1話 わたしのパートナーにならない
とある少女は鼻歌交じりに語る。
夢はいつか本当になる――
夢は叶うもの――
誰かが歌い、誰かが言った言葉だ。ここではそれを受け継いだ少女の物語をしよう。
その少女の夢は純粋であった。何かを成し遂げたい情熱に燃えていた。少年少女が一度は胸に抱くも、現実の厳しさを知るうちに諦め、捨てていく幼稚な夢。それを成し遂げる過程に一人では越えられない壁を――その理を生き物と乗り越えた少女を。
一
カントー地方のマサラタウンは真っ白で純粋な街と呼ばれ、春に街から旅立つ少年少女に生き物――ポケモンを手渡される。『ポケモン』の正式名所は『ポケットモンスター』と呼ばれ、その生きもの達がいたるところに住んでいる。ある人は可愛がり、ある人は勝負をして人間と共存をしていた。
窓の外には暖かな陽気の太陽。青空の広がる朝。カーテンの隙間からもれた明かりから寝返りをうち、そのぬくもりを布団の中で、少女は、眠り続けていた。
「すや…すや…もう食べられないよぉ~」
ベッドで『ねごと』を発動している少女が物語の主人公「夢乃 蕾」だ。ポケモン協議会の規定では10歳になった子にはポケモン取り扱い免許が許されている。ここマサラタウンでは朝の8時にポケモン研究科であるオーキド博士から初心者用ポケモンを一体貰い、ポケモントレーナーとして旅立てるのだ。だが、時計の針は10時を過ぎていた。
「うぇひひ…やったぁ~わたし、ちゃんぴょおんだ~」
少女はすでに夢で大食いチャンピオンとなった。もちろん、少女には確かな夢がある。パパやママの様にポケモンと一緒に旅をしてポケモンリーグに挑戦し、ポケモンチャンピオンになりたい。小さな身体に――儚いほど小柄な身体に、大きな夢を描いていた。
「おやおやぁ~つぼみはまだ寝てたか。今日は大事な日なのに、しょうがないわね」
階段から顔を覗かせた母親は片手から上下に赤と白のボールを静かに投げ、スリーパーを出す。
「スリーパー『ゆめくい』!」
スリーパーの振り子が左右に揺れるたびに蕾はもがき苦しみだす。母親とスリーパーに眠り苦しむ娘。傍からは悪魔払い中のエクソシストである。
「うごご…うわぁ!ホットドッグに襲われるー!!...あれぇ?」
「つぼみ…どんな夢を見てたのよ」
ホットドッグに見立てた犬にでも襲われていたのか。ママは肩をすくめた。目覚めのタイミングに合わせてスリーパーを引っ込める手際に、母親が歴戦たるトレーナーの片鱗を窺わせる。
「あっ…そうだった。今日はポケモンを貰える日だったよ。ままぁ…今何時?」
「もう10時過ぎてるわよ。朝食食べてから行きなさい」
「うそぉ!!」
思わずベッドから飛び跳ねた。
「食べてる時間ないよぉ~すぐ行くよ!!」
「待ちなさい、つぼみ」
「なに、ママ!?」
「間に合わないにせよ、寝癖も顔も酷いわよ。女の子なんだから、身だしなみくらい整えてから行きなさい」
コーヒーカップを優雅に持って飲むママは落ち着いている。そのような事もあり、蕾は髪をふわりとした毛並みに整え、顔を洗って気を引き締めた。最後に茶色の帽子を被った蕾は大きな鏡の前でポーズを取り繕う。朝食を食べて玄関のドアを閉めた手前――大慌てで走った。
二
「うわぁ~ん。完全に遅刻だー!!」
茶色の帽子に薄手の白いパーカー。青色の短パンに旅用のリュックを背負った蕾は全速力で駆けていた。土埃を舞わせ、木製の橋を渡り、途中ですれ違う知り合いに挨拶をした。やがてオーキド研究所に着いた時には、食べたばかりの朝食が消化しきれず、お腹をさする。
「痛てて。食べてすぐに走っちゃったから、お腹痛いよ」
お腹の痛みが落ち着いてから研究所の扉を開けた途端、蕾は白衣の初老と目が合った。オーキド・ユキナリ。一般的にはオーキド博士としてポケモン研究者として親しまれている。少し力強い目力も、会ってみれば優しい雰囲気のする人物だ。
「あの~ごめんなさい。オーキド博士、まだポケモンって残ってますか?」
「うん?君のポケモン?たしかに、予定より一人足りないと思っとったが」
「じゃあ、もしかすると――もしかして!!」
「その、もしかしてじゃ!」
期待の言葉に胸が膨らむ。初心者用ポケモンとして比較的人に懐きやすいと呼ばれている、とかげポケモン『ヒトカゲ』・かめのこポケモン『ゼニガメ』・たねポケモン『フシギダネ』研究所の奥に案内されて3つのモンスターボールを同時に開けた瞬間――何も起こらなかった。
「――すまないが、もう残っとらんよ。最後のゼニガメも入れ違いで別の子に渡してしまっての。今は研究用のポケモンだけじゃ!」
「うぇえ~そんなぁ」
蕾は頭を抱えながら、走って乱れた髪の毛ごと乱暴に頭をかいた。整髪すれば明るいオレンジ色に映えるその髪も、そそっかしいせいか子どもらしさをより引き立たせていた。
「1秒の時間が人生を左右することもある。そして、人生諦めも肝心じゃ」
「えぇ…それじゃ私、ポケモンなしで旅に出るんですか」
「そんな危ないことはさせんよ。草むらや森にはポケモンが襲ってくることもあるからの」
オーキド博士は指先で頬をポリポリとかく。
「このまま帰っても、もったいなかろう。来てもらったついでにワシの届け物をトキワシティのフレンドリィショップまで届けてはくれないか」
「行く途中に襲われない?」
「マサラタウンは穏やかな街じゃから、そんな心配はないぞ。無事に届けてくれれば、ワシの研究している余り物のポケモンじゃが一匹だけ譲ろう」
「本当ですか!!行ってきまーす!」
明るく元気な声で答えた。オーキド博士は包み紙を蕾に渡すと、それをリュックに丁寧にしまう。素直過ぎる少女に苦笑するも、根が真っ直ぐな姿勢はポケモンを引き寄せると、それに近い印象をもっていた。
三
「あの~オーキド博士からお届け物です」
「あぁ、これね。はいはい」
「あ…それと、ここのモンスターボールを10個とキズぐすり3個ください」
「はいはい。毎度あり」
日用品の入ったカバンに入るだけのボールとキズぐすりを詰め込んでおく。オーキド研究所に戻れば、蕾にもポケモンを譲ってもらえるのだ。最低限のボールとくすり位は揃えておけば、何時でも旅立てる。
「これでおこずかい全部だ。せめて、戻る時にポケモンの一匹は入ってくれないかなぁ」
1番道路をゆっくりと歩き、近くのポケモンを探っていく。1番道路は田舎でのんびりした道でポッポやコラッタが多く生息している。珍しい時は草ポケモンのマタツボミやナゾノクサも見かけるが、蕾はまだ見たことが無かった。
モンスターボールを投げれば弱らせなくても捕まえられるポケモンに意気揚々と聞き耳をたてていると、騒がしい鳴き声に注意が向く。三匹のコラッタが丸いのを囲んでいたのが見えた。
「あれって、コラッタ!あとは知らないポケモンだけど、いじめられてる!!」
大きさは大体50センチメートルで紫色の所々に棘のある身体をしている。ギザギザした大きな耳に口を閉じれば尖った大きな前歯がちょんと出てしまいそうだ。3匹のコラッタに体当たりや前歯でかじられているポケモンは余力が無いのか、丸くうずくまったまま動かないでいる。
「えい!モンスターボール!!」
ボールの感触や握り方も知らない蕾にとって、狙った場所に投げる技術は無い。買ったばかりのモンスターボールを抱えられるだけ持ち――空中に放った。突然できた無数の丸い影にコラッタ達が気を取られた隙に、蕾は足を止めずに紫色のポケモンを抱きかかえる。獲物を横取りされたコラッタ達が追いかける前に、モンスターボールに当たってしまい、ジダバタと暴れていた。
「きみ、大丈夫?待ってて!すぐに――」
蕾がポケモンを診ようとしたとき、モンスターボールから三匹のコラッタが姿を現した。後ろから一瞥していた蕾は、すっとんきょうな声をあげる。
「うわぁ!!なんで、ボールに入らないの!?」
コラッタやポッポであればモンスターボールで捕まえるのは容易い。ポケモンの気分が良い時や気づかれなければボールに入るも、蕾とは状況が違う。彼らの獲物を横取りして怒らせた状態では入ってなどくれない。まだポケモンを知らない蕾には知るよしもないが。
三匹のコラッタに追いかけられながらも、全速力で走っていく。やがてマサラタウンの看板付近まで走り抜ければ、もうすぐだ。気を抜く蕾の前に、大きなネズミポケモンが現れた。
身体は大きて丸く、前歯はより目立つ。体色は黄土色に、腹部は黄色にと大きく変色している。コラッタが進化したポケモン――ラッタだ。
「え!なんでここに、ラッタがいるの!?」
身構える前に、気づけば蕾の眼前にラッタとの距離が縮まる。コラッタの覚える『たいあたり』よりも早い『でんこうせっか』が腹部に直撃し、生き物を抱えたままの蕾は受け身を取れず、背後から大きな岩に叩きつけられた。
「うぅ、からだが痛い…痛いよぉ…」
帽子が脱げてしまい髪やパーカーを芝まみれにしても抱えている紫色のポケモンをチラリと見る。かすり傷は多々あるも、大きな傷は見られない。安心する間でもなく間合いを詰めてくるラッタに、腹部の痛みを堪えた蕾はゆらりと立ち上がって睨む。今、自分が逃げればこの子はラッタに何をされるか。考える間でもなかった。
「この子には…手を出さないで!!あっちいってよ!!」
両手を広げて身体を大きくみせても、ラッタの構える姿勢は止まらない。ラッタの『でんこうせっか』が蕾に近づいた時に、足元から小さな影がラッタの首に飛びかかる。小さく尖った角を衝かれたラッタはたまらずに芝生へと姿を消した。それに感づいたコラッタ達も蜘蛛の子を散らして逃げていった。
「あはは…あなたこんなに強かったんだね。戦ってくれてありがとう」
涙目になりながら、腰を抜かしてしまう。
「そうだ…手当てしないと…ちょっと待ってて」
リュックを漁る蕾を、退きながらも不思議そうな顔をする。
「ほぉら、キズぐすり!」
彼女が何を言っているかは分からなく、片耳を少し曲げてしまう。ゴワゴワした肌でも腕で包みながら蕾はキズぐすりをかけてあげると、少しピクリと動くだけでおとなしかった。傷も治ったとあれば、あとは一人で帰れるだろう。
「さっきは助けてくれてありがとね。でもね…気を付けないとさっきみたいに危ない目に遭っちゃうよ。今度は気を付けてね」
一声かけてからオーキド博士の研究所に向かう。紫色のポケモンは彼女の背中をじぃと見つめていた。やがて両耳をピンと立てたポケモンは岩の近くに落ちていた彼女の帽子を前歯で掴み、蕾の向かった同じ道に走っていった。
四
「オーキド博士、戻りましたよ~」
「おぉ!きみか…随分と汚れとるが何かあったのか?」
髪の毛やパーカーに緑の芝生が絡まり、出かける前より服がほつれていた。どこかで転んだにしては顔や膝の擦り傷が痛々しい。オーキド博士は驚きながら訊ねると、
「ちょっとここにくる途中にラッタに襲われちゃって」
「なに、ラッタとな!?ここには生息しないはずじゃが…それでは、危ない目にあったのぉ」
「あはは、でも野生のポケモンが助けてくれたんですよ!!おかげで、私は大丈夫です!」
「そうか、それはよかったのう。それは、もしかして君の後ろにいるポケモンかな?」
指をさすオーキド博士に、え、と振り返れば、ついさっきまで一緒にいた紫色のポケモンが帽子をくわえてちょこんと座っていた。蕾が気づいた途端、ポケモンは両耳をピクピクと動かしている。
「あ、わたしの帽子…わざわざ届けてくれたの」
背中や頭を撫でると、キィキィ、と喉を鳴らして答える。オーキド博士は、その様子に目を留めた。このポケモンはニドラン♂。毒の棘を持つ闘争心の強い好戦的なポケモンであり、まだトレーナーでもない少女に懐くとは常識外だ。ポケモンを弱らせてから捕まえるのは、自分より強いと認めさせなければ一緒にいる価値がないと判断されているのかもしれない。
「…だいぶ懐いているようじゃな。ここに新品のモンスターボールがある。これで捕まえるといいぞ」
「いいんですか!ありがとうございます!」
だが、蕾とてボールを投げて当てるのに躊躇していた。投げたら痛そうというのもあるし、ただ帽子を届けに来てくれただけかもしれない。紫色のポケモン『ニドラン♂』の目の前まで屈み、モンスターボールを差し出す。
「えっとぉ、わたしのパートナーにならない?」
ひと鳴きを上げてから、片手をポンと置き――静かにモンスターボールへと収まる。モンスターボールを頬ずると、金属特有の冷たさの他に温かさも伝わってきた。
「ありがとう…これからよろしくね!!」
満面の笑みを浮かべる蕾をオーキド博士は見守っていた。これが夢乃蕾の最高のパートナーであり、最も信頼を寄せるポケモンとの出会いだ。これから壮大なポケモンの世界が待っている。いつか蕾が花を開く日はくるか、その旅はここから始まった。