One Man Army/ワンマンアーミー   作:夕叢白

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幕間 穏健派閥魔術師会議 前編

The St. Regis New York(ザ・セント・レジス・ニューヨーク)、千九百四年に開業したNYを代表する格式ある五つ星ホテルの一つ。その最上階、プレジデンシャルスイート、所謂最高級の広々とした客室に現代魔術師、アデラ・ベル・ダウズウェルの姿はあった。至る所に豪華な装飾が施されたリビングルームでドレッサーチェアに腰かけ、後ろには彼女の専属ボディーガードを務める小桐緋音が主人の髪を櫛で丁寧に梳かしている最中である。二日前に街中でハングと再会した時の苦い顔は何処へやら、今は恍惚とした様子でアデラの後頭部にご執心だった。

 

「こほん......アカネ、そんなに撫でさすられては照れてしまいます。」

 

「はっ...!も、申し訳ありませんっ!私とした事が、お嬢様の上質な髪の手触りについ夢中に。以後気をつけます。」

 

「ふふ、お褒めいただき光栄です。」

 

ルームサービスによる朝食を終え、二人は午後の一時を和やかに過ごしていた。もう二時間もすれば、NYを訪れた当初の目的、年に一度の穏健派閥魔術師会議(おんけんはばつまじゅつしかいぎ)に出席しなければならないため、また慌ただしい日々が幕を開けてしまう。

 

三日間に亘って続く穏健派の魔術師を招集した大規模な会議は一世紀以上前からの伝統的行事となっている。強制ではない故に欠席はあるものの、主催者である穏健派閥の元帥が近年政府との連携を強めており、人脈作りの場として魔術界の大物が数多く出席している。

 

会議の内容は魔術の未来や神秘の独占を画策する強硬派閥への対処、各家の情報共有、アジア圏で増加している異能力者に対する今後の方針、最終日には政府関係者との交流会に希望者を募って決闘まで開催される。

 

「正直なところ、今日の会議はあまり前向きな気持ちで臨めそうにありません。」

 

「ご婚約者様の事で...?」

 

「確かにそれも一因ではありますが、あの場において、再三私は自らの力不足を痛感するんです。お祖母様であれば、また話も違っていたのでしょうけれど。」

 

ダウズウェル家の現当主をアデラが世襲するしかなくなり、初めて会議の場に連れ出された時の苦い記憶が彼女の芯に燻っている。とてもではないが、忘れられる経験ではない。ダウズウェル家の落ちこぼれが生き残ったと陰口を叩かれて動揺しないほど、当時のアデラは強かではなかった。

 

魔術界の大物である祖母は放任主義で我関せずと神秘を探求する旅へと向かい、激励の言葉すらかけず、財政難の際に大金を送り付けてくるのみ。ごく稀にふらっと視察に訪れたと思えば、アデラに魔術ではなく格闘の稽古をつけて翌日には姿を消していた。幼いながらも、アデラは祖母が自分に期待していない事を理解していた。

 

「アカネ、これは私のわがままとしてお聞きいただければと思うのですが...会議が終わり、諸々落ち着いた頃合いにでも、ハングさんやシズクちゃんをお誘いして皆で小旅行など如何でしょう?」

 

「ハングを......か、かしこまりました。そのわがまま、是非お受けさせてください。もしあの男が断るようなら、私直々に処断してやります!」

 

「ふふふ、程々にお願いしますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

ホテルから徒歩三、四分圏内にセント・トーマス教会が存在する。重厚な大扉の前、普段は開放されているその場には今、隙のない立ち姿の黒服が二人、周囲に目を光らせていた。正面から見て左側に黒人、右側に白人が立つ。

 

「残りの参加者は?」

 

「男二人、女二人の計四名だ。」

 

白人の黒服が左の同僚へ未到着参加者の人数を尋ね、返答を聞いて頷く。現在、政府からの要請によって建物は貸切状態となっており、名簿に記載のない者は立ち入りが制限されていた。黒服二人組は所謂数合わせとして抜擢され、警備の要となっているのは魔術界隈を活動の場と定める十人のガーディアンである。そんな数合わせ二人ですら、USSS(アメリカ合衆国シークレットサービス)のバッジを保有する生粋のエリート。政府や穏健派閥の魔術師らが今回の一大行事に力を入れている証左でもあった。

 

「どうやら、ご到着のようだな。」

 

道路脇に停車したSUV、黒のストレッチ・リムジンから降りたアデラと小桐緋音を一瞥して、さも億劫そうな気配を纏いながら口を開く白人。特にその眼は東洋系人種の緋音を捉えていた。同僚の様子に妙な胸騒ぎを感じた黒人が制止の一声をかける暇もなく、状況は動き出す。

 

「お嬢さん、隣のイエローモンキーはお連れさんかい?それとも荷物持ちかな、()()()()の。」

 

間に合わなかった黒人には通りの喧騒が嘘のように感じられた。白い歯を見せて嗤う同僚に対して向けられる少女の視線は不気味なくらい穏やかだったが、瞳の奥には明確な怒りが湛えられている。一拍、或いは二拍置き、アデラは柔らかな微笑を浮かべた。

 

「ふふ、不躾な言葉を耳にするのは慣れていたはずなのですが......ここまで幼稚で下卑た悪癖を隠そうともしないお方には初めて出会いました。」

 

微笑んでいる少女から発せられるとは思えない冷え切った言葉の数々、但しそれは決して直情的ではない。もっと厄介で確実なもの、言葉で相手を解体する術、冷徹な問責である。

 

「アデラ・ベル・ダウズウェル、参加者名簿に記された私の名です。困りましたね、あなたが今この場で戯れ半分に放たれた不道徳なジョークは私の家名、そして従者への冒涜に他なりません。」

 

幾重にも重ねられた口撃は、過ちを犯した白人の余裕を瞬く間に打ち砕く。己の仕出かした事の大きさを、今になって漸く自覚したようだった。頬をひくつかせ、弁明を述べようとする唇は空しく開閉を繰り返す。

 

「そのバッジ...シークレットサービスのお方でしたか。つまりは政府関係者。ならば尚のこと、言葉の刃は軽々しく振るうべきではないはず。謝罪の意志がおありなら、喜んで受け入れましょう。悪趣味なジョークをまだ続けるおつもりなら、この度の一件は関係各所にご報告を...。ご自身のキャリアを棒に振る結末は想像に難くないでしょう?」

 

白人の呼吸は浅く、もはや口先だけの軽業すら捻り出せない。一抹のプライドが、彼の最後の砦だった。そして、沈黙が場を支配した刹那、教会の内から硬質なハイヒールの音が響き渡り、重厚な大扉が軋みを上げて開いた。

 

「そのくらいにしておきなさいな、ダウズウェルのお嬢さん。」

 

低く気怠げにも聞こえるが、よく通る声。長身でしなやかな肢体に調和する漆黒のスーツ。均整のとれた輪郭を際立たせるよう揺れるライトブラウンの髪。鋭利な切れ味を内包する藍鼠の瞳。大扉から姿を現したのは、思わぬことにアデラや緋音も目を丸くする大物であった。

 

「程度の差こそあれ、行事の参列者は全員政府とのパイプを持つアッパークラス。だがね、権力の大小はさておき、誰であれ自制を失えば三面記事を飾る道化に成り下がるもの。もっとも?さっきのやり取りを聞く限り、どちらがネタにされる側かは一目瞭然だけど。」

 

ヴァネッサ・クロフォード────国家安全保障会議の特別顧問として遣わされている、言わば政府との調整役。政府側の出席者の中で最も強い発言権を有する彼女を知らぬ者はこの場に誰一人として存在しない。わざとらしく肩を竦め、絶対零度の視線を白人の黒服へ向けるヴァネッサ。黒服二人は青ざめた顔で直立するしかなかった。

 

「ミス・クロフォード...お、お越しになられ...何故...。」

 

「黙りなさい?あんたの糞にも劣る戯言が政府の面子を潰しかけた事を、ちゃんと理解しているのなら、ね。」

 

USSS(アメリカ合衆国シークレットサービス)を含め数多ある政府機関に顔が利く立場のヴァネッサから冷ややかな叱責を受けてしまえば、押し黙る他に選択肢がない。反論する気力を削がれた白人を視界の端へ追いやり、彼女は再度アデラに向き直る。

 

「改めてご挨拶を、ミス・アデラ。私は国家安全保障会議特別顧問のヴァネッサ・クロフォード。こうして直接顔を合わせるのは2005年以来かい?感慨深いねぇ...産まれたての子鹿みたいにぶるぶる震えてたお嬢さんが、今じゃ立派すぎるお姉さんなんだから。」

 

過去を懐古するヴァネッサの発言にアデラは小さく息を呑んだ。幼き日の記憶が鮮やかに反芻される。人生初の会議で有力者の値踏みする視線に晒され、居心地の悪さに吐き気すら覚えたあの日。小娘に当主が務まるものかと年長の魔術師が嘲り、落ちこぼれの代替わりと一方的なレッテルを貼られたことも、全てのトラウマはあの日あの時、九年前の二千五年に詰め込まれている。複雑に渦巻く胸中、彼女にとって九年前の会議は祖母の不在や家名の重圧、周囲の嘲笑により辛酸を舐めた経験でしかない。しかし、ヴァネッサ・クロフォードただ一人だけが、当時のアデラ・ベル・ダウズウェルを対等に扱ってくれていた事実は心に刻まれるたった一つの良き思い出だった。

 

「ダウズウェル家当主、アデラ・ベル・ダウズウェルと申します。......覚えていてくださったのですね、幼く無知蒙昧に震えていた私を。光栄であり、同時に少しばかり面映ゆい気持ちになります。」

 

「面映ゆい、か。やれやれ、相変わらず自己評価が低くて心配になってしまう。私はあの日、確かに未熟な君を目にした。でもね、誰かに追いつこうと牙を研ぐ、小さな獣も視た。落ちこぼれの当主だっけ?あんなレッテル今更気にすることもない。君自身は最初から、堕ちる気などなかったんだから。結果、君は生き残ってこの場に立っている。家名の力ではなく、君自身のネームバリューでね...ミス・アデラ。」

 

目を細め、口角を持ち上げるヴァネッサ。好意を示す微笑というより、相手の力を認めた時に見せる名状し難い表情。心の奥底を言い当てられた感覚に、アデラは瞠目するばかりだった。

 

「......有り難いお言葉です、ミス・クロフォード。ですが、私は今も尚、()()()の背に追いつけていない事を痛感しております。」

 

一瞬、彼女の根底に棲う影が浮かび上がった。幼い頃に喪ったあの人が脳裏にちらつく。だが、その名を口にする資格がアデラにはない。主の視線の奥に存在する歪みを見透かした緋音は、静かに目を伏せる。

 

「あの人が祖母であれ、自ら作り上げた理想像であれ、事実は一つ。追いかける対象があって目標を持つ、それ自体は尊い。けれどね、目標に縛られ自分を過小評価するのは大損。周囲が君をどう呼ぼうと、君自身が何を基準にするにせよ、現状で君は追われる側の才覚を既に魅せている。そこは自覚すべきところだ。」

 

揺れ動く瞳。純粋な喜びによるものか、何かしら思うところがあったのか、アデラの内で彼女しか知り得ない感情が波紋を広げていく。数瞬の後、彼女は困ったように軽く笑みを浮かべ、頷いた。否定でもなく、納得でもない。しかし、今はそれくらいでいい。ヴァネッサもまた蛇足にならぬよう、短く肯いた。どうせならと用意したお節介の言葉はまたの機会にでも、そう考えて。

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