タマモクロスをデビューさせることは簡単だ。レースを選んで出走申請を行うだけである。
だがこのレースを選ぶというのがなかなか難しい。
(タマモがベストパフォーマンスを発揮するには、最低でも1600m、できれば2000m欲しい。コースは芝の方がいいな)
タマモクロスは脚が長く、筋肉はしなやかで無駄がない。これは中長距離向けのスタイルだ。だからこそ、比較的距離が短く設定されているメイクデビューでは分が悪い。
(8月第3週に新潟で1800mがある。そして最終週に1600mと1800m、小倉で1800mと2000mか)
新潟レース場は坂の高低差が小さく、最後の直線が長い。
小倉レース場は坂の高低差が大きく、最後の直線が短い。
(末脚のキレも鋭くなってきた。いけるはずだ)
あれ以来、タマモクロスはいつにも増してトレーニングに励むようになった。その熱意がこちらにまで伝わってくる。
なにより意識が変わった。
勝たせてやりたいと高松は強く思う。
翌日、高松はタマモクロスに最後の確認を
「新潟でデビュー戦だ。芝の1800m。来週か再来週、どっちがいい?」
「そりゃ早い方がええで。来週や」
タマモクロスは意気揚々と答えた。
そして翌週、URAから送られてきた出走表を見て、メンバーと枠順を確認する。高松はすぐさま出走メンバーのデータを紙に起こした。
それをタマモクロスに渡し、仮想レースを行う。
「よう調べとるなぁ。脚質やクセまであるやん」
「大したことじゃないさ」
同期でライバルになりそうなウマ娘はあらかじめチェックしてある。ほとんどのウマ娘はトレセン学園のトラックコースを使用して練習を行うため、ライバルの動向チェックは意外と楽にできるのだ。
「タマモの枠順は4番。真ん中あたりだな」
「先行で行くんか?」
「スタート次第だな。良ければ前へ。悪ければ後方に構える」
「適当やな」
「重要なのは焦らないことだ。当たり前だが、このメンバーはみんな初めてのレースだ。ミスをしない方が珍しい」
「ウチはミスらへんで」
「みんなそう言うんだよ。ミスはしてもいい。するものだと考えておけば気持ちが楽になる。さっきも言ったが、パニックになるな。それが一番マズい」
「ん、了解や」
タマモクロスは口を尖らせながらも素直に頷いた。
(気合が空回らなければいいが……)
高松は頭痛を抑えるように、こめかみを指で押した。
8月3週の日曜日、高松はトレセン学園から借り受けた車で新潟を目指していた。助手席ではタマモクロスが目を閉じて仮想レースを行っている。
「――よっしゃ!」
カッと目を見開き、タマモクロスが快哉を上げる。
「勝ったか?」
「2バ身差で優勝や」
タマモクロスはニカッと笑ってVサインを作った。高松は横目にそれを眺めて小さく笑った。
こうして勝利のイメージを作ることには意味がある。漠然としたイメージではなく、正確なデータに基づいたイメージは現実に近くなり、現実化する。
スピリチュアルな分野になるが、ポジティブなイメージはポジティブな現実を引き寄せるのだ。
レース場に到着すると、タマモクロスは簡単な検査を受けて控え室へと通された。
数時間後にはレースが始まる。
レース用のシューズに履き替え、タマモクロスはぴょんぴょん飛び跳ねる。
「やっぱ軽いなぁ、この蹄鉄。付けてへんみたいやわ」
「アルミ合金だからな。重さは普通の蹄鉄の三分の一だ」
いつも付けている蹄鉄は、学園から支給されるものよりも2倍の重さがある。つまりタマモクロスが感じているのは六分の一の重さになる。浮かれるのも当然だ。
発走時刻が近くなり、タマモクロスはターフへと向かった。
高松はゴール付近の関係者ゾーンへと向かう。
念願のメイクデビューを前に、タマモクロスの胸はいつになく高鳴っていた。
(ふわふわしとんのは、蹄鉄が軽いせいだけやないな)
タマモクロスは瞳を閉じて両手を広げた。そのまま胸の前まで両腕を移動させる。手の平は寸分の狂いもなくピタリと合わせられた。
(身体はイメージ通りに動いとる。これは悪い緊張やない)
『本日の第5レースは芝1800メートルのメイクデビュー。うら若き乙女たちのデビューであります』
アナウンサーが丁寧に一人ひとりを紹介していく。自分の名前を呼ばれてタマモクロスは大きく手を振った。
そのまま4番のゲートに入り、スタートを待つ。
運命のゲートが――開かれた。
一番に飛び出したのは白い影。タマモクロスは会心のスタートを決めた。だがあまりに良すぎるスタートにタマモクロスは一瞬不安になる。
前に他のウマ娘はいない。この新潟レース場は直線が長いため、コーナーは2つしかない。最初のコーナーまで約750メートルの
――焦るな。迷った時は脚に聞け
タマモクロスの脳裏に高松の言葉が蘇る。
(ウチの脚は、前に行きたがっとる。無理に抑えて下がるより、ここはこのままでええ)
意志を持ったように前へ出る脚に任せて、タマモクロスは走る。その外側から7番のウマ娘が駆けて行った。
(あれは逃げるはずだったやつやな。ウチが
さらに2人のウマ娘がタマモクロスをかわして前に出た。ただでさえ速いペースで走っているタマモクロスをかわしたとなると、前の3人は明らかにオーバーペースで走っていることになる。
最初のコーナーを曲がる。先頭のウマ娘の脚が鈍ってきた。
2番目コーナー、つまり最終コーナーを曲がる。先頭のウマ娘はまだ粘っているが、息も絶え絶えで今にも崩れ落ちそうだ。
無理に追いかけた2人のウマ娘も、最後の直線を駆け抜ける力は残っていなかった。
タマモクロスは悠々と前のウマ娘をかわし、一番にゴールへと飛び込んだ。
メイクデビューを勝利で飾り、タマモクロスはご機嫌だった。多少のイレギュラーはあったものの、ほぼ理想通りのレース運びができた。
帰りに新潟名物のへぎそばとのどぐろ炙り丼を食べ、笹団子を宅配便で実家に送った。
「まああんまり浮かれてもおれへん。あと一回勝たないかへんからな。次はいつになりそうなん?」
「そうだな。あまり負担はなさそうなレースだったが、連闘は避けたい。再来週か、その翌週だな」
「ほうか。心配せんでも兜の緒を緩めるつもりはあれへんよ」
タマモクロスは気を引き締めて拳を鳴らす。
窓から流れる景色を眺めながら、レースの疲労と満腹感が重なり、強烈な睡魔に襲われた。
高松に促され、タマモクロスは助手席で寝息を立て始めた。
その寝顔をチラリと眺めて、高松は小さく笑った。