幼なじミーク 作:アオ
お兄さんと出会った日から、もう数年の月日が流れた。
私とお兄さんは毎日、一日も欠かさず会い続けた。
普段は公園で。そしてたまに、どこかへお出かけする。
お兄さんと過ごす時間は、私にとってかけがえのないものだった。
お兄さんがいてくれたお陰で、色あせていた私の日常が輝くようになったから。
お兄さんと一緒にいられると、幸せを感じることが出来たから。
「…………」
「お兄さん……?」
「え、な、なんだ……?」
「さっきから、手が止まってます……」
「あ、あぁ、うん……」
「…………」
でも、一週間ほど前から……お兄さんは、ずっと何かを考え込んでいた。
いつもより深刻そうな表情で。どこか辛そうな表情で。
私のトレーニングを見ている時も、何かに耐えるような顔だった。
それどころか、今も唇を噛み締めながらうつむいている。
「……ねぇ、お兄さん」
「……ん?」
「何か、悩みがあるんですか……?」
「うっ……」
お兄さんは、いつだって私のことを助けてくれた。
苦しんでいた私を、救い上げてくれた。
だから今度は、私がお兄さんの力になろうと思った。
もちろん、小学生に出来ることは限られているけれど。
それでも、せめて……悩みや相談を聞くくらいのことはしたいと思ったから。
「…………」
「……私には、言えないこと?」
「…………」
「お兄さん……」
「……そう、だよな。いつまでも黙ったままじゃ、ダメだよな……」
私がお兄さんを見つめていると、急に顔を上げた。
そして、今度はお兄さんが私の顔を、目を見つめてきた。
いつもなら途中で照れちゃって、視線を逸らしてしまうけど。
今は真剣な話をしているせいか、恥ずかしさは感じなかった。
「……言おうとは思っていたんだけど、どうしても決心が出なかったんだ」
「……?」
「でも、いい加減……覚悟を決めないとダメだよな……」
「えっと……」
どうして、さっきよりも辛そうな顔をしているの?
どうして、さっきよりも悲しそうな顔をしているの?
どうして……今にも泣きそうな顔をしているの?
お兄さんの表情を見た私の頭の中は、疑問ばかり思い浮かんで。
そして、その疑問は……一瞬で解き明かされることになる。
「……実は」
「は、はい……」
「もう、ミークとは会えないんだ」
「え……?」
理解出来なかった。
お兄さんの言葉が、耳に、頭に、全く入ってこなかった。
そして、数秒……いや、もしかすると、もっと長かったかもしれない。
遅れて、お兄さんが告げた言葉の意味を理解して。
私の目の前は、真っ暗になって。
私の頭の中は、真っ白になった。
「え……あ、会えないって……どういう、こと……?」
「……来年になったら、俺はここから遠い高校へ通うことになる。その為に、引っ越さなきゃいけなくなった」
「…………」
「トレーナー育成に力を入れている高校なんだ。そこへ入って、俺は……」
「…………」
お兄さんが、遠くへ引っ越してしまう。
だから、もうお兄さんと会えなくなる。
それが私にとって、どんなに辛く、苦しいことなのか。
気がついた時には……考えるより先に、体が、口が動いていた。
「……や、だ」
「……!」
「やだ……そんなの、やだ……! 離れ離れなんて、やだぁ……!」
「み、ミーク……」
「お兄さんが離れて行っちゃうなんて……そんなの、耐えられない……!」
私は涙を流しながら、震える声で叫びながら、お兄さんにしがみついた。
お兄さんがどこへも行かないよう、ギュッと抱き締めた。
頭では、そんなことをしても無駄だと分かっていても。
それでも私には、こうするしかなかったから。
「ぐすっ……やだぁ……行かないでぇ……!」
「……そういう訳にはいかないんだ」
「嫌ですっ! お兄さんがいなくなったら、私……寂しくて……うぅっ……死んじゃいます……!」
「…………」
「これからも、毎日……会うんです……一緒に勉強したり、トレーニングを見てもらったり……えぐっ……お出かけ、するんです……!」
「…………」
「離しません……お兄さんが、ここにいるって言ってくれるまで……離しませんからぁ……!」
今、思い返してみても……当時の私は、かなり我儘を言っていたと思う。
いくら小学生とはいえ、お兄さんにはお兄さんの都合があることくらい、理解出来るはずなのに。
でも、私は止まらなかった。泣き叫びながら、とにかくお兄さんに縋ることしか出来なかった。
「お兄さんがいてくれないと、私……ぐすっ……うぅっ……!」
「ミーク……」
「お兄さんは、私と離れ離れになって……寂しく、ないんですか……!?」
「……寂しいに、決まってるじゃないか!」
「……っ!?」
「俺だって、出来ることなら……君と一緒にいたい! でも、それは……無理なんだよ……!」
「お、お兄……さん……?」
「夢を叶えたいし、ミークにも会いたい……どっちも実現出来ないか、悩みに悩んださ! でも、どうしても出来なかったんだ……!」
「…………」
私は驚きのあまり、言葉を失った。
いつも笑顔で私を見守ってくれたお兄さんが、涙を流していたから。
初めて、お兄さんの涙を見たから。
そして、私は気づいた。辛いのは、私だけじゃないことに。
お兄さんだって……凄く、凄く辛かったことに。
そこまで思い詰めるほど、私のことを考えてくれていたことに。
「……ごめん、なさい」
「なんで……君が謝るんだよ……」
「だって、私……お兄さんの、気持ち……全然、考えて……なかった、から……」
「……!」
「寂しいのは、私だけだって……勝手に、思っちゃって……ごめんなさい……!」
私はお兄さんを抱き締めて、ただひたすら泣き叫んだ。
お兄さんと会えなくなる辛さ。
お兄さんの気持ちを考えられなかった自分の情けなさ。
その二つが、同時に私の心を締めつけてきて。
そして、その苦しみが……涙になって溢れ出してきて。
「ごめんなさい……ぐしゅっ……あぁっ……!」
「……ごめん……うぅっ、ごめんな……!」
そんな私を見て、お兄さんまで更に泣き出して。
私とお兄さんはしばらくの間、二人で抱き締め合って泣き続けた。
人がよりつかない寂れた公園なのを良いことに、ただひたすら泣き叫んだ。
お互いの感情を爆発させたかのように。
辛いことや悲しいことを、全て吐き出してしまう為に。
●
「…………」
「…………」
「……恥ずかしいところを見せちゃったな」
「いえ……私、こそ……」
ひとしきり泣いた後、私とお兄さんの声は……すっかり掠れてしまった。
お互い、みっともない姿を見せてしまったと思って……少し、恥ずかしかった。
でも、逆に言えば……自分を客観視出来るほど、余裕が戻ってきたことになる。
涙を流しながら、感情を全部吐き出したことで……少し、落ち着きを取り戻せたのかも。
「……お兄さん」
「……あぁ」
「どうしても、行っちゃうんですか……?」
「…………」
「うぅ……」
これ以上、お兄さんに迷惑をかける訳にはいかなかった。
私が嫌だと駄々をこねるほど、お兄さんは辛い思いをする。
だから、私は……辛くても、寂しくても、お兄さんを見送ってあげないといけない。
それが、今の私に出来る……お兄さんへの、精一杯の恩返しだと思ったから。
「……ミーク」
「はい……」
「俺は、トレセン学園への就職を目指す」
「え……?」
「そして、必ずトレーナーになって……いずれ、ミークと再会する」
「……!」
「だから……」
トレセン学園。正式名称『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』。
ウマ娘なら、誰もがその存在を知っているほどに有名な学園。
全国各地から優秀なウマ娘が集い、そこで激しく競い合い……頂点を決める。
お兄さんは、そこに就職すると言い切った。
そして、トレーナーになってみせると力強く宣言した。それって、つまり……
「……私にも、トレセン学園を目指してほしい」
「……!」
「お兄さんが言いたいのは、そういうこと……ですよね……?」
「……あぁ。ミークほどの実力なら、決して手が届かない場所じゃない。ずっと君を見てきた俺が保証する」
「…………」
寂しさや悲しさの中に、僅かだけど……確かに感じた。
お兄さんが私を信じてくれている。
私なら、トレセン学園を目指せるだけの能力がある。
私のことを、信頼してくれているという……嬉しい気持ちが。
「……その言葉を貰えただけで、頑張れる気がしてきました」
「そうか……!」
「…………」
でも、それだけではまだ足りない。
途中で挫けてしまわないように。
辛くても、苦しくても、一人で立ち上がれるように。
私の心を……意志を強く出来る、何かが欲しい。
そう思った私は、お兄さんに向けて……ゆっくりと小指を差し出した。
「え……?」
「指切り、しましょう……? お兄さんと約束したことを、絶対……ぜーったい、忘れないようにしたいから……!」
「……分かった」
私とお兄さんの指が、静かに交差する。
お兄さんとの約束を、私が忘れるはずないけれど。
二人で約束を交わしたという思い出を。
トレセン学園を目指すという大きな目標を。
しっかりと、心に刻んでおきたかったから。
「指切りげんまん……」
「嘘ついたら針千本飲ます……」
「「指切った!」」
私の指と、お兄さんの指が静かに離れてゆく。
そのせいでまた、少し寂しさを感じたけれど。
それ以上に、お兄さんと指切りをしたことで……心で一つになれたような気がして。
さっきまでの悲しさは、かなり薄れていた。
お兄さんを笑顔で見送るだけの覚悟が、ようやく……出来た。
「……お兄さん」
「……あぁ」
「トレセン学園で……待ってますから……!」
「分かってる。俺も、待ってるからな……!」
きっと、この時の私は……笑顔でいられたと思う。
お兄さんがいなくなる不安は決して消えないけれど。
この約束がある限り、私は一人でも頑張れる。
自分の能力を、これまで培った実力を信じられる。
お兄さんから受け取ったものがあれば、私は頂点を目指せる。
お兄さんのお陰で、ようやくそう思えるようになった。
この時、私の中でお兄さんへ向ける気持ちが『Like』から『Love』へと昇華した。
そのせいで、より一層寂しさを感じたけれど……それ以上に、頑張る為の活力になった。
大好きな人と再会を果たす。その為に、その為だけに、私は……!
次回で最終話です。