冬優子ちゃんは告らせたい! 作:オルトロス
恋愛とは惚れた方の敗けである――――。
283プロダクション。
街の小さなビルの3階にその事務所は存在する。アットホームな雰囲気とは裏腹に「切磋琢磨」の信念で活動しており、そのおかげか事務所の人間はスタッフもアイドルも一流の者ばかりである。
さて、場所は変わってテレビ局。その楽屋に283プロダクションのアイドルとプロデューサーが居た。言うまでもなく番組の撮影の為である。
「……で、どうだった? ふゆのリアクション」
彼女の名は黛冬優子。
端正な顔立ちと清楚なキャラクターで、幅広い層から支持を集める大人気アイドルだ。人気を鼻にかけず礼儀正く活動する姿は現場でも好評である。
「まあまあかな。少しわざとらしかったんじゃないか?」
プロデューサーが冬優子の質問に答える。
彼は業界どころか社会人未経験の状態から3人のアイドルをプロデュースし成功を納めた超人である。マネージャー業務からライブ企画の立案、時には年末調整までこなす雑務能力に加え、コミュニケーション能力までも備える。今や283プロという後ろ盾がなくても業界で認められる男だ。
「分かってないわね。ゴールデンの番組はアレぐらいで丁度いいのよ。実際ふゆのソロショットが一番多かったし」
「ソロで抜かれても実際に使われるとは限らないだろ。俺がディレクターだったらお前のところ何箇所かカットしてるな」
「はあ? それが休憩中のアイドルにかける言葉?」
冬優子はプロデューサーを睨みつけた。テレビで見る姿とはかけ離れた態度だ。それでもプロデューサーは全く怯むことなく、あろうことか冬優子のリアクションを真似て挑発した。
「お世辞でも言えば良かったか? わぁ、冬優子ちゃんのリアクション凄い可愛いですぅ!」
「なっ、あんたねぇ……!」
声真似のクオリティこそ低いが、声の抑揚や体の動作など要点を抑えていて、黛冬優子のモノマネであると判断するには十分だった。
怒りに震える冬優子だが、言い返すことはしなかった。この男の仕事に関する意見で大きく外れたことは今まで一度もなかったし、自分でも次の撮影ではちょっと抑えようと思っていた。
それに、冬優子にはそんなことよりも重要な話があった。
それは、先ほどスタイリストが「期限が切れそうだから」と置いていった『スイーツキングダム』のチケット2枚のことである。スイーツキングダムとは果物からケーキまでとにかく古今東西あらゆる甘味が食べ放題の店だ。男性のみでの入店が禁止されている為、男性客の9割以上が『カップル』での来店らしい。
チケットの期日は明日まで。
冬優子は明日の撮影が丁度キャンセルになっていた。冬優子の撮影がキャンセルになったと言うことは、付き添う予定だった彼の予定も空いていると言うこと。
チケットは2枚ある。自分からプロデューサーを誘う選択肢は彼女になかった。
――――だってスイーツキングダムにいる男性は殆ど『カップル』での来店なのだ。そこにプロデューサー(男性)を誘うなんて、半ば『告白』のようなものではないか。
プロデューサーに恋愛感情はない。そもそもアイドルなので恋愛などあり得ない。だが、もし仮に、自分が多少認めている彼が社会的地位や信用をブン投げて懇願してきたのなら、応じるのもやぶさかではなかった。
冬優子の思考は今『どうやってプロデューサーに自分を誘わせるか』にシフトしていた。
――――チケットがふゆの手元にあるのは不味いわね。誘わせるには一度手放さないと。
冬優子が仕掛けたのは早かった。休憩の時間がそんなに残っていないのも影響した。
「それにしてもスイーツキングダムか……あんた、行ったことある?」冬優子はテーブルの上に置かれたチケットを持ち言った。
「俺は行ったことはないけど、周りが結構行ってるな。かなり評判良いぞ」
「ふーん。あんた甘いもの好きだったわよね。欲しかったらあげるわよ」
「いいのか? なら遠慮せず」プロデューサーは躊躇なく2枚のチケットを受け取った。
冬優子は内心ほくそ笑んだ。目論み通りに事は進んだ。仕事人間の彼に誘う異性などろくに居ないはず。
チケットを冬優子から受け取ったプロデューサーは、その裏面を確認して顔を顰めた。
「げ……これ期限明日の昼営業までかよ。今日は帰ってから事務仕事が残ってるし、実質チャンスは明日だけだな」
「あんた話聞いてなかったの?」冬優子は呆れ顔で言った。
「期限が近いとは聞いたが、まさかこんなに近いとは」
「ねぇ。明日のふゆのスケジュールってどうなってるの?」
「ん? 明日は撮影がなくなったからフリーだな」
「ふーん、そう。あんたは?」
冬優子の言葉を聞いてプロデューサーは手帳を開いた。
「俺も明日はオフだ。うーん…………あさひでも誘うか」
「待ちなさい」
「どうした?」
「あさひと愛依は明日学校よ。今日が何曜日か忘れたの?」
「……じゃあはづきさんを誘うか」
「あんたねぇ……」
わざとやってるのか、と冬優子は叫びたくなった。
◯
無論わざとであった。
このプロデューサー、冬優子から誘われる為に必死であった。スタイリストに懸賞当選を装って、期日の近いスイーツキングダムのチケットを何十枚と送った。カリスマである彼女が、消化し切れずに周りに配るようになるのは自明の理であり、それが仲の良い冬優子に送られることも当然想定済みだった。
プロデューサーは冬優子に背を向けてニヤリと笑った。冬優子がチケットを手放したのは意外だったが、チケットを持つ立場で揺さぶるのも悪くない。あとは冬優子が「……ふゆも連れてって」と赤面して俺の袖を引くのを待つだけである。スイーツキングダムへ行く男女の殆どは『カップル』。そこへ連れてけと言うのは殆ど『告白』のようなものだろう。
「あれ? はづきさん電話でないな。仮眠中かな」
プロデューサーは携帯電話を耳につけ、横目で冬優子を見る。もちろん電話など掛けていない。フェイクである。
冬優子に恋愛感情は持っていない。そもそもプロデューサーという立場の人間が担当アイドルに手を出すなんて言語道断だ。だが、仮にだ。もし仮に、世界一かわいいアイドルである冬優子が上目遣いで涙を溜めながら抱きついてきたのなら、男の甲斐性として応じるのもやぶさかではなかった。
余裕綽々で冬優子を揺さぶっていたプロデューサーだが、ここで違和感に気付いた。冬優子の反応が極端に薄いのだ。
最悪のシナリオが脳をよぎった。
「あ、あー。はづきさん既読も付かないわ。やっぱり寝てるんだろうな」
プロデューサーの言葉は虚しく壁に吸い込まれる。
機嫌悪そうに携帯を眺める冬優子を見て、彼の予想は確信に変わった。
――――間違いない。こいつ、走為上の計だ……!
走為上の計とは端的に言うと、勝ち目がなきゃ逃げようってことである。
どちらかが誘わないと勝敗はない。つまり引き分けだ。
だが、それは身銭を切って準備してきたプロデューサーにとって余りに耐えがたいことだった。
スイーツキングダムのチケットは1枚2500円。それを30枚スタイリストへ送りつけているので、計75000円の出費。世間と比べて高給取りに分類される彼でも、かなり痛い。
なにより、彼は冬優子と甘味処へ行くのを楽しみにしていた。前々から下準備を重ねていた分、その期待は冬優子よりも大きかった。
そうなると彼の思考が『行けなくなるくらいなら、自分が泥を被ってもいいかな。まぁこういうものは男がリードするものだし……』なんて変わるのも無理はなかった。
「あ、あのさ……冬優子。ものは相談だけど……」
遂にプロデューサーが折れる――冬優子の口端が僅かに曲がったその時、楽屋の扉がガチャリと開いた。
休憩空けまでは時間がある。なによりノックもせずに部屋を開けるなんてどこの阿呆だと向いた視線先には、同じ事務所のアイドル、芹沢あさひが立っていた。
「冬優子ちゃん、プロデューサーさん!」
プロデューサーはあさひが握っている『チケット』に気が付いて放心した。そして、事態は己の手から離れてしまったのだと悟った。
「これさっき貰ったんすけど、冬優子ちゃんの出番が終わったらみんなでどうっすか!?」
「ちょっ、あさひちゃん速い~!」
遅れて同じくアイドルの和泉愛依も到着する。
愛依は息が整うと、二人に軽く謝罪してから事情を説明した。
天井社長との営業が予定より大分早く終わったので、丁度同じテレビ局に居る冬優子の様子を見にきたところ、途中でいつものスタイリストとすれ違い、挨拶した折このチケットを貰った――――と。
チケットとは、言わずもがなスイーツキングダムのチケットである。
「俺はこのあと内勤があるからスイーツキングダムには行けない。車で送ってやるからお前たち三人で行ってこい。帰りはタクシーでな」プロデューサーは言った。諦めたのだ。
その仕事というのは、彼が明日休むために調整した業務である為、因果応報と言えなくもない。
自分が買ったチケットを自分以外が楽しむ、というのは精神にクるが、『アイドルたちが少しでも羽を伸ばせるのならいいや』とプラスに考えることにした。
最近は三人とも多忙で、揃って何処かへ遊びに行くことも、彼の知る限りではなかった。
「プロデューサーさんは来れないんすか?」あさひがきょとんとした顔で言った。
「悪いな。どうしても今日終わらせないと」プロデューサーは言った。
「だったら明日みんなで行くっす!」
「あんた明日は学校でしょうが」あさひを冬優子が諌める。
「休むっす!」
「馬鹿言ってんじゃないの。愛依、あんたもあさひに言ってやんなさい」
「まぁ~……うちもみんなで行きたいけど、仕事じゃね~」
愛依も冬優子と同意見のようだった。
「冬優子ちゃんはプロデューサーさんが来れなくてもいいんすか?」あさひが聞いた。
「仕事があるなら仕方ないでしょ」
言外に来て欲しいという冬優子だが、それを指摘する者は居なかった。
少しだけ暗くなった楽屋。会話も途絶える。プロデューサーの電話が鳴ったのは、そんな空気を変えようと彼が営業の成果を聞こうとした時だった。社長からだった。
「はい、もしもし」
『私だ。今、大丈夫か?』
「大丈夫ですが……どうかしたんですか?」
彼の頭が業務モードへ切り替わる。
就職した当初はともかく、最近はめっきり電話をもらうようなヘマをすることがなくなったので、内心では動揺していた。
『お前が休暇を申請していたのを知ってな。なにかあったのか気になったんだ』
「いえ特になにもないです。ただ少し気分転換でもしようと」
プロデューサーは安堵の息を吐く。
そして、うちの会社は有休を申請するだけで電話が掛かってくるのか、なんて少し自嘲した。
だが、その原因はもっぱら彼にある。彼は新人の内は休んでる暇はないと、自主的に休みを返上して勤務していたのだ。有休なんて一度も申請したことがなかった。そんな男が、突然有休を取ろうとしたのだから心配するのも当然である。
『そうか、なにもないなら良い。気分転換は一日で足りるのか。もっと休んでも良いんだぞ』
「いえ、流石に。アイドルをほっぽり出すわけにはいかないんで」
『おい。お前はもう少し周りを頼れ。彼女たちも随分成長した。お前が数日居なくても大丈夫だ。適度に息抜きをして体調管理をするのも業務の内だぞ』
「はぁ……」
彼は困惑した。業務で注意されることがなくなった反面、近頃はこういった注意が増えていた。業務と違って明確な答えが見えないのも、彼を悩ませる原因だった。
『分かっていないようだな……今日の残りの業務はどうなってる』
「冬優子の撮影が終わって三人を送り次第、事務所に戻って内勤ですね」
『よし。なら、それは私がやっておく。お前は今日そのまま直帰しろ』
「え、いや、悪いですよ。それは」
『これは業務命令だ。いいな』
「…………はい」
『よし。では明後日。また』
降って湧いた形で半休を得たプロデューサーだが、社長への申し訳なさが勝り素直に喜べない。
その心情を知ってか知らずか冬優子は無遠慮に訊いた。
「なにかあったの?」
「ん、いや。社長が俺の仕事を代わりにやってくれるって言うんだけど――」
仕事を放って休んで良いんだろうかと続けようとしたのを、冬優子の言葉が遮った。
「だったら、この後一緒に行けるわけね」
そわそわとプロデューサーの電話の声を聞いていたあさひと愛依は花が咲いたように笑顔になる。冬優子も笑みが隠し切れず、声のトーンが幾分上がっている。
事務所へ戻ろうかと悩んでいたプロデューサーも、その三人の顔を見て吹っ切れた。
――――まぁ、みんなとスイーツキングダムに行けるなら良いか。
なお、プロデューサーと冬優子が当初の目的を思い出すのは、甘味で腹が膨れてグロッキーになっている帰りの車でだった。
本日の勝敗――二人きりで店に行けなかった両者敗北。