とある葦毛のウマ娘   作:乾燥海藻類

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第19話 グランプリ

タマモクロスは、世代の中では傑出した存在ではなかった。耳目を集めていたのは、後にダービーを制することになるメリービューティーや、皐月賞・菊花賞の二冠を達成したサクラスターオー。

あるいはその容貌から注目されていたゴールドシチーやマックスクイーン。

 

タマモクロスは知る人ぞ知るどころか、相当コアなウマ娘ファンでも知っているかどうかというレベルだった。

学内での競走成績も低く、トレーナー契約もギリギリになって滑り込むようなタイミングだった。

だがそれが、タマモクロスにとっての僥倖だった。

 

とあるニュース番組で、あるコメンテーターが言った。

タマモクロスは本格化が遅れていただけで、元々素質のあるウマ娘だった。トレーナーが誰であっても、いずれGⅠレースを制しただろう、と。

だがタマモクロスはそうは思わなかった。自分に素質があったとしても、それを開花させてくれたのは紛れもなく彼であろうと、そう思っていた。

翌日から、そのコメンテーターの席はなくなっていた。何故かは分からないが。

 

ジャパンカップの激闘は、タマモクロスに少なくないダメージを与えていた。楽なレースにはならないと踏んではいたが、思わぬ伏兵によって予想以上に苦しめられた。

宿敵オグリキャップでもなく、覇者トニビアンカでもなく。

しかし収穫もあった。

 

高松はノートパソコンに2つの映像を映し出した。ひとつはジャパンカップの映像。もうひとつは、先ほど撮影した練習中の映像だった。

一見するとどちらも同じフォームに見える。

 

「だがキミは、何かが違うと感じたんだな?」

 

高松の問いに、タマモクロスはコクリと頷いた。

 

「おそらくだがそれは、状況の違いじゃないかな?」

「状況?」

「あの時のキミは、普通の状態ではなかった。身体的な意味では、疲労の限界に達していた。ヒトは疲れた時、もっとも楽な、無駄のない動きをする。その上で、勝つか負けるかの瀬戸際。脳内麻薬がこの上なく分泌されていただろう」

 

例えばβエンドルフィン。これは苦痛を取り除くときに最も多く分泌される。レースの終盤、もっとも苦しい時間。脳内でそのストレスを軽減するためにβエンドルフィンが分泌され、やがて快感や陶酔感を覚える「ランナーズ・ハイ」と呼ばれる状態に変化する現象はよく知られている。

 

例えばノルアドレナリン。これが過剰に分泌されると、交感神経の活動が高まる。その結果、血圧や心拍数が上昇し、身体を活動に適した状態にする。ざっくり言えば、身体能力を覚醒させてパフォーマンスを上げる効果がある。

 

「……つまり、どういうことや?」

「フォームが完全に合致しても、練習ではあの時と同じ感覚は得られないということだな」

 

タマモクロスは、ひとりで走る(タイムアタック)よりも、レースで走る方が良いタイムが出やすい。それは彼女の生まれ持った闘争心のなせる業であろう。

 

(だがそれは、大きな危険も孕んでいる)

 

限界を超えた走りは、故障を誘発する。経験によってある程度危険なラインは把握しているだろうが、勝つか負けるかという瀬戸際では、本能がかけるべきブレーキを誤るのだ。高松はそれを恐れていた。

 

タマモクロスは、いわゆるタフなウマ娘ではない。一晩ぐっすり眠れば、疲労回復・元気一杯というタイプではない。

体調を崩しやすく、事実、高松が管理する以前は季節の変わり目にはよく体調を崩していたらしい。それは赤貧からくる栄養バランスの欠如にも関係はあるだろう。まあ彼女が言うには、赤貧ではなく他家(ほか)よりほんのちょっと貧しかっただけらしいが。

 

ともかく、ジャパンカップから2週間ほど経って、食堂からタマモクロスの食事量が落ちていると報告があった。

栄養管理はアスリートにとっては必須である。当然、高松もタマモクロスの体調には細心の注意を払っていた。

 

(やはりジャパンカップの激戦の疲れが抜けきっていないのか)

 

当然だが好不調の波は誰にでもある。トレーナーの仕事は、ウマ娘を万全の状態で、絶好調の状態でレースに送り出すことだ。

肉体のケアをし、精神(こころ)のケアをする。当然のことだ。だが思春期真っただ中のウマ娘たちは、思いもよらないところで心身のバランスを崩したりする。

今回のそれは、幾分か分かりやすい分助かったくらいだった。

つまり、高松は休息を取るべきだと判断した。

 

「そんなわけで温泉に来た」

「どんなワケやねん!」

 

温泉旅館を前にして、タマモクロスがビシィとツッコミを入れる。

 

「合宿ちゃうねんか!? 有記念に向けての追い込みっちゅう話やったんちゃうんか!?」

「ああ、あれは嘘だ」

 

高松は平然と言い放った。その物言いに、タマモクロスはツッコミも忘れて呆然とした。

 

「少し、気を張りすぎだ。焦っているようにも見えるな。適度の緊張は良い作用をもたらすが、キミを見てるとそれが過剰に感じられた。だから、今はこれでいい」

「せやかてトレーナー!」

 

春秋シニア六冠、年間無敗、年度代表ウマ娘。それらが急激に現実味を帯びてきた。マスコミは有記念をタマモクロス1強と報じており、オグリキャップ、ディクタストライカ、スーパークリークらの若い世代が、その牙城を崩せるかなどと特集している。

嘘か真か、URAなどはすでに式典の準備までし始めているらしい。

 

勝つことが既定路線になり、勝つことが当たり前とされている。それがどれほどのプレッシャーとなっているのか。高松ほど年輪を重ねた人間でもプレッシャーを感じているのだ。それがタマモクロスにはどれほどの重圧になっているのか、彼には想像もできなかった。

 

「心に霞がかかったままでは、勝てるものまで勝てなくなるぞ。今は休暇を楽しもうじゃないか」

「……はぁ。トレーナーにはかなわんな」

 

あっけらかんと見とれていたタマモクロスは、諦めたようにため息を零した。

玄関をくぐると大勢の従業員に迎えられ、部屋へと案内される。

そこでタマモクロスはハタと気づいた。

 

「なんで別部屋やねん!」

「いや当然だろう」

 

高松は何言ってんだコイツ……と言外に視線を送った。

 

「夏合宿では一緒やったやんか」

「あの時はキミの妹たちが一緒だったからな。保護者としてはあまり目を離したくなかったんだ」

「……せやかて、もったいないやんか!」

 

タマモクロスはお金に関してはシビアである。ただそれだけだ。他意はない。

 

「心配しなくても、金を出すのは俺だ」

「部屋代を食事に回した方がええやん!」

 

ずいぶん食い下がるな。そう思いながら、高松はどう返答すべきか悩んだ。とそこへ、後ろで荷物を持っていた従業員が控え目に提案を口にする。

 

「あの、でしたら部屋をひとつにして、食事のランクを上げることも可能ですが……」

「こちらの都合でそんなことは……」

「お姉ちゃんええこと言うた! ほなそれで頼んますわ!」

 

高松がなにか言う間もなく、タマモクロスの一声でそう決まった。

 

「ほな荷物置いたら早速風呂いこか。もちろん風呂は別々やで!」

「当たり前だ。ここに混浴はない」

 

何故か上機嫌になったタマモクロスと共に、露天風呂へと向かう。

その温泉は疲労回復に効果があるらしく、確かにタマモクロスは自分の身体がリフレッシュしたように感じた。

紅葉の名所らしいその場所は、しかし時期が遅かったらしく見頃ではなかったのが残念だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念の控え室。さしものタマモクロスも若干の緊張を感じていた。前人未踏の記録がかかっているのだ。無理もないことだった。

 

「タマモ、最終指示を伝える」

「お、おう。ドンとこんかい!」

 

タマモクロスが自身の胸をドンと叩く。距離と声量が合っていないが、高松は気にしなかった。

 

「気楽に行こう」

「……はぁ!?」

 

高松の気の抜けたような言葉に、タマモクロスはあんぐりと大口を開けた。

 

「気楽に、気持ちを楽に、キミの好きなように走っていい。キミの、タマモクロスらしいレースを見せてくれ」

「……ぷはっ、なんやそれ。真面目くさった顔で言いよってからに。作戦でもなんでもないやんか」

 

緊張が解けていく。双肩に重く圧し掛かっていたなにかが崩れ去っていくような感覚だった。

 

「グランプリレースはお祭りだ。楽しんでこい」

 

軽く右手を突き出す。タマモクロスは迷わず自分の拳をそれに合わせた。

その拳から伝わってくる信頼と情熱と信念に、彼女の心は熱くなった。

年末のお祭りが始まる。

タマモクロスは意気揚々とターフへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きに走れと言われたタマモクロスは、自分が一番らしい(・・・)と思った場所、後方の位置を選んだ。

中山の直線が短いのは周知の事実だが、最終コーナーで好位にいれば問題ない。

 

2500mという距離は、タマモクロスにとってはさほど問題のある距離ではない。この小さい身体に凝縮されたスタミナは、出走メンバーの中でもトップクラスである。

しかしスタミナが豊富だからといって、2500mを楽に走りきれるわけではない。レースはそんなに甘くない。

スタミナの配分、他のウマ娘との駆け引き、そこにレースの妙味がある。

 

だがタマモクロスは、このレースで駆け引きらしい駆け引きをするつもりはなかった。何故なら彼女は、絶好調だったから。かつてないほどに絶好調だったから。小手先の小細工など必要とせず、力で押し切れると判断したから。

 

大歓声のスタンド前を通過し、レースは向こう正面へ。そこでタマモクロスは仕掛けた。

まずはその力を見せつける。意気を削ぐ。向こう正面に入ったタイミングで、タマモクロスは領域を展開した。

 

 

――白い稲妻

 

 

彼女の代名詞でもある、強烈な末脚。それを、この中盤で発動した。

最後方では、スタートでゲートと接触事故を起こしたディクタストライカが血に塗れながらその背を睨みつけていたが、タマモクロスは一顧だにしない。

視界が開けた大外から、一気に駆け上がる。最後方から3番手まで。前にはふたりのウマ娘を残すのみ。

 

ここでタマモクロスは息を入れる。これ以上は終盤の末脚が使えなくなる。いくらタマモクロスといえども、無尽蔵にスタミナがあるわけではない。

先頭はお馴染みロードロイヤル。その1バ身後ろにオグリキャップ。

 

オグリキャップは、タマモクロスの気配に合わせて自分も位置を上げた。オグリキャップの策は至極単純なもので、タマモクロスよりも前でスパートをかけるというものだった。

ジャパンカップもそうしようと思った。だが失敗した。だからこそオグリキャップは、後方のタマモクロスの気配に敏感だった。

だがそれはすでにタマモクロスの術中だった。オグリキャップはタマモクロスに動かされたのだ。

 

タマモクロスの後ろにはスーパークリークがいた。タマモクロスに負けないほどのスタミナを有したウマ娘。前方でライバルのふたりが競って、スタミナを消費してくれるなら、彼女にとってこれほどありがたいことはない。

最後の直線で全員まとめてかわす。一瞬の隙も逃すまいと、スーパークリークの双眸は爛々と輝いていた。

 

最終コーナーを曲がり、最後の直線へ。ここでディクタストライカが来た。若い世代の中で、最も練度が高く、最も領域を理解しているウマ娘だった。

栗毛の弾丸が駆ける。傷を負いながらも、血に塗れながらも、最強を証明するために、彼女は駆けた。

 

先頭を行くロードロイヤルは軽い恐慌状態にあった。先頭に立ってレースを支配しようとした彼女の目論見は、タマモクロスの一蹴によって破綻した。レースはもみくちゃにされ、混乱状態になった。前にいてもその気配は伝わってきた。

そしてすぐ後ろからは葦毛の怪物の圧をヒシヒシと感じる。

残り約300m。ロードロイヤルは直観的に、これは最後までもたないだろうなぁと悟った。

 

そんなライバルたちの思惑を打ち砕くように、タマモクロスは本日2度目の領域を発動した。それに合わせるように、オグリキャップも豪脚を唸らせる。

残り200m。オグリキャップは先頭に立った。この時点で、身体半分ほどオグリキャップがリードしていた。この差を最後まで維持できれば勝てる。

オグリキャップはそう信じて、ひたすらに脚を回す。

 

(そういえばこの位置でコイツの背中を見ているのは初めてかもしれんなぁ)

 

タマモクロスは、オグリキャップの背中を見ながらそんなことを考えていた。精神をさらに奥へと沈め、タマモクロスはその最奥(・・・・)へと至る。

閉ざされた扉を開く。偶発的にではなく、確信を持って押し開く。扉を押す自分の手に、ゴツゴツとした誰かの手が重なる。

稲妻は速度の壁を突き破り神鳴(カミナリ)となった。

タマモクロスは風を超え、光となった。

 

 

 

「感じた? ルドルフ」

「ああ。キミもか、マルゼン。まさか、トゥインクルシリーズ(この段階)で至るとはな」

 

領域。

それはウマ娘がひとつ上のステージに進むための可能性。

その先にあるもの。第二の扉。領域の奥にあるさらなる領域。

 

領域が知覚の増大ならば、それ(・・)は知覚の限界を超えた先にある能力の開花を意味する。

明鏡止水の果てにある無我の境地。

すなわち、ゼロの領域。

 

ただし、限界を超えた先にある能力が故に、肉体的、精神的な負担は凄まじいものになる。そしてそれは、自分の意思でコントロールできるものではないと言われている。

 

シンボリルドルフほどのウマ娘でも、制御できるようになったのはドリーム・シリーズ(ひとつ上のステージ)に上がってからである。

 

(それをタマモクロスは、制御している。なんという才覚! なんというウマ娘!)

 

シンボリルドルフは身震いした。それは無自覚の武者震いであった。

 

(しかし真に恐ろしいのは……)

 

シンボリルドルフはチラリと視線を後方へと移す。

 

(オグリキャップは完全な覚醒には至っていない。にもかかわらず、タマモクロスに追随している。引っ張られているというのもあるだろうが、なんという怪才か!)

 

 

 

シンボリルドルフの称賛など露知らず、当の本人(オグリキャップ)は興奮の最中にいた。

最後の直線、レースで最も苦しい時間。確かに苦しい。息をすることすら。だがオグリキャップはこの超高速の世界の中で、初めてタマモクロスの領域に踏み込めたのだ。

 

(楽しいなオグリ。ウチはアンタと(きそ)っとる時が一番(いっちゃん)楽しいわ。なんでやろな)

 

(私もだ、タマ。負けて悔しい。次は勝つ。そう思いながら走ってきた。今もそうだ。でも楽しい。だがやはり、負けたくないな)

 

(ははっ、負けず嫌いやな。けど、ウチはもっと負けず嫌いや。せやから一番は渡さへん)

 

加速する世界の中で、ふたりは笑っていた。この楽しい時間が、ずっと続けばいいと思うほどに。

走り、競い、そして勝利を目指す。

 

――それがウチの

――それが私の

 

そしてすべての競走ウマ娘たちの。

 

――存在証明

 

夢が駆ける。ふたり並んでゴールインは、しなかった。

ゴール板を一番に通過したのはタマモクロス。

その瞬間、ターフに祝福の雨が降り注いだ。

 

 

 

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