ここまでの話を聞くと悪い側面だけが目に留まってしまうが、しっかりと美点は存在する。例えば料理やファッション、どのジャンルに於いても流行に乗り続けるNYの特徴は食べ歩きや買い物好きな人間にとっては楽園そのものだろう。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ。」
タイムズスクエアの近く、表通りから外れた目立たない場所に店を出しているカフェ、
「ビスコッティのセットでコーヒーはブラック、窓側の一番奥に届けてくれ。」
「承りました。」
入店した人物はカウンターに立つ白髪のマスターに注文を告げ、離れた位置の席に腰を下ろす。厚手のトレンチコートの下に紳士服を着込んだ金髪の男、年の頃は三十代後半だろうか。少なくとも金には困っていない、裕福な家の出であるとマスターは確信している。何故なら彼はこの店で一番チップの羽振りが良い常連客だからだ。いつも昼時に訪れてはビスコッティとブラックコーヒーのセットを頼み、三時に会計を済ませ、無言で退店する。一見無愛想に思えてしまうが、実際は会話に苦手意識を持つ不器用な人物だ。マスターの人間観察を甘く見てはならない。
どうやら今日の彼は妙に身体が強張っているらしい。何か緊張を力任せに抑え込んでいるように思える。相談に乗る程度なら幾らでもとマスターは考えるが、自ら話を振るのはナンセンス。善意の押し付けと捉えられるのは避けたい。であれば今出来る最善は日頃の疲れを癒す安らぎの場の提供と、その維持しかない。マスターは予め用意していたトレーの上にビスコッティの皿とコーヒーカップを置き、板についた動作で注文の品を男の元まで運ぶ。ごゆっくりどうぞ、マスターが労りの言葉を口にした直後、新たな来客が店の扉を開いた。
ジョン・マッカー、二十一歳で士官学校を卒業、同年にアメリカ陸軍に入隊。その後は三十歳で
「十分の遅れ、君のような仕事人は時間を厳守すると聞いていたのだがな。」
NYのカフェ、Black Flash。窓側の席で顔を突き合わせる男女四人の間には重苦しい空気が流れている。その中の一人、ジョン・マッカーは対面の相手を猛禽類のような鋭い眼差しで見詰めており、事情を知らない者が目にすれば色恋の修羅場と勘違いしかねない光景が広がっていた。一方でジョンの凝視を一身に受けている相手側の男は素知らぬ顔で話を切り出す。
「......言い訳はしない、前の仕事が立て込んだ。気分を害したのなら謝ろう。」
「む......あ、あのっ...あれはあたしが失敗したから...。」
「お前の失敗も含め、全てが保護者である俺の責任だ。」
男の左隣に座る銀髪の少女が異を唱えるが、男は予測していたと言わんばかりの言葉で少女を宥め、封殺する。目の前で繰り広げられる事なく終わりを迎えた内輪揉めにより完全に勢いを削がれたジョンはやや冷静さを欠いていた自分自身を心の中で叱咤しつつ、改めて向かい合っている三人を見回した。ジョンの正面に座るのは髪を後ろで束ねている黒髪の男性、顔付きはアジア系の人種に近く、恐らくハーフだと思われる。衣服は動きやすさを重視しているのか、上下を黒色のスウェットで固めている。
その男の左隣で唇を尖らせ拗ねている少女は流れるような銀髪を背中付近まで伸ばしており、清楚な印象が強い。男の関係者とは思えないな、とジョンは眉間に皺を寄せる。そして最後は男の右隣で我関せずと優雅にコーヒーを飲んでいる黒髪ボブヘアの少女、左目にモノクルをかけており、頭には青紫の鹿撃ち帽と全体的に風変わりな格好をしている。宛らシャーロック・ホームズの少女版だ。
「この際だ、時間の事は水に流す。だが一つ聞かせろ、貴様が連れてきたその二人は誰だ。」
「紹介が遅れた。俺の隣で拗ねてるこいつは見習い兼助手のシズク。こいつは─────。」
「
男の紹介を遮る形で口を開いた
「見た目通り、随分と挑発的なお嬢さんだ。念の為に言っておくが、此処は子供の遊び場じゃないぞ。理解はしてるか?」
「ええ、それはもう...十分に理解しています。」
掴みどころのない、至って自然体なロキの態度にジョンは辟易とした様子で鼻を鳴らす。全てを十二分に理解した上でこの場にいるのなら、部外者の彼女は質の悪い異常者という事になる。何せこれから始まる話し合いの結果によっては複数の死者が出てしまうのだ。常識を持つ人格者であればある程、人の生き死にを左右する行為に忌避感を抱く事は間違いない。だが彼女、ロキからはそういった人間として当たり前の感情が欠片も感じ取れなかった。男から助手と紹介された銀髪の少女でさえ、多少の罪悪感は持っているというのに。
「ふん、まぁいい。高名な代行業者サマが女連れとは意外だったが、腕が立つなら構わないさ。ところで、送った書類には目を通したか?」
「確認済みだ。」
「そうか、なら話が早い。一ヶ月後...私はとある軍事施設で不祥事を起こした事実をでっち上げられ、政府に謀殺される。」
「あらあら、お気の毒な事で。」
「.........そこで貴様には私の作戦の要となってもらう。軍事施設で政府の息が掛かった連中を秘密裏に始末してくれ。間者のリストはこちら側で用意する。」
「話は分かった。注文通り、政府の犬は何とかしよう。」
ジョンの口から語られたのは政府による自身の殺害計画とこれに対抗する為にジョンが立案した作戦の一端だった。作戦の要を引き受けた男や部外者のロキが余りにも軽い反応をする中、三人の会話を傾聴していたシズクは突如降って湧いたスケールの大きい話に動揺を隠せず、瞬きを繰り返していた。
「何とかする、か。具体的には?」
「それは...悪いが、信用してくれとしか言えない。」
捨て駒扱いとは言え、間者に選出されるのは仮にも国家に認められた精鋭、全員が
「魔術を使う、ですよね?」
「はっ、魔術だと...?馬鹿馬鹿しい、気でも触れたか。」
現在、世の中の魔術に対する認識はフィクションの一言で完結する。従ってロキの言葉を聞いたジョンの反応は至極当然と言えた。ある地域に限定すれば他者の犠牲を媒介とした黒魔術なるものが認知されてはいるが、それも結局は自身の欲求を満たす口実、言わば犯罪を正当化する為に行われている事の方が多い。
「本当の事ですよ。」
空想上の技術を実際に存在しているかのように話すロキ、彼女の考えや言葉の裏を全く理解できないジョンが助け舟を求めて男に視線を向けようとした瞬間─────空気が凍った。そう思えるくらい、その場の温度が下がった。
「おい...あまり調子に乗るな、ロキ。」
突如、男から放たれた濃密な殺気に、辺り一帯の空気が一段と重くなる。十分前のジョンの怒気とは比べ物にならない、鮮明な死が頭に浮かぶ真の威圧。冷たい突風が吹き抜けたかのような寒気に近くにいるだけのジョンさえ戦慄する。それを間近で受けて尚、事の発端であるロキの余裕は崩れていない。コーヒーカップを傾かせながら、男を煽るようにくつくつと嗤う姿はまるで何処かの童話に登場する恐ろしい魔女を連想させる。一体何がそんなに可笑しいのか、ジョンには分からない。
「ちょ、ちょっと二人とも!落ち着いて!」
強く血腥い、真の殺気に当てられて青白い顔で過呼吸を起こしかけているジョン。彼の有様を目にしたシズクが瞬く間に悪化した事態を収めようと仲裁役を買って出るが、問題の二人は無言で睨み合いを続けており、彼女の言葉には一切反応を示さない。
巻き添えを食ったジョンは男が殺気でロキを牽制した瞬間から、
「一度、冷静になった方がよろしいのでは?お店側にも迷惑がかかりますし、ジョンさんもあなたが何に対して腹を立てているのか、分かっていないようです。」
ロキの指摘により、男の視線が必死に呼吸を整えているジョンに向けられる。途端、男の舌打ちと共に停滞していた鋭い殺気が霧散した。