新人と呼ばれた期間はあっという間に過ぎ去った。これまで2人のウマ娘を担当したが、どちらも優秀で、重賞レースをいくつか獲得できた。
上位のドリーム・シリーズに昇格することは叶わなかったが、本人たちもそこまでの才覚を持っていないことは覚悟していたのか、満足してトレセン学園を卒業していった。
それがわずかな救いでもあった。
チームの設立を要請されたのは、2人目のウマ娘を送り出した頃だった。だが彼はあまり乗り気ではなかった。
自分が器用ではないことは自覚している。いままで専属でやっていたのも、1人のウマ娘に注力するためだ。
チームとなれば最低でも5人のウマ娘の面倒を見なければならない。必ず中途半端な育成になる。
それならばトレーナーではなく、教導官になる方がいいと思っていた。教導官とは、トレーナーを持たないウマ娘たちに基礎訓練を行う職業だ。
男は選抜レースを観戦していた。ウマ娘を担当し始めてからも、選抜レースには欠かさず足を運んだ。スカウトするつもりはなくとも、未来のライバルになるかもしれないウマ娘をチェックするためだ。
この日のレースを見終わり、男はベンチに腰かけて空を眺めていた。トラックの喧噪はすでに治まっていた。
「あの、ちょっとええですか?」
そろそろ帰るかと腰を浮かしかけた時、横手から声がかかった。
声をかけてきたのは、小柄な葦毛のウマ娘だった。体操服姿なのを見れば、選抜レースに参加していたウマ娘だろう。そういえば、最後の方のレースで走っていたような記憶がある。
というか、よくよく思い出してみれば、過去の選抜レースでも見覚えがあった。
「ああ、何かな?」
「ウチ、タマモクロスいいます。あの、ウチのトレーナーになってくれませんか?」
唐突な逆スカウトに、男はきょとんとしながらも、トレーナーとしての本能で目の前のウマ娘を見定め始めた。
(身長は130ちょいだが、成長期だからな。これから伸びるかもしれん。脚は長いが、細い。脚だけではなく全体的に華奢だな。……なにより、葦毛だ)
――葦毛のウマ娘は走らない
最初に誰が言ったかは定かではないが、そんな言葉がある。
そしてもうひとつ。
――小柄なウマ娘は大成しない
これも誰が言ったかは分からないが、トレーナーならば一度は聞いたことのある言葉だ。
彼女はそのふたつの要素を見事に満たしている。
(この時期にトレーナーが付いていないということは、売れ残りか)
今は年度末の3月だ。年に4回行われる選抜レースの、最後の回でもある。
「なぜ俺を選んだ?」
「担当したウマ娘全員が重賞レースを取ったって聞いたからです。んで、今フリーやって」
「全員といっても2人だがね」
自嘲するように男は笑った。
(専属が許されるのも、おそらく次で最後だろう。常識に喧嘩を売るのも悪くないか)
改めて目の前のウマ娘に目を向ける。体格に優れているとはいえない。しかし目が気に入った。ギラギラとした瞳。諦めない者の目だ。挑戦者の目だ。
(それに名前もいい。タマモクロス。これも何かの縁か)
「いいよ。キミと契約しよう」
「え!? ホンマに!?」
「キミが驚いてどうする」
「あ、すんません。予想以上にすんなりいったもんで、つい」
タマモクロスはポリポリと頭をかいた。
「とりあえず、こちらも自己紹介をしよう。トレーナーの高松だ。よろしく、タマモクロス」
「は、はい。よろしゅうたのんます」
差し出された右手を、タマモクロスはしっかりと握り返した。
今は春休みではあるが、全寮制のトレセン学園では帰省せずにトレーニングを行う者たちも多い。タマモクロスもそのひとりだった。
本格的なトレーニングは学期明けからとし、高松は基礎的なトレーニングメニューをタマモクロスに課した。
その間に契約に必要な書類を学園側に提出し、タマモクロスの詳細なデータを申請する。これは正規契約したトレーナーにしか行えない。
「まったく勝てないというわけではなさそうだな」
この一年間に行われたタマモクロスの出走した模擬レースを見終わり、高松はぼそりとつぶやいた。
エリートが集うこのトレセン学園にも、いやエリートが集うトレセン学園だからこそ、一度も勝てないウマ娘というのもいる。
それでも頑張って努力し、メイクデビューまでこぎつけるが、それでも勝てない。未勝利戦でも走り続けるが、勝てない。
そして一度も勝てないまま、トレセン学園を去って行く。
そういったウマ娘もいる。いや、そういったウマ娘の方が多いのだ。勝てる方が圧倒的に少数派なのがレースの世界なのだ。
タマモクロスの勝率は悪い。精々が1割程度。10回走って1回勝てるかどうか。
「気性難……か?」
レース中の作戦が安定しない。逃げたり追い込んだり、先行したり後方に構えたりと落ち着きがない。
自分に合う策を模索している感じに見えたが、直近のレースでも先行か差しかで迷っているふしが窺えた。
「自信を持って策を実行していないんだな。迷いがあるから踏み込めない、踏み切れない。結果、仕掛けどころを見失う」
結局のところそれに尽きる。この頃のウマ娘たちは、一部の天才たちを除いてどんぐりの背比べ状態だ。身体的な能力よりも、レース運びの上手さで勝敗が決まる。
つまりタマモクロスはレース運びが下手だった。
「ふぃ~。終わったで~」
高松が思索にふけっていると、部室のドアを開けてタマモクロスが入ってきた。
「しかし部室を貰っとるなんて、やっぱ実績あるトレーナーなんやな」
「チームを作ればもっとでかい部屋が貰えるんだがな。そこに寝ろ。マッサージを始めるぞ」
「うぃっす」
部屋の脇にある簡易ベッドに寝転がると、タマモクロスは脱力して高松の施術に身を任せた。
「なぁトレーナー。ウチもっとマシントレとかガンガンやりたいんやけど」
「アホか。成長期にそんなもんやったら身体壊すぞ。しばらくは自重トレだけにしとけ」
「ん~、わかった」
次第にタマモクロスの目蓋が下がっていく。程なくしてスゥスゥという寝息が聞こえてきた。