One Man Army/ワンマンアーミー   作:夕叢白

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Episode 8

月森雫、日系アメリカ人の彼女はアメリカ随一の殺人代行業者ハングの見習いであり、助手である。その業務内容は多岐にわたり、簡単な書類整理、時には専門知識が必要となる経理業務、ハングが引き受けた依頼のサポート全般、齢十三歳とは思えない仕事を熟している。普通の女の子なら、今頃はミドルスクールに通って勉学に励み、多感な青春を謳歌している時期だろう。しかし、残念ながらシズクは普通の女の子に該当しない。彼女の心は酷く歪んでいる。

 

「ょ...とっ、この通路で...合ってるよね?本当に軍の人来るのかなぁ。」

 

華奢な両腕で身の丈に合わない本革のトランクを引き摺るようにして持っているシズクは、基地内の西棟へ直結する渡り廊下の中心にいた。彼女に与えられた役割は西棟に入ろうとする軍人の排除。当初の計画では荒事には一切関与しない後方支援がメインのシズクだったが、当の本人がハングの反対を押し切って前線での活動を希望した為、結果的に彼女はこの場を一任された。本来であれば、ハングは実戦経験の浅いシズクを戦闘に参加させる事はしない。

 

「アデラお姉ちゃん...あたし、絶対にヘマしないから。」

 

アデラ・ベル・ダウズウェル、シズクが血の繋がった姉のように慕う魔術師からの贈り物、それこそハングがシズクを戦闘に参加させるに至った最大の理由だった。彼女の持つ本革のトランクはダウズウェル家が保有していたマジックアイテムの一つ、名称をエルピスの箱。別名、最もセイクリッド・トレジャーに近い崇高なるマジックアイテム。

 

効果はトランクの所有者に敵意や殺意、又は害意を抱いて明確に敵対行為が行われた場合にのみ発動する、フルオートカウンターアタック。所有者へ対する攻撃は物理、魔術的要素問わず箱が因果律へ干渉する事により全て無に帰し、所有者の半径五メートル圏内に存在する敵対者に何かしらの厄災が降りかかるという規格外の性能を宿している。つまり、エルピスの箱を手放さない限り、シズクに命の危機は訪れない。

 

「ちょ、おい見ろよあれ、子供っ子供いるって!」

 

「げ、おいおい冗談だろぉ...?町からそう遠くねぇし、迷い込んじまったのか。ったく、警備は寝てんのか。」

 

「森を通って来たなら怪我をしているかもしれない...。そこの君っ、何処から来たか言えるかい?」

 

シズクの目の前に現れたのは、その表情を困惑と警戒に染めた軍人、三匹の獲物。中央から西棟の寮へ移動していた最中だったのだろう。高鳴る鼓動にシズクは深く息を吸い、呼吸を整える事で一度自身を落ち着かせる。心の臓は未だ速く打っていたが、それは恐怖や緊張からくるものではなく、愉悦と興奮からだった。

 

「あたし、此処で待ち合わせをしているの。」

 

一切の淀みなく、シズクは彼等の疑問に答えてみせた。彼女の毅然とした態度に軍人達は幼い見た目との二面性を感じたが、話が通じる相手だと脳が理解すると無意識に警戒心を一段階下げる。相手は子供でしかないという常識が三人の油断を招いている事に気付けぬまま。

 

「待ち合わせ...?ここでかい?君の歳で?えっと......取り敢えず、この場所は危険なんだ。俺達と一緒に来てもらえるかな...?」

 

一人の温和そうな軍人が手を差し伸べながらシズクへ向かって歩み寄る。別の強面の軍人は上官に指示を仰ごうと無線機を取り出す。三人目の弱腰の軍人はシズクを警戒している。

 

「ごめんなさい、おじさんたち。待ってたのは...あんたらなの。」

 

静かに、だが確かにシズクはそう呟き、トランクから右手を離すと素早い動作でレインコートのポケットから黒光りする金属を取り出した。細長いサプレッサーが無言の威圧を放つそれはH&K USPと呼ばれるドイツ製の拳銃、人を殺す為に作られた兵器を何の感慨もなく自分達に向ける少女の異常性に漸く気付いた三匹の憐れな獲物は三者三葉の判断で場を解決しようと動き出す。

 

「じゅ、銃を降ろせぇッ!!」

 

「おいおいおいっ、ガキだからって容赦しねぇぞ!」

 

「き、君...落ち着いて!話し合おう、皆で!俺達は君に何もしないっ、誓うよっ!」

 

ポリマー製のフレームを右手でがっちりと握り締め、銃口の先にいる敵を見据える。彼女の瞳が鋭く光り、トリガーに掛けた指が僅かに動く。温和な軍人の必死の説得が無に帰した瞬間、耳を劈くような乾いた銃声が何度も渡り廊下に響き渡り、同時に周囲の空気を振動させた。空薬莢が排出され、カチン、カチンと音を立て床に落ちる。音に圧倒され耳を塞いでいた温和な軍人は少女を守れなかった無力感から一人地面に崩れ落ちるしかなかった。数秒後か数十秒後か、銃撃戦の中心で蹲る彼には無限にも思える時間の中、唐突に渡り廊下が静けさに包まれる。

 

「...終わっ...た?」

 

問いかけに、返答はない。辺りには硝煙が立ち込めており、酸化物質特有の不快な匂いに、思わず温和な軍人は鼻と口を手で覆う。そして、よろめきながら何とか立ち上がったその瞬間、視界に広がった光景は、まるで時が凍りついたかのように異質であった。

 

初めに目にしたのは、血の海に沈む無垢な少女などではなく、年相応に悪戯っぽく笑う、それでいて無傷の不気味な少女。次に目を引いたのは、彼女が左手に持つトランクからの奇妙な発光現象。その光景は常識を逸脱しており、只人が現状を瞬時に理解するにはあまりにも無理があった。

 

「あたし、一発も撃ってないんだけどなぁ~。おじさん達が早とちりして、明確な敵意を抱いて先に撃ってきたんでしょ?なら、相応の報いがあっても当然...受け入れてくれるよね?」

 

あざとく首を傾げ、更に笑みを深めたシズクの表情に底知れない悪意を感じ取った温和な軍人は、嫌な予感に突き動かされるように、半ば反射的に隣の仲間へ手を伸ばした。結果として、彼の判断と行動は味方一人の命を救う形となった。しかし、同時に彼自身にも耐え難い代償を強いる事となる。

 

「う......?あ、ぁ......あああああああッ!指が、指がぁッ!!ぐ...ぅあああああ!!」

 

彼の右手の中指と薬指が、無残に千切れ飛んでいた。血塗れの手のひらが脳に現実を突きつけ、理解が追いつく間もなく、切断面から真っ赤な鮮血が滴り落ち、次々と地面に血の花を咲かせて広がる。何が起きたのか、彼自身にも判らない。無我夢中で隣の仲間を突き飛ばした後、存在して当たり前だった指が失われていた。頭の中を焼き尽くすような激痛が神経を通して駆け巡り、一拍遅れて溢れ出る彼の絶叫は止まる気配がない。

 

「な、んだ...これ......くそ、おい!止血して後ろに下がってろ、お前も手伝えミゲ......ル......。」

 

強面の軍人の言葉はそこで途切れた。振り向いた先にいるはずの弱腰の軍人、ミゲルが倒れていたからだ。彼の(まなこ)は渡り廊下の天井を見上げたまま微動だにしない。胸部は上下せず、呼吸すら一切感じられない。遠目からでも確認できるほど、その命は手遅れであった。

 

「なんでだよ......なんで、こんな......。」

 

それ以上、言葉は続かなかった。喉の奥から絞り出すような声を耳にした温和な命の恩人と目が合ってしまった故の思考停止─────だが、お陰で気を持ち直した彼は今求められる自身の役割を再考する。場を支配する圧倒的な死の空気に呑み込まれそうになっていた強面の軍人はこの時、温和な彼に二度救われていた。

 

兄弟(ブラザー)、手荒で悪いが我慢しろ!」

 

負傷している温和な軍人の制服の襟を掴み、力任せに中央棟の扉の前に弾き飛ばす。現在、強面の軍人が遂行すべきは情報の伝達。次いで優先すべきは仲間の命。乱暴に飛ばされながらも、何とか受け身を取った温和な彼は血の気の引いた顔で声を振り絞る。

 

「ラ、ライアン...?どうして...。」

 

「うるせえ!どうしてもクソもあるかって。ここで全員訳も分からず無駄死にするか、お前だけでも生き残って現状報告するか......どっちがいいか考えろ!」

 

()()()()のその先を言わせるわけにはいかない。温和な命の恩人に反論する隙を与えず、吐き捨てるようにそう言い放つ強面の軍人、ライアンは右の太腿に装着していたスキャバードからコンバットナイフを引き抜き、構えを整えた。目の前の少女の形をした何かに惑わされぬよう、彼女を殺すべき敵と徹底して脳に認識させる。ライアンの背中はまるで鉄壁の如く堂々として見えたが、漂う空気は何処か儚く、薄氷のように脆い。少なくとも、温和な軍人にはそう感じられた。

 

「さっさと行け!!」

 

ライアンが鋭く叫ぶと、温和な軍人は震える手で床に手を突き、痛みを堪えて立ち上がる。振り返りたくなる衝動や数々の疑問を抑えながら、中央棟の扉を強引に押し開け、彼はその場を走り去った。

 

「ったく......無事でな、兄弟(ブラザー)。」

 

中央棟に背を向けたまま、微かに震える声でライアンは呟いた。完全に状況を把握したわけでもなければ、理解したわけでもない。ライアンの下した決断は全て成り行きと感情論に基づくものであり、合理的ではない。しかし、彼にとってはそれでもよかった。

 

「おじさん、えらい!お仲間さんを先に逃がしてあげるなんて。でもさ、その優しさが命取りだとは思わないの...?」

 

シズクの楽しげな口調とは裏腹に、彼女の瞳には何一つ感情が宿っていない────否、単純にライアンが読み取れていないだけだった。

 

「減らず口のガキが、早く殺りあおうぜ。」

 

殺し合いは最初に怖気付いた方が不利になる。プレッシャーを与える為、わざとらしくライアンが威圧するも、シズクは何処吹く風といった様子で大きな変化はなかった。

 

「も~、そんな死に急がないでよ。ねぇ、エルピスの箱って知ってる?持ってるだけで、因果律に干渉して相手を裁いてくれる特別なマジックアイテムの事なんだけど...。」

 

それどころか、逆に彼女の嗜虐心を煽ってしまったらしい。彼の心の奥底で僅かな焦りが蓄積していく。常識の通用しない敵だと認識したところで、固定概念が思考を妨げる。

 

シズクは小首をゆらゆらと左右に傾けながら、まるで親しい友人に秘密を打ち明けるような声色で話していた。ライアンは思わず眉を顰め、冷静に彼女の一挙手一投足を注視する。ミゲルの死因や命の恩人の負傷原因が判明していない今、迂闊に動く事はできなかった。

 

「はぁ?くっだらねぇ...お前は何が言いたいんだ...。」

 

乾いた笑いを返すライアンだったが、その視線はシズクが左手に持つトランクに注がれていた。話半分に聞いていたはずのエルピスの箱という単語が、脳裏で幾度も復唱される。

 

「おじさんさぁ、モテないでしょ。せっかく興に乗ってたのに、もういーや。あたしには敵の罪を勝手に裁いてくれる強いお友達がいるの。ライアン...だっけ?最後に聞くけど、降参する?」

 

無邪気さと狂気の入り交じった彼女の頬笑みに、ひゅっとライアンの喉がひとりでに鳴った。シズクの内側に巣食う純粋で善悪の区別すら曖昧な闇を、確かに彼は幻視していた。

 

「おいおい...笑えないジョークだ、てめぇみたいにイカれたクソガキは...今すぐこの手で殺すッ!!」

 

ライアンは声を張り上げ、強張る体に鞭を打って走り出す。それは自分自身を奮い立たせ、同時に恐怖を振り払う為の咆哮でもあった。

 

「そっかぁ。なら、裁きの時間だね。」

 

シズクは目を伏せてそう小さく呟くと、再び銃口をライアンへ向ける。ところが、彼女の行動は何もかもが遅かった。喩えるなら、やる気を削がれた子供である。もはやライアンは逆手持ちにしたコンバットナイフで眼前にいるシズクの右胸付近、心臓を刺し貫こうと狙いを定めているというのに、彼女には最後まで余裕があった。

 

 

 

「...な...んで...だ...?」

 

 

 

ライアンの口から漏れた言葉は弱々しく掠れていた。皮膚を切り裂く確かな手応えを感じたはずの刃は、いつの間にか彼自身の左胸に深々と突き立てられている。視界は一度暗転、気が付けば地面の上、傷口からは熱い血液がどくどくと流れ出し、悪寒が急速に全身を蝕んでいく。

 

見上げた先には、相変わらず無邪気な笑みを浮かべる不気味な少女の姿があった。撃たれた形跡はなく、抵抗された覚えもない。だが、何かが起きた。ライアンの刺突が届く寸前、渡り廊下全体が謎の光に覆われた。それは閃光手榴弾と見紛うほどの圧倒的な光量だった。次の瞬間には、刃が逆にライアンを襲っていたのである。

 

「もっとあたしの言葉に耳を傾けてれば、こんな寂しい終わり方にはならなかったかもね?おじさん。」

 

シズクの軽薄な一言一言が、ライアンの心を深く抉る。まさか、自分の最期がこれほどまでに呆気なく空虚なものだとは思いもしなかった。理解したくもない出鱈目な真実は最初から少女の言葉の中に存在していた。

 

「あ...ぁ...。」

 

ライアンの意識は遠のき始めていた。死に際だからか、胸の奥には未練が渦巻いている。基地で関わった多様すぎる仲間の顔が浮かんでは消え、結局、最後に浮かんだ顔は故郷で彼の帰りを待つ口煩い母親だった。

 

「かぁ...さ...っ...。」

 

胸の内で紡がれた祈りは声にならず、意識共々霧散する。痛みも、悲しみも、悔しさも、生への執着すら次第に薄れていき、ライアンは静かに永遠の無へ還っていった。

 

「馬鹿みたいな死に方。」

 

物言わぬ肉塊となったライアンとミゲルを一瞥し、そう吐き捨てるシズク。声に乗せた感情は一欠片の憐れみ。一方的な蹂躙による興奮は冷め、手ずから他者の人生に幕を下ろした二度目の実感は期待外れなものだった。ハングと出会った時の高揚感とも違い、一度目の殺人を犯した時の吐き気を催す感覚とも異なる。憐憫に、虚無。

 

「もっと殺せば、何か解るのかな。」

 

シズクの見据える先は中央棟、命拾いした軍人によって大勢の獲物が彼女を狙いに押し寄せるだろう。しかし、彼女にとってはそれでもよかった。

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