最適なフォームというものは人それぞれ違う。タマモクロスはこれまで一般的なフォームで走っていた。だがそれはタマモクロスに合うフォームではなかった。
「そうだ! いいぞ、膝と蹴り足を意識するんだ!」
タマモクロスは脚が長い。ならそれに適したフォームで走らなければ、本来のスピードは出ないし、スタミナも多く消費してしまう。
高松がやった最初のトレーニングは、フォームの確立、レースの勉強、そして基礎トレという基礎固めだった。
「ちゅーかウチはこんな
「そりゃ体幹がしっかりしていないのと、中途半端なところで争ってるからだろう。位置取りの有用性はこれから教える」
好位の解釈は多々あるが、一般的に接触を避けて全体の状況を把握できる場所が理想だ。それはやはり経験が必要になってくる。
そういった基礎的な訓練を徹底して続けるうちに、季節は暑さを感じる7月になっていた。
「もうデビューの季節やんなぁ~」
チラッチラッと高松の顔色を窺うようにタマモクロスがぼそりとつぶやく。先月からメイクデビューが開催され、何人かのウマ娘がデビューを飾った。ウマ娘たちがそわそわし出す時期だ。
「トレーニングの進捗にもよるが、デビューは11月頃を考えている」
「……それって遅すぎへん? 模擬レースの勝率も上がってきたんやけど」
「自信をつけるのはいいことだが、練習と本番は別物だ。一度本物のレースを走れば、模擬レースが遊びだってことが分かる」
「遊びってのは言い過ぎちゃう?」
「模擬は所詮模擬でしかないってことだ。そのうち分かる」
きっぱりと言われて、納得したわけではないが本物のレースを知らないタマモクロスは黙るしかなかった。とりあえずデビューはまだ先だということが分かって、話題を変える。
「もうすぐ夏休みやけど、合宿とかせぇへんの?」
「あれはチームじゃないと抽選権すら貰えないからな。逆にそういうやつらが合宿に行くことで学園の施設が使いやすくなる。坂路とかプールとかな」
個人で合宿を行うことも可能だが、この時期はどこも混んでいるし、そもそもまだ合宿をやるような段階でもない。それならば設備の整った学園を活用する方がメリットがある。
「お盆休みは取るから、その時に帰省するといい。確か実家は関西だったな」
「そない気を
「俺が休みたいんだ」
「さいでっか」
なんだかんだ言ってもローティーンの少女だ。家族に会いたいという気持ちもあるだろう。そこまで遠い距離ではない。一週間くらいのオフなら問題ない。筋トレやジョギング程度なら向こうでもできる。
夏休みに入ってもやることは大して変わらない。坂路とプールの頻度が増え、たまに併走を頼んだり頼まれたり、それなりに実入りの多い夏休みだった。
新幹線の込むお盆前にタマモクロスを送り出し、高松は部室の椅子に腰かけた。タマモクロスに休みたいと言ったが、当然それは本意ではない。これを機に、溜まっていた書類を整理する。またライバルたちの動向もチェックしなければならない。
敵を知らずに勝てるほど、タマモクロスは強くないのだ。
タマモクロスには一週間のお盆休みを与えてある。今日はその4日目だ。高松は部室で提出書類を纏めていた。
とそこで、ノックもなく唐突に扉が開かれた。一瞬ドキリとしたものの、高松は視線だけでそちらを見やる。
立っていたのは見慣れたウマ娘だった。
「随分早いお帰りだな。何かあったか? 連絡してくれれば……」
「トレーナー。ウチをデビューさせてくれ」
挨拶もなく、タマモクロスは鬼気迫った形相で高松に詰め寄った。デビューについては以前にも語った通りである。その予定に変更はない。高松はそう伝えようと口を開こうとしたが。
「金が要るんや」
そんな隙を与えず、タマモクロスは
「……いくらだ?」
「500万」
学生が、ましてや中等部の学生が必要とするような金額ではない。考えられるのは身内の借金が思い浮かぶが、高松は敢えて追求しなかった。
「それだけが理由なら、俺が用立ててもいい」
「それはあかん!」
タマモクロスの絶叫に、緊張が走る。
「声荒立ててすんません。けどトレーナーとはええ関係でいたいんで」
「そうか」
金銭トラブルが原因で人間関係が壊れるというのはよく聞く話だ。それでなくとも、無意識に優劣がついてしまう。高松は気にしないが、タマモクロスは気にするのだろう。そういった
ウマ娘というのは、身体構造だけではなく精神構造も人間とは少し違っているのだ。
「2回勝つ必要があるな」
賞金が丸々ウマ娘に入るわけではない。諸々差っ引かれて半分といったところだろう。メイクデビューと、その後にもう一戦勝つ必要がある。
「分かった。デビューの手続きを進めよう」
「ありがとうございます!」
タマモクロスは花が咲いたような笑顔を見せ、高松に頭を下げた。