「どうだ?これからこの娘たちが走るんだよ」
連れてきてもらったお爺さんの職場。
大きなトラックに芝がいっぱいあるのを取り囲むたくさんの人。
一人一人出てきては歓声を浴びるウマ娘たちを、お爺さんが説明してくれている。
札幌への旅行と、お爺さんの仕事のレースがたまたま重なったためにやってきたのだ。
「ほら、あれが私と一緒に頑張っているウマ娘だよ。今日は残念ながら2番人気だが、うまく走れれば一着を狙えるだろう……。その次に出てきたのが今日の一番人気の娘だ」
お爺さんのウマ娘がこちらに手を振ってくれたのに合わせて少年も手を振り返す。
小走りで他のウマ娘に合流した次に、悠々と一番人気のウマ娘が姿を現した。
「あの子が一番人気なの?」
「そうだよ。この中で一番早いんじゃないかって言われてる娘だ。実際に今から走って一番を決めるんだよ」
「怪我してる子が一番早いの?」
お爺さんがウマ娘に向けていた視線を少年に移した。
その時、なぜお爺さんがそんな表情をしたのかもわからなかった。
「どうしてそう思うんだい?」
「何が?」
「あの娘が怪我をしていると、どう思ったんだい?」
顔を近づけて目線を合わせるお爺さん。
「だって、あの子右足痛そうだよ?引きずって歩いてるし」
悠々とパドックに向かう姿に違和感はない。確かに言われれば少し左右で歩き方が違うが、勝負服の意匠の関係と言われれば納得する程度の差でしかなった。
少なくともお爺さんは、気が付かなかった。
この日のレース、お爺さんのウマ娘が1位になった。
1番人気のウマ娘は6着。後に足関節骨折が発覚し戦線を離脱することとなった。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
全国から有数のウマ娘達が集まり、鎬を削っている。
国民的スポーツ・エンターテイメントとして位置付けられているトゥインクル・シリーズでの活躍を目指すウマ娘が集まる全寮制の中高一貫校である。
日夜彼女たちは勉学に加え、レースに勝つために練習をしている。
選手になる以外にも、サポートスタッフとしての知識を学べる研修コースも存在している。文武両道を掲げており、座学や学力考査に苦しめられる生徒も多い。
トレーニング用のレーストラックや体育館、スポーツジム、レッスン用のダンススタジオ、飛び込み台付きの室内プールなどがある。
基本的には、授業が終わると各々のチームで各自トレーニングを行う。
しかし、中には決められた時間に練習の出来ない生徒もいる。
補修、生徒会、取材やその他課外活動。
その場合、彼女たちは練習ができない……というわけにもいかない。
一時的なら、数日なら影響は最小限になる。しかし恒常的にとなるとそうはいかない。
影響を最小限に抑えるために、トレセン学園は夜間練習場を用意している。
「やぁ、今日もすまないね」
宿直用の部屋のドアを叩き、一人のウマ娘が入ってきた。
シンボリルドルフ。トレセン内には、競バ関係者には知らないものはいないであろうウマ娘だ。
周囲から“皇帝”と呼ばれ、数々のGIレースを制覇した生ける伝説。
そしてトレセン学園の生徒会長である。
「お疲れ様。今日も生徒会の仕事?」
「あぁ、ここで練習できる日も限られてるからね。他の日の仕事を回しているというのもあるが」
そういうとシンボリルドルフは更衣室へと入っていく。
シンボリルドルフがいうように夜間練習ができるのは毎日ではない。自主練習とは違い、トレセン学園が練習する場を用意するとなれば責任が生じる。
事故や怪我の可能性を考慮すると、責任者が必要になる。それも、ある程度ウマ娘に。また、練習内容に精通しているものでなければならない。
昼はトレーナーが見ている。自主練習でも必ずスタッフや別のチームのトレーナーがいるため問題は起きにくい。
しかし、夜間だとそうはいかない。
だからといってトレーナーを常駐させることもできない。
日々の授業に自分のチームのトレーニング。それが終わっても自分のチームのウマ娘のために練習メニューを考え、レースに勝つために他のウマ娘の研究をしながらも、次の日の授業の準備をしなければならない。
そんな中夜間練習の宿直は非常に負荷がかかる。
今も、外のトラックでは様々なウマ娘達がターフを走っている。
室内のモニターからそれを眺めつつ、中身の無くなったマグカップを流し台へと持って行った。
一度マグカップを洗いながら、備品として置かれているティーパックやインスタントコーヒーから飲みたいものを選ぶ。
結局シンプルな緑茶に決めポッドからお湯を注いでいると、着替え終わった体操服姿のシンボリルドルフが戻ってきた。
「何か飲んでから行く?」
自分のマグカップを指さしながら聞く。
「いや、喉は乾いていない。それより、今日のみんなの様子はどうだい?」
「大体みんな問題ないけど……、この子とこの子が頑張りすぎかもね」
モニターの中にいるウマ娘を何人か指さし、ルドルフに伝える
「あぁ、その子たちはメイクデビューが来週なんだ。追い込みなんだろう。危険かい?」
「いや、今週だけなら大丈夫だと思う。けど、この子だけは……」
右回りにコーナーを曲がるウマ娘の足元を指さして、2回コンコン、と足元を叩く。
「おそらく今まで左回りで走っていたのか、右に曲がるときに無理して体を傾けてるのかな?足首に負担が強くかかってるように見える。注意したほうがいいかもしれない」
指摘されたウマ娘をジッと見つめるルドルフ。
「ふむ、注意しておこう。しかし、いつもながらよくわかるものだな」
「まぁ、だからここでバイトできてるんだろうけどね」
大した仕事もないのに給料もいいし。そういいながらお茶を一口飲む。
煎れたばかりなので少し舌を刺激する熱さのそれをチビチビと含みながら席に戻る。
「本当の責任者は他にいて、とりあえずここにいれば大学の課題をやっていてもゲームをしていても大丈夫。備品は使いたい放題で至れり尽くせりだよ本当に」
「けれど、それだけのことはあると思っているよ。君が来てから怪我の類が減ったのは紛れもない効果だと思っている。君のその目のおかげでね」
「そう言ってくれるのは嬉しいかな。けどオグ――
「あれは病気だ。怪我ではないし君のせいではない」
「あ、うん」
その後、一言二言話した後にルドルフはターフへと向かっていった。
先ほど指摘したウマ娘と少し話した後に奇麗なフォームで周回を始める。
それをある程度見届けた後、彼は夜間練習でお腹を空かせているであろうウマ娘のために宿直室内で簡単な夜食を作り始めた。のんびりと過ごしながらウマ娘の練習を見て、彼女たちのために軽食を作るこの仕事が彼は気に入っていた。
業務用の炊飯器に無洗米と水を入れる。
今いるウマ娘の数を数えて量を整えてスイッチを押す。
あとは業務用冷蔵庫から味噌といくつかの野菜を多めの人参と一緒に取りだす。粒状の出汁を用意して大きな鍋に水を入れ温めながら用意した野菜を切っていく。
切った野菜を入れて煮込みながら、もう一度冷蔵庫へ向かい昆布・梅干・おかかとスライスパックの豚肉を取り出して持ってくる。
「入るよ」
肉を入れ、灰汁を取っているとドアの方から声が聞こえる。
聞きなれた声に顔を向けずに返事をした。
「また作ってるの?適当に用意すればいいんだから作る必要ないのに」
「そうは言っても、一回買って済ませたら物凄い顔をしたのが何人かいたから」
お玉に味噌を適量取り、溶かして味を調える。
「特に味噌汁とかさ、そこにパックのもあるけど減りが遅いんだよね。年始に置かれたの賞味期限キレそうだよ?」
「それはあんたが毎回作ってるから。去年までは結構減り早かったしそもそも作る人なんて極一部自分のチームのウマ娘の食事のついでとかなんだから」
少し深めの小皿に味噌汁を入れて渡す。渡された側は一瞬嫌な顔をするが受け取って飲んだ。
「まぁ、いいんじゃない?」
味付けを失敗していればまずいと言われるので、今日のは合格点らしい。
火を止めて蓋をする。ご飯が炊けるまではまだ時間がかかる。
門限まではまだ時間があるし、この時間ならまだ夕飯も間に合うのでこちらを急ぐ必要はない。
「今日はどうしたの?練習?」
「練習は昼もうやった。こっち」
スマホを見せながら出た答えに、彼は手を洗って机に戻る。
一緒に移動しながらスマホを取り出すとアプリを起動した。
「今日イベントあったっけ?」
「新しいマルチが出たじゃん。やってないの?」
「武器集めてはいるけど、課金武器持ってる人はいらないんじゃないのかな」
ついでに課題用に開けていたパソコンを引き寄せて検索を掛ける。
二人の起動しているゲームアプリの攻略wikiを呼び出した。
「だから、課金はそんなしてないって言ってんじゃん」
「あんだけレースしてんなら金持ってそうなのに…痛いな!ウマ娘の足で踏むなって!」
器用に座りながら足を踏んづけたのに抗議をする彼。
止めに軽く脛を蹴られたのに悶えながら耐える。
それを尻目にパソコンと彼のスマホを奪い取ってパスコードが入力される。
「あ!まだこれ待ち受けにしてんの?やめてって言ったじゃん」
画面にはウイニングライブでのアップの写真が写っていた。
悶えているのを無視してさらに足をふらつかせながら彼の腿に足をぶつけていく。
彼はついに我慢できずに立ち上がろうとするが、そこに膝裏を狙って足が入り座りなおしてしまう。
「やめてよ。こういうの……あ、やっぱ集めてんじゃんこれ。編成どうなってんの?」
足をさすりながら突き出されたスマホを受け取り、専用の編成を見せながら相手のスマホを受け取って武器を確認していく。
自分の編成より多くのガチャ武器があるそれを若干羨みながらも最適な編成にして返した。
「これくらいなら連絡くれれば教えるのに」
「別にいいじゃん。こっちに来るのわかってんだから会ったほうが早いでしょ」
「まぁ、実際に触ったほうが早かったりするもんなぁ」
二人で同じゲームの敵を選んで倒していく。
「次ってレース決まってるの?」
「まだ決まってない。もう出るレースも減ってきちゃってるからGⅠの出走が決まったら調整の重賞に出るかもしれないけど……来るの?」
「わかんないなぁ。ここで走ってるのは見てるから土日にわざわざレース場にまで見に行く必要ないし」
「フーン。それなら待ち受けになんであんな写真があるのさ」
「ほら、レースの練習は見てるけどウイニングライブの練習は見てないから」
他愛のない話をしながら、ゲームを続ける。
時々モニターに目を移し走っているウマ娘の調子を見る。今日はルドルフも走っているから彼が注意しなくても無茶をするウマ娘は止められるだろう。怪我明けの娘や危険な娘がいれば練習をやめさせなければいけないが、今のところ心配するような状況ではなさそうだった。
炊飯器から炊き上がりを知らせる音が鳴る。
片や混ぜるために立ち上がり、片やそれを一瞥しながらアプリを続ける。
「今日食べてく?」
「いらない。ってか、練習してる人用じゃんそれ」
「少しくらい問題ないよ。一応あれらが来ていいように多めに炊いてあるし、今日は来ないみたいだから」
一応大きな札で『おにぎり一人5個まで!!軽食です!!』と書かれたものを用意して横に『どんぶり禁止!!』と書かれたものを用意する。特定のウマ娘用の対策だ。
走りに来たのに太って帰られてはたまったものではない。
蒸らした白米を少し冷まして握れるくらいになったものから順におにぎりを握っていく。
他のものより少し小さめのおにぎりを二つ作って、味噌汁と一緒に渡す。
「いらないって言ったじゃん」
「どうせこの時間だと戻っても食堂行かないんでしょ?おばちゃんからも頼まれてるからね。小さめに作ったから食べていきなよ。要らなかったらおいておけば俺が食べるよ」
なんどか軽食と彼を見比べてから、小さくため息を吐いてスマホを置き手を洗いに行く。
戻ってきて小さな手に合わせたようなおにぎりを、小さな口に運んだ。
「いつも少し多いんだけど」
「お腹壊す程度じゃないでしょ?学園祭のクリークやタマモみたいに食べろとは言わないけど、無茶じゃない範囲でしっかりと食べないと」
「あんなお腹になるまでは食べないし……」
具を多めに入れた味噌汁を食べ終わり、少しお腹をさすっているのを横目におにぎりをすべて作り終え、テーブルに並べる。
二人がゲームをしたり、おにぎりを作っている間にも練習を始めるウマ娘。練習を終わらせたウマ娘が更衣室に立ち代わり入っている。
食事の準備ができたことは自然と外に伝わるだろう。
中にはそれを狙ってギリギリの時間に来るウマ娘もいる。
「こんにちはトレーナーさん!練習しに来ました!」
「お腹出た状態では走らせないからな。夕飯食べ過ぎてないだろうな」
「大丈夫です我慢してきました!」
「じゃあ行ってきな。それと、なんども言うが俺はトレーナーではないからな」
「お疲れ様です。ありがとうございました」
「お疲れ様。大丈夫だった?」
「ハイ!私も気づいてなかったんですけど生徒会長に言われて意識したら少し走りやすくなりました!」
「すまない。食……練習しに来たんだが」
「そんな腹でどう走るのさ。ダメだよ」
「そんな。せめておにぎりを」
「何が君をそこまでさせるの!?」
「ハウディ!元気にしてましたか?」
「こんばんわタイキ。今日も元気だね」
「今日も走り足りないからお邪魔しマース!ライスボール残しておいてくださいネ」
「わかったよ。行ってらっしゃい」
時間の節目になってくると、部屋が騒がしくなる。
中等部の門限に近くなり、高等部の時間が空いたものが集まり始める。
狭くなって居心地が悪くなったのか、食器を洗った後スマホを手に取り彼の方へ向かう。
「じゃあ、帰るから」
この空気を好まないのを彼は知っていたため、急な申し出に疑問を抱かずに返事をする。
「うん、おつかれ。土日はどうするの。ゲーセン行く?」
「まだ決めてない。決めたら連絡する。じゃあね」
「バイバイ、タイシン」
「何すんのさ……もう。バイバイ、シュウ」
帰りざまに頭を撫でようとしたが、手で払われてそのままタイシンは帰っていった。