「やあ、トレーナー君」
普段はモルモット呼ばわりのはずなので、若干の違和感があった。タキオンの顔は上気し、目が潤んでいる。
「……熱でもあるのか?」
思わずタキオンの額に手を当てる。
「はわっ!?」
タキオンに触れた手から振動が伝わり、触れている手から徐々に熱が伝わってきた。
「こりゃいかん」
身体が震えて発熱している。風邪でも引いたか。
おもむろにタキオンの膝裏に手を入れ、首の後ろを支えて抱き上げた。
「ちょっ!? うぇ!? トトトトトトレーナーくぅん!?」
「保健室へ行くぞ、また徹夜したんだろ?」
「してないよ!」
「そうか? でも体調が悪そうだからな。このまま保健室へ行くぞ」
「ちょっとまってくれ! 自分で歩けるから! おーろ-しーてー!」
「は? そんな顔を真っ赤にしておいて何言ってんの? どう見ても熱があるだろ?」
「ううううう」
それっきりタキオンは黙り込んで顔を伏せた。
「……いうとこだぞ」
何かつぶやいていたようだが、よく聞き取れないまま、俺は保健室のドアを開けた。
「ふーん。なるほどねえ。あ、トレーナーさん。呼ぶまで外に出ていてくれませんか? 聴診器使いますので」
「あ、はいっ。タキオンのこと、よろしくお願いします」
「わかってますよー。トレーナーさん」
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トレーナー君は私にちらっと目線をやると、一礼して保健室から出た。
「んー、健康そのものですね」
「ああ、そうだ。あのトレーナー君ときたら勝手に勘違いして暴走してねえ」
「んふふー。愛されてますねえ」
「ぴょっ!?」
「ふふ、わかってますよ。あれだけ献身的に支えられたらねえ。それに夢までかなえてもらったら好きになっちゃいますよね」
「……うう」
「ふふ、タキオンさんも乙女ですね。あー、かわいい!」
「からかわないでくれたまえ。だが、図星だ。私はどうしたらいいのかねえ……」
「えーそんなの決まってます。ガンガン行きましょう」
「ほう?」
「あのトレーナーさん、相当鈍いですからねえ。朴念仁の殻をぶち破るしかないですよ」
「ふうン。なるほどね」
「それで、ですね。こういうのはどうでしょう」
「ほえっ!? いやそれは……」
それから保健の先生に相談に乗ってもらって、これからの方策を決めた。
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「あ、トレーナーさん。タキオンさんちょっと疲れが出てるみたいですね」
「あー、あいつは前から無理ばっかして……。いやすみません。ありがとうございます」
「それで、ですね。チョーっと申し訳ありませんが、所用がありまして。少しの間タキオンさんに付き添ってあげてほしいのですが」
「承知しました!」
「ええ、ではよろしくお願いしますねー」
ひらひらと手を振って先生は廊下を歩いて行った。
扉をノックして声をかける「タキオン、入るぞ」
「ああ、どうぞ」
返答を聞いて扉を開けると、ベッドの一つが人型に盛り上がっていた。いや、ウマ娘型と言うべきか?
「大丈夫かい?」
「んー、データをまとめるのに少し無理をしてしまったみたいだねえ」
「……まさかまた飲まず食わずか?」
「寝る間も惜しむなら食事の間も言わずもがなだろうねえ」
「……まったく」
俺はバッグから30秒チャージのゼリーを取り出した。
「ほら、とりあえずこれでも食べとけ」
「ああ、いつも済まないねえ。それでなんだけどね、トレーナー君」
「ん?」
「ずっと書き物をしていたからか手がだるくて動かすのが億劫なんだよ。食べさせてくれないかね?」
やれやれとぼやきつつ、プラのふたをひねって外す。
「ほら」
「あーん」
タキオンが口を開ける。そこに容器の先端を近づけるとパクリとくわえた。
「んっ」
漏れる声がちょっとなまめかしく聞こえた。
タキオンは生徒タキオンは生徒タキオンは生徒……。動揺を見透かされない様になるべく平静を保とうとする。
「おや、トレーナー君も顔が赤いねえ。どれ」
ぐっと首の後ろをつかまれると、こつんとおでこが当たった。
至近距離に彼女の顔が見えた。ウマ娘と言う存在は誰もかれもがとんでもない美人だ。
しかも何やらいい匂いまでしてくる。思わずドキドキしてしまったとしても誰が俺をとがめられるだろうか。
「ふうン。なにやら心拍数も落ち着かないねえ」
いつの間にか手首をつかまれ、脈をはかられていた。タキオンの薬の治験でよくこういうことをされているが、今は状況が違う。
至近距離にそのきれいな顔があり、何やらいい匂いがしていてさらに手首をつかまれている。
そして事ここに至って思い出すことは、保健の先生は外出中で今この空間には俺たち二人っきりと言うことだった。
「トレーナー君。どうしたんだい? やたらと脈が速いんだがねえ」
「い、いや。そんなことはないぞ」
「ふうン。まさかとは思うがねえ。私との距離が近すぎてドキドキしているのかね?」
いつもは茫洋としているその瞳が笑みの形にかたどられる。
「まさか、そんなことがあるはずがないじゃないか」
「ふふ、言葉がやたらと棒読みだよ?」
「ちょっ!?」
タキオンから距離を取ろうとするが、がっしりと首をホールドされて動かせない。
「ふふ、ちょっとした実験だよ。感情がもたらす身体能力への影響についてだね。トレーナー君は私との距離が近いと動揺するようだ。顔が赤くなり、心拍数も向上。これはいかなる感情によるものかねえ?」
「……」
「ふふ、言葉にできない感情と言うことかね? では、その茫漠としたものに名前を付けてみてくれないかね?」
「……俺にそういうのを期待したらいけないと思わないか?」
「ふうン。まあ、それもそうだねえ。何しろ君は朴念仁と言う言葉に手足を生やした存在だからねえ」
何か悪口を言われているような気がする。
「これはね、ちょっとした意趣返しだよ。つい先ほどの、ね」
「どういうことだ?」
「なに、わが身に当てはめて考えてほしいだけさ。こうして触れ合って、お互いの体温とか吐息とか、何なら匂いを感じる。そうして湧き上がっている気持ちのことだよ。ああ、ちなみにだね。さっきトレーナー君に抱き上げられた時。感じた気持ちは……」
その先を彼女に言わせてはいけない気がする。その言葉を発すると、もう後戻りできないくらいに彼女との関係が変わってしまいそうだからだ。
そして、そのことを恐れている自分がいる。それはなぜか? 自分の中に湧き上がる感情が彼女と同じならそれでいい。けれど、そこですれ違っていたらと思うと……。
「ふうン。どうやら気づいたようだねえ」
「なににだ?」
「なに、トレーナー君の感じたままにすればいいのさ」
「タキオン。俺は君の……」
「うん、トレーナーだねえ。でもそれだけかい?」
「それ以外に何が……」
「まったく素直じゃないねえ。私がここまで素直になることは稀だよ? んっ」
唇に暖かいものが触れた。それとほぼ同時に首の後ろをホールドしていた手が離された。
「これで名家の出身でねえ、誰にでもこんなことをするわけじゃないってことは理解してもらいたいねえ」
「ああ、よくわかった。それで覚悟も決まった」
「おお! さすがわたしのモルモ……トレーナー君だよ。さあ、君の気持を私に告げたまえ!」
「ああ、アグネスタキオン。俺と結婚してください!」
「んがふっ!?」
「えええええ……」
何やら突っ伏したタキオンにショックを受ける。
こちらを振り向いたタキオンは……これまで以上に顔を真っ赤にしていた。
「普通は付き合ってください、位からのスタートじゃないかねえ!?」
「んー、そうだな。けどさ、それはいまさらじゃないか?」
「そうかもしれないけどねえ。それにだ。プロポーズとかはもっと雰囲気とかだねえ……」
「ああ! ごめん! タキオン!」
「まあいいさ。私が好きになった相手だ。そういうところもデータ通りと思えば……」
「うう、すまん」
「まあいいさ。じゃあ次の休みは一緒に出掛けようか」
「珍しいな。外出とか」
「そりゃあねえ。実家に話を通しておかないとまずいだろう?」
うん、結局俺たちは似た者同士なんだろう。だからこそうまくやっていけると思えた。
そして、いざというときのために俺を制圧するつもりで呼び寄せていたアグネスデジタルがカーテンの側で倒れ伏していた。
後日談のさらに後日談とかもいいかもしれない
次は会長でも書こうか(´・ω・`)