言う。
「そんな、まるで主従みたいな」
「主従ですよ」
あんぐりと開いたグレンの口に、シャルロットは頬を膨らませた。
あからさまに、『こんな女が誰かに従順になるのか』という驚きを秘めていた。
いや、大人しいといえば大人しい性格で、仮にセリカ辺りが聞けば『それもあり得るか』と頷いたのだろう。だが、生憎とグレンの中では『例の事件』を除いても『あのやらかし』や『このやりすぎ』とかが思い浮かんで、どうにも否定せざるを得なくなる。
ふーむ、と唸った後、素直な感想を口にした。
「……奇特な奴もいたもんだな」
「殴りますよ」
「大層素晴らしい方なんでしょうね」
その声音に本気の色が混じっているのを聞きつけ、即座に『マスター』を褒める。
笑んでいる。だというのに、夕日に照らされてできた影が、妙に恐ろしく感じた。
この後、音もなく背後に近寄ったセリカを交えた三人で久闊を叙する中、学院の塀の外では恋に胸を躍らせる少女が偶然見かけた不審な素振りを見せるクラスメイトに絡んでいた。
三人の預かり知らぬことである。
聖晶片×1 獲得!
Q.なんかアダム君意気消沈してません?
A.平凡な日本人が転生したところで、誰かの金で養われていた奴が『殺し』だのなんだのと物騒な単語に慣れてるわけねぇだろいい加減にしろ。
Q.染み付いた恐怖が簡単に薄れるワケ
ヒント:宝具
明日 の 投稿は 05:02 です。