幼なじミーク 作:アオ
「…………」
(お兄さん、まだかな……?)
「おーい!」
「あ……!」
「ごめんごめん! 待たせちゃったか?」
「いえ、私も今来たところですから」
(嘘。本当は、三十分くらい待ったけど……お兄さんには、お兄さんの都合があるから……)
「……そっか。じゃあ、今日も一緒に頑張ろうな!」
「はい……!」
お兄さんは毎日、私に会いに公園まで足を運んでくれた。
「はぁっ、はぁっ……どう、ですか……?」
「うーん、途中で速度を上げすぎているような気がする。一定のペースを意識してみて」
「分かりました……じゃあ、もう一回走ってみます……!」
お兄さんからの指導は、私にとって相性が抜群だった。
自分でも、みるみる内に実力が伸びていくのを感じたから。
半月も経つ頃には、お兄さんと出会う前と比べて驚くほどタイムが縮まった。
それだけじゃない。スタミナ配分などを含めて、これまでよりも走りやすくなった。
「はぁはぁ……」
「凄いじゃないか! またタイムを更新したぞ!」
「本当ですか……?」
「あぁ! ミークは才能の塊だ! 自信を持っていい!」
お兄さんは、私が記録を伸ばした時はこれでもかと言うほど褒めてくれる。
逆に私が不調だった時も、失望しないどころか優しく慰めてくれる。
褒められ慣れていない私にとって、お兄さんからの言葉はどれも心に響いて。
それがとても恥ずかしくて、いつも顔が熱くなっちゃう。
「いえ、そんな……お兄さんのお陰です」
「謙遜しなくていいって! 自分の実力を正確に把握することも……」
「うぅ……」
「……ごめん、ちょっと興奮しすぎた」
「あっ、いや、その……嫌な訳じゃ、ないんです。ただ、今まで、あまり褒められたことがなかったから……」
「褒められたことがない、か……周りの目は節穴か? 俺から見れば、こんなにも……」
「えっと……」
「……ミークはまず、自分に自信を持つことから始めた方が良いかもしれない」
「自信、ですか?」
「いきなりは難しいだろうから、そうだな……褒められた時は、それを真っ直ぐ受け止めるのはどうだろう?」
「……?」
「たとえば、俺がミークを褒めた時……謙遜するんじゃなくて、自分を高めるようなことを言ってみるんだ。『凄いでしょ?』とか『えっへん!』みたいに」
「…………」
「言いづらいなら、もっと簡単な言葉でもいい。とにかく、ミークにとって大切なのは、自分への自信をつけることだ」
「…………」
お兄さんの言いたいことは分かる。
私はいつも叱られてばかりだったから、自分に自信が持てない。
だからこそ、何か自分を奮起させられる言葉が必要になる。
自画自賛はやっぱり難しいけど、お兄さんの言う通り、何か簡単な言葉だけでも……
「……ぶい、とか」
「ん?」
「えっと、アニメとか映画で、主人公が何かを達成した時……笑顔でピースしていたから、それで……」
「あぁ、Vサインか! いいと思う!」
「そ、そうですか……?」
「ほら! 今、俺がミークを褒めたじゃないか!」
「え? あっ……ぶ、ぶい?」
「そうそう! それを繰り返せば、少しずつ自分への自信が芽生えてくるはずだ!」
(……ぶい、か)
私はまた、お兄さんから大事なことを教わった。
自分に自信を持つこと。その為のきっかけを作ること。
私にとってはVサインが、自信を持てるきっかけだった。
その日から私は、物事が上手くいった時……必ず『ぶい』と呟くようになった。
そうすれば、お兄さんに褒めてもらったことを思い出せたから。
私でもやれば出来るということに、自信をつけられる気がしたから。
●
「そこはこうすれば……」
「あ……出来た。出来ました、お兄さん……!」
「お疲れ様。よく頑張ったな」
「えへへ……ぶい」
(お兄さんの教え方、先生より分かりやすいかも……)
晴れの日はもちろん、大雨の日や、雪が降っている日も。
忙しいはずなのに、お兄さんは必ず私に会いに来てくれた。
それが凄く嬉しくて、お兄さんの顔を見るたびに心が温かくなった。
「これで算数の宿題は片付いたな。他に何か、提出しなきゃいけない課題はあるか?」
「いえ、特には……」
「それなら、またミークのトレーニングを……見ようと思ったんだけどなぁ……」
「……今日は大雨ですもんね」
「さて、どうするか……」
「……勉強」
「え?」
「お兄さんが勉強してるところ、見てみたいです……」
「それは構わないけど、つまらないと思うぞ?」
「いいんです。トレーナーを目指す為の勉強が、どんなものなのか……気になるので……」
「……分かった。じゃあ、昨日やったところの復習から始めるか」
天気が悪い日は、流石に走ることは出来なかったけど。
そういう時は、お兄さんに勉強を見てもらうことが多かった。
そして、お兄さんのことを知ることが出来る……数少ない機会でもあった。
普段、お兄さんは私のトレーニングを見てくれているから、あまりお兄さんの話を聞けない。
だからこそ、トレーニングをしない日は……私がお兄さんを眺める日。
「…………」
「……難しいですか?」
「まぁ、な。でも、ミークのトレーニングを見てるお陰で、今までより進めやすくなった」
「そう、なんですか……?」
「やっぱり知識を頭に入れて覚えるのと、実際に経験して覚えるとでは全然違う。圧倒的に後者……実際に経験した方が覚えやすいし、イメージも掴みやすい」
「イメージ……」
(いつも、私が感じていること……こんなところも、お兄さんと一緒なんだ……)
「ありがとな、ミーク。君がいてくれて、本当に良かったよ」
「いえ、私こそ……! お兄さんのお陰で、レースも勉強も……今までより、出来るようになりましたから……!」
「……つまり、俺とミークはお互いを高め合う存在という訳か」
「お互いを、高め合う……」
その言葉を聞いた時、私の胸の奥がまた温かくなった。
お兄さんと、一心同体になれたような気がしたから。
私でも、お兄さんの役に立てていることが分かったから。
お兄さんの力になれていることが、凄く……嬉しかった。
「これからも、よろしく頼むな」
「はい……よろしく、お願いします……!」
自分の為だけじゃなくて、お兄さんの為にも。
私はレースも勉強も、これまで以上に頑張ろうと思った。
私が頑張れば、お兄さんの力になれるから。
お兄さんの言う通り、お互いを高め合える存在でいたかったから。
●
「はっはっ……!」
「記録は……凄いじゃない! ミークちゃん、今までと比べても随分速くなったわね!」
「……ありがとうございます」
(これも、お兄さんのお陰……ぶい)
「ミークちゃん、凄いね!」
「どうして急にそんなに速く走れるようになったの?」
「……秘密の特訓、してるから」
「何それ!? 私にも教えて!」
「……内緒」
「ズルーい!」
お兄さんにトレーニングを見てもらってから、私は学校でも結果を出せるようになっていった。
あれだけ私のことを冷ややかな目で見ていたクラスメイトも、次第に評価を改めてくれていった。
「……?」
(おかしい……褒められて、嬉しいはずなのに……)
でも、私はクラスメイト……その中でも、異性の友人に褒められても、心が全然揺れなかった。
もちろん、決して嫌な気分になった訳ではないけれど。
お兄さんに褒められた時の方が、ずっと……胸がときめいたから。
お兄さんに褒めてもらえた方が、ずっと、ずっと……嬉しくて、たまらなかったから。
●
「やっぱり梅雨だと、中々晴れないな……」
「はい……」
いつも通り、公園で待ち合わせたは良いけれど。
天気はあいにくの土砂降りで、とても走れるような状況ではなかった。
「じゃあ、今日も勉強を……え?」
雨や雪の日は、お兄さんの勉強を見せてもらうはずだった。
でも、お兄さんは……参考書や筆記用具を、一つも持って来ていなかった。
最初は忘れたのかと思ったけど、どうも違うみたい。
だって、さっきから私の方を見て……何かを考え込んでいるみたいだったから。
「…………」
「……お兄さん?」
「……なぁ、ミーク。折角だし、たまには羽を伸ばさないか?」
「え……?」
「ここから少し歩けば、ワイワイ楽しめる施設が沢山あるんだけど……良かったら一緒に行こうと思ってさ」
「水族館……?」
「晴れの日はずっとトレーニング、雨の日は勉強……ミーク、ちゃんと心や体を休めてるか?」
「それは……」
言われてみれば、私はいつもトレーニングや勉強ばかりしていた。
趣味と言える趣味もなく、いつも自分の実力を伸ばすことばかり考えていた。
なぜなら、そうすればお兄さんに褒めてもらえるから。
そして、お兄さんの勉強にも繋がると思っていたから。
「トレーニングや勉強は確かに大事だけど、それと同じくらい……休むことも、また大事だ」
「…………」
だからこそ、こうしてお兄さんからお出かけに誘われて。
私の胸はいつになくドキドキして。
憧れのお兄さんと、一緒に遊びに行けることに興奮して。
そんな考えばかり浮かんで、私は一瞬だけ放心状態になった。
「俺も、勉強ばかり続けるのは辛いからさ……もちろん、嫌なら無理にとは言わな」
「っ、い、行きます! むしろ行かせて下さい!」
「うおっ!?」
危うくお兄さんから断られそうになって、私は慌てて訂正した。
こんな機会、滅多にないかもしれない。
この機会を逃せば、お兄さんとお出かけ出来なくなるかもしれない。
何より、お兄さんからのお誘いを断る訳がない。
私だって、お兄さんと……お出かけ、したかったから。
●
「わぁ……!」
「流石に平日、しかも大雨だと空いてるな……」
私とお兄さんは、近所の水族館へ行くことにした。
理由は公園から近かったことと、学生にも払いやすい入場料だったこと。
そして……他の施設と比べて、あまり人の出入りが多くなかったから。
「お兄さん、あれって……」
「ん? あぁ、確かマンボウだっけ……焼いて食ったら美味いのかな」
「…………」
「……ミーク?」
「……水族館で魚料理のお話は、やめてほしいです」
水の中を泳ぐお魚を楽しむ場所なのに『焼いたら美味しいのかな』だなんて。
それって、動物園で『この動物、肉にして食べたら美味しいのかな』と言っているようなもの。
純粋にお魚を頼んでいた私には、少し不謹慎だと感じてしまった。
「き、聞こえてたのか? いや、そうだよな。ウマ娘は人間より五感が鋭いから……ごめんごめん」
「むん……」
「……『むん』?」
「あ、えっと、その……」
(『むぅ』って言おうとしたのに、微妙に噛んじゃった……)
「…………」
「……お兄さん?」
「今の、もう一回言ってくれないか?」
「……やです」
「いつも落ち着いてるミークが膨れながら『むん』って言うのが珍しくて! 可愛かったからもう一回!」
「や、やです……! 恥ずかしいです……!」
「そんなこと言わずに、さぁさぁ!」
「あ、あうぅ……つ、次のお魚を見に行きましょう……!」
「あっ、ミーク……からかわれてると思われたか? でも、本当に可愛かったんだけどな……」
噛んだことを指摘されて、それを掘り返されたことが凄く恥ずかしかった。
私はまた顔が熱くなって、思わず誤魔化しながら逃げてしまった。
でも、しばらくしたら落ち着いて来て、またお兄さんと一緒に色々なお魚を見て回った。
「うわっ、鯨だ! やっぱりデカいな!」
「はい……! 背中に乗ったら、楽しそう……!」
トレーニングを見てくれている時も。
勉強を見てもらっている時も。
そして、トレーナーの勉強をしている姿を見ている時も。
お兄さんと一緒にいるだけで、私は楽しかった。
でも、こうして水族館に出かけた時は、いつも以上に楽しくて。
この日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
お兄さんが何を言ったか、何を見てどんな反応をしたか。
その全てを、完璧に覚えているくらいだから。
「……お兄さん」
「ん?」
「今日は、凄く……楽しかったです」
「そうか。喜んでもらえて良かった」
「また、一緒に……行っても良い、ですか……?」
「あぁ、もちろん! 今度はまた違う施設へ遊びに行こうか!」
「はい……!」
この時には、私はもう……お兄さんのことを、誰よりも信頼していた。
クラスメイトや先生はもちろん、お父さんやお母さんよりも。
この世で誰が一番好きかと聞かれれば、迷わずお兄さんと即答するほどに。
でも、当時の私はまだ幼かったから、お兄さんへの気持ちは『Like』止まりだった。
いや、もしかしたら、自分の本当の気持ちを自覚していなかっただけかもしれない。
どちらにしても、私はお兄さんのことが……好きだった。
この人といれば、私は頑張れる。今までよりも、強くなれる。
そして、このままずっと一緒にいられる……そう思っていた。
「もう、ミークとは会えないんだ」
「え……?」
だから、お兄さんから別れを告げられた時。
私は生まれて初めて、絶望を味わうことになった。