シャルロット・コルデーに聖杯を貢ぎたい……お淑やかな服の下でははちきれんばかりになってる才能を丸出しにしたい……そう思ったとき、既に行動は完了していた(理性蒸発)   作:夢見る人・夢描く人

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ロクでなし魔術講師と恋愛妄想(エロトマニア) 五話 恒例行事:主人公による事態の収束

 才能に溢れていると自負し、血の滲むような努力をしていると確信し、そして魔術の負の側面から目を背けないと誓った。

 きっと、そんな私に怖いものなど無いと。

 そう思い上がっていたのだろう。

 

 

 

「――っそい! 全く、あいつは何してんのよっ」

 

 まぁまぁ、とルミアが宥めてくる。それに甘えて私はルミアに愚痴を吐きかけた。

 内容はヒューイ先生の突然の退職の代役として雇われた非常勤講師のアイツ――グレン=レーダスの事だ。怠惰と不真面目を煮詰めた様な人間性は本当に見れたものではないが、その腕は、まぁ、認めなくもない。

 

「でも、ほんとにね。どうしたんだろう、グレン先生……ここ最近は遅刻なんてしてないのに」

 

 それを聞いて私は少し考えてみた。確かにあの男(グレン先生)は最近遅刻をしていない。生活態度は不真面目でも、授業態度は不真面目ではなくなった。言動はふざけていても、教育はふざけていない。

 そんなあの人が、何故……

 

「……まさか、今日が休校日だと勘違いして……?」

「い、幾らグレン先生でも、そんなことは……」

 

 ルミアでも否定しきれないようだ。それは無いだろうと思いながら口にした説だが、何故か案外的を射ているような気がした。

 

「いや、いやいやいや、まさかまさかまさかねぇ、そんなねぇ……ねぇ、シャル……って、あれ?」

 

 動揺のあまり、シャルロットに否定してもらうことを期待して通路向こうの席に顔を向け、そこでまだ彼女が登校してきていないことを知った。さり気に、彼女と常に一緒に居る印象のあるアダムもだ。

 

「あ、アダム君とシャルも来てないね。二人とも寝坊かな?」

「今日は寝坊が多いわね」

 

 まったく、それでも栄えあるアルザーノ帝国魔術学院の学院生である自覚はあるのかと。小一時間ぐらいは説教できる。

 だが、それをするまでもなく、システィーナの日常は崩れた。

 

 教室の扉が開かれる。

 入ってきたのは、連日遅刻をしていたグレン先生ではなく、珍しく遅刻したアダムでもなく、見知らぬ二人の男であった。

 

「あ、何考えてるんですか先生! もうこんなじか――」

 

 当然、それは登校中に遭遇し連れ添ったグレンとアダムではなく、全く知らない部外者――不審者であった。

 

「――へ?」

「あー、ここか。いや、みんな、勉強熱心ゴクローサマ! 頑張れ若人!」

 

 へらへらと、いつぞやのグレン先生を思わせる気軽さでその男は手を振った。

 軟派な笑みから爽やかさを感じることはできず、むしろ近道として路地裏を通った時に向けられた下品な視線を思い出し、身震いを起こす。とても心許せるような相手ではないことは明白だ。

 ざわつく教室に、遅れてもう一人の男が教卓の前に立つ。教室中を見渡している彼は、果たして何を探しているのか、誰を探しているのだろうか。

 『システィーナ』は、我こそが、と義務から来る焦りに駆り立てられて立ち上がる。

 

「ちょっと、貴方たち一体何者なんですかっ?」

 

 少し弾む声は、よくよく聞いていれば軽く上ずっていた。長年の付き合いで、ルミアはシスティーナが怯えていることを察する。それはそうだ。見知らぬ男が居る筈のない場所に居れば誰だって警戒ぐらいする。

 何より、男らが纏う空気はピリピリしていて、それが一層緊張を煽る。恐怖はそこから漏れ出たものに過ぎない。

 

 深呼吸を一つ、それで覚悟を決めるには十分だ。

 

 だが、少しの恐怖で退くわけにはいかない。何故なら自分はフィーベル家の娘なのだから、と。システィーナは見知らぬ二人の前まで歩を進めた。無警戒にも思える足取りは、リズムを狂わせることなく男たちの前まで続いた。

 

「此処はアルザーノ帝国魔術学院です。部外者は立ち入り禁止ですよ。そもそも、どうやって立ち入ったのですか?」

 

 毅然と振る舞い、最初に入ってきた方の男を見上げる。意識して吊り目を保ち、『講師泣かせ』の二つ名で知られる自身のテンションを呼び起こす。

 それは、普段からの興奮によって非日常な事態から感じた恐怖を塗り潰そうとした足掻き。言うならば子供の背伸びの様なものだった。

 

 だから、そんなものは軽々と押さえつけられ、圧し折られる。

 

「おいおい、質問は一つづつにしてくれよ」

 

 息のかかりそうなほど間近で、上から、押しつぶすように見下してくる。

 

「オレ、君たちみてーに学がねぇんだからよ」

「……っ!」

 

 静かな威圧に息が詰まるのを感じた『システィーナ』は、それによって思わず一歩退いた自分を自覚した。

 だが、逃げるわけにはいかないと自らを 咤し、その場に踏みとどまらんとする。その無言の気迫を見て取ったか、男はニィと嗤った。

 

「まず、俺たちの正体ねぇ。テロリストって奴かな。要は、女王陛下サマに喧嘩を売る怖ぁいお兄さんってワケ」

 

 何故素直に答えるのか、という肩透かしから続いた、まるで非現実的な単語にシスティーナは間抜けな息を漏らした。

 

「は?」

 

 テロリスト。それの意味するところはつまり、テロを行うもの――恐怖心(テロル)によって自身の要望を満たさんとする者、つまりは暴力。

 彼らは、害する側の人間だ。

 

「で、此処に入った方法。守衛さんをぶっ殺してー、結界をぶっ壊して、そんでお邪魔させていただいてるのよ。どう? 分かった?」

 

 その核心を裏付けるように続いたセリフに――いや、待て今こいつは何と――?

 

『――守衛さんをぶっ殺して』

 

 殺、した?

 殺した、殺した……死ん、だ?

 

 なら、もしかして。

 殺される?

 

 とたんに襲い掛かる恐怖に、私は腰が抜けかかる。辛うじて持ちこたえられたのは、自身がフィーベル家の娘であるという自尊心と、普段の立ち振る舞いで得た地位を全うせんとする義務感故だ。

 それが無ければ、当に震えてそこのクラスメイトに紛れ込んでいたに違いあるまい。私は、今更ながらに後悔を感じ始めていた。

 

 持ちこたえなければ、威圧されてはならない、跳ね返さねば。

 その一心で、『システィーナ』は怒鳴り声を上げる。

 

「ふっ、ふざけないでください!」

 

 ふざけた状況への怒号として、それはとても平凡で、そして何時もの様にクラスを代表するような一声であった。

 だが、だからこそ、それに対する返答もまた、テロリストの模範の様な一撃だった。

 

「《ズドン》」

 

 頬をかすめて教室後部の壁を突き抜ける。青い空まで飛びだしたのは質量を持った放電現象――【ライトニング・ピアス】、軍用魔術だ。

 鼻を僅かに擽るのは空気の焦げた様なプラズマの臭い。それは【ショック・ボルト】のそれより強烈で、エネルギーの籠っている事の証左であり、そして当たればその貫通力に関わらず血を焼き肉を焼いて骨身に届き、死に至らしめるだろうことを本能に理解させた。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 へたり込み、床に尾骶を打ち付ける。見上げている男は一瞬、とてもつまらなそうな無表情を浮かべていた。だが、それを打ち消すように下品なまでの笑みを見せると、優しく、脅すように語った。

 

「んー、俺たちすっげぇふざけた奴らだからさぁ……あんまり五月蠅いと、殺しちゃうよ?」

 

 それで、僅かに波打つ騒めきも収まった。痛いぐらいの静寂に満足そうに頷いたバンダナの男は、そのまま何処かに目配せした。

 

 

 

 これまでが茶番だったみたいに、或いは私の時間が止められたように。トントン拍子に進んでいく話を、私は出来の悪い劇でも見るように俯瞰的に見ていた。現実味がない、現実逃避、或いは、心がついていけなくなったのか。

 

 気付けばルミアは連れ去られ、自身は縄できつく縛り上げられていた。

 その痛みすら、遠く感じながら。

 

 

 

 ぼんやりとしていた私を現実に引き戻したのは、先ほど【ライトニング・ピアス】を放った方の男が自身に触れた時だ。乱暴に腕を掴み上げられ、立たされ、引き摺られ。震える声で何をするのかと問えば、はぐらかすような回答が返ってくる。

 こんな状況で、行き付く結末など目に見えていた。先程まで観劇気分――ある意味暢気に思考を投げ出していた私は、思いの他早くその結論に行き付いた。

 

 惜しむべからくは、それがあまりにも出来過ぎた展開だったからか、まだ現実味を取り戻せず、とりあえずと言った感じでのみ抵抗していたこと。

 きっと、バンダナの男がもう一度脅せば、今度こそ人形のように体に力が入らなくなってしまうだろう予感を抱えながら、抱え上げられたままじたばたと藻掻く。

 バンダナの男も鬱陶しく感じてきて、何もなければ一発掠めるように撃たれ、それで終わりだっただろう。女として大事な尊厳も、貴族として守るべき矜持も、学生として在るべき姿も、『システィーナ』として作り上げた気概も――全てが台無しになる。

 

 何事も、なければ。

 

「ん? 人がいる、だと?」

 

 曲がり角間際で顔を顰め、バンダナ男が呟いた。

 此処まで呆然としていた私には、その言葉ですら耳を左から右へ通り抜けてしまったが、続く光景には流石にはっとした。

 

 人がいたのだ。

 

 バンダナ男――ジンのささやきは、曲がり角の廊下、ガラス窓越しに見えた人影を訝しんだものだ。そして、予想通りにそこに人が居たことに、彼は何の驚きも覚えなかった。人間である以上遅刻ぐらいはするだろうし、もしかすれば人払い担当のミスかもしれない。計算外は戦場の常だ。

 だが私にとって、その光景は予想外も予想外で、脳味噌を殴られたように衝撃的に映った。テロリストの襲う学園で、一人遅刻して廊下で静けさに戸惑う少年。

 

 ――ああ、なんて主人公らしいことか。

 

 好んで見る大衆小説に出てくるような、手垢がつき過ぎてむしろ絶滅しかけているほどの典型的(テンプレート)な展開。この瞬間だけ、比喩でなく、私は舞台に入り込んだ。

 自身を、舞台に上がった役者か何かだと勘違いした。

 

 蛮勇を振るったのは、現実味を失っている故のバカげた妄想からだった。理性ではそうではないと知っている人関わらず、心の奥底が、此処は舞台の様なもので、だからこそ命の危険はないと信じ込んでしまっていた。

 謂わば現実逃避。そう片付けてしまえるものが、蛮勇を為す勇気を与えた。

 

「……っ、離しな、さいよ……っ!」

 

 私は自身の役割を演じるために、与えられた勇気を振り絞った。

 

 

 ――ジンは舌打ちを堪える。

 腕の中で藻掻いていた少女の抵抗が激しくなったのだ。だが余裕そうな面は取り下げてはならない。襲う側は、常に上位でなければいけない故に。

 

 傍目には、単に抵抗を増したようにしか見えない。だが、ジンは彼女が正気を取り戻したのだという風に見えた。先程までの様な、とりあえずと言った風の抵抗とは質が違う。

 ただ単に藻掻くのではなく、体の揺れや腕のズレを利用して本気で抜け出ようとしている。予想外の存在もいる此処で、それはジンにとって厄介な反応だった。

 どうせならもう少し後、お楽しみの時にこの抵抗を見せやがれ……そう心中で毒吐いたジンは、素っ頓狂な反応をした少年にヘラりと笑って見せる。

 さぁ、手っ取り早く済ませてしまおうと、そう決めて。この先に待つご褒美に思いを馳せて。

 

 彼が非常勤講師に捕えられ、そして味方から見捨てられるまで。

 あと――

 

 

***

 

 

 廊下一面を埋め尽くす、汚れた白。竜牙兵と呼ばれるその存在は、まだ二年生の私でも知るほど有名な魔術。

 だが、此処まで大量に召喚するなど、有り得ない。

 

 ――現に、起きているじゃないか。

 

 有り得ないことはありえないのだと、いつか誰かが得意げに語っていた。誰だったかは忘れたし、もしくは数多読んだ大衆小説の一文だったかもしれないが、その言葉が脳内にリフレインする。

 

「はな――」

「――マスター?」

 

 脇でアダムとシャルが言葉を交わしていた。『はな』……? 何だろうか。『離れろ』、だろうか。それだとまるで、自分がこれを食い止めると言わんばかりの言葉じゃないか。

 ああ、そうか。だからシャルは止めたのか、それが自殺行為に等しいから。

 グレン先生(自分より強い人)が居る。任せておけばいいのに、と。

 そう考えた自分が嫌になる。

 

 だって、それじゃあ自分は唯の役立たずではないか。

 それならば、蛮勇であろうと足掻く方が誇らしい。

 

 私は、先の自分に酔っていた。

 

「逃げるぞッ!」

 

 弾かれるように駆けだしたグレン先生に引き摺られるようにして、私もまた逃げ出した。

 有難かった。腕を掴むこの痛みさえ、今は安心できる。あそこで逃げださねば殺されていただろうことは、背後の悲鳴が証明している。

 けれど、無駄に自尊心ばかりの高い自分が、自ずから逃げることを選べるかというと、馬鹿らしいことにそれはNOだ。本当に、馬鹿らしい。身の丈を弁えない自尊程醜いものもないだろうに。

 でも、私はフィーベル家の娘で。お爺様の孫で。だからこそ誇り高く在らねばならなくて。

 

 本当に、本当に、馬鹿らしい。

 何もできないくせにうだうだ悩む自分が、何よりも。

 

 駆ける、駆ける、駆ける。その繰り返しに苛立って、床を踏み砕く様に乱暴に一歩踏み出す。ダンッと音が響き、そして足裏から骨を伝う衝撃に涙目になる。痛い。

 その感覚が薄れていくと、今度は疲れすらも感じなくなった。あれほど重かったはずなのに、その愚鈍な重りが初めからなかったように、疲れを感じなくなっている。

 

 まだ、頭の中が霧がかっている。息を切らし、荒い呼吸と共に失踪しているシスティーナの理性はそう判断していた。暇を持て余した理性は、背後に迫った死への対処を考えるのではなく、自己分析を始めていた。

 今の段になっても、まだこれが現実だと思えてないのだ。死の恐怖はあれど、実際に死んだことは無い以上、きっと痛いんだろうなぁとしか思えない。今まで感じたことのある一番痛い痛みを想起して、怯えを為すぐらいしかできない。

 

 喉が痛い、肺が熱い。瞼を汗がつたい、顔を振ってそれが目に入らぬようにする。

 霞むのは視界か思考か、いつの間にか呼吸は乱れ、獣のように喘いでいる。息を噛み締め、無理やり整える。酸欠でますます朦朧として、けれど背後の危険は止まない。まだ、その軍靴の音が続く。

 杭打つように、鎚振り下ろすように、重く、深く、その音は響いている。連なる足音は、着実に私たちを追い立てていた。

 

 何段目かの階段を上り、踊り場でちらりと下を見た。どうやら竜牙兵は段差を上るのが不得手のようで、少しつっかえていた。

 これなら逃げ切れるかもしれない。そんな希望が沸き上がり、前を振り向く。何故か先生たちはもう階段を上らず、廊下を走っていってる。

 

「ま、待って――」

 

 必死に後を追うと、あることに気付いた。窓の外の景色が、高すぎるのだ。そして気付く。ああ、此処はもう最上階なのか、と。

 この先はもう、特別教室か屋上へ続く扉しかない。所謂、行き止まりというやつだ。幾ら階段である程度足踏みさせられるからと言って、追いついてこれないわけではない。

 

 これは、もしかして、チェックを掛けられたのだろうか。

 

「チッ……追い詰められたか」

 

 やはり、グレン先生もそう思うか。此処は袋小路、逃げ道など無い。

 小説ならばここらで主人公が起死回生の策を考え付いたり、奥の手を披露したりするものだが、流石に現実そううまくはいかないだろう。そろそろ、死ぬ時間が来たのかもしれない。

 他人事みたいに、私は冷静だった。先生から声をかけられて驚いたのは、声を掛けられるはずもないと思い込んでいたからだろう。

 

「おい、白猫」

「白猫……私の事ですか? どうしたんです、急に」

 

 まさか、何かいい策でもあるというのだろうか。こんな、どうしようもない状況で。

 まだ何か、案があるというのだろうか。

 

「俺らが此処で食い止める。お前らは奥へ先に行って……即興で呪文を改変しろ」

「えっ」

「グレンくん。申し訳ないんですけど、マスターに即興改変する程の才能は無いんですよ」

「マジかよ。才能の偏りどうなってんだ……仕方ねぇ、白猫、お前がやれ」

 

 そう言って、グレン先生は拳を構えた。

 って、え? まさか先生――

 

「あの数のゴーレムを足止めするつもりですかッ?」

「ああ、そうだよ」

 

 事もなさげにいうが、その額に冷や汗が滲んでいることは見て取れた。

 幾ら格闘技が上手かろうと、先にテロリストに使った固有魔術(オリジナル)が魔術師戦で万能だろうと、それは全能ではない。

 如何なる達人とて数十倍の数の有利を覆せることは無いし、切り札の固有魔術でもあのゴーレムの群れをどうにかすることはできないのだろう。

 前者は純粋な事実であり、後者は気絶間際のアダムが魔術道具を(恐らくは)起動させてテロリストの足を止めたところからの推測。

 

 封殺――起動の阻害という事は、恐らく既に発動された魔術には効果が無いのだろう。現に、先も【マジック・ロープ】や【スペル・シール】の解除は手作業だった。恐らくはアダムの魔導器もその類で固有魔術の影響から逃れ、そして竜牙兵もまたそうである。

 

 この推測に、大きな誤りはないと直感した。顔色を伺えば、体調不全や事前準備が足りないわけではないと読み取れるから。そこに、長年フィーベル家の娘として振る舞い、身に着けた社交性が生きた。

 システィーナとアダムの間の差異が性別以外にあるとすれば、その社交性も一つだろう。アダムには無い対人関係の経験は、この急場でグレンの固有魔術の詳細を語られずとも察することを可能にさせた。

 

 グレンからそれを取れば、正真正銘の三流魔術師。どう足止めするつもりか。

 いやそもそも、なぜ足止めしようとする? 私を守って何の意味がある? くだらない英雄願望か、大人だからとかいう責務か。

 私に守るほどの価値が無いのを、この人は知らないのだろうか。どうせみんな死ぬというのに。

 

 うだうだと悩み続けるシスティーナに、グレンは迫りくる軍勢を睨みながら言った。

 

「別に勝算が無いわけじゃねぇ。お前は先に行って、魔術を即興で改変しろ。足止め用にだ。アダムはその補助」

「分かりました」

 

「……ところで、灰錠とかねぇか?」

「黒鍵なら三頁分ありますよ。というか灰錠は死者特攻の武装なので、別に竜牙兵相手に装備してもさほど意味がないかと」

「誰がそんなゲテモノ使うかッ! いや、無いよりましだろ。てか手が痛てぇ」

「ははっ、頑張ってください」

「てめぇ……」

 

 羨ましい気持ちと困惑する気持ちがいっしょくた……3:7ぐらいでごっちゃになる。システィーナからすれば、その迷いのない即答は覚悟の強さで、自分の嘘っぱちなそれとは違って見えた。

 実際が知っていた流れをなぞるだけの惰性だと知る由もないのだから、こうして二人は順調に苦手意識を持つようになる。憎悪とまではいかず、嫌悪とも言えず、鏡に映った自分を見る様な苦々しさを、少し努力していれば得られるかもしれなかった姿を、互いの内に見て。

 

「――それで、白猫……いや、()()()()()()

 『出来るか』?」

 

 そして、この場では。システィーナは僅かに湧く羨望、そこから生じた嫉妬で、自身の退路を断つ。

 

「で、出来ますっ!」

「うしっ、いい返事だ。

 ……じゃあ後は任せたぞ!」

 

 手を引かれ、奥へ奥へと駆ける。十メートルほどで屋上へ出る扉の前に付いた。

 此処までくれば、時間も十分だと判断したのか、それともこの奥へ行く必要はないと判断したのか。アダムは立ち止まり、私に言ってきた。

 

「じゃあ、始めよう。改変するのは【ゲイル・ブロウ】で、足止め用なら持続時間を長くして、威力は無くてもいい。あの数ならなるべく広範囲に、後は……ああ、そうそう。節構成は三節程が良い」

「ちょ、そんな、一気に言わないでよ。大体、アダムは? あんたもそれくらい……」

「悪いけど、僕はそういうのには向いてないんだ。ちょっと組み直すのにも時間がかかる設計でね」

 

 設計? ちらりと自身の左手首を見るアダムのその視線を追う。その先にあるのは、肌に吸い付く様に目立たないリストバンド。よく見れば、僅かに光沢が見えて、そこそこ品の良い装飾もなされている。

 何だろうか。それは、システィーナの目からは到底装身具には見えなかった。むしろ、暗器とか肌着とか、そういう『見せるべきではない』様なものと同じようにつけられていると、そう感じる。

 そんな些細な違和感は、けれど偶然にも畳みかけてくるアダムによって潰された。

 

「覚えきれなかったならもう一回言う。だが、これは今はシスティーナにしかできないことだ。やってくれ。

 その……()()()()()

「……っ」

 

 期待してる。その言葉を聞いて、システィーナは後に引けなくなった。

 君ならできる。やってくれるよな。いいや、やるべきだ。強迫観念の様な添付は、自身の脳内が生み出した幻聴に過ぎない。だが、そういうニュアンスがあったのは否定しようのない事実だ。

 その追い込むような、むしろ攻め立てる様な言葉が……システィーナの背を押した。その痛いぐらいに無責任な期待が、信頼が、『システィーナ』を肯定しているように感じて。

 

「分かったわ。じゃ、始めるからアドバイスはよろしくね」

 

 その代わり、貴方には何ができるのかしら?

 

 そこには無意識にも挑発的なニュアンスが籠っていたと、後になってシスティーナはルミアに言った。直後に弁明するように、そう考えた理由を続けて。

 詠唱の改変等、よほどの理解が無ければ余人の介入する余地はない。グレン先生から教わったように、魔術は人の心理を突き詰めるもので、詠唱はそれがより顕著に表れる作業だ。言葉選びにテンション、魔力の調節、テンポ等、公式はあっても答えが無いのが魔術なのだ。

 

 故に、まぁ、出来るわけもないだろうと。

 侮っていたのだ、あのグレン先生の最初の問いに応えられたアダムを。

 

「まぁ、そのくらい(アドバイス程度)ならできるよ。じゃあまずテンポを決めてしまおう」

 

 そして愕然とした。胸の内を解剖されているかのように、結果が見えているかのように、アダムの指摘が的確であったから。魔術が自身の心理を突き詰めているというのなら、よもやアダムには人の心が読めているのではないか。

 そんな妄想に揺れながらも、何とか言葉を選び、語調を安定させ、意識を束ねて改変する。始めて見れば、手慣れた風属性であってもその作業が恐ろしく繊細であると実感し、けれど無理なことではないと確信していく。

 

「――出来たっ!」

「よしっ! それで、詠唱は何節だ!?」

 

 意識の外に居たグレン先生の怒鳴る様な返答を聞き、漸く竜牙兵の大群が目の前にまで迫っていることに気付く。体に圧し掛かる倦怠感と、額を伝う汗。相当に疲れていることを自覚しながら、同時に心のどこかには余裕さえあった。それはアダムが自分に向けてきたように、やるべきことをすればあとは何とかしてくれるだろうという信頼か。

 

「三節ですっ」

「三節か……なら俺の合図と共に詠唱を始めろ」

「分かりました」

 

 タイミングは完璧に噛み合う。全ての竜牙兵が一列に並んだ頃合いで詠唱が完成。図ったかのようなタイミングだ。グレン先生は、教えてもいない詠唱速度を察したのだというのか。

 もしかして、優れた魔術師は大抵こんなことができなければいけないのではないか。

 そんな偏見を植え付けられた昼頃である。

 

 更に植え付けられた偏見の上から畑を駄目にする勢いの鍬が降り下ろされるように、目を剥く様な事がグレン先生の手によって起こされた。

 足止めされる竜牙兵。少し漏れてきた個体を銀色の球が押し返し、魔法を維持する私が息を吐けるようになる。

 状況は好転していないが、悪化は止まった。では後はどうするのか。

 

 

 問いも口を突いて出てくれなかった疑問への答えは詠唱で返される。

 通常では異例の、七節もの詠唱で以て。

 

 _我は神を斬獲せし者

 __我は始原の祖と終を知る者

 

 朗々と詠い上げられる、存在の宣言

 我こそは超越者であると世界を欺く祝詞

 

 _其は節理の円環へと帰還せよ

 _五素より成りし物は五素に

 __象と理を紡ぐ縁は乖離すべし――

 

 その魔術は余りにも有名だった。少し魔術に詳しければ――いや、街の子供らですら知るだろう程に、それは伝説的で代表的な、魔術。

 それこそ初めの二節を聴くだけでその正体に行き付くほどに、有名に過ぎた。

 

「――《いざ森羅の万象は須らく此処に散滅せよ・遥かな虚無の果てに》――ッ!

 えぇい、ぶっ飛べ有象無象! 黒魔改【イクステンクション・レイ】――ッ!!」

 

 喉も張り、裂けそうな程の怒鳴り声。優美優雅な詠唱とは程遠いそれは、始原の暴力を生み出す。何もかもを蹂躙する、荒々しい光の帯を招来した。

 

 システィーナの柔らかに堰き止める風に続き、虚数エネルギーの唸りが吹き抜ける。全ての有質量存在を元素まで分解するその光は、濁流のように荒れながら、魔術防護の掛けられた学院の壁を障子紙の如く駆け抜けた。

 まるで衰えぬ勢いは、しかしそのエネルギーが底を尽きたことにより白昼の夢のように掻き消える。後に残るのは、汚す者の居ない清涼な風のみ。

 

 イクステンクション・レイ。

 

 世界に一人しか使い手のいない筈のそれを、グレン先生は足止めされた竜牙兵らに打ち放ったのだ。

 代償としてグレン先生は真っ青になり、しかし竜牙兵らは塵も残さず消え失せた。恐らくはマナ欠乏症ではあろうが、その程度の消耗であの御業を再現できるなら安いものだろう。

 何せ、『神殺し』の魔術だ。命と引き換えにしてようやく等価とすら言える奇跡は、たかがこんな場所で披露された。

 

「だ、大丈夫ですかッ!?」

「これが大丈夫に見えたら病院行け……っ」

 

 この人は何回私を驚かせば気が済むのだろう。

 ……もうシャルがじつは殺人鬼だとか言われても驚かない自信がある。

 

 慌てて駆け寄ったように見えるシスティーナだが、実は割と余裕があるのかもしれない。心中とは言え、こんな冗談を紡げるのだから。

 

 憎まれ口にも力がないし、それほど消耗しているのだろう。

 なら、応急処置でも癒さなければ。白魔術は苦手だが……。

 

 そう考えるシスティーナは、吹き抜けの廊下に人影を捉えて血の気が引く。

 まだ、敵がいるというのか。

 

 もう少し冷静なら、心に余裕があれば、様子を見に来た生徒か、或いは異常を感知した衛兵なども可能性に上がるのだろう。テロリストの襲撃に、強姦未遂、全力疾走の後に即興改変、余裕の無さがそれらに至る可能性を塞いだ。

 だけれども、それは考え過ぎなどではなく。余裕の無さが転じて正答を与えたのか、もしくは学生以外居ない筈の校舎では違和感がありすぎるほどの黒コートがその即断を許したのだろう。

 

「まぁ、んな暢気なこと許してくれるほど、甘い相手じゃねぇよなぁ……チッ。すいません、シャル――」

「【イクステンクション・レイ】まで使えるとはな。少々見くびっていたようだ」

「うーん、強キャラ臭がプンプンしますねー、マスター。どうします?」

「どうしようもないだろ。いや、それよりも……」

 

 確か、あの男は――そう、あのバンダナの男にレイクと呼ばれていた男だろう。

 傍らには五本の剣が浮いている。材質は分からないが、重力に反し続けている様子を見るに、アダムの銀色の球の様な魔導器の一種なのだとは推測できる。

 またしても、グレン先生の切り札が通じない敵。

 

 これは、もう、典型的な窮地――

 

「……心のゲオルギウス先生が叫んでる。

 『汝は竜、罪ありき』と……っ!」

 

 ――何言ってるんだろうか、こいつ(アダム)

 私は恐怖を忘れて真顔になる。奇しくも、それは緊張を解くのに最良の薬で。

 

 

 

 そこから先はもう目まぐるしかった。グレン先生に【ディスペル・フォース】の使用可能数を聞かれて、答えて。突き飛ばされて、屋上から落ちて――

 

 ――ほんっとうに、死ぬかと思ったんだからねっ!

 

 ああ、でも。一つだけ。

 アダムが戯言を吐いた時、なんでか黒コートのレイクって奴が顔を顰めたのよね。

 見間違えかしら。まさか、図星だったりしないわよね。

 というか、ゲオルギウスって誰よ。うちの学院にそんな人、いたっけ?

 

 

***

 

 

 システィーナが屋上から突き飛ばされた後、どうしようか迷っていた僕はシャルロットに抱きかかえられてシスティーナに続くことになった。

 いや、仮にも元同僚だろう? 驚愕したのは言うまでもなく、顔を見つめればにっこりと笑顔を返された。可愛い。

 違うそうじゃない。先生は良いのか、と聞けば、シャルロットはグレンくんなら大丈夫ですよ、と返す。

 確かに主人公補正が効いてるなら、こんな序盤で終わることは無いだろう。打ち切りとかでもなければ。だが、飛び降りることに欠片の躊躇もなかったな?

 確かに、僕は足手まといなのだろうが……。

 

 そこで、中庭の木に盛大な被害を与えながら花壇を体中で満喫していたシスティーナが起き。

 

「私、先生の所に行ってくるッ。アダムはそこで休んでなさい!」

 

 それだけだった。

 ついていく気も起きない。自分が行っても、グレン先生の勝利に貢献することは無いと確信していたのもある。 いや、単にあのレイクという男が怖いのかもしれないけど。

 

 意気地なしめ。

 自分の不甲斐無さに、落胆すら烏滸がましい悔しさを覚えて溜息を吐く。敗北感を覚える。

 こんなところで仰向けになっている自分と、戦場へ駆けるその姿を見て、恥ずかしくなる。

 

 もう、例え心中でも馴れ馴れしくシスティーナと呼ぶのは分相応だ。前の様に、『システィーナさん』と仰ごう。

 

「ああ、ほんと。あいつ、嫌いだなぁ」

 

 そんな、自己嫌悪が紡がれた。妬む自身を蔑んで。

 システィーナさんは、何処か自分と似てる気がしたのだ。無駄な努力とか、空回りした結果とか。

 グレン先生の改心だって、結局はルミアさんのお陰が大きいだろう。だから、やめればいいのにとか思って、苦々しく思うのだ。

 

「なんで嫌いなんですか?」

「あいつ、一生懸命になれる奴だからな」

 

 これがカッシュなら、ギイブルなら、或いはこんな気持ちにならなかったのだろうか。

 他人が努力する姿を見て、黒い泥の様なものを胸に感じるのは、気持ちいいものじゃないというのに。

 なのに、どうしても考えてしまう。あんなに一生懸命になれる様な人間だったら、どれほど良かっただろう、と。

 自分と見比べて、死にたくなるほど恥ずかしくなる。

 

 目を閉じて思い返すのは、天才と称えられた少女の努力だ。彼女がクラスで一位の成績を取るのは、決して才能のみではないと、誰もが知っている。

 息を吸う様に、遊ぶように、心底楽しそうに努力をする姿はみんなが見たことのある姿だ。きっと、初めの頃のグレン先生への説教も、ウザがっていた奴は少ない……居なかったんじゃないだろうか。

 彼女の魔術に対する真摯な姿勢は、誰だって認める所なのだから。

 

 そんな彼女が、僕は大嫌いだった。その姿を見る度に自分が嫌になって、息が詰まりそうになって。

 酷い話だ。理想を映す鏡でも見せられた気分だと。

 ああなりたいのに、ああなろうとしない。そんな自分が、死ぬほど嫌いで、喉を掻き毟って死にたくなるくらい――

 

「は、ぁぁあああ――――」

 

 ――盛大に息を吐き、思考を打ち切る。

 いつもの自己嫌悪のループに入りかけていた。

 

 結局のところ、僕は自分自身が大嫌いなのだ。

 別にシスティーナが居なくても、努力している別の誰かの姿を見てこんな状態に陥った事だろう。そんなくっだらない自分が、心底嫌いだ。

 でも、今はそんな悠長にしていい状況でもない。だって非常事態だし。

 

 僕は立ち上がり、こういった。

 

「行こう。先に、露払いでも済ませに」

「はい。仰せのままに」

 

 シャルロットは相変わらず、微笑んでいた。

 

 

***

 

 

 グレンが起きると、そこが気絶前の青空見える屋上ではなく、清潔感ある医務室であることを知った。上体を起こして見渡す前に、薄眼で開いた視界で状況を確認するのは職業病だろう。

 身を起そうとすると、胸元の僅かな重さに気付いた。それは、グレンを治療するために限界まで魔術を行使したシスティーナが、グレンを枕に暫し微睡む姿。

 マナの使い過ぎによって意識が遠くなる感覚は、気絶のそれにも似ている。グレンはシスティーナの体を気遣い、身を起さずに体を休めることにした。

 

 そこにポケットに入れていた通信用魔導器が鳴る。鉄と鉄を打ち合わせた様な、甲高い音だ。

 ズボンから宝石の片割れにも見えるそれを取りだして、鏡面程滑らかな方を耳に近づけた。

 

「俺だ。遅いぞ、セリカ」

『――グレンか! 良かった、心配したんだぞ……。何度呼び出しても出ないし……』

「すまん。少しトラブってな」

『……まさか、敵とやり遭ったのか?』

 

 声が震えて聞こえる。心配されているのだと、ひしひしと感じた。

 

 この歳にもなって心配をかけるとか、ああ、恥ずかしくてやってらんねぇなぁ。

 オトコノコの強がりで、努めて何でもないかのようにあっさりと報告をする。

 

「ああ。おかげでこっちも進展した。敵の魔術師を、一人殺した」

『……そうか……』

 

 気丈に振舞っている傍らに、そんな消沈された声を聴かされるのは辛い。

 自分は何ともないのだと、そう思わせるために重ねて報告を続けてやる。

 

 確認した魔術師は無力化し終えたこと、一人大分怪我した奴がいる事、居合わせた元先輩が相変わらず訳の分からない人であるという愚痴。

 そんなことを離し終えれば、向こうも本来の調子を取り戻し始めたようで、転移ができないこと、魔導士団が動いたことなどを報告してくれる。これで、後は時間の問題だ。学院の結界は書き換えられているために、今はそれの解除に苦労しているらしい。

 確かにあれは、一目見ただけで「うへぇ……」となるほどに複雑でち密で面倒な代物だった。ざっと見ただけでも百数桁の数字式暗号、立体回路、変圧式の開錠機構……あれを正攻法で破るのに、自分なら何日かかる事か。例え数百万渡されたところで釣り合わないと跳ねのける自信がある。

 

「やっぱ宮廷魔導士団でも簡単には解除できねぇのか」

 

 つくづく懐を漁っていてよかったと思う。あれが無けりゃ、アダムとシスティーナは今頃……。

 

『ああ。はっきり言って、今回の仕掛人は天才だ。シャルロットのマスター……アダムだったか。空間系におけるアイツみたいなものだ』

「お前がそこまで言うほどなのか」

 

 静かに、システィーナを起さない程度の声で驚く。セリカは自分の知る限り、一番の魔術師だ。その彼女が称賛するというのは、それこそ並大抵の天才ではない。

 その分野の第一人者と呼ばれる程の才能、それを指してこそ、セリカは褒め称えるのだ。転じて、今回の仕掛人の力量は、空間系の分野で自分の知る誰よりも上に来るほどのものだという事。

 

『そうだ。私なら組もうとも思わん術式を組みやがって……。アダムと言い、今回の仕掛人と言い……最近は豊作なことだな、ええ?』

「おいおい、拗ねんなよ」

『拗ねてなんかいないよ。もとより自分が魔術を極めているなどと思い上がったことは無い。だが……こうも見せつけられると、流石に自尊心に触るな』

 

 拗ねてんじゃねーか。苦笑して、言葉を飲み込む。

 

「ところで――」

『ハズレだ。学会に参加して――』

 

 話し合いは続き、グレンはその最中で仕掛け人の正体を掴んだ。

 

「そうか、まさか――。っ、セリカ、今何時だ?」

『は?』

「良いから答えてくれ。俺のは壊れちまったみてぇなんだ」

『……十七時を回ったあたりだ。それがどうかしたのか』

 

 五時間も寝ていたのか……!

 それならもう一刻の猶予もない……いや、下手したらすでに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ。

 

「なぁ、セリカ。本当に転移法陣は全部壊されちまったのか?」

『さっきからそう言って……いや、そうか!

 だとしたらもう時間はないぞ。私なら、もうじき書き換えは終わらせられる!』

「だよなぁ……!」

 

 通信を切り、跳ね起きようとする。自分が今なぜ寝たまま通話していたかを忘れたその行動は、傷口を責めるのと同時に少女を眠りから起こした。

 

「ん、ぅん……」

 

 やっべ。

 

 視線の先で、システィーナが身を捩りながら目を覚ます。

 その隙にグレンも上半身を起こし、『よう、起きたか』と声をかけ、夢現と言った様子の彼女の返答を聞いた。

 うつらうつらとしながらの返事は、普段の姿と大いに違って可愛げが見えた。

 

 彼女がしょぼしょぼとした目をこすりながら、自身が包帯を巻いた相手が目を覚ましていることを理解するのに、数秒かかった。

 

「起きたか。無事そうで良かっ――」

「――先生ッ」

「グフッ」

 

 抱きつくシスティーナ。傷口に頭が当たって、呻き声を漏らす。けれど『離れろ』とは流石に――いや、言おうとしたが、痛みに邪魔されて――言えず。

 暫く離れないシスティーナを見て、グレンは頭を掻いた。この非常時に、こんなことをする暇など無いだろうと、そう焦る自分を押さえつけるように。 

 

「それで、一体何があったんだ?」

「あ、はい、そうです。実はその――」

 

 システィーナは、自身の凡その出来事を順に説明した。流石優等生か、短く、的確に纏められた情報は、するりと頭に入ってくる。僅か数分で状況を把握した。

 

「ルミアが連れ去られた、ねぇ……」

 

 何よりも見過ごせないのは、そこだ。『天の智慧研究会』が何故彼女に目を付けたのか。

 フィーベル家の居候で、システィーナの親友。それだけの存在の筈だ。あいつらは屑だが、馬鹿ではないし間抜けでもない。だから今までさんざん手を焼いたのだ。

 必ず、あの陽だまりのような少女を狙う理由があるはずだ。

 

 だがそれは、今考えることでもない。きっと、連れ去られたルミアも仕掛け人と同じ場所に居る筈だ。そいつを見つけ出し、目的を聞き出せばいいだけの事。

 

 身を起したシスティーナに離れるよう促し、保健室の床に降り立つ。マナ不足と貧血による眩暈が襲うが、ぐっとこらえた。

 それを見たシスティーナは、ふと言われたことを思い出して懐からそれを取りだす。正体が何なのかは分からないが、きっと必要なのだろうと、何処かへ急ぐ先生に渡すために。

 

「そういえば……先生、アダムが先生にこれをって。使い方は先生が分かるそうなんですけど」

 

 そう言って差し出されたルビーを見て、グレンは意外なものを見たという風に目を丸めた。

 こんなところにあるだなんて思いもしなかったが、よくよく考えればアダムはこれの制作者。あってもおかしくないし、自衛用にいくつか持ち歩いていても不思議じゃない。

 どころか、むしろそっちの方が自然だ。

 

「これは……そうか」

「先生? これが何だか、分かるんですか?」

 

 システィーナが渡したそれは、アダムがシスティーナに預けた宝石だ。

 血のように赤く、ガラスの様に透き通ったルビーをカットし、内部に特殊な魔術理論で以て魔力と術式を刻んだ宝石。

 その内部は通常自然界で見られることのない揺らめきの赤光が滾々と揺らめいている。

 

 それは、馬鹿みたいに高い材料で作られた魔晶石の代替品みたいなものだ。

 本来の魔晶石はただ単に魔力を取り出すだけだが、これは違う。グレンがこの石の存在を知っていたのは、軍に所属していた時代に支給されていたからで、つまり、これには軍用されるだけの秘密がある。

 

「白猫。水を入れてくれ」

「は、はい。分かりました」

 

 医務室の器具は実に多彩だ。特に、此処の主の事を想えば、錠剤を呑むためのウォーターサーバーが設置されているのは自然なこと。自然なことになっちゃダメなんだけれども。

 コップに入れられた水を受け取ると、グレンはもったいなさを感じながら宝石を()()()()()、そのまま水で流し込んだ。

 

「ちょ――先生っ!? 何してるんですかっ?」

 

 システィーナの反応もむべなるかな。宝石は愛でるものであり、口にするものではない。胃酸でも解けないのだから、腹を下すどころの騒ぎでは済まないだろう。

 だが、これでいいのだ、この石の使い方は。

 

 嚥下されたルビーは、本当の血の様に、刻まれた術式に従って溶け、籠った魔力が吸収されやすい形になる様に変化する。偽りの血は熱の有る血と合流し、不足を補う。

 これこそが、アダムの渡した宝石の使用法。宝石魔術の理論を転用した、最高級にしてグレンの元上司が彼を欲しがった最もたる理由の魔術礼装。

 即効性と、回復量。何より『誰でも等しく効果を得ることができる』という特性から、魔晶石の上位互換とも呼ばれる消耗品だ。その分、原材料費も(恐らくは)魔晶石の上位互換だろうが。

 

「ああ、糞。もったいねぇなぁ」

 

 そう歯噛みしながら、乾いた体に水が染み渡る様に魔力が補充されていくのをグレンは感じた。

 性質上、過度に興奮していたり、砂漠などの乾燥状態での使用は難しい。だが、僅かな造血作用に、体力の回復、体調の調整までしてくれる至れり 尽くせりな消耗品。出すところに出せば、グレンの月の給料を余裕で上回るだろう。

 非常勤とは言え、一つで帝国学院の教師の月給を上回る値になる。もしかして、ああ見えてアダムの奴は白猫以上の金持ちなのでは、と。ふと気づいた。

 

 ――いや、なわけねぇか。

 

 高価なのには理由がある。おおざっぱに見ても予測できるだろう原材料費を考えれば、到底大金持ちとは思えない。裕福ではあるのだろうが、流石にフィーベル家のような貴族ほどでは無い。

 やはり、集るなら白猫だ。確信は小さな笑みを生んだ。今度から迷惑かけられた詫びとして、毎食集りに行こう。

 

 そんな情けない決意。

 笑みというよりは下衆笑いだった。

 

 全く、彼らしい。

 

 

***

 

 

「……あ」

「どうしました? マスター」

「いや、あのテロリストの自動で動く剣さ、鹵獲すれば月霊髄液の自立制御に役立つんじゃ……」

「そうなんですか」

「……あああっ! ちっくしょう、僕の間抜けめッ! てかあの魔術使えるんなら触媒だって持ってただろうに……! もったいないことを……っ」




【(2021/12/28 18:54 追記)】
ツングースカ・サンクチュアリ……。
漂白、死滅した大地の上に展開された固有結界。であれば、抑止力の修正を受けず、長期にわたる展開が可能になる……固有結界に対するオリジナル設定に前例ができました。喜ばしい事です。エピローグの行進が何故か31日であることを除けば。
というか12節と13節のタイトルにナイトウィザードのリプレイ本の臭いを感じたのは自分だけでしょうか。
まぁ、それはさておき。

明日 の 投稿は 19:36 です。
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