この小説は実話です。辛いです。

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A.I.VOICE結月ゆかり豪華版を買えなかった男の末路

俺には、今まで生きてきた中でたった3点だけ、決して拭えない汚点がある。

一つ目は小学校低学年だった頃、親の知人の好意をそのまま受け取るのが気恥ずかしくてツンデレをかましたこと。

二つ目は中学の頃、オタク友達に好きなキャラクターのことをバカにされ、大声で反論した結果オタクバレして色々あったこと。

そして三つ目は、たった今、A.I.VOICE結月ゆかりの豪華版の予約注文をしそびれたことだ。

 

業務中、予約受付開始時間を過ぎていることに気づいた頃にはもう遅かった。財布を片手にトイレに駆け込み販売ページを確認しても、表示されているのはSOLD OUTの赤文字。受注生産制で無いのがあまりにも無常だった。

10周年を記念した数々の特典はたった3万円に見合わないほどの豪華な内容で、名に恥じないエディションだった。限定版にもアクリルスタンドは付いてくる? 違うんじゃい。俺は一番いいエディションが欲しかったんじゃいと騒いでも今更どうしようもない。

周囲の社員に「何かあったの?」とか声をかけられたらまともに返事できる気がしない。できるだけ顔に出さないで自席に戻ったが、当然元通りの調子を取り返すことなどできなかった。

新しいプロジェクトのための資料を読もうにも、まるで頭に入ってこない。「ちょっと調べておいて」と言われたことをネットで検索しようにも、Webページは暗号文しか返してこない。

まるで業務にならない。

 

ああ、もしもゆかりさんの全てを得ることができたとしたらどんなに嬉しいだろうか。幸せだろうか。どこかの神様がこの願いを叶えてくれないだろうか。

 

叶いもしない願いを浮かべては、大きくため息をつく。

 

すると、何が起こったのだろうか。おもむろに視界が黒く染まり出した。立ちくらみの時に感じる……そう、眼前暗黒感という奴だ。いくら瞬きをしても治らない。頭から血が引く感覚がして、そして平衡感覚を失った。

 

 

やがて視界に光が戻った。目の前には職場のカーペットが広がっている。どうやら明日から転げ落ちたようだ。

頭を打ったのか、少し痛む。職場で無様な事をしてしまったと悔いながら痛む側頭部に手を当て……猛烈な違和感を覚えた。手触りが妙だ。

男の髪の毛というのは、多少幅はあれど概ね固く、手に伝わる感触のように滑らかなものではないはずだ。それに、こんなにもみあげは長くなかった……いや待て、このもみあげ、どこまで伸びている?

 

こめかみあたりから手櫛を通すと、頬のあたりで何かに引っかかった。眼前へ取り出すと、手にまとわりついていたのはラベンダー色の髪とそれをまとめる髪飾り。

ん?

なんか見たことあるなぁ。

 

「いつもニコニコあなたの隣に這いよる混沌……いあいあ! なんちゃって」

 

職場に似つかわしくない、可愛い少女の声がした方に振り向けば、プラチナブランドの碧眼美少女がいた。

 

 

 

人の滅多に来ない階段室に連れ込んだものの、目の前の少女はニコニコしたままだ。なにかを語ってくれる気配はない。彼女のことは一旦置いておいて、まずは先に事をすましてしまおう。

 

スマホのインカメを鏡がわりにして自分の顔を写すと、彼女がいた。

俺の中の推しランキング堂々のTir1、結月ゆかりそのものがいた。

生まれながらの人間ではありえない、ラベンダー色の髪の毛にアメジストのような瞳。人形としか思えないが、カメラの中の彼女は俺の思い通りに表情を変えた。

視線を胸元に向ければ、黒のスーツと真っ白のブラウス越しに、かすかに膨らんだ胸元が見える。そっと触れてみよう……として、目の前に少女がいる事を思い出した。

 

「あれ、おっぱい揉まないの? せっかくなれたのに」

本気で不思議そうにしている。幼稚園児のような穢れなき目で覗き込まれると辛い。身長がほぼ同じだけあって、まっすぐに見つめられる。

「なれたのにって、どういう?」

聞き返しながら、自分の喉から出る大人っぽくて艶やかで、でも可愛らしい声に驚いた。喉に手を当てると、喉仏のない滑らかな感触が指先に伝わる。

「なりたかったんでしょ? 結月ゆかりに」

「は?」

「だって、結月ゆかりの全てが欲しいーって」

そんな事……と思いながらも振り返ってみれば、たしかにそんな事を願った気がする。いや、でも。

「いや違う、そうじゃない」

自分自身が結月ゆかりその人になりたいなんてことでは決してない。

「えぇ……この期に及んでそんなこと言うの? 毎晩ベッドの上でゆかりさんになる妄想したり、女体化催眠音声買ってゆかりさん気分を味わったり、なんなら自分で『ゆかりさんになっちゃった小説』を書いてるのに?」

「なんで知って……いや、いまさらかぁ……」

目の前の少女は明らかにこの状況を作り出した張本人。そして『いあいあ』とくればもうわかりきっているようなものだ。

俺の体を好き勝手にいじくれるような存在が人間のはずがない。

「私のことはイアちゃんと呼んでくれていいよ?」

「いあいあ! って?」

どこかの教団が夜な夜な唱えてそうなセリフだ。そのあとには崇拝対象の名前が続くんだろう。

しかし、意外にも、目の前の彼女はちょっと困ったような表情だ。

「称えてもらわなくても、君のことは今後良くしてあげるから安心してくれていいよ」

柔らかく微笑んで見せる仮称イアちゃんは本当に可愛いが、それだけにセリフが末恐ろしく思えてくる。

「というか、本当に俺……私はゆかりさんに成りたかったわけじゃないんですが」

「ホントに?」

「ゆかりさんの良さは各クリエイターによって磨きがかけられるのに、自分がゆかりさんになっちゃったら無理じゃないですか」

「君がクリエイターになって、理想のゆかりさんを演じればいいじゃん」

「いや……うん? 天才では?」

「神ですから」

「やっぱり神なんですね」

自分から名乗ってくれるのは話が早くて助かる。もちろん疑うわけもない。

ちょっと胸を張っているイアちゃんは、それはもうずるいくらいにかわいい。中身はなんだか知らないけれど。

「そりゃあね。で、なにやるの? ゲーム実況? アイドル? 私は快楽に負けて風俗堕ちしてもとめないけど」

「さすがに男相手は勘弁してください」

女の子に成りたかったからって、男に犯されたいわけではないのだ。イアちゃんに生えていたとして……うーん、ギリギリ許容できるかなぁ……? いや、やっぱきついかも。

「レズ風俗って手もあるよ?」

イアちゃんの見た目からなかなかな単語が出てきてちょっと身構えてしまうが、まぁ、中身を考えればちょっと飲み込める。

それに、ちょっと上がった口角が妙に色っぽいというか、もはや妖艶な感じがして、似合っている様にすら思えてくるのだ。

それにしても、レズ風俗か。女の子同士で……いや、不特定多数はなぁ。

「あー……いや、えっちいのはちょっと」

「そっかぁ。でも女の子の体には興味あるでしょ?」

そう聞かれては困る。目の前のイアちゃんには嘘なんて絶対通じないし、何なら心の中を読んでいても全くおかしくない。何なら当然ですらある。そんな相手に出来ることといえば、黙秘くらいだ。

「…………」

「ま、元は男の子だもんね。今は女の子だけど」

黙秘をするときは、何を言われても沈黙を貫かないと意味がない。

「…………」

そうやってしばらく黙っていると、さも『言いずらいんだね、分かってるよ』といった表情を返してくる。実際そうだから何も言い返せない。なんかもう、ここまで来たら完全に開き直った方が楽な気がしてきた。

どうせ、欲望も何もかも筒抜けなんだろう。それならいっそのこと、この目の前の、際限なく深い者に心酔して見てもいいかもしれない。

「で、これからどうする? ずっと養ってあげるから仕事とかもうどうでもいいし、今からどこにでも行けるよ? 海外にだって連れていってあげるし」

夢のような話だ。後のことが怖いが、そんなこと言ったらもうどうしようもない。

少しだけ考え、所詮貧弱な脳で考えた結果はいたってつまらないものだった。しかし、悪い考えでもないだろう。

「じゃあ、家で」

「昔の君の家? それとも、今の君に似合う家?」

「……後者で」

「りょーかい」


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