とある葦毛のウマ娘   作:乾燥海藻類

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第06話 病院にて

走ることが好きだった。

そして自分は速いと思っていた。

いつかGⅠレースで優勝するのが夢だった。

日本一のウマ娘になるのが夢だった。

 

それが難しいと感じたのは、小学校高学年の頃。中央トレセン学園の入学金と授業料と、寮費やその他諸々にかかる合計金額を知った時。これは無理だと思った。

それでも走ることを諦めきれなかったタマモクロスは、園田のトレセン学園に進学したいと母に告げた。

そしたら母は「とりあえず中央を受けてみたら?」と軽く言った。

 

受験料だけなら大した金額ではない。それでもタマモクロスにとっては大金だったが、入学金や授業料に比べれば圧倒的に安い。

最初は「どうせ行かへんのやからええねん」と断っていたが、勝手に願書を提出され、記念受験ということでタマモクロスは上京した。

 

筆記テストと体力テストは、そこそこ上手くいった。面接では緊張してどう答えたか覚えていないが、大きな失敗はなかったと思う。

そして1200メートルのダートでレースを走った。そのコースが選ばれたのは、願書に得意距離を1200メートルのダートを書いたからだ。

その頃のタマモクロスが走ったことがあるのは、地元の市営レース場だけで、そこが1200メートルのダートコースだったからだ。芝コースを走ったことは一度もなかった。

結果は10人中4着と、何とも言えない結果だった。

 

受験生のレベルの高さを感じながら、内心でこれはあかんなと諦めていた。だがどういうわけか、タマモクロスに届いたのは合格通知だった。

タマモクロスは三度書類を確認して頬をつねってみたが、間違いなくそれは合格通知だった。だが喜んでばかりもいられない。家の経済事情を考えれば、中央のトレセン学園に進むのは現実的ではない。

タマモクロスはやんわりと母に断りを入れた。

 

だが「子供がそんなこと心配すな!」とゲンコツを落とされてしまった。

結局タマモクロスは、「お金の当てはある。心配せんでええ」という母の言葉を素直に信じて、中央トレセン学園に入学した。

 

そこからは苦難の連続だった。地元では負け知らずだった自分が、クラスでは下から数えた方が早いくらいに遅い。

コースを変えてみたり、脚質(スタイル)を変えてみたが、劇的に何かが変わったりはしなかった。

 

あっという間に一年が過ぎた。

クラスメイトの大半がトレーナー契約を済ませていた。それが羨ましくて、悔しくて、情けなくて仕方がなかった。

練習方法が間違っているのかとも思い、トレーナーを得たクラスメイトに練習メニューを聞いて、それを真似てみたこともあった。

 

お盆には帰らなかった。正月にも帰らなかった。家族に顔を合わせるのが怖かった。

春になった。2年生で最後の選抜レース。ここで1着を取る。取れなければ、道はさらに苦しくなる。

結果は3着だった。逃げるウマ娘を差せず、後ろからきたウマ娘に抜かされる。

相手が上手(うわて)だったなんて言い訳はしない。レースの世界は結果がすべて。ただ悔しさだけが残った。

タマモクロスは放心したようにコースの脇へと腰を下ろした。

 

どれくらいの時間、そうしていたのか。聞こえてきたのは、トレーナーたちの声だった。

 

『あの人、まだフリーなのかな。実績はあるんだろう?』

『前に担当した子は、GⅡをいくつか取ったって聞いたわ』

『俺は担当したウマ娘全員が重賞を取ったって聞いたぞ』

『全員? それってGⅠも?』

『いや、そこまでは……』

 

本人たちはひそひそ話のつもりだったのだろうが、ウマ娘の聴覚はしっかりと言葉を捉えていた。

渦中の人に目を向ける。そこにいたのは、これといった特徴のない男性だった。とても敏腕トレーナーには見えないが、タマモクロスはこれが最後のチャンスだと思い、意を決して彼に近づいていった。

 

 

 

 

 

「……ここは……?」

「ほれ」

「あ? ああ、おおきに」

 

上半身を起こし、差し出されたマグカップを受け取る。甘い香りが鼻孔をくすぐった。口に含むと温かさが広がり、胃の腑にスルリと落ちていく。

タマモクロスはホッとため息をついて、マグカップを脇のテーブルに置いた。

 

「いや、ココアが飲みたいわけちゃうねん! って()たたっ」

「全身打撲だ。幸いにも骨折はなく、脳波にも異常はなかった」

 

そう言われて、タマモクロスはようやく事態を呑み込めたようだ。

 

病院(ここ)におるいうことは、そういうことなんやな」

「ああ、そういうことだ。今日は病院に泊まって、明日もう一度検査する。それで何もなければ退院だ。それと、お母さんから連絡があったから、あとで電話してやれ」

「お()ん。なんか言うとった?」

「心配してたぞ」

「……そっか」

 

後方に構えていたのは、不幸中の幸いでもあった。巻き添えは最小限で済んだし、後ろから来るウマ娘に踏まれるようなこともなかった。

尤も、前方にいれば事故に巻き込まれることもなかったのだが、それを言い出せば切りがない。

極端な話、このレースに出走しなければ怪我をすることもなかった。

 

(俺の欲深が招いた結果か)

 

GⅠレースで優勝することは、ウマ娘としてもトレーナーとしても目標のひとつである。それに焦点を合わせて、このレースを選んだ。GⅡやGⅢを目標にしていれば、このレースは選ばなかったかもしれない。

 

高松は謝罪の言葉を口にしようとしたが、結局はやめることにした。それで満足するのは自分だけで、タマモクロスはさらに気に病むだろう。そういう優しい子だと、高松は思っていた。

 

(幸い怪我の程度は重くない。切り替えていこう)

 

「また明日来るから、おとなしく寝るように。何かあったら我慢せずにナースコールしろよ。食べ物と飲み物ならその棚に入れてある。欲しい物があったら売店で買え。ここはトレセン学園と提携している病院だから、トレーナー()の名前を出せばツケで買える。それと……」

「わーかった。一晩泊まるくらいで大げさなんや。ガキとちゃうねんから」

「ふっ、そうか。じゃあまた明日な。おやすみ」

「うん。おやすみ」

 

彼女の笑みを見て、高松は安堵して病室をあとにした。

だが彼は気づいていなかった。タマモクロス本人でさえも。

悲劇の足音に。絶望の気配に。

 

 

 

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